第四話 パチモノ聖女と王宮の人々(後)
晩餐会である。
王宮で開かれる夕食会のこと、……だと思っていたのだが違うらしい。
時間だと聞かされて案内された先は、どうも立食パーティのようだった。テレビで見たことのある宮中晩餐会とかはテーブル席だったので、ああいうものだと思っていたのに。
スケジュールとしては、時間に合わせて続々と集まってきた人々の前で国王陛下が挨拶をして、その後歓談をしながら立食するというものらしい。一応、疲れた人のために椅子も用意されている。
これは、――キツイ。
見知った顔がいないのである。一人ぼっちで過ごす立食パーティというのは所在ないといったら、ない。
クライフさんは出席できないらしく、会場警備をしてくれているはずだ。一応、どのバルコニーという話は聞いているので、後でこっそりそちらに逃げようかと思うくらいである。
王宮にいて知っている顔といえば、国王陛下、将軍、聖堂長、シャルロッテ姫、サリサさん。このうち、シャルロッテ姫とサリサさんが晩餐会に参加するということはまずないだろう。なにしろ姫は五歳である。将軍と聖堂長ならいるかと思ったのだけど、会場が薄暗いせいかよく分からないのだ。
立食用のパーティメニューは美味しそうだったが、がっついていいんだろうか。少しくらいは食べない方が不自然だよね?心の中で言い訳して、客の少ないテーブルを狙い、カナッペみたいなやつに手を伸ばす。冷えているのが残念だけど、味の方は美味しい。
もぐもぐもぐもぐもぐもぐ。
オフホワイトのドレスは、何しろ白。汚したら目立つのは間違いないので気を付けて、一気に口に放り込む。。
テーブル一つに載っている量はあまりないので、次のテーブルへ。
そうやって端の方へと寄っていると、――スッと近づいてきた人がいた。
長い黒髪と黒い瞳をした男性だった。身長は百八十に届かない程度。
ヨーロッパ風のこの国としては珍しく、東洋人に似た顔立ちをしている。そればかりか、身に着けている衣装は中国風だった。
太い襟の着物を帯で締めていて、丈の長い上着を身に着けている。上着の縁も襟と同じ模様が入っているため統一感があり、ものすごく目立っていた。
シャープな顔だちをしたイケメンさんなのだけど、クライフさんたちとは意味合いが違う。クライフさんたちが美形なのは、外国人だからという意識がある。ところがこの男性は、東洋系の美形……つまり、クラスにいたら間違いなくモテるだろうと思う、理解しやすいイケメンだったのだ。
別にイケメン好きじゃなかったはずなのに、思わず目を見開いて凝視してしまった。
「僕の顔に何かついていますか?」
彼はにこやかに微笑んでわたしのそばへとやってきた。
「い、いいえ。すみません懐かしい気がして思わず」
「懐かしい?するとあなたは、我が国にいらしたことがおありで?」
「え?」
「ああ、失礼いたしました。私はリャン。隣国より特使として参りました。
お名前を伺ってもよろしいでしょうか」
「ミスズ・ニーガキです。どうぞよろしくお願いします」
深々と頭を下げたわたしに、彼はまた目を細めて穏やかに微笑んだ。
「そう緊張なさらないでください。立食形式のパーティは、気さくにお話できるところがメリットです。国王陛下もそれを狙ってこの形を選択されたのでしょう」
「あ、そ、そうですね……?」
とりあえず話を合わせておこうとしたのがバレたのか、ふふふ、と彼は楽しそうに微笑んだ。
「あの?」
「実は私は可愛らしいお嬢さんには目がない方でして。一応特使と言えば国の代表だと思って自重していたのですが、あなたが花のように素敵なので思わず声をかけてしまったんですよ。責任をとって仲良くしてください」
「えっ……」
て、照れる!これはいけない。
分かりやすい美形が優しく穏やかに微笑んで褒めてくれちゃうとか、ちょっと心臓に悪い。
「その白い色のドレスもよくお似合いです。あなたが身に着けていると、一輪の可憐な花にレースのリボンをかけているかのように思えてなりません」
「あ、ありがとうございます……」
再び頭を下げようとしたわたしに、彼はそっとグラスを手渡してきた。
「顔を上げて。お友達になった記念に、いかがです?」
ぎゃーっ、なんか押しが強いんだけど、この人!
断り切れず、思わずグラスを受け取ってしまう。これ、アルコールだったらどうしよう……?
