一月の出来事・⑪
「まあ当たり前の話だよな」
翌日の日曜日である。図書館は閉館しているはずなのに、二階の委員会室には、たくさんの高校生が集合していた。
益子焼きの湯飲みから立ちのぼる湯気を見つめているのは由彦である。その横に座っているのは、今日は副委員長の佐藤和世であった。倒れたと聞いて心配したが、一晩で回復したようだ。
「まさか校舎内全域が立ち入り禁止になるとはね」
こちらは、今日は一人で車椅子を漕いできた縞子である。
他にも集まっていた白い制服姿の高校生たちが顔を見合わせた。
白膏学苑では、基本的に日曜日は全面休業のはずで、生徒が登校しないようになっていた。
ただ部活動などの練習や試合などは例外で、顧問の教員がしかるべく手続きを踏んで、許可を得ることとなっていた。
よって事件を受けて白膏学苑側は、警察の校舎内全面立ち入り禁止の要請を、今日一日という事で二つ返事で受け入れたのだ。
そのため校舎内で予定されていた部活動などの課外活動も全面禁止となり、それに図書委員会が予定した清隆学園との交歓会及び全体会議も含まれたのだ。
「ごめんなさい。わざわざ来ていただいたのに」
申し訳なさそうに、黒フレームの向こうで和世が瞬いていた。
「いえ、気になさらずに」
正美が、湯飲みから立ちのぼる湯気で眼鏡を曇らせながら、手を振った。
「ふん」
反対側で腕組みをしているのは空楽である。
「どうせ暇な連中ですから、気になさらずに」
今日も白いセーラー服姿の由美子が、その素っ気ない態度を注意するように、テーブルの下で空楽の足の甲をグリグリと踏みつけてから、愛想笑いを返した。
「ここも、なるべく早く終わらせるように通達が出ていてね」
由彦が済まなそうに言った後、お茶の入った湯飲みを手に取った。
「簡素ながら歓迎会を開きたいと思う」
それに合わせて居合わせた全員が起立し、手に飲み物を取った。
「不幸な事件があったが、これに負けないように、今後の両校の発展を願って。乾杯」
由彦の音頭で全員が乾杯を唱和して、ズーッとお茶をすすった。本当はジュースなどを持ち込む予定だったが、本校舎から暖房に必要な動力電力その他の供給がなされていないので、室温は冬にふさわしい温度となっていた。そのために温かい飲み物に変更されたのだ。
「ええと無事乾杯も終わったので、改めて我が白膏学苑の図書委員たちを紹介したいと思う」
益子焼きをテーブルに置いた由彦は、横に立つ少女を示した。
「まず副委員長の佐藤。彼女はとても成績優秀で、入学以来学年トップクラスの成績を維持している」
「佐藤です」
和世は肩ほどの長さの髪を三つ編みお下げにした頭を下げて一礼し、その動作でずれたトンボ眼鏡を直しながら名乗った。
「学年トップは言い過ぎなんですよ」
「トップクラスには違いあるまい」
気弱な優等生という外見のまま謙遜する和世に、縞子が横からちゃちゃを入れた。
「もう体の方は大丈夫ですか?」
由美子が心配げな声をかけた。
「昨日は済みませんでした。取り乱しちゃって」
由彦個人に謝罪するように、彼に向かって頭を下げる。由彦は無愛想にそっぽを向きながらも「気にするな」と一言だけ答えた。
「次は、書記の猿渡。この図書館で判らないことが無いほどの実力派で、探している本があったらまず彼女に訊けば、端末より当てになること請け合い」
「猿渡です」
ふわふわした長い髪を、これまたふわふわ揺らせながら猿渡美智はふわふわした声で挨拶した。とても由彦が紹介したような実力があるとは思えない雰囲気であった。
「立原道造詩集は?」
「五番の列、上から二番目の棚だよ」
縞子の言葉に条件反射のように美智が答えた。
「おおー」
正美が感心した声を漏らした。そして思いついたように訊いてみる。
「じゃあ『北欧の妖精』は?」
「それって図書館の本じゃないよね? ノブヨん家の左側の押し入れ」
「おおー」
今度は正美だけでなく空楽までも唸り声を上げた。
「何の本だ?」
由彦が彼女に質問すると、ふわふわした印象のままに美智は唇に指を当てた。
「ひみつの本」
「そうか、秘密か」
その様子に気を呑まれたのか由彦は追及することを諦めて、次に行くことにしたようだ。背後に控えていたショートカットの少女に振り向いた。
「こちらのお茶を煎れてくれたのが、会計の向山」
「向山です」
