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閑話 第一王子の見た舞台裏3

 侯爵と王子を連れたゴルト騎士隊は、そのまま数日の移動を続けた。

 

 メンゲルベルク侯爵の順応性が高いこともあって、移動は騎士隊主導で進められた。行軍はスピーディでかつ無駄がないように思われた。

 ルーカスの扱いは依然として軽い。話し相手はヨハンくらいだし、あの夜の兄妹の会話について聞きたくてもエルヴィンはその隙を見せてくれない。さすがに侯爵の前で盗み聞きしたことを告白するのは躊躇われたのだ。

 そうしていくつかの領を超えたところで、エルヴィンはふいに行軍を止めた。

「――さて、侯爵閣下」

 夕食の席である。

 さすがにルーカスも自分一人分だけ部屋に運んでほしいとは言わなくなっていた。軍人の荒っぽいノリにはどうしても慣れず、宴席の端っこで黙り込んでいるというありさまだが、口を噤んでいれば場の雰囲気を壊さないとは分かっている。

「フハハッ!神妙そうなご様子で、どうしました、副隊長殿ッ?」

「神妙にもなります。これからの進路についてです」

「フム?」

 飲みかけの大ジョッキをテーブルに置き、メンゲルベルク侯爵は空いた手で綺麗に整えられた口ひげを撫でた。きちんとした宿に宿泊しているとはいえ、彼の身だしなみはいつも完璧だな、とルーカスは関係のないことに感心していた。

「まっすぐにわたくしめの領へ行き、そのまま国境沿いへ向かってくれるものと思っておりましたが?」

「当初はその予定でした」

 エルヴィンはうなずいた。

「数日様子を確認させていただきましたが、侯爵閣下に我々を誘導する様子はない。クライフ不在のゴルト騎士隊を、王都から引き離そうという意図はない、と断言できました」

「フハハハハッ!そりゃ当然ですな。わたくしめは騎士団の助力が得られるのであれば、別にどこの騎士隊でも構いませんでしたのでなッ!」

「ええ。ですが、それが一番重要だったので」

 エルヴィンはそう告げてから口元に笑みを浮かべた。

「侯爵閣下がお求めなのは、『領軍ではなく国軍がその目で確認した』という事実でしょう。そこで、今後の方針ですが、ゴルト騎士隊は半分になります」

「……フム?」

 口ひげを撫でながらメンゲルベルク侯爵は続きを促した。

「残りは王都へ引き返します」

「……ホオ?」

 今度は楽しげな口元になった。

「王都へ引き返したゴルト騎士隊の半分は、何をなさるのです?わたくしめは知らない方が良いですかね?」

「ええ、そうなさってください。侯爵閣下にはまったく落ち度はありません。危険地域に向かう途中で騎士隊の人数が半分に減ることなんて、ままあることですから」

 エルヴィンは食えない笑みで答えた。

「領に着くころにはまた予定の人数に戻っておりますし」



 ※ ※ ※



「なんなんだ、さっきのは!?」

 侯爵は訳知り顔であっさりとうなずいてしまったが、ルーカスの方は黙っていられなかった。

 夕食が終わるまではおとなしくしていたが、エルヴィンが食べ終わったとみるや否や彼のテーブルへと押し掛けた。

「おや、ルーカス様」

「おや、じゃない!説明しろ!この派遣は国王陛下のご命令によるものなんだぞ、それを、勝手に人数を減らすだの王都へ帰るだの……!」

「命令違反はしておりませんよ」

 エルヴィンのシレッとした返答に、ルーカスの眉根が寄る。

「あー、よくないですよ、ルーカス様。その表情、何度もしてるとそのうち真面目しかめっ面がベースになってしまいます。ラインホルトとかクライフとか見れば分かるでしょう。あいつら、だいぶ手遅れなんで」

「敬語使えばいいってもんじゃないぞ!」

「敬語取っ払うともっと無礼になりますが、構いませんかね」

「ダメに決まってるだろうがッ!」

 ぜえはあ、と荒く息をしてしまったルーカスは、慌てて顔を取り繕った。第一王子として、これはいけない。

「――説明を、求める。こちらはこれでも第一王子として同行しているんだ、騎士隊の動きに変更があれば確認しておきたいと思うのが当然だと思うが」

 視界の端でヨハンがチッとばかりに目を背けていた。エルヴィンのペースにのせて説明を省こうと思ったに違いない。ルーカス自身も学んでいるので、ヨハンに聞かずにエルヴィンを問い詰めにきたのである。