「大丈夫ですよ、ジュースですから。食べてばかりで水分をとっておられなかったので」
パチン、と彼は器用にウィンクしてみせた。
もしかして食べまくっていたのを見られてたんだろうか。
「可愛らしいお嬢さんにアルコールを勧めるのは反則でしょう。不作法というよりも下心が透けて見えて見苦しい。
ましてや、お嬢さんは、まだ未成年だというのにね」
「……」
え、と顔を上げた先で、彼は意味深に笑って見せた。小声で、ささやくように続ける。
「聖女殿ですよね」
「……はい。一応、その役を仰せつかっております」
隣国特使。
そのフレーズは耳にしてはいたけれど、この場で関わるとは思っていなかった。クライフさんだってそうだったんだろう。どんな対応をするべきかというアドバイスを受けていない。
そうだ、そもそも特使ってまだ到着してないはずじゃなかった?なんでいるの?
「我が国にあなたをお迎えするために、私は参りました」
「あ、あの」
「ええ、永住だなどと申しませんよ。まずは泉を一つ、それがこの国の国王陛下との約定ですから。けれど、ニッポンからやってきたあなたには、おそらく我が国の方が居心地がいい。故郷に似た人々が住む国の方が落ち着くことと思います。あなた自身が望んだことであれば、それを止めることなどこの国の人間にはできません」
「……」
目を見開くわたしの前で、彼は微笑んだ。
「あなたはおそらく、水魔や女神についてもご存じない。そのような、隠し事ばかりする国のために働くのは苦痛でしょう?」
彼がそう言って身を屈めた時、会場の明かりが変化した。
国王陛下の挨拶の時間になったのだ。
「――残念、時間切れですね。このお話はまた後ほど」
そう言って、リャンさんはわたしのそばから離れていった。
国王陛下の挨拶は、耳に入らなかった。
わたしのそばを離れたリャンさんがどこにいるのか、目で追いかけてばかりいたからだ。
彼はまず国王陛下へ挨拶をすると、将軍、聖堂長、他にも偉い立場の人たちに丁寧に挨拶をして回っていた。一人残らず挨拶をしないといけない理由があるんだろうか。
リャンさんの行動のおかげで、この会場内にいる偉い人がなんとなく覚えられたので、助かってしまったくらいである。
わたしから挨拶して回るのは勇気が出ず、将軍と聖堂長にだけ挨拶しにいくことにした。彼らが必要と判断した相手にだけ、わたしを紹介してもらう。売り込みたかったわけではないので、そのくらいがちょうど良かった。
「聖女殿」
そろそろ会もお開きかと思われたころ、再びリャンさんが近づいてきた。
「お聞きになりたいことがあるでしょう?」
意味深な笑みのまま、リャンさんはわたしの肩を押してバルコニーへと誘った。
王宮のバルコニーは、月が見える場所だった。
地球から見える月とあまり変わりなく見えるのが不思議だ。白く丸い月には見慣れた模様が刻まれていて、もしかしたらここは本当に地球にある国なのではないかと思えてくる。
「食事はいかがでした?」
にこりと微笑みながら、リャンさんはわたしのそばに寄り添ってくる。
「この国の食事も美味しいですが、我が国の食事も捨てたものではありませんよ。お招きした折には存分に楽しんでいただきたいと思います」
「それは……ありがとうございます。楽しみにしています」
おずおずと頭を下げながら、わたしは立ち位置に迷っていた。
リャンさん、近いのだ。
肩に手をまわしてきそうな距離で、内緒話でもするかのように顔を近づけてくる。
「あ、あの……」
身を引きつつ、わたしは口を開く。
「シッ。もう少し小さな声でお願いします。他の方に聞かれては困りますから」
そう言って、彼は上着の袖でわたしの口を覆うように腕を回してきた。
まるで抱きしめられるかのような姿勢に、思わず露骨に逃げてしまう。
「し、質問したいのはっ。ニッポンについてですっ!」
声が裏返ったわたしに、彼は目を細めて微笑んだ。
「リャンさんは、先ほど、わたしがニッポンからやってきた、と言いましたけど。わたしはこの国でその話をしたことは一度もありません。どうしてご存じなんですか」
わたしは、クライフさんにこそ、「出身は日本の東京だ」と伝えている。迷子だと判明した時に、出身地を聞かれたからだ。だけど、ニホン、とは言っても、ニッポンとは言ってなかった。単純に発音の問題かもしれないけれど、違う気がした。
リャンさんは意外そうに瞬きをした後、またにこりと微笑む。
「女神の選ぶ聖女とは、ニッポンからやってくる少女のことです。歴史や文献をきちんと学んでいる我が国においては常識ですよ。
