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第十三話 パチモノ聖女の投獄


 意識が戻ったわたしがいたのは、薄暗い部屋だった。

 石造りであるだけではなく、カーペットが敷かれていないせいで底冷えする部屋だった。

 壁も床も冷たい石で、どこにも明かりがない。それと、臭い。

 生ゴミ臭というか水の腐ったようなというか、なんとも吐き気を催す臭いがあちこちから漂ってくる。

 手首は縄で拘束されているようだった。両腕を背側に回され、縄でぐるぐると巻かれている。身動きできないというわけではないのだけど、混乱している頭では起き上がろうという発想がしばらく沸かなかった。


「え、ど、どこ……?」

 頭がうまく働かない。首筋がズキズキ痛いせいか、身体があちこち痛いせいか、あるいは手首が拘束されているせいかもしれない。

 少し悩んだ後、わたしはゴロリと転がって床に座り込むことに成功した。

 シャルロッテ姫と逢うために、聖女の修行用衣服を着ていたのが悪かったんだろう。騎士服のお古だったら露出していなかったはずの足だとか腕だとかが直接石に触れて、擦れて痛いやら、冷たくて寒いやらだ。

「あ痛たたたたた……」

 こんな寒い部屋に寝かされて、普通なら風邪を引くだろうに、その様子はない。

 本当にこの身体、丈夫である。それだけは女神さまに感謝しよう。


 座ってみると、頭が混乱している一番の理由は天地が逆転していたせいだということが分かった。

 きちんと天地が整ってみれば、この場所がどこかは一目瞭然――いや、それでも困惑は避けられなかったけど。

 壁も床も石。空気取り用の穴があることにはあるけれど、場所が高いし、何より小さすぎて外は見えない。

 唯一の出入り口があるのは、廊下に面した壁側で。重そうな扉は木製だった。こちらは石でできた格子がはめられている。格子のせいでプライベート感はゼロ。廊下を誰かが歩いていたら、中は丸見えだ。

「格子に、この雰囲気って……」


 ここ、牢屋だ。



「え、えー……、えー、えええええええー!?」

 新垣水涼、18歳。この世界にきてそろそろ4か月強。


 ……ついに捕まってしまったらしい。


「ちょ、ちょっと、待ってください?えーっと。捕まったのは理解できたんですけど、どうして?なぜ?わたし、シャルロッテ姫と話してたんですよね。ええと、それで……」

 頭を抱えようにも、肝心の腕は拘束されている。そのため、目を閉じて頭をブンブンするだけでなんとか誤魔化して、いやそんなアクションだけではとても混乱は収まらなかったのだけど……。

 何度か深呼吸をして、なんとも言えない臭いに顔を歪めてから、わたしはようやく冷静さを取り戻した。


 シャルロッテ姫のそばには水魔がいたのだ。

 サリサさんに代わって侍女をしていた女性が、水魔その人だった。より正確に言えば、水魔が憑いているような状態に見えた。水魔が、幽霊のように人間に取り憑くものだったかどうかは知らないけど。

 彼女たちの命令で、わたしは捕まった。聖堂服姿だったから、聖堂の中にまで彼女たちの手が回っていたのかもしれないし、単にその服を着て入り込んでいた手下だったのかもしれないけど。

 

 わたしが捕まったのを、クライフさんは見ている。だから、わたしはここでおとなしく彼の助けを待てばいい。

 ……本当に?

 クライフさんの助けが期待できるなら、そもそもわたしは捕まってなどいないだろう。

 男たちに拘束された時点で、助けてもらえるはずだ。

 アリアさんがシャルロッテ姫の命を人質にした時点で、クライフさんは動けなくなった。

 当たり前だ、あちらは一国の姫で、クライフさんは騎士なのだ。国王に誓いを立てた騎士が、その娘の命を引き換えにされたら動けるはずはない。

  