「――んんん……」

 エルヴィンは少しばかり迷ったようだった。

「――そうですね、ルーカス様は当事者ですし、何よりも次期王位に最も近い。それならば知っておいてほしいことです」

 自分を納得させるようにうなずくと、エルヴィンはまず最初に近くにいた騎士へと荷物の用意を頼んだ。「オレの支度もよろしく」

「話を逸らすなよ?」

「いやだなあ。そらさねぇために、出発支度を頼んだんですよ」

 コホンとわざとらしく咳ばらいをしてから、エルヴィンはかなりの間目を閉じていた。

「ルーカス様は、クライフと面識はありますね?」

「ああ」

「良かった。説明がそこからだと面倒でした」

 ふう、と大きく息を吐いてからエルヴィンは続けた。

「ゴルト騎士隊は、現在聖女ミスズの護衛隊という役職についています。――いや、ついていました、と言い換えておきます。

 これは、聖女ミスズがこの国を訪れたのが、たまたまゴルト騎士隊が活動中の場所だった、という偶然によるものですが――。

 隊長のクライフがミスズ殿から受けた恩を返したいと希望したことと、将来有望な若い騎士に対して、聖女アリア喪失による失点を取り返す機会を与えたいという事情が合致した結果、だと我々は思っています」

 王子様はどう思います?とエルヴィンの目が言っていたが、ルーカスは答えなかった。

「小隊とはいえ、仮にも騎士隊だというのに、護衛任務のみ。しかも隊長自ら率先して。近衛の側面を持つ第三騎士団所属ならばともかく、第一騎士団所属の我々にしてみれば、まあまあこれは異常事態です」

 そのため、とエルヴィンは続けた。

「聖女ミスズはこれまでの聖女とは事情が違うらしい、と少しでもヤツを知っている者ならば考えるはず。

 にもかかわらず国王陛下は逆鱗に触れた。これはもう、いつ大暴れをはじめてもおかしくない。その時に備えて、人員を王都へ戻したいんですよ」

「……」

 ルーカスは戸惑いを浮かべた。

「クライフ隊長が、大暴れ……?あんなに穏やかな方がか?」

 きょとんとエルヴィンは目を丸くした。

「私は王子として知り合って何年にもなるが、クライフ隊長が声を荒げたりしているところを一度も見たことがない。騎士団の中で荒々しい人物は良きも悪きも噂になるだろう?そういうこともないし」

「まあ、荒っぽくはないですね」

「真面目で誠実な方だと評判だ。さらには容姿も良くて家柄もよく、特定の相手もいない。王宮では侍女たちを中心に人気が高く、特に結婚相手としてこれ以上ない、という話を聞かされる。先日なんてランキングとやらを写した紙を見せられて――……」

「王宮侍女たちの噂話に参加してるんですか、ルーカス様」

 少しばかり身を引きながらエルヴィンが胡乱げに尋ねるのに、ルーカスは慌てて口を挟んだ。

「違う!!妹が噂を持ってくるんだ」

「王女殿下が?」

「そうだ。――弟も妹もかなり年が離れてるからな、王宮内で楽しそうなことがあればすぐ私のところへ話をしに来る」

「仲が良いんですね」

「兄妹仲がよくて困ることはないだろう。

 そうだ、クライフ隊長と言えば金獅子の名を国王陛下から授けられた折の試合があっただろう?あの時は一か月はその話題が続いた」

「……」

「すべての試合を一太刀で終わらせて、返り血ひとつ浴びることなく涼しげにしていた、と。優勝者相手に国王陛下が用意したデモンストレーション……金の獅子を倒したことからその名を受けた、という話だったな」

「王子はご覧にならなかったので?」

「あれは、国民と近隣諸国相手に騎士たちの力量を見せる場だと聞かされている。自国の王族がたくさんいては貴賓室が足りなくなるからな。妹がどうしても見たいというので譲ったため、私は見ていない」

「なるほど」

 エルヴィンは目元だけで笑った。

「ぜひご覧になるべきでした」

「私としても、後日話を聞いて惜しいことをしたと思った。国王陛下直々に名を授けた、見目も良く家柄も実力もある騎士。未来の騎士団長であれば、いずれは自分の右腕のようなものだと思ったし、年齢的には妹の婚約者候補でもあったはずだ。ぜひとも話をしたいと思ったのに――」

