第三話 パチモノ聖女の買い物(前)
仕立て屋ファニーさんのお店は、王都の一角にある。
王都というのは王宮のある場所であり、聖堂のある場所でもある。国の中枢にして、もっとも大きな街。この国の人々が街という言い方をした場合、たいがいここを差すらしい。
地図で見たことはないけど、聞いた情報を元にすると広げた扇のような形をしている。王宮があるのは扇の要部分。扇面に城下町が広がる形だ。王宮の方が高台で、城下町を見下ろしている。王宮と城下町を囲む外壁があり、その外には森があり、川が流れている。
ゴルト騎士隊の駐屯地は、王都から徒歩半日ほど離れている。馬だとあっという間に移動できる距離だが、それでも頻繁に行き来する距離ではない。
駐屯地にいるはずのヨハンくんにファニーさん情報を聞いて引き返してくるというのは、ちょっと難しい距離だった。そのため、お詫びの品については自分チョイスである。ちょっと自信がない。
一晩聖堂にお世話になったわたしは、約束通り非番だというクライフさんに同行していただき、ファニーさんのお店へやってきた。
メインストリートから一本外れた場所にある小さな店舗が並ぶ道。
石造りの建物の一階が店舗、二階は住居になっている。
どこも同じような木の扉なので、下がっている看板が目印だ。ファニーさんのお店は仕立て屋らしくハサミのマークがついている。文字が読めない人相手にも分かるように、一目で分かるような看板を下げるのが常識らしい。店内が見える透明ガラスの店舗は見たことがない。
少し心配していたが営業中のようだった。仕立て屋ファニーさんの顧客には、ゴルト騎士隊のような大所帯もいて、そういった場所には自ら出張してくれることになっている。そのため出張している日はお店が閉まっていると聞いていたのだ。
お客さん用の椅子は一つだけ。店の奥には採寸用のスペースと、上半身だけのマネキン、それに大きな全身鏡が置かれている。お店で一番大きなテーブルは、奥にあるファニーさんの作業台だ。壁には一面棚があり、服の材料となる布地がいっぱい保管されている。
服の仕立てを依頼する人は、入り口で声をかけて奥に入り、そこで採寸とかをするわけだ。
ファニーさんの旦那さんは、布地を卸している商人さんだったらしい。仕事を通じて知り合った二人の恋愛結婚だったわけである。現在は、商人半分、主夫半分みたいな感じで、子供の世話をしていることが多いらしいけど。
「こんにちわー」
クライフさんと連れ立って入り口から声をかけると、奥で仕事中だったファニーさんが目を丸くした。
ザシュ。
布地が大きく裂けたような音がして、とたんにファニーさんが悲鳴を上げる。
「うきゃぁあ、ちょっと!待って!」
誰も待たないのは言うまでもなく、切ってしまった布も戻らないんだけど、こちらがジッと待っていると、ファニーさんは残りの生地でなんとか体裁を整えたらしい。端切れになっちゃった部分をササッと切り取り、ちょっと切なそうな顔を浮かべた。
「しょーがないわー。コレ、ヨハンくんへのお土産にして。スカーフになら使えるでしょ?」
そう言いながらファニーさんは端切れをわたしに手渡しつつ、キョロッと作業台越しにこちらを見やった。
「どうして今日はクライフ様?ヨハンくんは?」
「えーっと、今日はクライフさんが非番だそうで」
「え?じゃあ、プライベート?」
ますます目を丸くしたファニーさんは、今度はわたしとクライフさんの服装を上から下まで見やり……大きなため息をついた。
「どこから見ても騎士二人じゃないの。それじゃあ」
まあ、クライフさんは私服なのだけど略式の騎士服に見えるカッチリしたデザインだし、わたし自身は騎士服のお古なので、さもありなん。
「デートならデートらしく、それなりの服装すればいいのに……」
ぶつぶつと文句を呟くファニーさんだが、デートじゃないので仕方ありません。
「あの、それで……用件なんですけど」
おずおずと差し出した包みに、ファニーさんは首をかしげる。
「先日作っていただいたドレス、汚してしまって……。本当にごめんなさい!」
深々と頭を下げたわたしに、ファニーさんは笑った。
