閑話 第一王子が見た舞台裏2
閑話ばかりで申し訳ありません。本編続き前に入れておきたかったシーンです。
ゴルト騎士隊の駐屯地は混乱していた。
メンゲルベルク領への派遣が決まり、国王からの使者が到着したのはまだ早朝である。
モーリッツ・M・メンゲルベルクが侯爵領へ帰る護衛を務め、そのまま現地で国境の調査にあたるように――ということらしいのだが、それはすなわち、現在行っている聖女ミスズの護衛任務から外れることを意味する。
とはいえ、元より聖女ミスズの浄化計画は冬場を避ける予定だった。《女神の泉》が存在するのはほとんどが野外であり、真冬の泉に身を浸した場合、浄化の前に聖女の命が危ぶまれる。その間暇をしている騎士隊を他の場所へ派遣するのはおかしなことではなかった。
ゴルト騎士隊には拒否権はなく、せいぜい聖女ミスズの護衛任務を他隊へ引き継ぐ作業を行うだけ――だと、第一王子ルーカスは思っていた。
国王命令で派遣隊に加わることが決められたルーカスは必要最低限の荷物を整え、昼過ぎに慌ただしく駐屯地へやってきた。まずは隊長に挨拶を行う必要があるだろう。王子が加わるとなれば騎士隊の方だって準備が必要で、侯爵領に向かうまでには少々時間もかかるかもしれない。メンゲルベルク侯爵もそれを見越してか、王都内の侯爵屋敷に待機したままだ。
だがそれはそれで幸いだとルーカスは思った。可能であれば一度聖女ミスズに会ってみたかったのである。実際に浄化を行う能力を持つ聖女であり、一時は自分の婚約者になるかもしれないと言われた人物に興味を持たないはずはない。
だが、ここで問題がひとつ。
肝心のゴルト騎士隊隊長であるクライフ・K・ゴルトと聖女ミスズがいなかったのだ。
「隊長が不在?」
「というより、王都から戻ってきていない、が正しいですかね」
肩をすくめて答えたのは副隊長のエルヴィンだった。
「ミスズ殿と一緒に王都の聖堂に出かけたっきりです」
国王からの命令を受ける責任者がいないという非常事態にも関わらず、副隊長には動じた様子がなかった。
「そんなに心配そうな顔をしなくても大丈夫ですよ、ルーカス様。メンゲルベルク領への派遣でしたよね?もともとこの隊は移動慣れしているので、準備はすぐに済みますし。――ヨハン!」
「はーいはい、なんでしょう?」
「そういうわけだから、遠征態勢切り替え準備は他のやつに代わってもらえ。隊員への連絡はこちらでやる。おまえはルーカス様を貴賓室――は、ないから、応接室――もないか。食堂はさすがに失礼だし……」
「食堂でいいんじゃないですか?お飲み物なら出せますし」
「ちょっと庶民的すぎねぇか」
「じゃあ、隊長の執務室にしましょう。飲み物だけ運ばせます。準備ができましたら、ご連絡を」
「おう」
ひらひらと片手を振って赤毛の副隊長がその場を離れる。残された金髪の美少年が促すのに従って執務室に向かいながら、ルーカスは口を開いた。
「ゴルト隊長へ連絡はしなくていいのか?」
「?なぜです?」
「……国王陛下からの命令だぞ?聖堂でどのような用事か知らないが、急ぎ戻らせるべきだろう」
ルーカスの言葉にヨハンと呼ばれた若い騎士は一瞬笑いを堪えた顔をして、すぐさまそれを消した。
「メンゲルベルク侯爵領へ、ミスズさ……聖女ミスズをお連れするわけにはいかないんですよね?」
「当然だ。聖女は聖堂所属であり、王都内に滞在していただくのが一番安全だ」
「で、あれば、隊長は同行しませんよ。代行として副隊長が責任者となり、ゴルト騎士隊ほぼ全員で調査にあたることになるでしょう。命令系統としてもその方が順調に進むと思いますよ」
「なんだと?」
明らかな不遜にルーカスの眉根が寄った。
「国防に関する一大事として国王陛下以下重鎮たちによる会議で決まった人選だぞ。それを……」
「もし、それをお許しにならないのであれば、国王陛下はご自分が金獅子のお名前を授けた時のことをお忘れだということなんでしょうね」
ヨハンは薄笑いを浮かべた。
「隊長がおとなしくしているからといって、獅子は獅子だというのに」
※ ※ ※
第一王子ルーカスがゴルト騎士隊とともにメンゲルベルク領へ出発したのは二日後の早朝である。
領へ帰るメンゲルベルク侯爵が乗る馬車と、自身の馬車とで迷った末、ルーカスが選んだのはどちらでもないゴルト騎士隊が所有する馬車だった。