今日は裏方に徹するつもりだったのか、制服の上からピンク色のエプロンをつけたその少女は、注目を集めて緊張したのか、少々赤面して一礼した。
「彼女は数字に強いし、なによりお茶を煎れる天才でね。今も味わってもらっているが、その温度といい、蒸らし具合といい、本職に優るとも劣らない物と思っている」
たしかに手にしたお茶は安物の緑茶であるようだが、色の出具合や香りの立ち具合が普通と違って感じられた。
「最後になりましたが、僕が委員長の野原です。白膏学苑図書委員会の役員は以上の四人で構成されています」
「では続いてこちら、清隆学園の…」
「ちょっと待ったぁ」
「?」
由美子が紹介を始めようとしたときに、横からノブヨが口を挟んだ。
「あたしたちの紹介は?」
見わたせば他に白いセーラー服姿の少女たちが、彼女も含めて十人ぐらいいた。それぞれが個性豊かなパーソナリティを持っているらしく、細かったり太かったり、髪が長かったり短かったり、微笑んでいたり泣きそうな顔だったりと、十人十色とは正にこのことだ。
由彦はコホンと咳払いをしてからバッサリと言った。
「君たちは図書委員会じゃないし」
「しまったー」
頭を抱えるノブヨ。
「だいたい今日は登校禁止なんだから、帰りなさい」
「そんなぁ。イインチョとあたしたちの関係じゃない」
すがるような声を出すノブヨににべもなく「帰れ」
「まあまあ。午前中だけなんだから顔合わせでも、ね」
手を上げて縞子が双方を宥めるように微笑んだ。
じっと縞子を見た由彦が、眼力勝負では年季が物を言ったのか、ふっと視線を外した。
「じゃあいいかな? ええと紹介の途中だったな。どうぞ藤原委員長」
場を纏めた縞子が由美子に水を向けた。
「清隆学園図書委員会、委員長の藤原です。今日はお招き下さりありがとうございます」
一礼してから、順に手を向けた。
「同行した三人とも委員会の人間ではありませんが、向かって右から佐々木、権藤、不破と申します」
名前を呼ばれた順におとなしく頭を下げた。普段の非常識な行動が多い『常連組』からすれば、奇跡のような出来事であった。
「それでは短い時間ですか、歓談といたしましょう」
由彦が言った途端に、白膏学苑の員数外で参加していた女子たちが、空楽と正美にドッと押し寄せた。
「ええと名前はなんでしたっけ?」
「君、かっこいいね」
「東京って空気悪いの?」
「彼女いるの?」
「収入は?」
「まさか彼がいるとか!」
「年下は好み?」
「長距離恋愛って可能だと思う?」
トーンの高い声に囲まれて、二人は後ずさった。この一年で色々遭難やら真剣勝負やら荒事を乗り越えてきた二人であったが、物凄い勢いで女子のマシンガントークを四方から向けられた事は初めての経験だった。
よく考えると男子は二人の他に由彦しかいなかった。元女子高で男女比がだいぶ傾いているというのは本当のことのようだ。
「まあ」
ハートを散らしたような声を出しながら、その包囲網を恵美子が突破してきた。
「権藤くんは、ドコでも持てるのね」
といいつつ彼の右腕を取り、親しげに腕を組んだ。
「やっぱり権藤くんの魅力は、どんな娘でも判っちゃうんだね」
とても穏やかな雰囲気の中、なぜか正美は、室内に真剣同士の鍔迫り合いにも似た金属音が響いている気がした。
なにせ清隆学園で『学園のマドンナ』に選出される恵美子である。顔でも体でも並みの女子に負けるわけがなかった。
「君はチヤホヤされるのは嫌いか?」
二人に視線が集中している隙に包囲網を突破して窓際に逃れた空楽に、車椅子が近づいてきた。
「まあな」
腕組みをした空楽は、不機嫌そうに縞子を見おろした。
「で、君に必要な物は、答え合わせかな?」
テニエルの挿し絵風のイラストが描かれたマグカップを傾けながら、縞子は空楽に訊いた。
「そうかもな」
こちらは湯飲みをテーブルに置いてきた空楽。
「どちらの答え合わせかな?」
何が気に入らないのか、空楽の顔は仏頂面のままだ。
「とりあえず大きい方から」
「だが今回の事件はパズルのような物で、あまり面白味が無いがな」
縞子の言い草を聞いて、空楽が大きく溜息をついた。
「奴と同じ事を言うな」
「ほう」
興味が出たかのように縞子の眉が上に寄せられた。
「そのヤツというのは、やはり郷見弘志かな? 昨夜、電話でもしたかい?」