「なーにー、気にしなくていいのよ?ちゃんと仕立て代は受け取ってるし、着ている姿は試着した時に一度見てるしね。そういや、いろいろ大変だったみたいだけど、怪我はしてないの?」
「ええ。大丈夫です」
「なら良かった」
にっこりと微笑むファニーさん。癒される微笑みに心がじんわりとあたたかくなる。
「それで、その……、お詫びにはならないかもしれませんが、これを」
「あらまあ……」
ファニーさんは意外そうな表情を浮かべた後、首をひねった。
「何かしら」
「リリベットっていうお店のお菓子です。持ち帰りできるのは焼き菓子だけだったので」
「え。リリベット!?」
ぎょぎょっと目を丸くしたファニーさんは、渡した包みを何度も見やり、「え」「え」「え」と繰り返した後、大急ぎで二階にいた旦那さんを呼んだ。
「ちょっとぉ!あなたぁ!聞いてぇ!リリベットだって、リリベット!王宮御用達のところよ、これ!!」
どうしよう、めちゃめちゃ期待されてしまっている。評判だけで味を試していたので、実は贈り物としては自信がないんだけど。
※ ※ ※
先日会ったサリサさんとシャルロッテ姫が『王宮御用達』の店として挙げていたのを覚えていたので、ファニーさんのお店に来る前に、寄ってみたのである。
女性への贈り物なら、なんといっても甘い物だ。もしくは花。本人の趣味がハッキリ分かっているならばともかく、そうでないならこの二つにしておけばハズレがない。……と、わたしは思うのである。
実際は甘い物が苦手な人も、花なんて飾るところがないから迷惑だ、という人もいるとは思うんだけど、もらったその瞬間、綺麗で見栄えのする品は誰もが嬉しいものだと思う。ついでに、食べものや植物は後に残らないところがいい。趣味に合わなかったら、さりげなく消えてもらうことができるので、ハズレだった場合の保険である。
ファニーさん情報が得られなかったわたしは、クライフさんにお願いしてリリベットに連れていってもらったのである。
王宮御用達というだけあって、リリベットは敷居の高いお店だった。
まず、入り口が大通りに面していて高そうな装飾がされている。馬車で乗り付ける人が多いらしく、専用の馬車留めスペースもあった。
クライフさんは、この店に来るなら馬車で来ればよかった、と小さな声で呟いた。
「どうしてです?」
「この店に入るだけで目立ちます。あなたの姿を通りの人間に見られるのは避けたかった」
「逆に馬車の方が目立つと思うんですが……」
首をひねりつつ入り口に入ると、中にいたお客さんは一組だけだった。
うわ、わたし場違いだったかも。
そんな気持ちになったのは、お客さんの服装のせいである。オシャレなドレスを身に着けた若い娘さんだ。間違っても庶民には見えない。
ガラスケースなんてものはないので、商品は木の台の上に並んでいるのだけど、店員の説明を聞きながら商品を選んだ彼女はこう続けた。
「では、右からここまで全種類を揃えて昼過ぎまでに届けてください。新作のものだけ三つずつお願いします」
「かしこまりました」
「支払いは後払いで問題ない?」
「はい。後ほど担当者が伺いますので」
「では、よろしく。奥様のティータイムに間に合わせるよう、くれぐれも遅れないでくださいね」
若い娘さんはそう言うと、サッと身を翻して馬車に戻った。
「ぜ、全部食べるんでしょうか?」
わたしが呆然としながら言うと、クライフさんが苦笑いする。
「おそらく、どこかの貴族の家のパーティ準備です。彼女の女主人というのが、自分の舌で納得したものを提供する予定なのではないでしょうか?」
「じゃあ、あの娘さんはお使い?」
「そうでしょうね」
「お使いの人が馬車で乗り付けるお店なんですか、ここ」
「……そうです」
クライフさんは苦笑いのまま、わたしを店の奥へと誘導した。最後に扉を閉める時、彼は鋭い目を通りに向けることを忘れなかった。
リリベットは、実は騎士様にもファンの多い店らしい。
もっとも、自分で買いに来るわけではなく、鍛錬に差し入れる貴族の娘さんが持参してくるんだそうだ。クライフさんの騎士隊は王都から離れているので来ないけど、王宮所属の騎士隊とかには貴族の娘さんが通いつめたりもしているらしい。