「誰かに止められました?」

「ん、んー……。……そうだな、確かツァーベル将軍に止められた。妹にもだ。将軍の娘であるアリア嬢がクライフ隊長に執心だという話は後日妹から聞いたが、かなり悋気する女性なので、私が下手に接触して妹が彼に興味があるようだと誤解されては困ると言われたな……」

「王子……」

 エルヴィンはゆっくりと首を横に振った。

「訂正します。仲がいいを超えて尻に敷かれてませんか。王女殿下に」

「正直なところ、何度もループする長話に付き合ってくれる心の広い相手と巡り会ってさっさと嫁に行ってほしいと思うぞ。もし私に婚約者ができても、結託して敵に回ったらと思うと肝が冷えるんでな。

 貴殿はいかがだ、エルヴィン副隊長。顔とスタイルは、申し分なく良いぞ」

「オレは家柄が下級貴族なんで、そもそも王族っていう選択肢はないです」

「そうか」

 残念、という真意を隠さずにルーカスは首を息を吐いた。


「まあ、話は戻りましょう」

 副隊長は語る。

「目立つのを好まないクライフが、わざわざ国王陛下が用意した余興に付き合うような真似はしません。国王陛下の余興、ということになったのは、陛下の機転であって、実際はあれは事件であり、何者かの悪意でした」

「――なんだって?」

「そもそも王子、ライオンなんて魔獣見たことありました?異国の獣だってくらいで、オレには生息地域も分かりません。幻獣の国ヴァサヴァルト連合王国にならいるかもしれませんが……少なくともアクアシュタットの生き物じゃない」

「……いや、考えたこともなかった。余興だというなら、そういうこともあるかと……」

「陛下を襲いかけた金獅子をとっさにクライフが斬った。さらに陛下が余興だと言ってしまったために会場の混乱はなかったが肝心の犯人も探せなくなってしまった。陛下の機転に足元をすくわれたわけです」

「……それ、は……」

「まあ、各国要人が来ていた以上、会場が混乱しなかった方が正解だったんでしょう。我々騎士団としては、国王陛下が出しゃばって余計なこと言いやがってぇ、とか思いましたが、黙して語らず」

「口に出てるぞ」

「その場では語らず」

 エルヴィンは重苦しい表情を浮かべて首を振る。

「――国王陛下はこの折のことをクライフに何も言わなかった。騎士団長はご存じだったかもしれませんが、本人には伝えられなかった。真意が分からない相手を盲目的に信じられるほど、クライフは純粋じゃねえ。騎士であり、王国に忠誠を誓った身として、国王陛下にはお仕えしますが、クライフは真の意味では国王陛下を信用していない、ということです」

「……」

 ルーカスは困った。

 騎士とて人間だから、愚直で正直で誠実で真面目でとはいかないのは知っている。王族のお茶目に突き合わされて辟易していることもあるだろう。だが、面と向かって王族信用してない、とか言われても。王子で国王陛下の息子としては、聞かなかったことにするくらいしかできない。

「国王陛下は聖女ミスズを投獄した」

「っ……」

「聖女ミスズはシャルロッテ王女に好感を抱いていたし、増してや害そうなどと少しも思っていない。彼女が投獄されたのは百歩譲っても政治的な理由でしょう。クライフからすると、護衛対象を罪なき罪で牢に放り込まれたんです。騎士としても面目丸つぶれですよ。

 国王陛下はクライフの信頼を勝ち得る努力を怠った。国随一の騎士を、説明もなく無能な輩に貶めた。――さて、首枷を失った獅子は何をするでしょう」

 ぞくりとルーカスの背に悪寒が走った。ドラゴンが現れたと聞いた時と同じ、圧倒的な負の予感だ。人間ごときに何ができる、と思考を放棄してしまいそうになる、――それ。

「ゴルト騎士隊副隊長としては、何が起きてもおかしくないので備えたいんですよ」



 ※ ※ ※



 エルヴィン副隊長が隊の半数を連れて出ていってしまった後も、行程は続いた。

 エルヴィンはヨハンを置いていったので、ルーカスの話し相手はヨハンのままだ。(「僕も行きたかったのに!最近全然暴れてない!」と彼は立腹していた。)これに加えて、時折メンゲルベルク侯爵とも話す機会を得た。

