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一月の出来事・⑫

「そんな事があったんだ」

 時は流れて次の週末である。いつもの通り清隆学園高等部司書室には、図書委員も、そうでない者も、見慣れた顔のほとんどが揃っていた。

 いつもの蔵書整理用の大テーブルに出されていた「博多通りもん」や「如水庵の筑紫餅」、「なごしの抹茶生大福」などは、もう残されていなかった。

 たったいま九州で経験した事件の顛末を、当日は留守番してくれた花子に全部話し終わった由美子は、ダラーッと応接セットのガラステーブルに上半身を投げ出した。

「そういうことがあったのよ」

 脱力したままに、花子の言葉尻を取った。事件があったことはもちろん月曜日に顔をあわせた直後から話してはいたが、ちゃんと時系列どおり順序だって説明したのは、今日が初めてだった。

「結局、交流会自体もお流れになっちゃったし。もう散々」

 ガリリと自分の親指の腹を噛んでみせた。

「でも、よかったじゃない」

 花子は、自分の頬の高さで切りそろえた髪を弄りながら、努めて明るく言った。

「郷見くんが絡んでなくて」

 言外に、これで弘志が事件に絡んでいたら、彼が不必要なまでに掻き回して、海辺の断崖まで行くことになっていたんじゃないかと言っていた。

 騒動屋の彼のことである、充分にあり得ることだった。それどころか由美子を容疑者に仕立て上げることぐらいのことはする。その方が面白ければ自分自身ですら容疑者候補にしてしまうだろう。

