第四話 パチモノ聖女と王宮の人々(前)
王宮へ参上する日になった。
今日のために用意された衣装は、オフホワイトのロングドレスだ。ドレスというより、ロングワンピースかな?前回のものよりも動きやすいデザインになっていて、春めいて明るい印象。アンティークなデザインレースをたっぷり使っていて、……レースが基本的に手作業なこの世界を考えると、ものすっごく高価なんではないかと恐れずにはいられなかった。
真っ白ではなくオフホワイトなところが、少しばかり落ち着きを感じる。
「よくお似合いです」
ヨハンくんは「水の聖女なんですから、青の方が良かったじゃありませんか?」と言っていたし、エルヴィンさんは「オレは黄色かオレンジ色が良かったんだけどなー。そっちは注文しといてくれたか?」と言っていたけど、クライフさんは満足そうである。
エルヴィンさんはまた、わたしの全身をしげしげと眺めて言った。
「晩餐会への出席よりも、王宮への参上に焦点合わせたんだな?」
彼の指摘に、クライフさんは苦笑いした。
「隣国特使との晩餐会に、ミスズ殿が出席されるとは限らない。夜会に合わせたデザインでは、ミスズ殿の雰囲気が損なわれる可能性もあったからな」
おかしいなあ。クライフさんとファニーさんとのやりとりに、そこまで複雑な内容はなかったと思ったんだけど。
王宮は、王都の一番奥にある。街全体を扇で例えるならば、その要の部分にあたる。城下町よりも高台に存在し、街の外壁よりも高い壁によって囲われている。
入るのははじめてだった。
正面の扉は馬車用らしく、徒歩のわたしたちは裏口から入場した。前回馬車で失敗したので、変更したのだ。長くて暗い廊下を通り抜け、階段を二階分ほど上がって、待合室のような部屋に通される。
付き添ってくれたのは、例によってクライフさんである。小隊とはいえ騎士隊長さんなので、クライフさんは王宮の方々と面識があるらしい。面倒な手続きもなく、ほぼ顔パスだった。
王宮は、ヨーロッパの美術館みたいだった。柱も天井も床も、どこもかしこも煌びやかな装飾がされている。
ただ、暗い。
窓が小さいのが問題なのだと思うが、廊下に至っては空気穴のような隙間があるだけで外からの明かりが入って来ない。室内なので松明のような灯りもつけられないし、電灯もないので当然なのだろうけど、こんな暗い廊下でよく躓かずに歩けるものだ。
その点、通された待合室は明るかった。
天井が高く、外からの明かりを通す窓もあり、壁の色も白い。調度品も高級感あるデザインだった。そうそう、これでこそヨーロッパよ、と感動する感じだ。別にヨーロッパではないんだろうけどね。
待合室の中には立派な椅子が8人分並んでいて、ローテーブルの上には花が飾られ、水差しのようなものが置かれてあった。
わたしを椅子に座らせ、クライフさんは入り口側を見張るように立つ。
一人きりで座るのは居心地が歩く、思わず尋ねたが返答は予想通りだった。
「クライフさんは座らないんですか?」
「任務中ですから」
「任務というと、……護衛ってことですか?」
「そうですね。ミスズ殿には、まだ公式な侍従や侍女はおりませんので、そちらも自分が代理を務めさせていただきます」
「騎士隊長さんなのに!?」
「謁見の間では自分が喋りますので、ミスズ殿は基本的には何も言わなくて良いです。……似合いませんか?」
真顔で聞き返され、わたしは思わず悩んでしまった。
侍従や侍女といったら、お姫さまのお世話をしたりする人たちだろう。クライフさんは真面目そうな顔立ちをしているので、むしろ似合うかもしれない。騎士服姿もいいけど執事服もきっと似合うだろうし。
考えてみれば、クライフさんは料理もできるし、身の回りのことも一通り自分でやる。これはどうも、騎士隊全員に言える話らしく、国中を遠征することの多い騎士隊は、自分のことが自分でできる人間でないと務まらないらしい。こう見えて、服の修繕なんかも自分でやってしまうんだそうだ。
もちろん、遠征の時には料理人やら服修繕係やら、いろいろ連れていったりもするそうだけど、全員が他人任せでは、身動きができないということらしい。
では、お付きの人は何をするのか?そりゃもちろん、全身鎧の着せ替えだ。重いだけじゃなく、自分一人では着られない作りになっているらしいのだ。不便この上ない。もう一つ重要なのが馬の世話。これも、全身鎧で戦う人ならではの大事な役割だった。
