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第三話 パチモノ聖女の買い物(後)

 どこから見てもお姫様抱っこだった。


 あまりの衝撃に、他のことが何も思いつかない。

 軽々と両手に抱き上げられたわたしは、クライフさんが裏路地に詰まれた木箱と二階の窓枠を足場に、ひょいひょいと屋根の上まで上がった時点でも、唖然とするばかりだった。

 黙っていろと言われたけど、そもそも言葉が出てこない。

 クライフさんの視線は裏路地に注がれ、抱きかかえたわたしを降ろそうとする気配はない。

 いや、こんなところで降ろされても困る。

 屋根の上だよ?屋根の上なんだよ?それを、人間一人を抱えて、手も使わずに登っちゃったんだよ?どれだけ身軽なんだこの人は。


 屋根の上でわずかに屈んだような姿勢。その状態で抱きかかえられているので、クライフさんの顔が近いったら、ない。

 彼は背が高いので、間近で見たことはあまりなかったんだけど、よく見たら目の色がブルーなんですね、と感心したり。まつ毛長くてバサバサなんですけど、ビューラー要りませんねと嫉妬したりと……、ああ、いや、そういう場合じゃない?

 クライフさんの表情は真剣そのもので、何か異常事態に備えているのだ。そういう場合じゃないと分かっているのに照れてしまう。直視しているのが気まずくて、わたしは視線を落とす代わりに耳を澄ませた。


 やがて、わたしの耳にも雑踏のような音が聞こえてきた。

 裏路地に駆けこんできた男が複数いたのである。彼らは何やら探すような声でやいのやいのと騒いだ後、すぐに引き返していく。

 行き止まりに追いつめたはずなのに見失った。そんな会話なのはかろうじて分かった。

「……」

 そろそろ質問してもいいだろうか。そう思いながらチラチラとクライフさんの顔を見上げると、彼はわたしを抱え直した。

「すみません、もう少しこのままで」

 そう言って、そのまま屋根の上を移動しはじめたのである。

 

 ファニーさんのお店がそうであったように、王都にある建物はほとんどが二階建てだ。同じような作りの建物がずっと並んでいるので、屋根の高さも同程度。身軽さに自信があるなら移動さえできるというのは、納得ができるようなできないような。

 クライフさんは裏路地から少し離れた、もう少し綺麗でかつ人目のない行き止まりを見つけると、ひょいひょいと地面まで降り立った。

 足場が悪くないのを確認してから、彼はゆっくりとわたしを降ろしてくれた。

 そうっと、まるで壊れ物を扱うかのようなしぐさは、つい先ほど屋根の上で曲芸師のような芸当を見せた人には思えない。

「説明もなく、申し訳ありませんでした。尾行している者がいたので……」

 撒きました、と彼は言う。

「……」

 足ががくがくしている。

 別にわたしは高所恐怖症なわけではないし、二階建て程度で目が眩んだりはしない。だが、足場の悪い場所で、人に抱えられている状況というのは、怖い。

 ドキドキとか、かなりしたけど、心臓がバクバク言ってるけど、たぶんときめきとかじゃないなと思うくらいには。

「………………はぁ。はふぅ……」

 落ち着いたようだから何か聞いてもいいだろう。そう思っているのだけど、声が出ない。

 今になって緊張してきてしまったらしい。

 確かに今のは、事前に説明が欲しかった。

「……あの」

 ようやく心臓の音を落ち着かせたところで、わたしは聞いた。

「騎士様って、皆さんあんなに身軽なんですか?」

 きょとんとクライフさんは目を丸くした。 

 

「いえ。すべてがとは言いません。自分の場合、全身甲冑を身に着けた上で戦えるように、それなりに鍛えているので。甲冑なしならこの程度は可能です」

 重りをつけて修行してるから脱いだら強い、って少年漫画ですか、あなたは。

「……追ってきた人間についてをお尋ねになるのかと思いました」

「いえ、そちらはいいです。たぶん、機密事項で言えないか、そうでなければリリベットに入った金持ちそうな人を狙った犯罪とかで、説明する必要もない相手ですよね?

