閑話 パチモノ聖女のはじまり1
お久しぶりの投稿です。ちょっと短め。
時系列的にはプロローグの次にあたる、過去回想話。
寒い。寒い。――寒い。
朦朧とする意識の中で、わたしは過ぎ去った日々を思い出していた。
※ ※
わたしがアクアシュタット王国へやってきたころは暑かった。こちらの暦では盛夏にあたる季節だったのだ。
式典のため上着をきちんと着込んでいたわたしは春の装いだったし、3月の気候に慣れていた身体にいきなり夏の日差しを食らったら、日本であれば熱中症待ったなしだったと思う。
気温は高いが森の中には涼しさもあった。
森を抜けたとたん刺すように降ってきた暑い日差しにクラクラして、上着を脱ごうとしたわたしをクライフさんは慌てて止めた。
戸惑うわたしへ、クライフさんは言う。
「ミスズ殿のご出身では、皆様そのように軽装をされるのでしょうか?」
「……え?」
「フォアン帝国ではどうか分からないのですが、アクアシュタットでは年若い女性がみだりに足を見せることは一般的ではありません。村へご案内する前に何か着替えを調達して参りますので、申し訳ありませんが着替えをお願いできますか」
「……足、ですか?」
言われて足元を見るけれど、制服のスカート丈は標準だし、ハイソックスにローファーなので露出が大きいとは思わない。何を言っているんだろうと思いながらも、クライフさんがすまなそうな表情を浮かべているため、おとなしく「分かりました」と答える。
それよりも『村』というフレーズにますます戸惑いが浮かんだ。わたしはどこへ案内されるんだろう?
「――では、ひとまず――、」
そう、何か言いかけたクライフさんの気配が突如、変わった。
ゾワッと背筋が寒くなるような感覚だった。
クライフさんの表情が硬くなり、目を見開いているのが分かる。
その全身から立ち昇る金色の光に、わたしは「えっ」と小さく呟いた。
オーラのようなもの。
それが、クライフさんの身体から湯気のように噴出している。
怒りを色にして形をつけたらこんな風だろうかと思わせる、――それ。
「申し訳ありませんが、こちらでお待ちください。後ほど迎えをやります」
クライフさんは短く告げると、目を疑うようなスピードで駆け出した。一瞬のうちに視界から消え、どこかへと走り去ってしまう。
取り残されたわたしは茫然として、だけどハッと気づいた。自分がどこにいるのかもよく分からないのに、道案内の人を見失ってはまた迷子である。
幸いなのかなんなのか、足元にはクライフさんが駆け出す寸前に落としていった鉄仮面(忘れ物)が転がっており、そして、おそらく足跡だと思われる地面の抉れが残されていた。
「……いや、待ってください?地面抉れてるって、どんな踏み込みで走っていったんです……?」
それも、全身甲冑で。
深く考えると怖いことになりそうだったので、わたしは静かに鉄仮面を拾い上げるだけにした。持ちづらいヘルメットのようなそれは、帽子替わりに借り受けるには重すぎたので小脇に抱えた。
「たぶん、こっち、ですね……?」
転々と続く、地面の抉れ。本当に、どんな脚力で走ればこんな痕が残るんだろう。
足跡を辿った先には集落があった。
やっぱりというか、なんというか。日本家屋ではない。
石造りの家はヨーロッパのどこかにありそうなもので、それがいくつも建っている光景はテーマパークのようだった。もう少し綺麗な作りであれば喜んだかもしれないけど、雨風に汚れてくすんだ色をしているうえ、どうにも臭う。ドブ臭いというか、生ゴミ臭いというか。吐き気のするような臭いだ。
異常なのはそれだけではなかった。
人が住んでいる場所にしては静かすぎる。生活音らしきものも、鳥の声さえ聞こえてこない。
集落のはずれに位置する場所には小さな建物が建っていた。高さ二メートルほどの、真っ白い石でできたお社みたいなもの。道祖神でも祭られていそうな雰囲気なのに、石は動物の死骸で汚され、泥のようなものが塗りたくられている。近づいて詳細を確認しようとは思えなかった。おぞましい嫌な感じがする。ここ一か所を見るだけでも集落に異常事態というのが伝わってくる。
そのうえ、家と家の間、地面に倒れ伏している人の姿が――複数。
「――ッッッ!!!」
声のない悲鳴を上げた。
ゴトンと抱えた鉄仮面を落としたことにも気づかなかった。
突然ホラーの世界に放り込まれたかのようなショックだった。
一人なら思わず心配して駆け寄るところだが、複数だ。男?女?伏せているのでよく分からないが成人くらいの大きさの人物数名が、それも脈絡もなく倒れている。視界外にはおそらくもっといるに違いない。
思わず周囲を見回してしまう。動いているものの気配はない。この人たちが倒れている原因が外因だとしても、近くにはいないのかもしれない。
おそるおそる近づいて様子をうかがう。こういう時の正解がどうなのかはよく分からない。救急車に連絡?声を張り上げて誰かを呼ぶべき?それとも……近づかずにこの場から離れるべきなんだろうか。有毒ガスでも噴射していたら、わたしも同じように倒れるハメになる。
倒れている人物の顔は土気色だった。男性のようだ。息があるかどうかも分からない。そのうえ、身体にはところどころ紫色の斑点のようなものが浮かんでいる。口元には赤い血が付着している。これに触ってはいけない、と反射的に思った。
「――ぅ」
「っ!」
息がある!