王子の品格だとか立場だとかいろいろなことを言われたが、決定打はひとつ。ゴルト騎士隊が所有する馬車の乗り心地が格段に良かったのだ。
クッションが多く使われているためか身体への負担が少なく、ほとんど揺れない。外に革を張ってあるため防水性はよいが通気性が悪そう――という想像に反し、窓を開けて風を通すこともできるようになっている。パッと見ただけでは分からないが箱自体は金属製であるようで、矢や剣などで襲撃された場合にはそのまま装甲車として利用できるようだった。
重量の方もかなりなものなのだろう。小ぶりな馬車なのに二頭立てである。
「これは、すごいな!隊長殿はいつもこれ……というわけではないよな?隊長ならば馬に乗るだろうし」
はしゃいだ声で疑問を口にしたルーカスに、ヨハンが呆れた顔をする。
ヨハンは今回の遠征中ルーカスと騎士隊との仲介役を請け負うことになったらしく、現在は馬車と並走して馬を走らせていた。
こちらは王子なんだが、と内心で思いはするものの、新米騎士であるはずの金髪の美少年は態度を改める様子がない。
威厳のある態度をとらねば、と思うこともあるのだが、形ばかりルーカス様、と様付けする程度にしか敬意を払ってもらえない。
ヨハンだけ特別というわけではないようで、騎士隊全体にその傾向があるとなれば、ルーカスはゴルト騎士隊に対する噂をひとつ思い出さずにはいられなかった。曰く、「騎士隊が解散となった折、問題児ばかりがゴルト隊長の指揮下に残った」というものだ。
ルーカスの方も、王子用の豪奢な馬車があるのだからそちらに乗るべきなのを是非にと頼んで変えてもらったので強くは言えない。
「侯爵領は国境だ。かなりの日数移動するのに、見かけだけの王子馬車に乗り続けるのは辛いんだぞ」
一応、正式に用意された馬車なので王子用馬車も一行に同行している。中に乗せられているのは遠征用の物資だが。侯爵領までは街道を行くので問題はないだろうと思われた。
「これはミスズさん用に調整した馬車の一台ですよ。浄化のために移動する際、襲撃を受けることも何度かありましてね。フォアン帝国の特使に依頼して、向こうで使われている馬車を取り寄せて……まあ、ちょっとだけ加工したやつです」
ミスズさん以外に使わせるつもりはなかったのに、とぶつくさ漏らすヨハンにルーカスは不満を覚えたが、馬車の快適さの前に目をつぶることにした。
「聖女の浄化とはそんなに危険なのか?」
ルーカスの知る聖女とは、聖堂の奥で女神に祈りを捧げる存在である。
アクアシュタット王国では長らく能力を持つ聖女は存在しなかったため、実際に浄化の旅を行った聖女などほとんどいない。
十年前に少しだけ能力を持つ聖女がいたが、当時の聖堂長が起こした不祥事のとばっちりを受けて後任へ交代し、それ以降はほぼ儀式のための聖女が就任していたはずだ。
一年以上前に亡くなった聖女アリアは修行により少しだけ浄化の能力を発揮することができたが、それも王都からほど近い《女神の泉》の浄化を何か月もかけて行う――……その道中は彼女の身分のこともあり、騎士の中隊を引きつれた規模の大きなものだったはずだ。
ルーカスの妹であるシャルロッテはまだ五歳だし、仮に聖女となったとしても王女である。浄化の旅に出向くとすれば万全の態勢を整えるだろう。
「聖女ミスズくらい実績のある聖女なら、道々で声かけを願われたり祝福を求められたりはするだろうが、民衆だってまさか害そうとはするまい。危険なんてありえそうもないが」
ルーカスの言葉にヨハンは絶句した。
「本気で言っておられます?」
「?何がおかしい?」
「ミスズさんは王国にいらしてからというもの、しょっちゅう命を狙われてますよ?」
「……なぜだ?」
ルーカスは首をかしげた。
「そんなの、こっちだって聞きたいです。アリア様の時は外部からの干渉なんてほとんどなかったですからね。ミスズさんは危ないから聖堂と騎士隊駐屯地以外はほとんど出歩いてないんですよ。たまーに護衛つきで街歩きと、村歩きくらいですかね?ミスズさんみたいな若い娘さんがずっと籠りっきりなんて、個人的にはいただけないんですけど。
誘拐されたり剣を向けられたりは日常茶飯事でしたし、浄化の旅に出れば野盗もどきが野営地を襲ってくることもよくありましたからね。まあ、ミスズさんに気づかれないよう排除するようにしてましたけど」
「聖女、が、か……?」