空楽はそっぽを向いて鼻息を一つ吹いた。特に肯定も否定もしていなかったが、その態度が正解を物語っていた。
「そのうパズルって…」
別の新しい湯飲みを空楽用に持って来てくれた和世が、彼に湯飲みを手渡しながら訊ねた。
「犯人は最初から分かっている」当然のように縞子は言った。「あとは、どのような密室トリックが行われたかを証明すればいい」
「やはり」
由彦まで益子焼きを手に近づいてきた。
「犯人は康介しかいないか」
「ああ」
縞子は由彦にうなずいた。そして空楽の方に向き直ると、自慢の端末を取りだした。
「君の撮った画像をチェックさせてもらったよ」
液晶画面に空楽が撮った画像を呼び出して、縞子は少し感心した声を出した。
「たしかにこの部屋には、他に入口になるような窓や点検口の類はない」
「しかし扉は二つとも施錠されて、カギは室内に転がっていたぞ」
受け取った湯飲みを揺らしながら、空楽が縞子を挑発するような口調で言った。
「たしかに」
縞子はあっさりと認めた。不機嫌なまま空楽が続けた。
「扉自体だって、三人がかりで体当たりしてもビクともしない代物だった」
「たしかに」
縞子はうなずいた。
「カギをかけた後に、あの位置へ投げ込めるような小窓すら存在しない」
「たしかに」
「では、あの密室殺人はどのように行われたのか?」
「たしかに、一見不思議ではあるな」
縞子は「たしかに」と、うなずく度に包帯に包まれた顔に笑みを広げていっており、今ではそれが零れんばかりになっていた。
「トリックの仮説は、あの廊下で部長が取り押さえられた段階で七つ思いついていた。昨夜から今朝にかけて三つほど追加できたが…」
端末へ視線を彷徨わせていた縞子は、いまだ睨んでくる空楽と目を合わせた。
「七つも三つもない」
つまらなさそうに空楽。
「あの瞬間から今までに一つだけしかないね」
「そうか?」
意外そうな表情をつくる縞子。
「私ですら思いついたのだから、君ならもっと思いついたと思うんだけどな」
からかうような響きを含めた縞子と一旦視線を外し、空楽は大きく溜息をついた。
「他の可能性が無いわけじゃないが、その可能性が低すぎる。よって一つだ」
「たしかに。私の仮説の中には実現不可能に近い物も混じっている。説明が必要か?」
二人のケンカが始まりそうなやり取りを、心配そうに横から見ていた由彦は、縞子に目を向けられて慌てて首を横に振った。
「可能性も何も」
伏せ目がちに溜息をついた空楽は、テーブルに話しかけるような態度で語り出した。
「ケガした娘が倒れていた様子から、事件は突発的な物だったということは、すぐに判った。おそらく恋人同士でよくある些細な言い争いが発端だったんだろう。だが頭に血が上った男の方は、手加減がうまくできなかった」
「手垢がついたような不幸の始まりだな。いまどきテレビのドラマでも使わないようなシチュエーションだ」
たった昨日に、同じ部活の者に起こった不幸とは思えないような縞子の言い草に、空楽は顔をしかめた。
「男は困った。このままでは自分は殺人者になってしまう。しかし俺は酔いつぶれた人間を介抱したことがあるが、あれだって相当の手間だ。ましてや人間一人の肉体を処分するというのは並大抵の労力ではない。よって男は、事件現場に小細工を加えることにした。それこそテレビでよくある『密室殺人』を演出すれば、疑いは自分にかかるだろうが、捕まることはないと考えた」
「そこで私ならば咄嗟に七つの方法を思いついたのだが」
「お前…」と言いかけて半分言葉を飲み込んだ。他校の二年生、しかもだいぶ年上の相手に使う言葉として適切でないと思ったからだ。
「貴女なら、そうだろう」
自分がその単語を使うことに納得いかないようで、空楽はちょっとだけ唇の端を噛んだ。しかし不破空楽という男の矜持が、年上の女性への配慮を彼自身に強いていた。
「だが考え直してみろ。その時にトリックを頭から捻り出そうとしていたのは、あの男だぞ」
「ふむ、なるほど」
縞子は白手袋に包まれた左手で、自分の顎を摘んで目を細めた。頭の中で凄い勢いで思考実験が繰り返されているのだろう、無表情ながら眼光だけが鋭くなった。
「たしかに彼ならば、そう複雑な仕掛けを思いつくことは難しいだろうな」
縞子が納得した声を出した。その様子から、昨日のノブヨが口走った、康介が美也緒の研究を横取りしたという噂は、本当であるのだろう。
