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幕間・⑩

★登場人物紹介


 藤原 由美子(ふじわら ゆみこ):清隆学園高等部一年女子で図書委員会委員長。その剛腕をもって図書委員会を切り回している。飲み物の好みはカモミール。

 郷見 弘志(さとみ ひろし):清隆学園高等部一年男子。類を見ない女顔の美形だが、そう見られることはほとんど無い。好きな飲み物は意外やココア。

 不破 空楽(ふわ うつら):同。読書と居眠り、そしてなによりアルコールをこよなく愛する未成年である。飲み物の好みは訊くまでもなし。

権藤 正美(ごんどう まさよし):同。銀縁眼鏡の好青年。美術部に所属し頭脳明晰成績優秀だが、地雷を踏みまくる言動が玉にきず。どちらかというと日本茶派。

佐々木 恵美子(ささき えみこ):同高等部一年女子。生徒会の非公然活動である裏投票で『学園のマドンナ』に選ばれた美少女。体育会系なのでスポーツ飲料にはうるさい。

 岡 花子(おか はなこ):同高等部一年女子。色白の日本人形のような女の子。物静かながらも要所は押さえるタイプ。抹茶が似合う彼女、逆にコーヒーはまったく飲めない。

「それでは、旧年中はお世話さま。そして今年もよろしく、という事で」

 かんぱ〜い。

 清隆学園高等部図書委員長、藤原(ふじわら)由美子(ゆみこ)の音頭で、不破家の居間に集まった図書室常連組は杯を上げた。

 全員六社明神で二年参りをした後に、オミクジをひいてから、新年会を開くためにやってきたのだ。

 ちなみに、由美子がひいたオミクジは、新年から“凶”だった。今年も問題児揃いの『常連組』どもに振り回される一年であることを暗示させる。神の予言が正しいのか正しくないのか、人の身である彼女に知る術はない。

「こら! 女子に酒を勧めない!」

 科学部総帥にして数々のパテントを持つ御門(みかど)明実(あきざね)が、コタツの向こう側に座る女子たちにビール瓶を向けたのを見て、由美子は柳眉を上げた。

 このカソリック信者の若き科学者は、新年から“大凶”をひいていた。さすが六社明神。異教徒には遠慮も手加減もないようだ。

「いいじゃんかよ〜。一杯ぐらい」

「だめだ」

 うるさそうに応対する彼の横から不破(ふわ)空楽(うつら)が珍しく由美子に同調する。空楽は家で家族揃って年越しの読経をしていたため、二年参りには不参加だった。

「あら、不破くんらしくない発言ね」

 ビールを注がれそこなった佐々木(ささき)恵美子(えみこ)が不機嫌な声を上げる。黒い髪を長く伸ばした彼女は“中吉、ただし恋愛運はあまり良くないでしょう”という、ある意味乙女にとって大凶以下のものをひいていた。きっと彼女は心の中で、今年は部活に青春を燃やそうと誓っているに違いない。

 そんな彼女のやけ酒思考に構わず、ここにいる全員から酒盛り大好き人間と認定されている空楽が、静かに固い声を出した。

「なんと言おうと、だめだ」

「不破の言う通り。女子はお酒禁止!」

 思わぬ援護射撃に力を得た由美子は断言した。

「こいつはねぇ、単純に酒を独占したいだけなんだよ」

 明実の反対側から郷見(さとみ)弘志(ひろし)が、あっさりと彼の思考をばらした。

 二年参りの時に着ていた「かわいい」服装から、いつの間にかジーンズにトレーナという服装に着替えていた。きっと乱れてもみっともなくないようにだろうが、恵美子なんかは非常に残念がった。

 全員が彼の左頬がつけた紅葉マークが気になったが、あえて訊くことはしなかった。

 弘志は意外なことに“大吉”だった。

 ただ散々みんなから嫌みのように「登り詰めたら後は下るしかない」と何度も言われていじめられていた。

「酒呑みはイジがきたない」

 銀縁眼鏡をかけた真面目そうな権藤(ごんどう)正美(まさよし)までがツッコミをいれた。

 こっちは先程からなにか恵美子に対して余所余所しい態度を取り続けている。なにか罪悪感でも背負っているのだろうか。

 唯物論の正美はひねりのない“吉”。八百万の神もつまらないことをする。

「王子ぃ、お正月なんだから良いでしょ」

「堅いこと言わないでさあ」

 恵美子と並んで座る副委員長、(おか)花子(はなこ)までが飲む気だ。

 いつも静かな副委員長にしてはめずらしく積極的だ。

 花子のオミクジは“平”であった。ここらへんは無害な人格が神に認められたのか? 正美よりも平穏だが、刺激の少ない一年を送るということだろうか?

