有能執事とダメお嬢
私はお嬢様。
ベットの横にある小さな窓が、私の世界の全て。
たまに外出もするけれど、大半はここで時間を過ごす。こんな生活をするようになって3年になるかな。食事も娯楽も部屋で済ませるというのは退屈極まりない。私だって普通の女の子、友達とおしゃべりしたり、オシャレして出かけたりしたいと思う時もある。
でもいいの。そんなのは高望み。
この長くない命を温かく見守ってくださるお父様やお母様、そして何より私を支えてくれる『あの人』がいるだけで十分だって思わなくちゃ。
「失礼いたします」
噂をすれば何とやら。ありがちだけど執事らしい黒いモーニングに身を包んだ彼が、片腕で支えたティーセットを微塵も揺らすことのない優雅な足取りで近づいてくる。
ウチの自慢の執事なの。普段はお仕事で家にほとんどいないお父様だから文句も言いたいけど、彼に関してだけはグッジョブと言いたいわ。
「お茶をお持ちしました」
「そう、ありがと」
素っ気なく言って視線を逸らす。
別に嫌いというワケでも避けているワケでもないの。迂闊に目なんて合わせようものなら見惚れてしまうくらいのイケメンだからね。ハッキリ言って危険なの。
「ねぇ、田中」
「はい」
私は彼を苗字で呼ぶ。それはお嬢様と執事という間柄だから仕方のないこと。でもいつか名前で『裕也』って呼ぶの。ちなみにだけど画数の愛称は最高なのよね。星座の方はサッパリだったんだけれど。
「あの木の葉っぱ、大分落ちてきたわね」
「左様ですね」
「あの最後の葉が落ちる頃には私の命も……」
「ご心配には及びません」
「え?」
「一際大きな葉を接着剤で固定してあります」
「そ、そう」
さすがに有能ね。お父様の信望が篤いだけのことはあるわ。
「でも」
「まだ何か?」
「いくら接着剤で固定してあっても、台風とかで枝ごと飛ばされたりするかも」
「その時は仕方ありません」
「え?」
「催眠術で幻覚を見ていただくことにしますのでご安心ください」
「そ、そう」
「幸い催眠術は得意ですので」
「へー……何でもできるのね、田中は」
さすが有能。
「いえ、とんでもありません。私などまだまだでございます。さぁ、お茶が入りましたよ」
「ありがとう」
彼の淹れてくれる紅茶は格別だ。クッキーとよく合う。
だけど、そんなティータイムも私の不安を消すことはできない。
「ねぇ、田中」
「はい、何でございましょう?」
窓の外から彼へと――うっかり目が合いかけて下に逸らしてから改めて口を開く。
「私の病気、そろそろ教えてくれない?」
「知りたいのですか?」
「……せめて、いつ死ぬのかくらい、知っておきたいの」
「そうですか」
私は知っている。
自分が治らない病気であることを。そして彼が、そうと知りながら一緒に居てくれることを。私が病院の個部屋ではなく、自宅の自室に居るのは、手の施しようのない状態だということも。
いけないこととは知っていた。
でも彼の自室にあった日記を、つい読んでしまったのだ。
彼に対する興味から自らの不幸を知ってしまうだなんてっ。
あぁ、私って可哀想!
「ねぇ田中、貴方はどうして私と一緒に居てくれるの?」
「仕事ですから」
「本当にそれだけ?」
嘘だってことを私は知っている。
「もしお嬢様がいなくなったりしたら私は――」
苦しげに、胸につかえた黒い靄でも吐き出すように、彼は言葉を口にする。
その言葉に、仕草に、私の胸はトクンと鳴った。
「再就職先を探さないといけないじゃありませんか」
「え?」
あれ、思ってたのと違う……。
「まぁ私はそれなりに有能ですから就職先に困りはしないのですが、ここ以上にお給料が良くて楽な仕事なんて――」
「待って待って」
「何でございましょう?」
執事が小首を傾げている。
むしろ傾げたいのは私なんだけど。
「何かおかしくない?」
「何がですか?」
「だってホラ、貴方は執事よね?」
「その通りです」
「私はお嬢様よね?」
「そうですね」
「社長と社員じゃないのよね?」
「少なくともお嬢様は社長ではありませんね」
「いやいや、貴方もバイト感覚で執事やってるわけじゃないでしょ。曾祖父の代からの執事の家系なんでしょ」
「いえ、実家は八百屋ですが」
「あれ?」
おかしいな。そんなハズないよ!