 侯爵の娘はルーカスの婚約者候補であり、年齢が近いこともあり国内貴族から結婚相手を見つけるのであれば彼女だろう、というくらいには本命とされてきた。王族と貴族との間の軋轢解消のため、大貴族の娘を王子妃として迎える――あるいは逆に、それを避けるために他国の娘を迎える。どちらであっても対応できるよう彼女は独り身を強いられている。言っては悪いがキープである。気の毒なことだ。

 ルーカスとしては正直なところ罪悪感があり、申し訳ない気持ちがあった。彼女が18歳で成人を迎える前に一度顔を合わせて、相性が良ければ婚姻に前向きになってもいいんじゃないか……などとルーカスは思っていた。


「フハハハハッ!ルーカス殿下が突然顔を見せるとなれば、皆驚きますなぁ!」

「いえ、そんな」

「特にメルツェは、殿下についてそりゃあもう幼いころから興味がありましてなッ!」

「……そうなんですか?」

「フハッ!国境を守る者として、国の中核たる方が頼りになるかどうかは極めて重要、だそうでしてなッ!」

「……」

 気分よく酒瓶を空にする侯爵を見やりながら、ルーカスは尋ねた。

「侯爵にはお子が二人と聞いておりますが、王都に連れていらしたことはありませんね?どういった方々なのです?」

 できれば性格とか、容姿とか。ルーカスは心の中で続けた言葉を飲み込んで、そのまま気分よく話してくれないかと酒のお代わりを給仕へと要請した。

「ふーむ……」

 ぐびぐびっと瓶を空にした侯爵は口ひげを指で整えつつ、言葉を選んだようにこう続ける。

「息子はもう成人しておりましてな。わたくしめが言うのも親バカになってしまいますが、商才があるというか――領地経営に関してはわたくしめよりも向いておるようです。中央の官吏には興味がないようでしてな、王都に連れてきたことも何度かありますが、もっぱら商売に関わる親睦に熱心ですな」

「それは頼もしい跡取りですね」

「ちょいとばかし女の趣味は悪いですが、まあ、メンゲルベルク侯領の未来は心配しておりませんなッ!」 

 フハハハハ!と侯爵は笑い、それからさらに目を細めて娘の方に話題を変えた。

「娘のメルツェーデスは、幼いころから元気いっぱいでしてなあ。実に健康的で、病気一つせず、朗らかで誰とでも仲良くなる性質でしてなッ!部屋に籠って算術ばかりする兄の手を引っ張って市街に出ては、市場の子供たちと交流して、追いかけっこで日暮れまで遊び倒しておったものです。兄の方も抜け目なくその機会に商売のタネを見つけてくる、と、まあ、そういう感じでしたなッ!」

 ずいぶんと気さくな侯爵家だ、とルーカスは驚いた。ルーカス自身は王族だから、街へ出る機会などほとんどない。護衛を連れてお忍びで街を訪れたこともあるが、それとて目的の店は貸し切りで事前に根回し済みという程度だった。侍女たちの噂話から街の様子を聞くのが関の山だ。

「ぜひお話してみたいです」

 単純に興味が沸き、ルーカスは口元に笑みを浮かべた。

 聞く限りお転婆な娘である。ルーカスの妹のように、侍女の噂話を次から次へと話してくれるお喋り好きだったりするだろうか?目を輝かせて楽しそうに話してくれる子であれば、ルーカスが見たこともない世界の話を聞かせてくれそうだ。

「ただ、それだけに――今回の件は二人ともピリピリしておりましてなあ」

 侯爵はそう言って、朗らかな気配を消した。


 メンゲルベルク侯領で起きた問題。

 それゆえに自分たちはゴルト騎士隊(半分に減ってしまっているが)を引き連れて戻ろうとしている。

 国境沿いにて発見された多数の賊。

 盗賊に偽装した異国――『魔国』の先兵隊。

 連中の真の目的は何か。 

 

「軍事国家が他国へ間者を送り込むくらいは普通でしょう。国情を調べるだけであればね。だが、目立たぬように調べるのであれば、盗賊ではなく商人に化けるべきでしょう。目的がスパイであっても、商人であれば相手も無下にはしまい。