 ちなみに『王子』とは女子たちが由美子につけたアダナである。

「まあ、藤原はんもいかが?」

 柔らかい物腰の松田(まつだ)有紀(ありよし)がビール瓶を由美子に向けた。

 彼は自称京都からの留学生である。普段は規則の厳しい附属男子寮『銅志寮』で生活しているので遅い時間まで遊んでられないが、年末年始は寮が閉鎖されるので、実家に帰省していた。そこを今回の二年参りのために新幹線で駆けつけて参加がかなったという経緯がある。

 有紀のオミクジは“中吉”であった。なにごともそつなくこなす彼らしいと言える。

「いっしょに呑んじゃえば共犯ですよ〜」

 その横から、まるで怪談でもしているような口調で、悪魔の誘惑のようなことを口にしているのは左右田(そうだ)(まさる)である。

 いつもは瞑想している雰囲気をまとい、居るか居ないかすら判らなくなるような存在だが、こうして悪魔の囁きをすることから『ブラックプリースト』のあだ名がある。

 ちなみに某教団に帰依している彼もまた、オミクジは明実と同じだったことを記録しておく。

「まあ、あれだ。一人だけお祭り気分を楽しめないなんて、つまんないよね」

 常識的な発言で微笑んでいるのはここに集まった中で最大の表面積を持つ十塚(とつか)圭太郎(けいたろう)こと『ツカチン』である。

 まるで相撲取りのようなその体格から福福しい雰囲気を発散している少年だが、清隆学園監査委員会に所属し、学内の黒い噂の影には彼が存在しているとのもっぱらの話しである。

 ちなみにオミクジの結果は“小吉”。学内で暗躍しているという監査委員会に所属しているためなのか、そうでないのかは神のみぞ知る。

 男どもの押しに対して、由美子は救いを求めるように続き間の向こうで勢揃いしている不破家の人たちのほうを見た。ここは良識のある大人に一言いってもらわなければなるまい。