「騎士様って、アイドルみたいなものなんですかね?」
クライフさん、エルヴィンさん、ヨハンくんだけじゃなく、騎士隊には見目のいい男性が多い。鍛錬しているから身体つきも良いし、実は家柄も良いことが多いらしい。
実際に治安維持を担当しているわけだから、警察だとか消防だとか自衛隊だとか……、そういった役職だと思うんだけど、そのわりには人気ランキングとかもあるし。よく分からない。
「あいどる……?とはどういう?」
「ええと、スターというか。歌手やスポーツ選手の花形とか……は、ないんでしたっけ……?」
この世界の文化については、まだまだ知らないことが多いのだ。
スポーツは何種類もあると聞いているので、これが一番分かりやすいかと思ったんだけど。
「歌い手という意味でしたら、吟遊詩人や宮廷音楽家といったものの他に、庶民を相手にしている旅芸人や大道芸人などもおりますよ。
ですが、スポーツで花形というのはあまり聞きません。スポーツはあくまで身体の鍛錬のために行うものであって、見世物ではありませんので」
「そうですかー。ええと、それじゃあ……」
「ただ、そうですね。騎士の技術向上のためと、国民への娯楽的催しとして、熟練者同士の模擬戦を公開することがあります。そういった騎士が人気のある騎士としてファンが多いということはあるかもしれません」
「なるほど!」
人気ランキングはそういったところから生まれているわけだ。納得である。
「そう言った催しにクライフさんも参加されたことあります?」
興味本位から尋ねた言葉に、彼は苦虫を噛み潰したような表情を一瞬浮かべ、「……まあ、何度か」と答えた。あまり聞いてはいけない話だったらしい。
「国王陛下からの命令であれば、拒否はできません。ですが、模擬戦とはいえ、戦いは怪我を伴います。下手をすれば命を落とすこともある。それに、……公開されるということは、力量を他国にも知られるということです。見世物で使っていいものではないんです」
苦々しく、彼は呟いた。
王宮御用達のお店で国王非難はまずかろう。わたしはなんとか話題を変えようと、慌てて周囲を見回した。
店頭に並んでいる商品は、どれも凝ったデザインをしたお菓子ばかり。ただ、要冷蔵品のような保存の難しい商品はなく、焼き菓子が大半だった。ケーキ屋というよりもオシャレなパン屋と言われた方が近い気がした。
試食コーナーはないらしく、成分表示なんてものも当然ない。食物アレルギーはたぶん大丈夫だと思うけど、贈り物の味が分からないのは困りものである。
「クライフさんは甘い物お好きですか?」
「……自分はあまり得意じゃありません」
クライフさんはやんわりと否定した。
エルヴィンさんやヨハンくんは、甘い物がかなり好きなタイプなんだけど、クライフさんは苦手なんだな。
「でも、差し入れられたら食べるでしょう?」
「自分は受け取らないので」
えー。それはどうなんですか、クライフさん。
思わず非難の目を向けてしまったのに気づかれたのか、クライフさんは弁明を入れた。
「他人から渡された食べものは、何が入っているか分かりません。毒を警戒するためにも、そういったものは食べないことにしています」
「でも、お店の包みなら心配ないじゃないですか」
「そう油断させる作戦ということもありますので」
キッパリと彼は答えた。
結局買ったのは焼き菓子のアラカルトである。
お店の人に聞いて、お店の人気商品とオススメ商品を組み合わせてもらった。値段の方はそれなりにしたが、実はわたし、聖女手当なるものをいただいている。クライフさんに言わせると「労力に見合わない金額」らしいけど、この世界におけるわたしの唯一の収入口なのだ。
普段は騎士隊で食事をしているし、服装もお古をもらっているのでほとんど使わないそれを、ここぞとばかりに使ってみたわけである。
ただ、さすがのお値段だったので、自分用を買うのは止しておいた。例えるなら、普段180円+消費税のプリンを食べている人間が、有名店だからって一個5000円のプリンを買えるかという話である。無理無理無理!絶対無理だ!