「男は扉から見える位置にカギを放置し、我々に見せることによって密室を完成させた」
「ちょっと待て」
横から由彦が異議を唱えた。
「扉には、両方ともカギがかかっていた。それは君も一緒に確認したじゃないか」
「だから男は部屋から出てカギをかけたんだ」
口を尖らせて抗議する由彦に振り向き、事無げに告げる空楽。
「それじゃあカギが手元にあるから、室内に置けないだろう」
「ああ、悪かった」
いま気がついたとばかりに、空楽は自分の顔を一回拭ってから微笑んだ。
「その段階で、男が持っていたカギが一つしかないって、誰が決めたんだ?」
「あ」
「私だって」縞子がスカートにつけたカラビラをテーブルの上に出した。「あそこの合いカギを持っているくらいだぞ。部長である彼が持っていないわけがなかろう」
「ああ〜」
ポンと手を打つ由彦。
「じゃあ、その合いカギは?」
「事務室へ別のカギを借りてくると言って、その場を離れたときに処分したのだろう」
「いいや。貴女と話す前に、渡り廊下でアイツとすれちがった時には、制服の上から白衣を着ていた。だが、あの時は脱いでいた。おそらく合いカギは、その白衣のポケットだろう。ちなみに白衣を脱いだ理由は、返り血がついたからというのが一番有力だな」
「そうなのか。ならば今日の本校舎立ち入り禁止も理解できるな。警察は犯人が隠したであろう、その白衣を捜索しているんだ」
空楽はパンと一回手を叩いてから、手の平を上に向けた。
「QED。真相はこんなものだろ」
「まあな。警察も無能ではないから昨日の段階で三浦部長が犯人だと睨んでいたのだろう。夜遅くまで彼から事情聴取したそうだよ」
その時、縞子がテーブルの上に置いた端末から鈴の音がした。
「おや、噂をすればなんとやら、上下警部補からメールだ。君とは面識が無いのが残念だ。彼女は私の古い友人でね、警察官という立場を…」
縞子の白手袋で包まれた指がなめらかに動き、端末を操作していたが、語尾に力が無くなって尻すぼみになっていった。そこに表示された文面を、ざっと斜め読みしてから空楽に目線を戻した。
「その三浦康介だが」
「どうかしたか?」
「今日も朝から門司警察署で事情聴取の予定だったが、現れなかったらしい」
「逃げたか」
二人の討論を端から見ていた由彦が顔つきを険しくした。
「いや」少々含み笑いをしながら縞子が画面をスクロールさせ、続きを読んだ。
「風邪をひいて病院に行ったらしい」
「なんだ風邪かよ」
学友が逃亡者とならずに安心したのか、由彦は近くの椅子に腰かけた。
「咳、鼻水、なによりも頭痛に高熱…」
表示されているらしい康介の症状を読み上げる縞子。
「時期的にインフルエンザね」
いつの間にかやって来ていた由美子が、同情するような声で病名を推察した。
「たしかに…」
しかし、そう答えた縞子は、心ここにあらずといった様子で、返事も生返事であった。
「どうしたの? 縞子さん?」
それまで黙って控えていた和世が、彼女らしからぬ様子に、不安げな声で訊ねた。
「うむ。済まんが諸君、私にはやらなければならない事ができたようだ。失礼する」
そう宣言すると縞子はそそくさとテーブルに出した端末とカラビナをしまい、車椅子をエレベータの方へ漕ぎだした。慌てて和世が彼女の後ろにまわってハンドルを取った。
「あ、もう二つほど君に訊くことがあった」
縞子は途中で振り返った。慌てて和世が車椅子を止めた。
「なんだ」
こちらは不機嫌な様子のままの空楽。
「昨夜はどれだけ呑んだんだ?」
「こうなるぐらいだ」
それを聞いて由美子はしかめ面をした。不破空楽は読書と居眠り、そしてなによりもアルコールを愛する男だった。どうやら今までの不機嫌さは、縞子に対しての物だけではないようだ。
「いつの間に…」
呆れる由美子に、得意げに空楽が語り始めた。
「門司港地ビール工房というのがあってな。そこのベールエールという…」
「黙ってろ」
これ以上彼が、出張先で未成年の飲酒なんていう不祥事を口にしないように、由美子は空楽の向こうずねを蹴った。
「最後に」
縞子は指を一本立てた。
「もう一つのパズルは、いつ気がついた?」
「最初から」
腕組みをして不機嫌そうな空楽を見て、縞子は心から楽しそうに笑い出した。
「?」
笑う縞子に、口をへの字にしている空楽。一同は二人を見比べて首を捻るのだった。