「……」
思わずまじまじとクライフさんを見やったわたしは、やがてふと思いついたことを口にした。
「クライフさんも、お付き係をなさったことがあるんですよね?えーっと、見習い期間は」
「はい」
こくりとうなずいたクライフさんは、懐かしそうに目を細めた。
「慌ただしい毎日でしたね」
直後、コンコン、とノックが響き、わたしは呼び出しに応えて席を立った。
国王陛下との、対面である。
玉座の間というわけではないらしい。小さめの謁見の間だ。
だが、二段高い位置に王様用の席があり、その正面に来客用の椅子が置かれていた。クライフさんの誘導に従って入室し、示されるままに席につく。
ほとんど条件反射のように会釈をして、それから顔を上げた。
王様用の席に座っているのは壮年の男性だった。ふさふさの白髪をしているので、もとの色が何色かは不明だ。両サイドには男性が二人控えていて、一方は見覚えがあり、もう一人ははじめて見る顔だった。見覚えがある方は聖堂長だ。『泉の魔女』認定をされた時に会っているので覚えている。もう一人は全身甲冑を身に着けていて、顔は分からなかった。
三人に関する自己紹介はなく、対面はクライフさんがわたしを紹介することではじまった。
「こちらが、『泉の魔女』ミスズ・ニーガキ殿です。
聖女としての力をお持ちであり、この三か月の間に、五つの泉を浄化していただきました」
クライフさんが口を開いた。
許可を受けるまで受け答えしない方がいいというアドバイスを受けていた。わたしとしても不敬罪になりたくないので、口をぎゅっと噤んでクライフさんの指示を待つ。
「……大儀である」
渋い声で重々しくうなずき、開口一番、王様(推定)はこう言った。
「しておぬし、歳はいくつだ?」
答えていいものかどうか分からず、クライフさんへと視線を向ける。ヨハンくんとは話した覚えがあったが、クライフさんに言ったかどうか覚えていない。
「十八歳とのことです」
「なんと!?そのわりには幼いな。少女のようではないか?」
王様(推定)が驚いたように目を丸くし、ガタンと背もたれを鳴らした。
「ミスズ殿の出身地では、我が国の基準では幼く見える顔立ちをしている者が多いとのことで、特別なことではないとのことです」
「ふうううむ、そうか。遠国では男はヒゲをたくわえるのがよろしいとされているのと似たようなものか。国ごとに様々だな」
興味深そうに彼は言って、自分の顎を撫でた。
「だが、十八ということは、立派な成人だ。聖女を引退した折にはこの国で婚姻を結ぶ気はあるのであろうな?」
ますます答えられないことを言われ、わたしはチラチラとクライフさんへと視線を送る。彼はまったく動じた気配のない表情で、淡々と答えた。おそらく、想定内の質問だったんだろう。
「ミスズ殿は、泉の浄化のためにこの国へ来訪していただいた客人です。すべての泉を浄化した折には国へと帰る。そういう約定となっております。無論、この国に骨を埋めることも、この国の人間と婚姻を結ぶこともありません」
「うーむむむ、だがそれは、別に女神との約定ではないであろう?」
「……陛下」
制止の声を挟んだのは、聖堂長だった。もう一歩遅ければ、クライフさんの口から漏れたかもしれない。ユラッと、クライフさんの背後に怒りのオーラが立ち昇っているのが見える。表情には変化はない。ただ低く抑えた声で、彼は静かに口を開いた。
「相手との約定を違えるというのは冒涜です。聖女への冒涜は、女神への冒涜となります。女神の恵みによって国の繁栄が得られていることを、どうかお忘れなきよう願います」
「しかしなあ。聖女とて、人間であろう?それを、聖女だからと自由恋愛まで封じるのはどうかと思うのだがなあ。
おお、そうだ。我が息子たちはどうだ、まだ年若いがいずれもおぬしとは似合いだと思うぞ、んん?どうかね」
「……陛下」
再び、聖堂長が制止を入れる。さすがに国王陛下もそれ以上は続けなかった。
「まあ、良い。それについてはおいおいとしよう。まずは聖女としての務めを存分に果たして欲しい。今夜は我々から歓迎の宴を用意した、参加してくれるであろうな?」
「……ミスズ殿は連日の浄化により、疲労が溜まっております。辞退させていただくわけには参りませんか?」