 なら、いちいち聞かなくても良いです」

 わたしの答えに、クライフさんはわずかに表情を凍らせた。

「それより、これからどうしましょう?わたしの行きたい場所は一通り回りましたし、広場は……今戻ると、また追われちゃうんでしょうか」

 クライフさんはわたしの質問に少し考えた後、口を開いた。

 「……実は、行きたいところがあるんですが、よろしいでしょうか」

「はい」

 こくりとうなずくわたし。

 申し訳なさそうな顔をしているところを見なくたって分かっていた。多忙なクライフさんに限って、完全な『非番』なんてありえないのだ。

 わたしたちが向かったのは、町はずれ。 

 過去に廃棄された聖堂跡――先日、わたしが連れてこられた場所だった。



 聖堂跡は、王都の外壁に近い場所にある。

 廃棄されて寂れているとはいえ、王都を囲む高い外壁の内側だ。こんなところに水魔が入りこんでいるなんてことは、外にバレたらまずいのだろう。

 一般人が入りこまないように、出入口にはさりげなくバリケードがされており、目立たない服装をした見張り――おそらくは騎士――が立っていた。

 わたしが連れてこられた時と、さほど代わり映えはしていないようだった。強いて言えば、水の色が――泥色だったものが薄紫色をしていることだろうか。この色であれば、毒水であることが一目で分かる。前回見た時は泥で隠されていたのか、それとも泥部分が浄化された結果、他の部分が残っているのか。

 水辺に咲いていた紫色の花はすべて引き抜かれ、脇に重なっていた。水に触れないよう、水辺を調べている人たちは皆、特注の長ズボンと長靴のようなものを履いている。

 聖堂跡で調査をしている騎士たちは、皆、目立たない服装を身に着けており、クライフさんを見るとひそかな会釈を向けてきた。

 現場指揮をとっていたのは、エルヴィンさんである。――ということは、これはクライフさんの隊の人たちなんだろうか。見覚えのない騎士様もいるんだけど。


 エルヴィンさんは、わたしたちに気づくとニッと明るい笑みを浮かべた。

「よお、ミスズ殿。もう歩いていいのかよ?」

「はい。おかげさまで大丈夫です。ご迷惑をおかけして本当に申し訳ありませんでした。エルヴィンさんも王都にいらしてたんですね?」

「ああ、まあなあ。我らが隊長さんが、どうしても自分たちで調べたいってごねるんでな」

「え?」

「……エルヴィン」

「はいよ」

 静かに制止を入れたクライフさんによって、エルヴィンさんは肩をすくめた。どうやらこれ以上話してはもらえないらしい。

 真面目な顔になって指揮に戻ったエルヴィンさんの代わり、クライフさんがわたしに言う。

「すみませんが、少し待っていてもらえますか?」

「はい。大丈夫です」

 こくりとうなずくわたしを置いて、クライフさんの方がエルヴィンさんの元へと向かう。わたしに聞こえないボリュームで、お仕事関係の話をするのだろう。

 一人待たされている間、わたしは視線を巡らせていた。目立たない服装を身に着けた騎士たちが、何を探しているのだろうと思って。


 調査をしている、とわたしが思ったのは、彼らが聖堂跡の床や壁を子細に触れているせいだった。それぞれが手袋をしている姿が、テレビドラマなどで見る警察の姿に似ていたのだ。

 この聖堂跡で調べなくちゃいけないことといえば、先日あった元聖堂長による聖女もどき誘拐事件だろう。犯罪現場で見つかりそうなものと言えば、犯人である証拠や動機を裏付けるもの、だろうか?