「……わたし、どうなる?」


 肝心なのは、そこだ。

 牢屋に捕まった囚人は、なんらかの罪に問われるものだろう。今回のケースなら、シャルロッテ姫が訴えることになるんだろうか。どんな罪で、どんな罰が下る?何しろここは日本じゃないのだ、さっぱり分からない。いや、日本だったとしても、法律に詳しくないのでさっぱりだっただろうけど。

「18歳なんですよねえ。……日本じゃ実名報道されちゃう年なんですけど。この国だとマスコミとかなさそうだから、報道を見た親兄弟や親戚に、迷惑がかかるってことは、ないですかね……」

 そもそもここは地球じゃないから、わたしが死んだとしても親には分からないんだけど。

 ……あ、落ち込んできた。

 そうなのだ、ここは地球じゃない。わたしが頼れるものは何もなく、帰る方法は泉の浄化しかない。ここで死んだとしても遺体は毒化を避けるためにフォアン帝国あたりに葬られる。

 地球ではおそらく、行方不明になった娘がそのまま帰ってこないという事実だけが残るのだ。


 牢屋のジメジメした空気は、思考をマイナスに向かわせるには十分だった。わたしはたっぷりネガティブ思想に沈み込みながら――……その事実に気付いた。


 そうだ、聖女の身体はただの肉体ではない。周囲を毒化する危険なもの。だから、本来ならばアクアシュタット王国はわたしを死なせたりはできないのだ。

 一方で、水魔たちにとっては都合がいい爆弾である。適当な理由をつけてわたしを殺すことができれば、その場が毒化してあっという間にアクアシュタット王国を汚すことができる。わたしを捕まえたのが水魔側である限り、人間毒爆弾としてどこかに運ばれる可能性が高いのではないだろうか。

 

「つまり?わたしはどうなる?」


 肝心なそこは分からないままだった。

  



 牢屋の中には時計がない。

 お風呂やベッドがないのはともかく、水もなければお手洗いもないところが問題だった。日本で投獄されたことがないので比較はできないが、トイレとして使用する何かは絶対にあるはずだ、衛生上。ところがそれが、ここにはない。人間としての尊厳を守るためにもこれだけはせめてどうにかしてもらいたい。

 薄ぼんやりとした明かりが小さな窓から差し込んできても、誰も来ない。

 

 ……お腹がすいた。喉が渇いた。


 最初のころはぐーぐーと鳴っていた腹の虫が、もう鳴らない。

 視界がぼんやりとして、ただ目を閉じて眠ることだけが有効な時間の使い方だった。何か考えようとしても、頭がぼーっとしていてできないのだ。

 背側で手首を縛られているせいか、できる姿勢といったら横になるか座るかの二通りだけ。もう少し頑張れば立ち上がれるのかもしれないけれど、頑張る気力が沸いてこない。木製の扉がもう少し薄かったら、体当たりで壊せるかも、なんて発想もできたのだけど。


 何時間かぶりに、カツ、カツと足音が近づいてくるのが聞こえてきた時、わたしが考えていたのはただ一つ。

 この足音の主がご飯を持っていたらいいのに――ということだ。

 人間、どんな状況においても食への欲求だけは失わないらしい。

 

