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第一話 パチモノ聖女の日常(後)

 王宮への呼び出し自体が罠かもしれない、とはさすがに騎士隊の面々も考えなかったんだろう。

 クライフさんもエルヴィンさんも、疑っている様子はまったくなかった。

 綺麗な衣装を身に着けて馬車に乗りこんだ時も、クライフさんは自分が同行できないのを少し渋っただけで、それ以上のことは言わなかったのだ。

 なぜクライフさんが別々だったかと言えば、聖堂の聖女は俗世の人間と同じ馬車に乗ったりしないものだから、だそうだ。どうも聖堂の聖女っていうのは、隔離された存在らしいのである。

 その結果、わたしの乗った馬車だけが護衛から離れて道を外れ、あれよあれよという間に元来た道は分からなくなった。



 わたしを乗せた馬車は、王宮への道順を大きく外れて、寂れた建物へとたどり着いた。

 石造りで、昔は立派だったのかもと思わせる作りだけど、間違っても王宮には見えない。

 壁にはツタが這っているし、足元はコケだらけだし、雑草も生え放題。ジメジメしていて陰気な印象を与える建物だった。

「降りろ」

 やや乱暴な物言いで御者に言われ、わたしはスゴスゴと馬車を降りた。

 途中で逃げ出す隙がないかと思ってたんだけど、馬車って思いのほかスピードがあって、怖くて飛び出せなかったのである。

「あの……。なんですか、ここ?」

「聖堂だ」

「え?」

 もう一度建物を見上げた。

 以前、わたしが聖女認定を受けに行った聖堂とは場所が違う。あの建物は荘厳華麗で、どこもかしこも白くて、いかにも聖堂!という感じだったのに。

「いいから、入れ」

 御者はあくまでも高圧的に命令してくる。

 助けを求めようにも、だいぶ町はずれに該当しているらしく、周囲に人の姿も見えない。

「……分かりました」

 悪い癖なのは知っている。わたしは主体性に欠けるのだ。この世界に来て『泉の魔女』の役割を与えられて――思わず飛びついてしまったくらいに。

 そんなことを思いながら、わたしは大人しく御者の指差す方向へと歩き出した。


 寂れた聖堂は、それでも内部の手入れはされているようだった。

 清々しい空気が流れていて、水の香りが漂ってくる。こんな町はずれじゃなかったら、もっと信者の人が通ってきてもおかしくない。

 そう思いながら回廊を進んでいくと、やがて大きな部屋にたどり着いた。

 中央に枯れた噴水らしきものが作られた部屋だ。おそらく、ここが聖堂の中心部。

「聖女なら、この水を再び蘇らせることができるだろう」

 そう、御者――否、御者に扮していた男が口を開く。

 みすぼらしい格好をしているが、元の顔立ちは悪くないんだろう。ただ、顔の表に浮かんでいるのは苛立ちと怒り、今にも殴りつけてきそうな激情。そんなものがないまぜになっていて、とても直視できない。

「……よく、誤解されるんですが、わたしに枯れた水を回復させるような力はありません」

 心苦しい気持ちと、相手の思惑を外れることで逆ギレされる恐怖を抱えながら、わたしは言った。

「なんだと……?」

「ただ、毒に侵された水を、元に戻すことなら若干できます。水の香りがするということは、水自体はあるんですよね?」

 わたしの言葉に、男は疑わしいといった表情を浮かべた。

「お疑いなら、わたしを保護してくれている騎士隊の方々にご確認ください。同じことをおっしゃると思います。枯れた水を蘇らせることは、もっと強力な聖女様なら可能かもしれませんがわたしにはできません」

 キッパリと伝えると、男は迷う表情になった。

「……毒に侵された水を戻すことならできるんだな?」

「はい」

 ただし、程度による。

 わたしの能力は無制限ではなく、許容範囲が決まっている。それが、わたし自身に起因するものなのか、聖女ではなく『泉の魔女』であることの限界なのかは不明だ。

「ならば、来い」

 男はそのまま、回廊を抜けた先へとわたしを案内した。


 水の香りが強くなる。

 建物の一部が崩れ、外とつながっている。土が出ている部分が、土色をした水で水溜りの池のようになっていた。

 そこにあったのは、花だった。紫色の花弁が美しい。水田のような泥と水が入り混じった中にスラリと背の高い茎が伸び、見事な花を咲かせている。葉も花もアヤメやカキツバタに似ているのだが、丈も花の大きさも小ぶりで、花数が多いところが相違点だ。