「ならぬ。これは我々からの好意である。受けてくれるであろう?」
とんだゴリ押しの好意があったものだ。
さすがに断り切れなかった様子のクライフさんに、わたしは静かにうなずいて見せる。
「ご厚意に感謝いたします。田舎者ゆえ不作法もあろうかと思いますが、どうぞご容赦ください」
深々と頭を下げたわたしに、王様(推定)はニヤリと笑った。
「ところで、聖女よ。おぬしの言葉で答えて欲しいことがあるのだがな」
え、とわたしは顔を上げた。
「おぬしはこの国に対してどう思う?」
「……どう、と言われましても」
「古い慣習が誤っていると思えば廃し、貴族であっても素行に問題があると思えば役職を奪い、実力があれば身分の低い者でも登用する。市場を発展させたいと思った都市には、特例として関税を制限して活性化を図る。こういう体制をどう思うね?」
ぱちくり、とわたしは目を見開いた。
今、聞いた話は、どれもこれもわたしの国では良いとされている制度だろう。
「これらは、伝統を大切にしない、貴族の権威を失墜させる、身分を重んじないと非難され、既存の制度で利益を吸っていた者には命さえ狙われるような制度ばかりなのだがな。おぬしはどう思う」
「……」
わたしはすぐには答えられなかった。
王様(推定)の意図が伝わってこなかったからだ。
「……それは、聖女にお尋ねいただいたことでしょうか。それとも、新垣水涼にお聞きになったことなのでしょうか」
わたしの返答に、玉座の男性は笑みを深くした。
「無論、聖女に尋ねたものだ。先ほどそう言ったであろう」
「ならばお答えできません。良しとも悪しとも、その国の選択ですから」
正直に言えば、実際に会うまで国王陛下への印象は悪かった。
クライフさんをはじめとして、出会った人が皆、国王陛下に対して好意的とは言いかねたからだ。凡人だとか、野心家だとか、いろいろだけど、褒め言葉はほとんど聞かなかった。
だけど実際に会ってみての感想は、特に悪いものじゃない。
聖女を自国に取り込みたいのだという狙いはハッキリ伝わってきたが、分かりやすくていいくらいだ。ただ、おそらく、女神への信仰心だとか、畏敬の念が薄い人なんだろう。そのため、女神や聖女を特別視する人間にはいい顔をされない。
わたしの世界で、新しい制度を取り入れた偉人は、たいがい同時代の人間には理解されなかった。彼が、そういった新しいものを目指しているのだとすれば、同時代の中で働く人間にとっては反発を生んでも当然だ。ただ、彼が『本物』かどうかは分からないけど。新しい制度を望んだ人間は多くいても、実現できたのは一握りの英雄だったわけだから。
王様(推定)が聖堂長を連れて退出した後、全身甲冑の人物だけがその場に残った。
わたしと、クライフさんと、彼一人になったところで、全身甲冑の人物は兜を脱いだ。
中から出てきたのは40代くらいの男性だった。顔立ちは、どこかクライフさんに似ている。
「久しいな、クライフ」
「はい、将軍」
聖堂長と彼についての自己紹介は結局なかったのだけど、将軍だったのか。見た感じ40代くらいに見えるので、将軍だとすればずいぶんと若い。実際に戦う戦士だとすれば逆にちょっと年かさということになる。
「出世街道から飛ばされたゴルト騎士隊、と馬鹿にされている向きもあるが……、その結果聖女を保護したと考えると左遷も悪くないようだな」
将軍の言葉に、クライフさんは苦笑いした。
「して、どうだ。その娘は聖女として使い物になるのか」
うわー、この人も直球だ。王様(推定)もいきなり年齢を聞いて来たりと失礼だったけど、聖女の素質なんて当人がいる前で聞かないで欲しい。
「聖堂長より話がされているかと思いましたが」
「あやつの意見は参考にならん。聖女を褒め称えるばかりだ」
「ミスズ殿は、実際に水を浄化しています。それが、何よりの回答になるかと」
「そうか……」
ホッとしたように、将軍はため息をついた。
「おまえが捕えたという、前の聖堂長だが」
「はい」
「処分が決まるまでは地下牢の方に封じられることになっている。今の制度では、確実な処分が決まるまで一か月はかかるからな。水魔と通じたような男は、できるだけ早く首をハネるか、強制労働に回して欲しいのだが……」