※ ※ ※
さて、そんな買い物風景を思い出したところで、リリベットのお菓子セットは成功だったらしい。さすがブランド品!
内心でホッと胸をなでおろしていたわたしは、続いての彼女の言葉をうっかり聞き逃すところだった。
「それはそうと、王宮に上がるのは次は二日後なんでしょ?私が仕立てた分は一旦戻してくれたみたいだけど、服はどうするの?洗ってもう一度?」
ファニーさんの問いはわたしに向けられたものだったが、わたしには返答ができない。仕方なくクライフさんを見やると、彼はゆっくりとかぶりを振った。
「いえ、縁起が悪いということで国王陛下が気にするので、今回は止めておくことになりました。ただ、次々回は気にされないでしょうし、今後も何着か必要になるので、他にもいくらか仕立てていただきたいのですが……、お願いできますか?」
「い、いやだわあ。クライフ様にお願いしていただくようなことはありませんよ?ほんとに。どーんとお任せくださいな。サイズは測ってありますから、極端に太ったり痩せたりしない限りは対応可能ですしねえ。他の仕事の合間に進めるので全部一度に納品は無理ですけど、できる限り早くお納めさせていただきますよ」
「ご無理を言って申し訳ありません」
同じ騎士様でも、ヨハンくん相手には気さくなファニーさんも、クライフさん相手には敬語らしい。隊長さんだからかな?
「色の希望はありますか?それと優先順位は……」
「白を基調としてください。優先順位は特にありませ……、ああいえ」
クライフさんはそこで言葉を切って、わたしを見た。
「ミスズ殿のお好きな色があれば、それを」
「そうですよねえ。着るのは本人だもの。ミスズちゃん、好きな色はなに?」
「……いえ、特にはないので、お任せします」
急に言われても困ります。実はモスグリーンやネイビーとかが好きなんだけど、そんな地味な色は聖女っぽくないだろうし。
ファニーさんのお店で用事を済ませたわたしたち。外に出たところでクライフさんが聞いてきた。
「せっかくですし、広場にでも寄りますか?」
「広場……ですか?でも、今日は」
「ええ、市場は開いていませんが、先ほど質問にあった大道芸人などが芸を披露するのはたいがい広場ですから」
「そうなんですか!それじゃあ、ぜひ」
王都には、メインとなる大きな広場が一つと、小さな広場が複数あるらしい。小さな広場は住人が日常的に集まるちょっとしたスペースであり、朝食用の水が汲める井戸なんかがある。井戸端会議に使うわけだな。
大きな広場は週に一度市場が開かれる場所で、その他旅芸人や大道芸人などが客を集めようとする時はここを使う。酒場や食堂で腕前を披露する時はお店との間で契約するらしく、お客からのおひねりはあまり期待できないんだそうだ。
王宮主催のイベントが行われる野外劇場もあるんだけど、こちらは誰でも入れるってわけではないらしい。年に一度くらい、騎士様の模擬戦なんかが開かれる時だけは一般公開されるけど、その時は入り口で警備員が目を光らせるんだそうだ。
今日はどんなことをやっているのだろう。わくわくしながら広場に向かっていたはずが、途中で雲行きがおかしくなった。
ファニーさんのお店から広場に向かうには、メイン通りに向かうためだんだん道幅が広くなるはず。ところがクライフさんが向かっているのは、むしろ裏路地だったのだ。
「……あの?」
分かれ道を曲がること、三回。着いた場所は裏路地の先にある行き止まりである。
乱雑に詰まれた木箱や、薄汚れたまま掃除をされていない石畳、なんとも言えないツンと鼻にくる臭い。あまり近寄りたくない場所だということは一目で分かる。
もしや迷っているのでは。少々不安になって尋ねたところ、クライフさんの眉根に深い皺が刻まれた。
「……すみません。しばらく黙っていてください」
一言、そう言ったかと思うと、クライフさんはわたしを抱き上げたのである。