 花の名前は知らないが、何度も見たことがあるので知っている。毒素の多い、人間には飲めない水のほとりに咲く花とのことだ。群生しているのははじめて見たが、この世界に来てから何か月、儀式のたびに見かけるものだった。

 そう、群生していたのだ。驚いて目を見張ったわたしに、「さすがに、これが何の花かは分かるらしいな」と男は吐き捨てるような声で言った。

「十年前まで、ここは聖堂だった」

 男は静かに口を開いた。

「だが、運命の日、この花が一輪咲いたかと思ったら、次の日にはもはや聖堂としての機能を果たさなくなっていた」

「え?たった一輪?」

「そうだ。水はあっという間に毒水と変わり、国はこの建物を放棄して別の場所に聖堂を建てた。人が近づかない建物は傷む。ほんの十年で、まるで百年も放っておかれたかのような場所に成り果ててしまった」

「……」

 ジロリと男はわたしを睨んだ。まるで、悪の元凶がわたしであるかのような顔で。

「私は、聖堂長としての責任をとらされ、それまで手にしていたものすべてを失った。

 名誉も、誇りも、家族も、金も。ありとあらゆるものをだ。

 それまで手塩にかけて守り育ててきた聖女にまで裏切られた。あっさりと私を見限って新しい聖堂長の手下になり下がった」

「……」

「もっとも、あの女が聖女になれたのは私のおかげだったからな、ロクに力がないことを指摘されてすぐに離職に追いやられていたが」

 男は嘲るように笑った。

「できるものならやってみろ。この聖堂を再生させてみせろ。

 私は知っている、聖女などたいした能力はないのだ。水を蘇らせるなど、女神でもなければできないのだからな……!」

 元聖堂長だった男の怨嗟に似た声に、わたしは心が震えあがるのを感じる。

「花を……」

 おそるおそる尋ねようとした言葉に、ジロリと男は睨んできた。

「……花を、処分してみたことはあるんですか?一輪だった花がこのように群生するということは、増えてしまったんでしょうか?」

「当然、聖堂長でなくなった最初の日に摘んで燃やした。仮に根を張っていても跡形もなくなるよう徹底した結果、この通り建物は崩れたが、翌日にはまた花が咲いた」

「……」

「私の知る限り、この花は女神に見捨てられた時に咲く。この聖堂は見捨てられたのだ。女神によって機能を奪われ、ただの廃墟にされたのだ。

 私が何をしたというのだ。ただ一日ごとに勤めを果たしていただけだ。それを、いかな女神とはいえ何の権利があって奪う?」

「……」

 わたしには言い返すことはできなかった。

 そもそもわたしが聖女であることは方便のようなものである。正式には『泉の魔女』であって、聖女ではないのだ。なのに、女神の言い分を代弁するなどできるわけがない。

 わたしが黙りこんだのを、彼は誤りを認めたからだと考えたらしい。

「聖女を名乗る不届き者め、やれるものならやってみろ」

 この男が元聖堂長だというなら、わたしが『できない』と決めつけているのは納得がいく。

 何故なら聖堂の聖女のほとんどは、儀式のための仮のものであって、浄化能力を持っていることはごく稀らしいからだ。

 わたしはごくりと息を呑んでから、そっと花へと手を伸ばした。


 花を摘んだりはしない。この花は確かに毒素の多い場所に咲く花だが、毒そのものではない。毒素の多い土に根を張るため、食べればおなかを壊したりするそうだが、それだけだ。

 わたしは花の根元に触れると、泥水になったそれをすくい上げた。

 この程度の量なら一瞬で奇跡は起こる。泥水は瞬く間に透明なそれへと変わった。

 同時に、ズキンと頭痛が響いた。

「上澄み液をすくって、それで終いか?」

「……どれだけの量を試せば納得していただけるんでしょうか」

「この建物が再び聖堂になるまでだ。私が再び聖堂長として返り咲くために。おまえが本物だとすればその証を見せろ。そうでなければ偽物として、あの男を引きずり下ろすための道具になれ」

 ああ、ようやく本音が顔を出した、とわたしは思った。


 『聖女もどき』を誘拐したところで、この男にどれほどのメリットがあるだろうと思ったのだ。この聖堂に人が住んでいて毒水に困っているというのであればともかく、そういう様子もない。ただ、今の聖堂長を引きずり落とすことが目的だったのならば、わたしが本物であれ偽物であれこの男の目的はすでに果たせたのだろう。