 だが奴らが選んだのは盗賊。盗賊ってのは捕まるもんです。

 食い詰めて盗賊になっただけの住民ではなかった。先兵隊だった。連中は、『魔国』の人間であることがバレるのを承知で行っている。

 ――ということは?」

 侯爵はぐびっと酒瓶を空にした。

「殿下。もう一杯お代わりをもらってもよろしいかな?」

 ルーカスにはうなずくしかなかった。



 侯爵領が近い。

「この先の関所を抜けたところですぞ」

 馬車の中で侯爵が告げる。

「息子たちの提案で、主要な道には関所を設けてありますのでな。わたくしめが出ますので、騎士の方々には高圧的な態度をとらんようお願いします。いくら国からの許可証があっても、うっかりすると通行税をとられるかもしれませんしなあ」

 ガタゴトと馬車に揺られながら進む。

 侯爵家の馬車も騎士団の聖女用馬車ほどの乗り心地ではなかったため、いつの間にやら侯爵もこちらに移っている。あまり広くない馬車に侯爵と二人乗りというのはルーカスには楽しいことではなかったが、ひとりで退屈するよりはよいだろう。

「この馬車を見せたら息子が騒ぎますなぁ」と侯爵は言い、どこで作らせたのか仕組みはどうなっているのか販売しているのかとヨハンに聞きこもうとしていたが、「ミスズさん用ですから」以上の返答はなかった。

「あと、この馬車の作り自体はフォアン帝国のものを改造した結果ですし、その過程で編み出された技術とやらはヴァサヴァルト連合王国の技術者が独占しているので、そちらと交渉してくださいね」

「ヴァサヴァルト連合王国にはツテがありませんでしてなぁ……」

「騎士隊を商売のツテにしようって方が間違いですよ」

「フハハッ!違いない!」

 談笑交じりの交渉は決裂しているらしい。


「――ンン?」

 もうすぐで侯爵領だ、という街道沿い。

 遠くに関所が見えてきた。

 石造りの建物だった。建物の左右には木で作った高い柵が続いている。まるで国境を守る防壁のよう、にしてはちょっと頼りないので村を囲む獣除けだろうか。

 門番が立っていたり櫓の上から見張りがこちらを睨んでいたりは予想の範疇だったが、これは予想外だった。

 柵の外にずらりと並んだ、騎馬。

 十騎以上いるたくましい馬の上には武装した騎馬兵が乗っている。

「お待ちしておりましたわ、お父様」

 涼やかな声が降ってきた。

 騎馬兵たちの中央にいた人物が高く結った長い髪をなびかせて一歩前に出た。 その人物だけは武装をしていなかった。それどころか貴人だろうと思わせる装飾のついた艶やかな乗馬服を身に着けている。腰には一本の剣を提げ、馬上から見下ろして言葉を紡ぐ。

「お、おお?メルツェ、出迎えに来てくれたのか?」

 馬車の窓から首を出して侯爵が戸惑った声を上げた。

「ええ、そうですわ。あまりに遅いお帰りなので、首根っこ捕まえに王都まで行こうかと思っていたところですの」

 ――女性である。

 まだ成人前だろうと思われる、どこか幼さを残した顔立ちだが、華やかな目鼻立ちもあり、ドレスを着ていればさぞや映えるだろうと思われる美女だった。

 メンゲルベルク侯爵令嬢メルツェーデス。

 ちょっと期待と違う、とルーカスは思った。これはいけない。この凛々しげで凄みのある雰囲気は、仮に縁続きになった場合、絶対に確実に間違いなく、尻に敷かれる。

「長旅で申し訳ありませんけれど、お父様には急ぎご覧になっていただきたいものがございます」

 有無を言わさず先導をはじめた女性に、ルーカスは名乗り上げさえできなかった。


 

 数時間ほど馬車の旅は延期された。

 目の前に広がる光景にルーカスは絶句した。


 侯爵領と隣国とを分ける境界線。

 記憶によれば大きな川が流れている――はずだった。


 確かに水がある。広大な、莫大な、濁流のようなそれ。

 色は茶に濁り、水底の様子どころか生き物がいるかどうかも分からない。

 対岸が見えないのである。これが噂の海というものだったか――などと思うには、あまりに色が悪かった。

 

「おそらくは『魔国』の仕業ですわ、お父様」

 

 隣国は領土全体が水に沈んでいた。



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