聖女の血を引く者の中では、聖女と同じ能力を発現する者もおりますが、そのような者は『本物』とは言いかねる」
なんでもないことのように彼は笑みを深くした。
「歴代の聖女たちの多くは、この世界で結ばれ子を為しました。そのため。聖女の血を引く者も数多くいる。けれど、そういった聖女たちのほとんどは、たいした能力を持っていないのです。水の浄化を続けるうち、衰弱して死んでしまう」
「……」
「我が国では、そんな消耗品のような扱いはしませんよ?それに、『本物』だと認定された聖女であれば、故郷に帰ることがなくても後悔しないほど、幸福な人生が送れます。
まずは我が国をご覧ください。私の言う言葉が嘘ではないと分かると思います」
するりとリャンさんの手がわたしの頬を撫でた。
不快を感じないギリギリのラインを、よく見極めている人らしい。近すぎる距離にわたしが悲鳴を上げる寸前で、ほんの少し距離をとるのだ。
「本当に可愛らしい。こんなお嬢さんに無体を働くなど、この国はなんと非道なことをするのでしょう」
そう言いながら、リャンさんが顔を近づけてきた時である。
「不適切な接触はほどほどに願います」
静かな、それでいて安心する低い声が割って入った。
ベリッと引き離されるようにして、わたしはリャンさんのそばを離れた。
もともと逃げ腰だったわたしなので、引っ張られたことで後ろにヨロヨロとたたらを踏む。
割り込んできたのはクライフさんだった。
「……お二人とも会場にお戻りください。警備は行っておりますが、バルコニーはどこから狙撃を受けてもおかしくない場所です」
「おやおや、無粋ですね」
クライフさんの介入に拍子抜けしたようすのリャンさんは、残念そうに袖で口を覆った後、くすりと笑った。
「仕方ありません。ですが、どうかお忘れなく。この国にいては、あなたはいずれ命を落とすことになる」
袖口同士を合わせ、軽く目を伏せるしぐさ。頭を下げるのとは違う挨拶を残して、リャンさんは会場へと戻っていく。
わたしは肩にクライフさんの手が置かれたまま、大きく息を吐いた。
「……ミスズ殿も、バルコニーに出るのはお止めください。危険です」
「すみません、助かりました。ここ、クライフさんが警備中のバルコニーでしたっけ?」
確か二つほど向こうの窓だったような気がしたが。そう思いながら顔を上げると、彼は苦虫を噛み潰したような表情を一瞬だけ見せた。
「……あなたが、男と一緒に出てきたりするからです」
むしろ責めるような口調で言われ、わたしは慌てて口を覆った。心配してくれたのに、余計なことを言ってしまったらしい。
「あ、あの。ありがとうございます、来てくださって。確かに軽率でした。次からは気を付けます」
深々と頭を下げると、クライフさんから立ち昇ろうとしていた怒りのオーラが消える。
「……お聞きになりたいですか?」
その代わり、クライフさんの口から出てきたのは、そんな言葉だった。
「え?」
「この国で、聖女がどういった扱いを受けてきたのか。我々が敵視する水魔がどういった存在なのか。……女神の泉を、なぜ浄化しなくてはならないのか。
あなたは何もお尋ねにならないから、余計な心配をかけるようなことは言わずに来ましたが――……」
クライフさんがそう言った時である。
ふいに、彼の空気が変わった。
一瞬で険しい表情になったかと思うと、わたしを抱きこんで腰のサーベルを引き抜く。
三方向から飛来した影を斬り落としたクライフさんの身体が、わずかにかしぐ。
ブシッと鈍い音がした。
「――っ、ミスズ殿、中へ!」
クライフさんに押しやられ、わたしは晩餐会の会場へと押し戻った。
バルコニーに複数の黒い影が飛び降りてきたのは、その直後だったと思う。
晩餐会の会場に悲鳴が響いた。
※ ※ ※
騒然となった晩餐会は、早めに終わった。
バルコニーに舞い降りてきたのは、黒服を身に着けた賊だったらしい。らしい、というのは、彼らの顛末についてわたしは知らされなかったせいだ。
賊は晩餐会会場に侵入することはなく、クライフさんをはじめとする警護の人間に追い返されて逃げ出した。
狙いがわたしだったのか、あるいは一緒にいたリャンさんだったのか。どちらの可能性もあった。
連中の正体は調査中とのことだが、調査結果が知らされることはおそらくないだろう。
当面の問題は、――クライフさんが負傷したことにあった。
最初に放たれた投げナイフは、刃に毒が塗りつけてあったのだ。
だがその時点では、誰も――わたしも含めて――気づかなかった。