 『聖女もどき』を誘拐された時点で、管理している聖堂の面目は潰れる。また『聖女もどき』が偽物だと分かれば、よりハッキリした形で聖堂の顔を汚すことになるだろうから。


「……困りました」

 ポツリとわたしは呟いた。

 面目が潰れるのは聖堂ではない。わたしを保護しているのはゴルト騎士隊……、クライフさんの隊なのだ。彼らが責任を問われるのは、世話になった身として非常に心苦しい。

 誘拐されてしまったことはもう取り返せないが、『聖女もどき』が偽物だと認定されるわけにはいかない。


 わたしはドレスの裾を持ち上げ、靴を脱いで素足になってから池の中へ足を踏み入れた。

 本来の儀式であれば、もっと軽装で入るべきだ。

 こんなに余計なものをゴテゴテつけて、浄化機能に問題が生じたらどうしようかと思う。だが、肩まで浸かれる泉と違い、この池は深さがせいぜい三十センチしかない。触れている場所すべてに邪魔がなければ、――おそらく。

 足を通して、泥水が触れている部分がチリチリと痛む。ズキンズキンと頭痛が走る。スカートを掴んだ手がガクガクと震えるのを抑えこみながら、わたしは待った。

「何のつもりだ?足を汚すから勘弁してくれとでも?」

 元聖堂長が何やら言っているが、返答する余裕はなかった。

 一秒、十秒、二十秒。五十秒、百秒……。

 まだか、と奥歯を噛みしめて待つ。

 今まで連れていかれた女神の泉は、二百秒ほどで浄化が終わったはずだ。

 だが、この場所の浄化はやけに時間がかかる。

 毒水というよりも泥水なことが原因だろうか?いつものように肩まで浸かっていないから?それとも、たった一輪花が咲いただけというあたりに何か理由があるんだろうか。毒水の原因を取り除いていないから、わたしの浄化などその場しのぎでしかないのかも……。

 ズキズキと痛む頭が物を考えられなくしていった時である。


 建物の壁が崩れ落ちた。

 ガラガラと音を立てて壊れていく向こうに、大きな馬がいるのが見えた。

 白い馬だ。乗っているのは正装に身を包んだ男性だった。

 すでに見慣れた略式の隊服ではなく、王宮に参上する用だという、金色の装飾がいろいろついて入る白い上着。紺色のラインがアクセントになっていて、上背のある彼が着ていると見惚れてしまうほどだ。

 腰に提げられているサーベルは、実用よりも装飾用らしく、強度が今ひとつなのだと言っていたはずだ。確かに、有事に備えたい彼らが持つ物としては頼りない印象がある。

 だが切れ味の方はさすがらしく、馬上で振るわれたサーベルは、外壁にまとわりついたツタをズバズバと切り落としていった。

 ようやく顔が見えた先で、彼は恐ろしい顔をしていた。怒っている時の顔である。

「ミスズ殿!」

「……クライフさん」

 ホッとして顔を向けようとした瞬間、足元から力が抜けた。

 ズキンズキンと頭の中に響く痛みはピークを迎えようとしている。


「騎士!?どうしてここが……」

 元聖堂長の叫びに、クライフさんはサーベルの先を突きつける。

 馬上から突きつけられた刃物は、弾劾に相応しい迫力があった。

「聖女用の馬車を持ち出しておいて、目撃者がいないとでも思ったか?」

 近隣住民からの通報があった、とクライフさんは苦々しく告げた。

「だが、よりにもよって毒に侵された聖堂跡に連れこむとは……。それによって何人の聖女が力を失ったか知らぬおまえではあるまい」

「知るか!私の役に立たなかった聖女なぞ、聖女ではない!」

「そのような態度だから職を失ったのだとまだ分からないのか!」

 馬で乗りつけたクライフさんは、壁の割れ目からそのまま建物内へと踏みこんだ。

 ヒラリと飛び降りてそのまま元聖堂長へと迫る。

 男が逃げ腰になるのを、逃がすまいと壁に追いつめていく。

「く……」

「仮にも聖堂の長を務めた者だろう。大人しく裁きを受ければ辱めるような真似はしない」

 そのとたん、元聖堂長は脱兎のごとく逃げようとした。だがその首筋にサーベルを突きつけ、もう片方の手に持っていたロープで縛りつける。

 捕り物は一瞬で終わった。

「き、貴様に何ができる!私は聖堂の長だった者だぞ!一介の騎士ごときに捕縛許可が下りるわけがない!」

「聖女をかどわかした罪人が何を言うか」

「せ、聖堂の長は、国王よりも尊い立場である!私に縄をかけたくば、それなりの許可証を持参して見せろ!おまえは今、聖堂に土足で踏み入った不法侵入者だ、罪人として裁かれるのはおまえの方だぞ!」