「少しぐらいは良いじゃないか」

 これは空楽の父、不破(ふわ)唯貴(ただたか)である。

「向こうにオバサンが女の子用に布団を用意してたわよ」

 これは空楽の従妹にあたる美作(みまさか)(あきら)である。二人とも日本酒を注いだガラスコップを手にしているのは、酒好きの不破家の血筋か。

 由美子はあきらめの溜息をついたのを見て、美少女二人は喚声をあげた。

「ビールだけよ」

「わかってますって」

 由美子の注意を聞いているのかいないのか声だけの返事が返ってくる。それぞれがコタツの反対側に座っていた者にビールを注いでもらった。

「姐さんは呑まないの?」

 新しいコップを取り出しながら弘志がきいた。

 うれしそうにビールへ口をつけている二人を見て、由美子は黙ってそのコップを受け取り、さあ注いでとばかりに差し出した。

「ああ藤原さんまで」

 空楽が絶望的な声をあげる。

「どうせ空楽はポン酒にするんでしょ」

 別のコップに日本酒を注ぎながら弘志はきいた。

「…」

 空楽は黙ってそのコップを受け取った。

「ビールなんか水だって言ってじゃないか」

 正美がビールを呑みながら指摘する。

「やだ、そうなの不破くん」

 コップ一杯のビールを飲み干しただけで、もともとの白い肌を紅く染めた花子が、コタツを挟んだ向こう側にいる彼にツッコミを入れた。


 ビシッ


 小気味のいい音がした。

 スナップの効いた平手が命中し、その後にはくっきりと赤い手形が残ったほどだ。

「あいた〜」

 たまらず叩かれた場所を押さえる空楽。

 圭太郎まで大げさでなくとも、高校生としては体格の良い彼がよろけた。それを見て誰もが冗談だと思った。まあそうであろう、彼は忍者並みの体術でも有名なのだ。

「またまた、大袈裟なんだからぁ」

 叩いた本人もそう思ったのだろう、遠慮無くツッコミを続けた。


 ビシッ

    ビシッ

       ビシッ


「いて

    いて

       いて」


 顔といわず、頭や腕などに花子の平手が飛ぶ。

 しかし、花子に叩かれた部位がしばらくしてミミズ腫れのように赤く浮き上がってきた。四発も花子の平手を受けた空楽の肌には、まるで紅葉模様のような跡が残った。

「もしかして〈叩き上戸〉?」

 驚きのあまり眼鏡がずれた正美に彼女は振り返った。

「そんなこと無いわよぅ。ふつうよぅ」

 正美にまで平手がとんだ。その痛さにたまらず正美は席から逃げ出した。

「ねぇ、お酌して」

 それをあっさり見逃して、花子は下から見上げるような目線で空楽におねだりした。

 その差し出されたコップと、彼女の艶っぽい微笑みを見比べて、もちろん彼は躊躇した。

 彼女の雪のように白い肌は、いまではほんのりと血の気が通っていて、魅力は三割り増しになっていた。頬の高さで切りそろえられた誰よりも青い黒髪が、傾げた首でその頬に散っている。

 魅力たっぷりのおねだり、しかしさらに酔わせたらきっと叩き方も過激になると予想される。

 そんな静かな修羅場をよそに、こちらも上気した色っぽい顔になった恵美子が横の由美子にきいた。

「暖房効き過ぎじゃない?」

「そうかしら」

 コップからビールをなめるようにして味わっていた由美子は首を傾げた。

 コタツに入っているから感じないが、少々肌寒いくらいではないだろうか?

「暑いわよぅ」

 恵美子は断言すると、自分が着ていたセーターの裾に手をかけた。セーターの下に着ていたヒートテックごと捲りあげられた。

 服の下から鍛えられた腹部が見えた。さらにたくし上げられると薄桃色したレース地の…

「わーっ」

 あわてて由美子は恵美子のセーターの裾を押さえた。

「なにすんのよぅ」

「男子の前でなにしてンだよ」

 それが当然のように抗議する恵美子に小さく怒っておいて、振り返って見てみれば、弘志はそっぽを向いて見ないふり、空楽と明実なんかは食い入るように恵美子の胸部をみつめている。正美にいたっては硬直して、誰かの平手でフレームが少し歪んだような気がする眼鏡を、さらにずり落としていた。

「オマエら!」

 由美子の一喝で一同が慌ててそっぽを向く。そんな中、彼女は一人だけを睨み付けるとキバを剥いた。

「何を二人に呑ませたんだよ」

「姐さんと同じ普通のヱビスビールだけど。って、なぜオレにきく?」

 弘志は不機嫌に振り返った。

「オマエがまた妖しいクスリを混ぜる可能性があるからだろ」

「冤罪だ!」

 たまらず叫び声をあげる弘志に、ジト目になった由美子は声を荒げることなくきいた。

「前科がないとでも言いたいのか?」

「そんなこと…」

 わざわざ指を折ってなにかを数える真似までしてから言い切った。

「…全然、心当たりはないね」

「うそおっしゃい」

 ちょっと考える顔になった弘志は、両目の端を指でひっぱって言った。

「しんがいだなぁ。この目をみてボクがウソをいっていると?」

「誰がオマエなんか信用するか」

 一言でばっさりと切り捨てた。

「だめよ王子、郷見くんと喧嘩しちゃ」

 恵美子が止めに入る。由美子の一喝で酔いも飛んだのであろうか、比較的まともな顔を取り戻していた。

「恋人同士は仲良くしなきゃ」


 ブーッ!