 元聖堂長は、現在の聖堂長に対して不満がある。足を引っ張って、自分が聖堂長に返り咲きたいという願望を抱いていた。――これが動機だろう。

 彼が犯人であることは、現行犯だから問答の余地もない。

 元聖堂長は、女神(だと思いこんだ相手)によって肯定されたことで、自分が正しいと思いこんでいた。――これは?ただの妄想で片づけていいのだろうか。

 クライフさんは、水魔と女神の区別もつかないのかと言ったけれど、そもそもクライフさんには区別がついたと言い切れるんだろうか。あれは本当に水魔で、女神ではないと誰が言える――?

 

「ミスズ殿」

 ハッとなって、わたしは顔を上げた。

 物思いに沈んでいたのに気づかれたのか、クライフさんの表情には気づかうような色が浮かんでいる。

「お仕事はもういいんですか?」

「ええ。……残念ですが、これ以上の調査は無理のようです。この後は、国の調査隊に引き継ぐことになるでしょう」

「どうしてそれではいけないんですか?調べたい内容は一緒でしょうに」

「……」

 わたしの問いに、クライフさんが押し黙る。少し突っこんだことを聞き過ぎてしまったらしい。

「すみません、余計なことを聞いたみたいです。

 ただ、単純に、……クライフさんがご迷惑でなければ、一つご提案があるというだけなので……」

「え?」

 怪訝な表情を浮かべたクライフさんに、わたしは口を開いた。

「あの水を浄化しましょうか。

 十分休んだおかげで、今のわたしは、キャパシティが限界まで使えるはずです」

「なっ……。何を言い出すんですか!つい先日倒れて、寝込んでいた身で――……」

 クライフさんが絶句するのを見ながら、わたしは続ける。

「騎士の皆さん、毒の水を警戒しながらでは調査の効率も上がらないのでしょうし。……もし、この後、調査権が渡る先に、調べて欲しくないことがあるんでしたら、毒素が消えれば何も見つけられないのではと思ったのですけど。……余計なことでしたら、すみません」

 わたしの物言いに、彼はますます絶句する。

「クライフ、頼もうぜ」

 口を挟んできたのは、エルヴィンさんである。

 いつの間にそばに来ていたのか、彼はひょいと片方の肩を上げて水辺で調査する騎士たちを示す。

「”元”聖堂長と、水魔をつなぐ手がかりは見つからなかった。奴の日記やら行動半径やらも追ってみたけど無駄だった。っつーことは、もうどうしようもない。

 むしろ、倒れるほど浄化したのに、まだ毒素が残っている、なんてことを知られて、ミスズ殿の能力にケチをつけられる方が都合が悪いだろ」

「しかしっ……」

「おまえがミスズ殿を心配するのは分かる。けどなあ、一週間以内に隣国からの特使がやってきちまう。ミスズ殿を聖女に仕立てるため、国王は言ってくるぜ?間に合うように泉を浄化しろって。それによってミスズ殿がぶっ倒れることは考慮なしで。下手をしたら、特使の前でやってみせろとか言うかもしれねえ。隣国までの長旅前だってのに」

「……」

「最悪の場合だって、今ぶっ倒れる分には、特使が来るまでに間に合うぜ。王宮への参上がギリギリまで伸ばせてラッキーってなもんだ。ラインホルトがいる状況じゃなきゃ、こんな無茶はできねえし」

 エルヴィンさんの言葉に、クライフさんの表情にサッと怒りが走った。

「エルヴィン!おまえまでそういう扱いをするのか!?ミスズ殿は道具じゃないんだ!!それに、これまでは無事に回復できたが、次もそうだという保証がどこにある!?」

「……クライフ」

 エルヴィンさんが静かに制する。

「ミスズ殿が提案してくれたんだぜ?」

「ッッッ……!!」

 ギリギリと拳を握りしめているクライフさんを見て、わたしは視線を落とした。

 おそらくわたしは今、クライフさんのプライドを傷つけた。

 懸命に仕事をしている大人の男性に対して、小娘の分際で、あなたの判断では頼りないから別の提案をしましょうと言ったようなものだったのだ。何か別の言い方があったかもしれないが、もう間に合わない。