「ルーカス様も、妹君が聖女になられるのであれば、身辺にはくれぐれもご注意された方がいいですよ。隣国フォアン帝国にはあれだけ聖女がいるのにアクアシュタットにはほとんどいないのは、理由があると思いますから」
「……」
まだ幼い妹の姿を思い起こし、ルーカスは思わず黙り込んだ。
侯爵領へ向けてゴルト騎士隊が出発して丸一日。
侯爵と王子を連れた一行が野営などするわけもなく、道中の宿泊はすべて街道にある村もしくは街を利用することになっていた。
一日目の宿として選ばれたのは小さな村だが、王都からの距離から同様の宿泊客を迎え入れることが多いようで、やけに宿が広い。従者や騎士たちの分も部屋が用意されるためだろう。各部屋は清潔だが、狭く、必要最低限の家具しかない。
ルーカスは内心で驚いていた。メンゲルベルク侯爵があっさりと騎士隊に馴染んでいるためだ。
「フハハハハハッ!さすが副隊長殿、イケる口ですなッ!」
「いっやあ、侯爵閣下こそ、こんなに庶民の味に慣れていらっしゃるとは!さては普段からお忍びされているんじゃないですか?」
「フハハッ!わたくしめは酒に目がない性質でしてなッ!我が領内は芋を使った酒が主流ですが、麦や果実を材料にしたものも実現間近なのですよッ!酒といえばアクアシュタット、酒と言えばメンゲルベルクと呼ばれる日が来るのを楽しみに待っていてくだされッ!」
そればかりか副隊長のエルヴィンと酒を交わし、宿屋の食堂で笑いながら食事をするのである。ルーカス自身は雰囲気に馴染めずに食事は部屋に運ばせたいと口にして、ヨハンに却下されるありさまだった。
「見ての通り大皿料理ですよ?個別に盛って部屋まで運ぶなんて手間、申し訳なくて言えません。侯爵様だってああして食事してらっしゃるんですし、ルーカス様もめったにない機会を楽しまれてはいかがです?」
まあまあ、と酌をしてくれるのはヨハンなりの気遣いらしいのだが、いかに見目が良くても男に酌されるのはつまらん、とルーカスは実はすでに相当毒されていることに気づいていなかった。
「……メンゲルベルク侯爵」
話しかけようとした、その時だった。
焦ったように扉を開けて外から食堂へと駆け入ってきた者がいた。
馬から降りる時間も惜しかったのだろう、騎乗してきた馬の声が店内にまで聞こえてくる。腰まである長い髪を三つ編みにした女性である。濃い目のワインレッドのロングドレスは馬に乗る者としては明らかにおかしな格好だった。
「兄さんッ!」
血相を変えた女性はそのまま酒盛りしているエルヴィンのところへ駆け寄ると、何事かまくしたてようとした。はじめの数語を聞いた時点でエルヴィンが顔色を変え、女性の口を手でふさぐ。
ルーカスはふと女性の顔に見覚えがあるように思った。
「侯爵閣下、ルーカス様、申し訳ありませんが呑みすぎてしまったようです。しばし失礼を」
騎士らしい一礼を入れた後、エルヴィンは女性を引っ張るようにして奥へ消えた。好奇心にかられた風の部下が何名か目で追いはしたものの、ご機嫌な侯爵の勢いに押されていつのまにか酒宴の続きとなっている。
声をかけるタイミングを逸したルーカスはつられるように立ち上がり、引っ張られるかのようにエルヴィンたちの後を追った。
食堂の喧騒から逃れるように、エルヴィンと女性が隠れたのは宿の裏手だった。周囲に誰もいないのを確認してからエルヴィンが女性に尋ねる。
「――サリサ、さっきの話は本当か?ミスズ殿が聖堂で囚われたってのは」
「本当よ!」
全力で馬を走らせていたためだろう、女性の息はまだ整っていなかった。
「ううん、正確ではないかもしれない。でも、ここ数日聖堂が慌ただしくて、シャルロッテ様の聖堂修行もお休みになったのよ。あたしの知る限り、シャルロッテ様は新しいそば付きと一緒に聖堂修行に出かけられて――……戻っていらしてからはずっと部屋にこもりきりなの。あたしがお持ちしたデザートも召し上がっていらっしゃる様子がないし。
そのうえ、今日、王宮地下にある地下牢に女性の囚人がひとりいるらしいって噂を聞いて。ううん、その囚人がどこか遠方の場所へ運ばれるらしいって噂で」
「地下牢だと!?」
「しーっ、しーっ!声が大きいわ、兄さん!」
「い、いや、だがな?」
「兄さんの方が詳しいでしょうけど、囚人なんて滅多にいないのよ。罪人を王族のいる王宮に留めおくのは危険だから、よほどの罪状がない限り少し離れた拘留地まで移送するのが普通でしょう?」