 それを聞いて、ほとんど全員が口にしていたものを吹き出した。どうやら恵美子の酔いは覚めるどころか、深くなっていく一方らしい。

「みんなきたな〜い」

 その場で楽しそうにケラケラ笑っている人物が一人だけいた。

 いまや完全に出来上がっている花子である。

「誰と誰が恋人だって?」

 おそそをしてしまった由美子が、ハンカチで口元を拭いつつ、他の誰かが余計なことを言う前に大声をあげた。

「ムキになるってことは、やっぱりそうなんでしょ」

 由美子の方に乗り出して真剣な顔で訊ねた。

「で、キスから先。したの?」

「あれは事故で…」

 視線を思わず外した由美子に詰め寄りながら、恵美子は再度たずねた。

「で、キスから先。し・た・の?」

 有無を言わさぬ問いかけに、由美子はしどろもどろと言った態で目を泳がした。これが並みの相手だったら由美子もたじろいだりしないが、相手は剣道で都大会に出るような恵美子では話しが違った。なまじっか武道に秀でているために本気になったときの眼力は大人でも怯むほどの迫力があった。

「したんでしょ? アレとか、ソレとか」

「バ、バカ」

 明らかにアルコールのせいではない真っ赤な顔で由美子が声を上げた。

「まってコジロー」

 二人の会話に横から弘志が口を挟んだ。それに反応して恵美子がクルリと弘志に振り向いた。

「アタシには不破さんという大事な人がいるの」

 くねっとしなを作って弘志が、となりで日本酒を傾けている空楽に寄り掛かった。

「やめんか」

 間髪をいれずに空楽が弘志を突き放した。

「ひどいしうち…。よよよ」

 まるで寛一お宮のように反対側に手を着いて泣く真似までしてみせる。

「そうなんだ」

 なんだか不安を覚えるような聞き分けの良さで納得する恵美子。ホッとする間もなく大変なことを言い出した。

「じゃ王子は私がもらってもいいのね」

 まるで恋人に向けるような艶っぽい視線で恵美子は由美子を見つめた。

 清隆学園高等部の生徒会(裏)投票で『学園のマドンナ』に選出されるほどの美少女である。その表情を自分のものにしたいと考えている彼女の信仰者はゴマンといるに違いない。

 しかしいたってノーマルな嗜好の由美子は、その異様な雰囲気に、当然の反応として身を引こうと腰を浮かせた。

 恵美子は逃がさないとばかりに彼女の体に腕を巻き付けて、ぐいと抱きよせた。

「ちょ、ちょっと」

 由美子はすぐに拳がとぶ性格なので、普通の女子よりは腕力があるつもりだった。

 しかし今回は相手が悪かった。

 恵美子の呼び名の『コジロー』というのは、苗字と剣道部所属という事から、巌流島の闘いで有名な剣豪からつけられた。しかも剣道部で一番のエースと目されている実力者だ。並みの腕力ではなかった。