「……あの」

 やっぱり、止しましょうか。そう言いかけたが口に出なかった。

 この言葉はきっと、火に油を注ぐ。

「……」

 クライフさんは黙りこんだ。

「……エルヴィン、予備のタオルはあるな?」

「ああ」

「一枚寄越せ。それと、調査中の騎士たちを全員聖堂跡から出せ。出入り口の外を見張って、決して中を覗くな」

「あいよ」

 軽く安請け合いをした後、エルヴィンさんはふと続けた。

「けどよ、いつものことだが過保護だよな。オレでさえ、ミスズ殿の浄化中の姿を見たことがねえってのは、ちょっと異常だぜ?部下たちが、実は水魔が化けてんじゃねえのかと噂するようなハメにはならないようにしてくれよ」

「冗談を言っている余裕はない。……早くしろ」

「はいはい」

 ヒラヒラと片手を振って、エルヴィンさんは調査中の騎士たちの元へと戻っていった。作業中の人員に指示を出し、彼らが次々に水辺に上がっていくのを見送る。

 どうやらクライフさんは、わたしの提案を呑むことにしたということなんだろう。

 そのため、いつものように、人を下げてくれたのだ。

 黙々とした手つきで、水辺の様子を確認するクライフさん。口がへの字に結ばれ、ユラリと機嫌が悪いオーラが立ち昇っているのが分かる。それでも、素足で水に入るわたしのために、砂利で怪我をしないようにと点検してくれているのだ。

「……エルヴィンさんにくらい、見せても構いませんよ?」

 わたしが言うと、彼はむっすりと黙った表情のまま首を振った。

「俺が嫌なので」



 クライフさん以外、誰もいなくなった聖堂跡で、わたしは一人服を脱いだ。

 もちろん、お古の騎士服の下には、水着代わりにしている例のやつを着ている。さすがに、予定外のことで浴衣もどきは持ってこなかったけど。

 ピリピリと痛みの走る紫色の水の中へと足を進め、中央部分まで進んだところで、わたしは膝を曲げた。

 これまでに経験したことのある泉は、まっすぐ立ったまま肩まで浸かるほど深かったのだけど、この池は水溜りのようなもので、一メートルほどしかない。

 浄化の時、肌に触れる部分が多いほど、効率が良いらしいので。

 一秒、十秒、百秒、百五十秒――……。二百に届く前に、奇跡は発動した。


 わたしを中心とする、螺旋の渦。

 一粒の波紋がどこまでも広がるように、紫色に染まった水がその色を変えていく。

 ビリビリと肌に伝わる微量の電気のような何かは、おそらくわたしの体内に吸収されている毒素。我ながら、こんなに毒を吸いこんで、皮膚炎一つ起こさない肌は謎でしかない。


「……はぁっ、はぁ……。ふぅ……」

 無事に終えた。倒れることもなかった。そう思いながら水辺に上がろうとしたわたしに、手が差し出された。

 思わず手を借りようとして、……躊躇する。

「あ、ははー。ダメですよ。今、わたしは毒人間ですからね。毒水でびしょ濡れなわけですし、万が一クライフさんに感染ってしまったら大変です」

 あははっと乾いた笑いを浮かべようとしたわたしは、強引に手を掴まれ、グイッと水辺に引き上げられた。

 手に持っていた大きなタオルですっぽり包み込んでから、クライフさんはわたしを抱きしめる。

 力強い手は温かく、それでいて痛いくらいだった。

「……ミスズ殿は、お気づきではないのでしょうが」

 ポツリと呟いたクライフさんは、苦しげな声で言った。

「浄化中のあなたを一目見たら、誰もがあなたを女神の代理だと信じます。

 ……神々しくて、清らかで、汚してはならないものだと……」

 耳元でささやかれる言葉は、褒められているんだけど、それだけではない気がした。

「たとえあなたが何者だとしても」

 

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