「……またですか」
「ああ。冤罪を避けるのは間違ってはいないが、そればかりで決断できないのは後々の障りだと、陛下にはまだ伝わらぬ」
「申し訳ありません。水魔につながる証拠を見つけることができなかった、自分の力不足です」
ゆっくりと将軍は首を横に振った。
「おまえに見つけられなかったのだから、水魔というのはなかなか尻尾を握らせない存在だということだ」
「処分したら、それが最後です。それは誤りではありません。
陛下が即断されなかった分、本人を追及して水魔とのつながりを吐露させる機会は必ずきます。その方が得られるものは多いかと」
「……そうだな。すでに支離滅裂なことを言っていて、正常とは言いかねるが……。確かに、そうだ」
将軍はそう言って、目を細めた。
「聖女、ミスズ殿と申されたな」
ふっと視線がわたしを向いた。
「聖女という職務は危険だ。遊びで務まるようなものではない。……その覚悟があるのか?」
「……」
どこまでも直球な態度に、わたしは笑うべきか困るべきかと悩む。
「あの……。本音を言ってもよろしいのでしょうか」
「先ほどの謁見の間もそうだが、ここは陛下が相手と本心で向き合うために設けられた密談の場だ。間者も入れぬようにしてある。この場所の設置については私も賛同させてもらった」
では、とわたしは答える。
「大変申し訳ないんですが、わたしはただの人間で、聖女様と敬われるような中身の人間ではありません。小さいころからそうやって育てられたというわけでもありませんので、当然覚悟などはありません。
ただ、……見知らぬところで迷ったところを助けていただいて、お礼としてできるのはこれだけなんです。
学歴なんて役に立たない場所で、働き口があったことに感謝しています。
だから、精一杯やりたいと思います」
にこりと笑ったつもりだが伝わっただろうか。
「……まるでアリアを見ているようだ」
将軍はわずかに顔を歪め、小さな声でため息をついた。
「クライフ。分かっているだろうが今夜の晩餐会では聖女殿には護衛をつけられない。お互いに護衛をつけないことが隣国との友好の証だからな」
「っ……」
「その代わり、晩餐会会場のバルコニー警備を一つ開けてやる。そこに詰めよ」
「ありがとうございます」
「持ちこめるのは装飾サーベルのみ。服装もそれなりにしてこい」
「はい」
その後、しばらくクライフさんと将軍は仕事の打ち合わせのようなやりとりを続けた。
難しいことばかりでよく分からなかったけど、北の国境警備がどうのこうのといった内容だった。北に向かう街道の途中で落雷があって、被害状況を確認しないといけないのだそうだ。
「では、お先に失礼いたします」
深々とクライフさんが頭を下げて、わたしの仕事は終わったらしかった。
「行きましょう、ミスズ殿」
クライフさんに促されて席を立つ。
ロングスカートの出番はこれで終わりらしい。晩餐会までは時間があるそうだし、一度脱いでもいいんだろうか。
「感服しました」
王宮内をさらに歩くと、控え室だという部屋に通された。
先ほどの謁見の間ほどではないが、やはり豪華だ。大きなソファとローテーブルだけではなく、ベッドまであるのが凄い。控え室のはずなのに、仮眠がとれるってこと?それとも何日も控えろってこと?
「何のことでしょう?」
部屋に着くなりいきなり褒められたので首をかしげていると、クライフさんは微笑んだ。
「先ほどの、謁見室での対応です。特に将軍相手の問答は文句なしでした。
ラインホルトであっても満点をつけるでしょう」
どこが評価されたのか分からず、わたしは戸惑う。
「特に変わったことは言わなかったと思うんですが」
「将軍がアリア様のことを思い出した。……これで、今後あなたの身の安全は将軍が預かってくれます。王宮内で、自分が手出しができない場所では彼を頼ることができる」
ぱちくりと私は目を瞬かせた。
「アリアさんというのは……?」
「先代の聖女です。将軍の……一人娘でした」
なっ、と絶句したのはわたしの方だった。
過去形を使うということは、彼女はすでにいないということだ。
「……お気に障るようなことを、しましたか?」
「いいえ。古傷に障ったことは確かでしょうが、必要な傷です」
クライフさんは静かに首を振った。
「あなたを守るのに、味方は多い方がいい」