そのとたん何も考えられなくなった。
「もしもし、生きてますか!声、聞こえますかっ!?」
「腹、――が」
「お腹ですねっ?痛いですか?それとも、――怪我を」
倒れている人の声を聞こうと身を屈め、指先が相手の肌に触れた――瞬間。
バチィイイイイイッ!!!
激しく拒絶されたような衝撃を食らった。
「……ぇ」
思わず手を放してしまった。
倒れている人物は相変わらず伏したままだし、手を弾かれたわけではない。だが接触した瞬間、とんでもない振動がきたのだ。熱いとも冷たいとも言い難い、痛い感触。
「???な、なに?」
よく分からないが、今度こそ倒れている人物を起こそうとする。上向きにして気道を確保するべきなのか、あるいは背をさすって喉に詰まっている何かを吐かせた方がいいのか。医療知識がまったくないため正しい対策は思いつかない。
「離れ……」
目がうつろだ。
「はなれ、た、ほうが、いい……うつる、かも……」
「意識を!意識をしっかりもってください!人を呼んできますからっ!」
誰かを呼んでくるべきだ。素人知識で対処できる症状ではない。これが熱中症とか擦り傷切り傷程度なら思いつくが、土気色の肌といい、浮かんでいる斑点といい、吐血した後のような口元といい、放っておいて治るわけがない。
医者だ、医者が必要である。
「……ぁ」
もう一人、意識がある人がいた。こちらは女の人だ。
顔色は先ほどの男性よりもだいぶマシだが、やはり頬に紫色の斑点が浮かんでおり、苦しそうな顔で目を閉じていた。
「しっかりしてください!」
わたしの声に気づいたのか、彼女はうっすらと目を開き、苦しげな表情のままこう言った。
「すいま、の、どく、です。きし、たいに、れんらく、を……」
そのままわたしを見もせずに、何かを探すように周囲へ目をやった。
「……」
何事か口の中で呟き、ずりずりと、這いずるように数センチ動く。そしてそのまま力尽きて彼女は地面へ伏せた。
わたしはすっくと立ちあがり、大声を張り上げた。
「お医者さま!お医者様はいらっしゃいませんかっ!!誰かぁあああああ!!!」
倒れていた男女に加え、視界に入ったのは四名。ひとりは成人男性、もうひとりは初老の女性、もうひとりは壮年の男性で、最後のひとりは――子供だ。小学校一年生くらいの小さな男の子。
全員近くで見てみたが、すべて同じ症状だ。土気色の肌と、紫色の斑点、口元に血の汚れ。
特に男の子の肌色が酷かった。土気というか、黒い。瞳孔が開き、虚空を見つめる様子は、すでに死んでいると言われた方が納得がいくようなありさまだった。
見ているだけでこちらの息が乱れていく。バクバクと心臓がうるさい音を立てる。
怖い。
この人たち、死んでしまうんじゃないだろうか。目の前で、わたしにはなすすべもなく。
足が震える。この場から逃げ出したい。見なかったことにしたい。お布団の中に隠れて、すべて夢だと思い込みたかった。
「だ、誰、か……。誰か、いませんかっ……!!」
ハァ、ハァ、ハァ、と息が荒い。何度も何度も声を張り上げて助けを呼ぶけど誰も通りがかってはくれない。
「誰か!お医者さまを!!お願いですっ……!!」
バチッ!バチッ!バチバチッッ!
悔しいことに、わたしは彼らを慰めることさえ許されない。触れると弾かれるのだ。この衝撃が彼らにも返っているかもしれないと思えば続けることは躊躇われ、意識のない彼らの遺言を聞いてあげるようなことさえできない。
――遺言?