「それなんだけどね…」

 寄り目で考え込んでいた由美子は、テーブルから体を起こすと思い詰めた顔を花子に向けた。

「もしかしたら…」

 その時、ガララッと大きな音を立てて司書室の扉が開かれた。条件反射的に誰が入ってきたのか確認するために、二人は顔をそちらに向けた。

「???」という顔をする花子。

「!!!」という顔をする由美子。

「やあ」

 その二人に、車椅子の上から白手袋を填めたままの手を上げた人物は、今まで花子に語って聞かせていた事件の登場人物だった。

「ふむ、ここが噂に聞いた清隆学園の司書室か」

 車椅子をハンドル握る日登美に押させながら、白膏学苑の制服である白セーラー服を着た縞子が、室内を見まわした。

「だれ?」

 花子だけでなく蔵書整理用の大テーブルの方でダベっていた男子数名もつぶやいた。

「ええと」

 花子のつぶやきで目が覚めたように由美子は席を立ち、遙々九州は白膏学苑からやって来たと思われる二人を出迎えた。慌てて花子も彼女の背中を追った。

「ようこそ清隆学園に」

「一週間ぶりだ」

 ニッコリ笑った縞子の視線が、由美子の横に来た花子に移った。

「こちらは白膏学苑の…。縞子さんと日登美さん。こちらはウチの副委員長、岡さんです」

 由美子がお互いを紹介すると、それぞれ会釈を交わした。

「今日はどうして?」

 当然の質問が由美子の口から出た。たしか白膏学苑は土曜日も授業があるはずである。

「一度でいいから、話に聞いていたココに来てみたかったんだ」

 包帯で右半分が隠された顔へ笑みを浮かべて縞子は言った。

「そのために学校はサボッた」

 得意そうに言って、二人がなんとも言えない表情になると、ペロッと舌を出す。

「というのは嘘で、今日も警察の捜査で授業がつぶれてね」

「大変ですね」

 由美子は手で応接セットを示しながら同情の言葉を口にした。

「入口ではなんですから、どうぞ」

「すまないね」

 車椅子の来訪者ということで、由美子が指示を出す前に『常連組』の男子数名が、ソファの一部を移動させて、スペースを作った。

 ガラステーブルに正対するように日登美が、そこへうまく車椅子を押し込んだ。彼女へも脇のソファを勧めるが、今日もマスクを被った彼女は手を振って遠慮した。

 縞子の向かい側に由美子が着く。二人で使用していた茶器は花子が手早く片付けて、来客用に煎れ直すためだろう、彼女は給湯コーナーへ引っ込んだ。

 由美子は素早く室内へ視線を走らせた。この間のIP電話での会談の時に、みっともない物が映らないように片付けたが、半月も経たずに元に戻っているような気がした。

 取り敢えず他校の生徒に見られて不味い物が無いと判断し、そっと一人胸を撫で下ろした。

「郷見なら捜させましょうか?」

 童女のような表情で室内を見まわしていた縞子は、由美子の提案に手を上げて答えた。

「彼なら程なく現れる、だろ?」

「まあ、そうでしょうね」

「粗茶ですが」

 花子がトレーに茶器を揃えてやってきた。四人分のお茶と、お茶請けとして一口サイズのモナカが乗った菓子籠をテーブルに並べた。

「いただきます」

 縞子が礼儀正しく一礼し、立ったままの日登美はペコッと、うなずいたような一礼をした。

「そちらの制服を着ている君を見るのは初めてだが…」由美子の様子を観察しながら縞子が切り出した。「ウチの物より似合っているではないか」

「そうですか?」

 由美子は座ったまま自分の体を見おろした。

「着慣れているだけですよ」

 縞子は微笑んでから声色を変えた。

「今日は、事の顛末を伝えようと思ってね」

「てんまつ?」

 横に座った花子と顔を見合わせてしまった。

「ああ。白膏学苑で起きた殺人事件の顛末だ。君も事件の関係者として知る権利があると思ってね。それと、あの美人さんは?」

 片目で捜すふりをする縞子に、同じクラスの由美子が答えた。

「今日は部活です。剣道部の練習があって」

「そうか、ならばいいだろう」

 唇をお茶で湿らせた縞子は、茶器を置いてから真っ直ぐと由美子を見た。

「やっぱり、あの部長が犯人でした?」

「それなんだが…」

 心に迷いが生じたのか、縞子はちょっとだけ視線を外した。

「柳田美也緒を手にかけたと思われていた三浦康介は、逮捕されなかったよ」

「!?」

 二人は息を呑んだ。驚愕の表情のまま由美子が訊ねた。

「逃げたんですか?」

「いや」

 自嘲するような表情になった縞子は告げた。

「正確には、もっと大きな裁きの場へ召喚されたと言うべきかな?」

「?」

 その言い回しの意味が判らなかった由美子は、当然不思議そうな顔をした。

「彼は、事件から三日後にあたる火曜日に、死亡したよ」

「!!」

 驚きに次ぐ驚きで、由美子と花子は顔を見合わせた。

「死因は肺炎だ。ほら日曜日に、彼がインフルエンザに感染したとかいう話をしただろ。その症状が重篤化してね。そのせいで本人から証言は永久に得られなくなったんだ」

「まるで祟りですね」

 花子が体を震わせながら表情を強ばらさせた。

「祟りか」

 それを見て楽しそうに目を細める縞子。

「そんな非科学的なことがあるんだね」

「真相は…」

 突然、これまで聞いたことのない声が耳に入ってきて、由美子は司書室内を見まわしてしまった。

「真実はまるで逆でしょう」

 声の主はすぐに判った。縞子の後ろに影のように控える日登美だ。

「ほほう。君の考えをきかせてくれたまえ」

 縞子は楽しそうに車椅子の上で身を捻り、彼女を見上げた。彼女は横に一歩出ると、三人の視界に平等に侵入した。

「この事件、三浦康介が柳田美也緒を殺害したのではなく、柳田美也緒が三浦康介を殺害した事件だと見ます」

「はい?」

 由美子の目が丸くなり、何度も瞬きがなされた。

「じゃあナニ? あなたは、あの二本足で歩き回っていた人が、幽霊だったとでも言うの?」

「まさか」

 やめてくれと言わんばかりに、日登美は手を軽く振ってみせた。

「あの段階では呼吸も脈拍も正常だったと思いますよ」

「じゃあ…」

「でも彼はすでに殺された後だった」

 否定しようとする由美子の声に、わざわざ声を被らせて日登美は黙らせた。

 その無礼な行いに睨み付けても、そんな物はドコ吹く風といった調子で人差し指を立ててみせた。

「白膏学苑の化学部が夏に発表した研究成果、憶えています?」

「ええとバチアタリのDNAにUVカットをまぜたんだっけ?」

 由美子は、いま思い出せる範囲で口にした。

「Bacillus anthracis」

 日登美は流暢な発音をしてみせた。

「日本流で言うならバシラス・アンスラシス。遺伝子操作がしやすいから実験によく使われるけど、これの正体知ってる?」

 思いつきもしないと二人は首を横に振った。

「和名で言うなら炭疽菌だ。これなら知ってるかな?」

 しかし二人は首を傾げて止まってしまった。

「傷口から侵入すると炭疽という病気を起こす細菌だよ。一時期、テロに使用されて話題になったんだけどね」

「肺炭疽か!」

 納得いった声を縞子が上げた。

「炭疽菌の株を吸い込むと起こす致死性の病だ。たしかに肺炭疽ならば症状はインフルエンザに似ているから誤診したとしても不思議ではない」

 縞子の声に日登美はうなずき返した。

「おそらく学苑で噂されていた通り、発表された研究は柳田美也緒の物なのだろう。しかし恋人である三浦康介に研究を盗られたしても、彼女は別に許す気があったんじゃないかな。もしかしたら将来の約束までしていたのかもしれない。二人でこの先の人生を歩んで行こうと考えているなら、どちらの名義でも大して変わりがないと考えた」

「では…」

 なにか言おうとした縞子を手振りだけで黙らせる。

「しかし有名になって三浦康介が変わってしまった。誠実だったはずなのに、他の女に色目を使う始末。人よりも優れているのは頭脳であって、容姿ではないと自覚のあった柳田美也緒は悩んだ。このままでは彼に捨てられてしまうかもしれない、と」