「おうじーぃ。あいしてるーぅ」

 男ならば秒殺されていそうな艶声で囁きながら恵美子は彼女をあっけなく畳の上に押し倒した。

「ちょっと」

 由美子は受け止めた両手を突っ張って、被さってきた酔っぱらいの身体をどけようとした。

「にゅふふ。のがしませんぞ」

 恵美子は軽く左手の一払いで、由美子の両手首をつかんむと、頭の向こうに押さえ込んでしまった。

 甘い吐息をはいて、恵美子は彼女の首筋に唇を這わせ始める。そのまま彼女の右手が、被害者の胸をトレーナの上から包み隠すようにあてられ、明確な意志でなで回しはじめる。

 ドキドキ

 その場にいた全員が不純な期待をして由美子を助けようとしない。

「や…」

 由美子は必死の力で両手を振り回し、彼女の呪縛を解き放った。

「やめんかい!」

 必殺アームストロングパンチが炸裂し、恵美子は突き放された。

 精神的に混乱しているのか、由美子は肩をつかって息を整えようとした。そんな彼女の耳に誰かのつぶやきが入った。

「あ、ちえ」

「ちぇじゃな〜い!」

 血走った目で振りかえる。

「いま言ったのは、オマエか?」

 全員が首を横に振る。

「違う違う」

「うちやないで」

「正美だろ」

「ボクだけか?」

「これがウソを言っている目に見える?」

「げふ〜」

「濡れ衣だって」

「うるさい! こうなったら全員、有罪!」

 そのまま正月そうそう、由美子の鉄拳が図書室メンバーに降り注いだのだった。



「まったく」

 ビールをコップに一杯で泥酔した恵美子と花子を、晶の手をかりて別室の布団に運んだ由美子はコタツに戻ってきた。

「大騒ぎだったね」

 さすがに疲れた顔の彼女に、弘志はコップを差し出した。

「もうアルコールはいいよ」

 手を振って断る由美子に、安心させるように微笑みが返ってきた。

「ん? これ、ただのコーラだよ」

「あら、ありがとう。そっちはどうよ」

 コップを受け取って唇を湿らせながら男どもの様子を訊いた。

「正美はトイレで吐いたら楽になったらしくて、もう寝た。空楽もさっき姐さんが帰ってくる前に、疲れたからもう寝るって」

「他の連中は」

 室内にわびしさを感じて見まわして由美子はきいた。

 いまここにいるのは二人きりである。

 散らかった瓶や食べ残しの乗った皿が、祭りの後といった雰囲気を演出していた。

「なんか、ツカチンが破魔矢を買い忘れたとかで、また六社さまに行ったよ」

「ふ〜ん」

 鼻先だけでこたえてコップを傾ける。ちょっと炭酸が抜けていたが、かえって甘さが強く感じられて、乾燥した喉に心地よかった。

「あいつら、あんまりアルコールに強くないのな」

 目線だけで空楽と正美が横になっているという部屋の方を指差した。

「空楽は一人で一升は呑んだぜ。正美はビールとちゃんぽんがいけなかったんだろ」

 苦笑のようなものを浮かべた弘志は、ウーロン茶らしい液体を喉に流し込んでいた。それを見て不思議に感じた由美子は当然の質問をした。

「オマエは?」

「このコップで二杯ぐらいだから、ロング缶一本分くらいかな?」

 手に持っていたそのコップを差しあげてみせた。そのサイズはごく普通の大きさであった。

「あんまり呑まないのな」

「まあね」

 短く答えてから説明不足だったとばかりに言葉を繋いだ。

「一人ぐらい素面が残っていないと、なにかと問題があるでしょ」

 少し寂しそうに微笑んだ弘志は、ちょっとイタズラげな光を瞳に取り戻した。

「酔っている間に地震、雷、火事、藤原さんが起きたら助からないから」

「なんだとー」

 いきりたつ由美子へウインクを流して、再び疲れを感じさせる微笑みを宿した。

「でも、久しぶりに眠くなってきたよ」

「はあ?」

 弘志の変な台詞に由美子は目を丸くした。

「オマエ、もしかして寝てないの?」

「ん? まあね」

「楽しいことがあると寝られないなんて、遠足前日の小学生か?」

「そうじゃなくて…」

 苦笑混じらせ説明不足だったと付け加えた。

「ちょっとした事が昔にあってね、寝ていないというより寝られないんだ。普通の日は午前二時ぐらいに睡眠薬で強引に寝るんだけど、それから二時間ぐらいで最悪の夢見で起きちゃうし」