わたしは必死に首を振る。
やめて、やめて、やめなさい、わたし。何を勝手に諦めている?この人たちはまだ生きているだろうに、先走って死ぬと決めつけて、身勝手に怖がっているのだ。死にゆくものを前にして何もできない自分の無力を、何かへ責任転嫁しようとしている。
「だれ、かぁあああああああああ!!」
居ても立ってもいられず、人を求めて駆け出した。こちらの家の影、少しでも大きな建物の中、あちらの木の向こう。けれど走れば走るほど、倒れている人が増えるばかりだった。村の中心には井戸があり、広場があり、その周囲が一番人が多かった。一瞥するだけでも倒れている人が十人以上。
「っ!」
歩いて立っている人がいる!しかも、複数!
駆け回っていたわたしの足が止まった。ぜえはあと乱れる息もそのままに、わたしは彼らのもとへ駆け寄ろうとする。
全身甲冑姿は先ほどの外国人と同じだが、鉄仮面をかぶっている人はいない。赤い髪、金色の髪、白い髪と様々だが、東洋系の顔立ちをした人物もいなかった。倒れている人を救助しているところらしく、倒れている人物を抱き上げてどこかへと運ぼうとしている。
「あのっ!!あちらにも倒れている人がいるんですっ!」
わたしの声に気づいた一人が驚いたように振り返る。赤い髪をした男の人だ。
「――な、女性、が、まだ」
困惑したような風で何事か言った後、彼は傍らにいた金色の髪をした若そうな男の人へ指示を出す。
「あなたは無事なんですね?症状のない者は避難していただいています。こちらへどうぞ」
近づいてきたのは若そうな方だった。男――というか、少年?大変顔立ちの整った、金髪巻毛でアイドルみたいな雰囲気をした中高生くらいの美少年だ。無骨な甲冑姿がちょっとアンバランス。
「でもっ!あちらに倒れている人がいて!」
「分かりました、場所だけ教えてください。そちらにも行きますから」
美少年は平静な声で、わたしを落ち着かせるように告げる。
「わたしにも手伝わせてください!」
何もできないと分かってはいたが、わたしはとっさにそう叫んでいた。
※ ※ ※
この時のわたしの心情としては、とにかく怖くて何かしていたかった、という感じだった。
ジッとしていることが恐ろしくてたまらなかった。
それでいて勝手なことをしたらかえって邪魔になると思ってはいたので、明確な指示が欲しかったのだ。
――悪癖だ。分かっている。わたしはつくづくと、主体性に欠ける。
わたしの申し出に美少年――ヨハンくんと名乗った彼は困っていた。有難迷惑だと思ったのだろうし、無力な民間人は邪魔なのでおとなしく避難所にいて欲しかったらしい。ただ、わたしの服装が問題だった。アクアシュタット王国の人間からすると破廉恥な服装(不本意ながら)をしたわたしが治安を乱すとか、そういった意味合いで。
人手が不足していたのは確かなようで、わたしは後方支援部署に回された。お医者様が診やすいように、患者を丁寧に並べて、その身体や顔を綺麗な布で拭く係である。さらにいうと、そのために綺麗な敷物を並べたり、汲まれた水で綺麗なお絞りを作る役で、使用済みの布を洗濯する係だった。誰にもできることだけど、誰かがやらないとできないことだ。剝き出しの足が問題らしいので、布を一枚いただいて腰に巻いてロングスカート代わりにした。歩きづらい。ズボンがいいなぁ。
ヨハンくんに連れられて救護スペースにやってきたわたしを迎えたのはイライラしながら患者を診ているお医者様である。細いフレームのメガネをしている、冷たく賢そうな顔立ちの人だ。
「マヌケ面をした娘だな。手伝いたいだと?」
「は、はい。その、――ぜひ。お願いします!」
「足手まといはいらん」
お医者様は口が悪かった。苛立っている様子が見てとれる。外見はクールビューティだが、性格はクールではないのかもしれない。
「足手まといにならないよう、精いっぱい努めます!」
コクコクとうなずくわたしへ嫌そうな表情を浮かべて、彼はメガネのフレームを指でくっと上げてから手早く指示を出した。
「布を敷いて患者を並べろ。あちらに騎士隊が川から汲んできた水があるから、それを使って患者の肌を拭いておけ。可能なら服も脱がせろ。できるな」
「肌を?でも、あの、直接触っても大丈夫なんでしょうか」
「これは感染する類の病気ではない」
短く告げた後、彼はそのままサッサとその場を離れた。
そういう意味ではなくて、とわたしは口ごもった。肌に触れた時のバチバチしたものが患者に悪影響があるのではないかと思ったのだ。
お医者様がいなくなってしまったので、とりあえず布を敷いていく。(この折に一枚分けてもらって腰に巻いた。)全面に敷いて、一人ずつ運んでくるのだが、これがちょっと厄介だった。成人男性って、重い。意識ない大人を運ぶのも難しい。全身甲冑の皆さまと違い、筋力には自信がないのである。
運びやすい女子供を先に移動させ、並べて身体を拭いていく。
途中で気づいたが、このバチバチ、素肌に直接触れていなければ生じないようだった。布で拭くだけなら大丈夫だし、抱き上げる時も服の部分を触ればいい。
パッと見た印象が悪すぎるので誤解していたが、感染しないということは、これは皮膚病ではないんだろう。
そういえば、最初に倒れていた人物が「腹が」と言っていた。口元の血から考えても――何か、おかしなものを食べたってことなんだろうか。食中毒ってこと?