 元聖堂長はなおもそうまくしたてた。

 もはや問答は不要だと判断したらしいクライフさんが、男をぐるぐる巻きにして部屋の隅に追いやろうとした時だった。

 

 ゆらゆらとした紫色の霧が立ち昇った。


「…………!?」

 霧が立ち昇ったのは、わたしが浄化を続けていた泥水の中央だった。

 やがて霧の中に人影のようなものが浮かび上がっていく。

 それは、紫色の長い髪をした女の人に似ていた。

 

「女神!」

 元聖堂長が、嬉々として叫んだ。

「女神よ、この男に罰を与えたまえ!私が再び聖堂の長に返り咲こうとするのを妨げようとするのです!」

 ロープでぐるぐる巻きにされていながら、男の目には勝利の確信が宿っている。

「そしてこの偽りの聖女にも罰をお与えください!私の役に立とうともせず、生意気にも反抗的な態度をとっております。このような聖女は、あなたの代理として相応しくない!」

 女の人は、優美な微笑を浮かべて応えた。

「おお!おお!それでこそ女神!私の主よ!」

 歓喜に震える元聖堂長はなおも叫ぶ。

「騎士よ、天罰を受けるがいい!私は聖堂の長だ、私が望んだことは、女神の意思だと気づかなかったおまえが悪いのだ!」

 はははははは!

 高らかに笑う元聖堂長の首筋に、クライフさんの手刀が入った。

 これ以上言いたい放題させておく気がなくなったのだろう。あるいは、新しく現れた紫色の女性に対して構える必要があったからかもしれない。

 クライフさんの表情は硬かった。

 片手にサーベルを持ち、もう片方の手を開けて、現れた女性に対して油断なく視線を向ける。


「……聖堂の長たる者が、女神と水魔の違いも分からないとは」

 クライフさんは苦々しく呟き、サーベルの先を彼女に向けた。

「水魔。この男を惑わして聖女をさらわせたのはおまえの指示か」

 クッ。彼女の笑みは深くなった。


『泉の魔女。それに護衛の騎士が一人きりか。その男に釣れるのはせいぜいこの程度の獲物よなあ。残念なことよ』

 部下にした男に対し、侮蔑するような言葉。

 だけど、高慢そうな顔立ちをした彼女にはこの上なく似合う。

「神妙にしろ。水魔であろうと容赦はしない。聖女を狙った理由を吐け」

 紫色の髪をした女の人は、ゆっくりと両手を挙げ、微笑んだ。

 降参の意思を示してきた女の人に、クライフさんの目にわずかな驚きが浮かんだ。

「……本当に神妙にするとは驚きだ。企みでもあるのか、水魔」

 にんまりと彼女は笑った。

『戦うとでも思うたか?それしかできぬ男には分からぬであろうが……』

 彼女はそう言って、霧のように消え失せた。

『我らには時間という味方がいるのでな。いずれ本物の聖女をいただきに参ろう』

「ま、待て!」

 待たなかった。

 霧のように現れた彼女は、再び霧のように消えてしまったのだ。

 後には群生している紫色の花が咲き誇っているばかりである。

 

「……くそッ」

 苛立ちまぎれに、クライフさんはサーベルを払った。紫色の花弁が散り、ひらひらと水面に落ちる。

 その様子を見て、わたしは一つだけ理解した。

 あの女の人の髪色と、この紫色の花は同じ色をしている。この花が嫌悪される理由は、そのためなんだろう。

「ミスズ殿、遅くなり申し訳ない。今、ここから……」

 そう言って、水の中に入ってこようとするクライフさん。

 本当は毒水だと言われている場所に入ってくるのは止めなくちゃいけないと思うのだけど。泥に足をとられ、一歩も動けなかったのだ。

「すみません……」

 意識が遠のく。

 このまま倒れるとせっかく作ってもらったドレスが泥まみれだ。そう思い、ギリギリのところで我慢していたのだけど、クライフさんの顔を見て気が抜けてしまった。


 目の前が暗くなったと思ったとたん、わたしはそのまま意識を飛ばした。

 

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