「それって…」

 思い当たることがあるのか、由美子は短い間絶句した。彼は変わらず微笑んでいた。その悲しそうな表情で、由美子は質問を変えることにした。

「あの、その睡眠薬って…」

「ちゃんと医師に処方箋出してもらってるよ」

 ああそうなんだと由美子は胸をなでおろして、ふと思い出す。

「医者って言えば、毎週ありがとうね」

「は? なんの話し?」

 とぼける弘志に由美子はあっと口に手をあてた。

 しばらく何と言おうか黙ってから、勇気を出して口を開いた。

「え〜とね。アタシの知り合いが入院してるんだけど、毎週必ず花束が届けられるのよ。差出人に全然心あたりが無いらしいんだけどさ」

「へぇ〜。ストーカーなんじゃないの? その知り合い気味悪がってないの?」

 弘志はわざとらしく目を丸くした。

「そんな事ないない。まるで恋人からの贈り物のように、いつも待っているのよ」

「それは良い話しだね。その知り合いが良くなることを願ってるよ」

「っ…」

 息を呑んで少し泣きそうな由美子の表情に、生欠伸をしながら弘志は微笑みを崩さずに再びウインクをした。

「わかってるよ」

 弘志は泣き出しそうな、それでいて励ますような表情になった。

「わかっているから」

 その深い瞳を見ていると、由美子の心が落ち着いてくるのだった。

 しばらく黙り込んで、二人は飲み物を飲んでいた。

 気まずい空気の中で、由美子は弘志がしきりに瞬いているのに気がついた。

「眠いんだったら寝たら?」

 つらそうな弘志の様子に由美子は提案した。

「空楽の部屋はもう一杯だよ」

「ここでいいじゃない。他のやつらが帰って来たら起こしてやるよ」

 弘志はコタツの周りを見回した。

「そう、じゃ横になるかな」

 弘志は大きくのびをして、そのまま床に上体を倒した。

「じゃ遠慮なく」



 人の寝息すら聞こえなくなったような静けさに包まれた不破家で、居間の襖が無遠慮に開かれた。

「のどかわいた〜」

 情けない声を出しながら隣室から這い出してきたのは、まだアルコールの残った顔をしている恵美子であった。

 ビール一杯で酔いつぶれた後に、そちらの部屋で寝かされていたのだ。

 おそらく中途半端にアルコールが抜けて目覚め、酔いからくる脱水症状に居ても立ってもいられなくなったのだと思われる。

 まだ立ちあがることがちゃんとできず、四つんばいだ。

「みず〜、こーら〜、じゅーすぅ〜」

 バタバタと不必要に音を立てながらコタツまで来ると、そこに足をつっこんで横になっている弘志と、反対側で座ったまま天板へ突っ伏して寝息を立てる由美子がいた。

「ふみゃ?」

 ボーッと何事かを考えながら立ち上がり、フラフラと上体を揺らしながら、眠る二人を交互に見おろした。

「うふっ」

 恵美子が小悪魔的に微笑んだ。



「まったく、遅くなった」

「ツカチンはんが破魔矢を売ってはる巫女はんに、こだわるはるからでっしゃろ」

「いやあ、悪い悪い」

 外に出ていた男子どもが帰って来た。

 まるで自宅のように遠慮なく、新年会会場だった不破家の居間に入ってきた。家の者は寝入ってしまったのか、誰も顔を出さなかった。

「っ!」

 と、先頭で襖を開けた明実が硬直して立ち往生してしまった。

『スロバキアと道産子の混血でチャキチャキの江戸っ子』と自称するだけあって、身長は並みの高校生を見おろすほどに高い彼が、部屋の入り口で立ち止まってしまうと、中に入るどころか室内の様子すら窺うことができなくなってしまう。

「どうした〜?」

 科学部総帥の変調に訝しんだ他の男子どもが、脇から顔を出した。そして全員が彼と同じように凍り付いた。

 全員の視線は部屋の中央に置かれたコタツに注がれていた。

 そこには寄り添う二人の姿が!

 弘志の腕枕で寝ている由美子という衝撃的な場面であった。

 いつも微笑んでいる印象がある弘志の横顔は、そんな表情ができるのかと言えるほど無防備で、左腕を伸ばして由美子にあずけ、余った右腕は彼女の腰に回されていた。

 彼の腕の中で眠る由美子も、まるで幼子のように両手の指で彼のトレーナーにしがみつくように抱きついており、二人の距離はまさにゼロであった。

「…」

 まったく声が出さなくなった一同は、顔を見合わせた。

 沈黙が支配したその世界の中で、子猫が自分の母に甘えるように、彼女は彼の胸に頬をすり寄せた。

 冬の寒い空気から逃れようと、無意識の動作であったのかもしれない。

 その寝顔からいつもの男勝りな表情は消えていて、穏やかな幼い表情が現れていた。

 男どもは再び顔を見合わせた。

(邪魔しちゃ悪いから、外をもう一周してこようか)

 というような無言の会話が交わされる。

 足下からさらに冬の冷気が居間に侵入し、抱きつく温もりにかえって目が覚めた。

「う〜ん」

 そして由美子の瞼がゆっくりと開いていった。



 後刻、真犯人の恵美子が自首するまで、そこには地獄が出現していたという。


幕間10・おしまい



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