「え、だって、確かにこの目で――」
「えぇ、存じています」
「え?」
なにそれどういう意味?
「とうとう、この話をしなければならない時が来てしまったようですね」
「何か深刻な話?」
ひょっとして実は血の繋がった兄でしたとか、そういう話じゃないよね。でもそれはそれで美味しいシチュエーションと言えなくもないような。
「あの日記」
読んだことがバレた!
そうか。先祖代々って話は秘密だったんだ。口外したらこの屋敷を追われちゃうとか、そういう話なんだ!
「だだだ大丈夫だよっ。読んだって言っても少しだけだし。私以外に読んだ人なんているハズないし。バレないって!」
「いえ、読まれたことは大きな問題ではないのですが」
「え、そうなの?」
「しかしお恥ずかしい。あんな稚拙なものを読ませてしまい、申し訳ありません」
「ううん、勝手に読んじゃったのは私の方だし、こっちこそごめんなさい」
「せめてもう少し推敲するべきなんでしょうが、一度書いたものを改めて読むのは面倒臭いもので」
「うん、え?」
面倒臭いとか聞こえたけど。
「ちなみにですが、アレは趣味で書いた小説です」
「え? いやちょっと待って。日記っていうかダイアリーって表紙に書いてあったけど」
「タイトルです」
「紛らわしいよ!」
「更に言えば、いずれ読んでくれることを期待して机の上に放置していました」
「まんまと読んじゃったよちくしょう!」
「つまり、そういうことなのです」
え、アレが日記じゃないって、えっと……どういうこと?
「わからないという顔をされていますが?」
「うん、どういうこと?」
「そうですね。お嬢様がいずれ死ぬ病気だと知ったのはどうしてですか?」
「どうしてって、えっと……あの日記を、はっ!」
「その病気が治らないことを知ったのは?」
「日記」
「もうおわかりでしょうが、ウチが代々執事の家系だと知ったのは?」
「日記」
「私が秘密を抱えた憂い顔でお嬢様の側にいることを知ったのは?」
「あーもう、何なの!」
「ちなみにあの日記を読んでいるところは監視していましたので知っています。ニヤニヤしながら見てました」
「私の感激と感動を今すぐ返しなさいよ!」
プンスコと怒り心頭だ。
でも、ちょっと待って。そんな嘘までついてここに居たい。ううん、私の側に居たいだなんて、きっと何か大きな理由があるに違いない。
具体的には私とお付き合いしたいとか結婚したいとか、そういうヤツ。
断るけど。
「で、何だってそんな日記を読ませたの?」
「そうですね。その話もしなければなりませんね」
ドキドキ。
「お嬢様が高校にご入学されてすぐに、仮病で休まれたことがあったじゃないですか」
「……うん」
いじめではないけど、何となく学校に馴染めなかった。
「その時に思ったんです」
放っておけないな、とか?
「楽でいいなって」
「おい」
「この屋敷って繁華街も近いですし、色々と便利なんですよね。正直学校までついていくのは面倒臭いなと」
「こら」
「そこで私一計を案じまして。お嬢様には病弱なお嬢様にランクアップしていただき、全て屋敷内で完結できれば仕事も楽になって万々歳じゃないですか。いやしかし、それがまさかこれほど上手くいくとは思ってもいませんでしたが。お嬢様がチョロくて助かりました」
私はスマホを手に取って番号を呼び出す。
「何をなさるので?」
「お父様に教えて首にしてもらいます」
「ほほう」
意外なことに、彼は慌てていない。
「虚勢を張っているの?」
「そう見えますか?」
正直見えない。
「そもそもですね。私も一応は執事の端くれです。これでも一応、主のことをないがしろにするようなことはしていないつもりです」
「いけしゃあしゃあと」
「それとも、私を首にして一年休学なさった学校に何食わぬ顔で通いますか? 治らない病気だったハズのお嬢様が、実はそれ花粉症のことだったんですぅなんて言い訳をして学校生活を送れるのですか?」
「うっ……」
手が止まる。
「よくお考え下さい。私はいつだって、ベストの選択を提示して差し上げているつもりですので」
「……お茶」
「はい?」
「病気のお嬢様だってお茶くらい飲んだっていいでしょ!」
「えぇもちろん」
こうして私は、毎日お茶を楽しんでベッドの上で寝転がり続ける生活へと戻ることにした。
え、ダメお嬢ですが、何かっ?