「まあ、そうだな」
「でも、罪人の身分が高い場合や聖堂がらみの罪人の時だけは、ほぼ地下牢になる。正式な処遇が決まるまではね」
「ああ」
「今回はそれ。ましてや、女性だなんて」
「その噂だが、どこから出たんだ?罪人の情報なんて侍女に伝わるはずがないだろう?」
「男性と女性じゃあ、身の回りで用意するものだって変わってくるわ。罪状にもよるでしょうけど、最低限の配慮はされて当然でしょう。今回は――……見張り番についての話だったかしら。経過はともかくとしてどうやら地下にいる囚人は女性らしい、という噂が聞こえてきて」
「…………うん、それで?」
「――今日。ミスズ様が退任となってシャルロッテ様が正式に聖女に就任される、春の祝祭もシャルロッテ様が参加されるのでその準備に入るって、シャルロッテ様付きの侍女たちに通知が出たの。あたしは姫様付きを外されてから中央の情報が耳に入らなくなっていたから、全然知らなくて。もうビックリで。でも、でもでも、マリエが」
「……」
「ねえ、兄さん。いったい何がどうなってるのよ?思わず臨時休暇もらってきちゃったじゃないの」
「……」
エルヴィンは険しい表情を浮かべた。サリサ――会話からするとふたりの関係は兄妹であるようだし、妹の名はサリサであると予想できた――は兄の表情の変化に気づかずに早口で語り始める。
「クライフ様についてもよ。正式に聖女が交代になるのであれば、当然クライフ様も護衛騎士から外れるわけでしょう?今回の遠方領への派遣命令はそのため?もう決定なの?そもそもクライフ様がいらっしゃるのにどうして囚われるなんてことに」
「サリサ、この件はこれ以上首を突っ込まない方がいい」
「兄さん?」
エルヴィンは重い口を開いたまま、苦々しい声を漏らした。
「下手に騒ぐと危険な気がする」
ザザッ……。
風が吹き抜け、草が鳴る音がした。
何かの気配が自分たちを見ている。それを感じ取ったエルヴィンは思わず剣の柄に手を当てたが引き抜くことはしなかった。
こっそり見ていたルーカスはドキリと胸が音を立てるのを感じた。兄妹の会話(交わされている内容からするとそうであろう)に聞き耳を立ててしまっていたのは確かだ。気づかれたか、と内心で息を呑みこんだ。
「おまえ、つけられて来たな?」
「え?」
エルヴィンはふっと気配を変えた。ピリピリとした剣呑な空気を一瞬で消してみせる。
「いや、いい。尾行が誰かは知らねえが、サリサの馬に合わせてめっちゃ頑張って追いかけてきたのにアテが外れて、さぞかし肩を落としてるだろうなーって気の毒になっただけだ」
「兄さんっ!」
「いや、茶化してるわけじゃねえよ。シャルロッテ様の側近から外された侍女なら、外出時に尾行くらいはつく。ましてや王都外だ。クライフに報告するんじゃないかって思われたんだな」
「報告?」
「王宮内で、クライフを探す動きはあるのか?」
「それは……」
「ないよな?」
「ええ、ないわ。そんなの。クライフ様はゴルト騎士隊の隊長として、遠方へ派遣されるから王都を離れるって話はあったわ。ミスズ様が退任になるタイミングで遠方ってことは、シャルロッテ様の護衛騎士は別のひとってことでしょう?侍女たちの一番予想は――……」
「いや、それはいい」
エルヴィンは首を振った。
「サリサ、おまえはクライフが金獅子って呼ばれるようになったきっかけを知ってるか」
「???そんな話してる場合じゃないでしょう」
「知ってるか?」
「知ってるわ。騎士様たちの武術大会に参加した時、他参加者を圧倒して寄せ付けもしなかった戦いぶりを称賛して、国王陛下自らつけたあだ名でしょう?金はクライフ様の金色の髪色からでしょうし、獅子は……あまり穏やかで紳士的なクライフ様に似つかわしいとは思わないけど」
「眠れる獅子は起こしてはならない」
「え?」
「……クライフは、普段は精一杯自制をしている。自分が、キレるとかなり厄介なことをしでかすっていう自覚があるからだ」
「え……?」
「ミスズ殿を拘束して、ゴルト騎士隊を遠方へと遠ざけた。国王陛下がクライフに何を求めているのかは知らんが、これだけ精神を逆撫でしておいて無事に済むとは思わねえな……」
苦々しく呟いたエルヴィンの声に、サリサはおそるおそる口を開く。
「兄、さん?」
エルヴィンは苦々しい表情を浮かべて、ただ首を横に振った。