 反応を見るように一旦言葉を句切った。座っている三人とも黙って見上げていた。

「季節は丁度冬だった。町にインフルエンザの患者は当たり前のように歩いており、肺炭疽の症状はそれと似ているから、抗インフルエンザ薬を処方される可能性が高い。だがその薬では肺炭疽は治療できないし、誤診に気がついた頃には手遅れになっている可能性も高い。柳田美也緒は他の生徒に迷惑がかからないように、密閉性の高い隔離実験室に三浦康介を呼び出した。そこで、どんな会話が為されたかは想像しかできないが、おそらく三浦康介の不誠実を責めたのだろう。もちろん彼が謝罪して改心してくれれば、それでよかったはずだ」

「だが、彼の態度は変わらなかった?」

 縞子の質問にうなずいて答えた。

「だから実行した。隠し持っていた粉末状の炭疽菌を、三浦康介の顔面に向かって投げつけ、浴びせかけたのだろう。三浦康介はそれが死に至る病を引き起こす粉とは判らなかった。判っていたらすぐに病院へ行き、しかるべき処置を受けていただろうからね」

「その判断ができなかったから、君は発表された研究は彼の物ではないと推理したわけだね」

「そう」

 マスクに隠された顔を再びうなずかせた。

「それどころか三浦康介は、小麦粉か何かにしか思えない粉を顔面にかけられたことで逆上した。そして手近にあったスタンドで柳田美也緒を、思いっきり殴り倒してしまった。その怒りにまかせた一撃は、柳田美也緒の命を奪うのに充分な威力だった。こうして殺人者が被害者よりも先に死亡するという、他に例が無い殺人事件が完成した。あとの密室なんかは縞子さんが推理したとおりじゃないかな? まあ密室にしてくれたおかげで、目撃者たちが現場に到着するころには、粉末は床に落ちてくれて、他に吸い込んだ人はいないようだけど」

「では白衣を脱いでいたのは…」

 縞子の質問に事も無げに答えた。

「粉で汚れちゃったからじゃないかな。顔面は水道で洗えば誤魔化せるけど、服は難しいと、オレは思うよ」

「あなた」

 今では曲がっていた背中も伸び、そして声色すら女の物でなくなった人物を、由美子は驚愕の表情で見上げていた。

「あなたは一体ダレ…、いやオマエは、やっぱり…」

 いま目の前に立つ人物に、由美子は心当たりがあった。だが、その人物とは姿形がかけ離れており、まるで外見をそのままに、人格だけを何か怪しげな機械で入れ替えたようにも思えた。

「ふっふっふっ」

 二人が唖然としている前で、その人物はわざとらしく肩を揺らして笑うと、マスクに手をかけた。

 マスクと眼鏡をとり縞子に渡した。さらに長いワンレンすら外れて下から茶色がかった髪が現れた。

「郷見!」

 天敵の思わぬ出現に、由美子はキッと相手を睨み付けた。

「そう! 地上に舞い降りた天使の美貌と、アインシュタインも真っ青な頭脳を併せ持つ希代の天才! 郷見弘志とはオレのことだ」

 セーラー服の肩口を掴むと、前へ剥ぎ取るように脱ぎ捨てた。こうして清隆学園(男子)制服を着ている姿を目に入れれば、ここ高等部図書室で知らない者がいないという騒動屋の彼だと間違いなく判った。

「わーっはっはっはっ! げぼっ!」

 腰に手を当てて高笑いをしていた顔面に、九十九砂日登美に出された客用湯飲みがめり込んだ。

「姉さん! そんな乱暴な」

 花子が怒りにまかせて立ち上がろうとした由美子の腕を掴んだ。

「郷見くんも、イタズラが過ぎるんじゃない?」

「いや、オレはね」鼻柱に命中した湯飲みが床に落ちる前にキャッチした弘志は、それをガラステーブルに戻しながら言った。「別の用事で縞子さんのところに、お邪魔していただけだよ。そしたら偶然、姐さんたちがやってくるんだもん、ビックリしちゃったよ」

「オマエの女装趣味は置いておくとして…」視線だけで相手を射殺せるなら、いまの由美子には可能であったろう。「なンで、とっとと正体を明かさねえっ!」

「姉さん、言葉使い」

 江戸っ子らしくべらんめえ口調になりかけた由美子を花子が注意した。由美子は一回だけ花子を厳しい目つきで振り返ってから、わざわざ言い直した。

「なンで、その格好のままでいたのよ」

「ふむ」

 右手だけで着ていた白セーラーを持ち上げて、まるで他人事のように眺めながら首を捻って見せた。

「たぶん、趣味?」

「殺す!」

 弘志に掴みかかった由美子を、構えていた花子だけでなく、司書室全員で取り押さえることになった。



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