そういえば、倒れていた女性の方も何か言っていた。「スイマノドクデス。キシタイニレンラクヲ」……どく。毒?きし。騎士?れんらく。連絡?
何か所か文字変換をすることで、ようやく彼女の言葉が耳に届く。つい先ほどまで聞こえてはいてもよく分かっていなかったのだ。スイマというのが何なのかは分からないが、「毒」と「騎士隊」と「連絡」は、おそらく間違いないだろう。彼らが話す流暢な日本語の違和感に考えが至らず、わたしはごく自然に言葉を脳内で漢字に変換していた。
この事態の原因について命がけで伝えようとしていたのだ、あの女性は。なんてこと!!
「お医者様!これ、この症状は、毒によるものですか?」
わたしの問いに、お医者様は眼鏡の奥に鬱陶しい、面倒といった感情を浮かべる。
「水魔の毒に症状は似ている」
お医者様の返答は短く、それは女性の言葉を裏付けているように思った。
「そう言ってました!村に入って最初に会った女性が、この件を騎士隊に連絡してほしいと!」
「――本当か」
お医者様の切れ長の目がほんの少し驚きに染まった。
バチバチッと小さな火花が散る。
気を付けていてもたまに触ってしまう。不安で仕方がないが、少し顔色がよくなるケースもある。最初こそ衝撃が大きくて驚いたが慣れるにつれ一種の静電気のように思えてきた。
綺麗な水に布を浸し、よく絞り、丁寧に肌を拭う。表面の汚れを落とし、お医者様が患者を診やすくしているのだろう。顔を拭ってあげるだけでも肌に生気が戻っているような気がするし、意味があるんだと思う。残念なことにこの集落にいるお医者様はただ一人しかおらず、あちこちへ往診にいくことはできない。
さて、この口の悪いお医者様だが、イケメンである。
銀色の髪をした長身。細いフレームのメガネをしている、冷たそうな顔立ち。彼だけ全身甲冑ではなく、警察官とか警備員みたいな恰好。かっちりした堅そうなデザインなので、彼らの制服なんだろうと思う。
ラインホルトという名前は、この時には名乗ってくれなかったし、そのためしばらくの間は知らなかった。
「……」
患者を診ながら難しい表情を浮かべていて、お医者様のこういう表情って不安しかない、とこっそり思った。
「――おい、娘」
「?はい」
「おまえ、どこの――……」
威圧的に見下ろされる冷たく疑り深い目にビクビクしていた、その時である。
ぶわっと、とんでもない圧力のようなものが膨れ上がり、救護スペースの方へと吹き付けてきたのだ。
※ ※ ※
救護スペースとは反対側の、村の端。
わたしたちのいる場所からは一番離れた場所で、それは起きていた。
村へ無数の野良オオカミたちが近づいてきていた。中央にいる群れの長をはじめ、どのオオカミも三メートルを超える大きさであったという。村人が弱ったところを狙ってきたのだろう、とか、そもそも異常な目つきをしていたからオオカミ自体がなんらかの毒素による影響下だったのではないか(言葉を濁していたけれどおそらく魔物化していた可能性と言いたかったのだと思う。もちろんこの時のわたしは魔物化なんて存在自体を知らなかった)とか、騎士隊の人たちは噂をしていたようだったけれど、実際のところは不明だ。
襲ってきた野良オオカミたちは村防衛に当たった騎士隊の面々により追い払われ、どこぞの住処へと逃げ去ったからである。
この間、村の反対側で救護活動を行っていたわたしやお医者様には状況は伝わらず、ただ、騎士隊の面々が放つ異様な圧力だけが風のように吹き付けてきたのを感じたのみだった。