 足音の主は、全身甲冑を身に着けていた。兜のせいで顔は分からない。


「聖女ミスズ」

 声は、確かにどこかで聞き覚えがあるのに、よく覚えていないものだった。

 わたしが不思議そうな顔をしているのが分かったのか、その人物はガチャガチャガチャと兜を脱いで見せた。

 そこにあったのは40代くらいの、どこかクライフさんを思わせる壮年の男性だった。

「……将軍さん」

 正直なところ、ホッとした。知り合いが尋ねてきてくれたということは、助かるのだろうと思ったのだ。

 だが、わたしの期待に気付かなかったように、彼は告げた。

「ここがどこか分からぬといった顔をしているな」

「は、はい……」

「城の地下牢だ」

「やっぱり、牢屋なんですね……」

「おまえの罪状は、まだはっきりとはしていない。国王陛下は即断の方ではないから、一か月は先送りされるだろう」

「え」

「『聖女候補』であるシャルロッテ王女を害そうとした、という報告があった。まことか」

「まさか!違います!話を……」

「国王陛下はひどく立腹されている。信頼していた聖女に裏切られた、とな」

「だから違……!」

「シャルロッテ王女に、アリアが取り憑いている、という妄言ならば聞かぬ」

「え」


 薄暗い目で、将軍は続けた。

「幸薄くして命を落とした我が娘を貶めるような話は、仮に妄言であったとしても聞き入れぬことはできない」

「……」

「この地下牢には、他にも囚人がいる。騒がぬほうが身のためだ」


 カツカツカツ、と将軍の足音が遠ざかっていく。

 わたしは何も言い返せなかった。

 最愛の娘を亡くして、それだけでも辛いのに、その当人が幽霊になって、水魔の仲間になって王女に取り憑いているなんて、父親なら認めたくないだろう。

「……ごはん、持ってきてくれたりはしませんよねえ……」

 もしかしたら、わたしを害したくなるほど、怒っているのかもしれないのに。


 ふう、と大きなため息をついた時だった。

 将軍がいなくなった廊下に、人影が現れた。

 ぬうっと、まるで影のように姿を見せたのは、髪の毛がボサボサで、髭がもじゃもじゃで、まるで毛むくじゃらの熊みたいな姿だった。

「ひっ!?」

 石の格子があるというのに、思わず身を引いて逃げてしまう。

 手を後ろで縛られ、座るか横になるかしかできない身では、さほど距離が稼げたわけではなかったけれど。

 格子の向こう、廊下に現れた人影は、ぬぼーっとした雰囲気のまま、わたしを見た。


 眼光だけは鋭い。

 長すぎる髪と髭のせいで、顔立ちはまったく分からない。

 そして、臭い。何週間もお風呂に入っていないのではないかと思わせるそれが、わたしの顔を歪ませていた。


「せ・い・じょ・み・す・ず」


 その人物は、ギラギラした目をこちらに向けて、にんまり笑うとこう続けた。


「女神よ、やはり私はあなたの導きの中にいる。私を貶めようとした女が、こんな場所にやってくるとは。ああ、女神!」


 誰か分からない。だけど、確かに聞き覚えのある声。

 男は格子越しにわたしに掴みかかろうとして、格子に阻まれてイライラと蹴りつけた。

 ガンッガンッッ。

 力任せのそれに恐怖が募る。石だからさほど音が響くわけではなかったけど、万が一にも格子が外れたら、中へ入ってくるんじゃないだろうか。


「あ、あの、あなた、一体」

 誰、と言おうとした瞬間、答えが分かった。狂ったような目の色が、何かを思い起こさせた。


 アクアシュタット王国の聖堂長には、幽霊を視たりする能力は必要とされない。必要なのは女神への信仰心だ。

 ただ、女神を奉じる聖堂は、国家とは独立した機関であり、国によっては国王よりも力を持つことがある。その長である聖堂長の地位も国によって様々だが、たいていの場合――国王と同等の権力を持ちあわせる。

 アクアシュタット王国においてもほぼ同等。現在の聖堂長は政治に口出しはしないが、聖堂に対して圧力をかけようとすれば毅然として跳ね返すことはする。また、聖女の扱い方については彼の意志が絶対となる。

 

 というようなことを知ったのは、最近だ。わたしに幽霊は視えるか、と質問から波及した話題だった。

 わたしにとって聖堂長は、神社の神主さんみたいなものだろうという認識でしかなく、あまり深く考えたことがなかったのである。国王と同権っていうのはかなりの影響力の強さであり、正直なところピンと来ない。『聖女もどき』となって聖堂に出入りするようになってから、何度かお会いしたことはあったが、それほど偉い人だという印象はなかったので……。


「聖堂長……」

 元、聖堂長。以前わたしを誘拐した人物だ。クライフさんたちに捕まった後、投獄されたとは聞いていたけれど。


「久しぶりだな、聖女ミスズ」

 服装がまともなら穏やかにそう言ったであろう元聖堂長に、わたしは顔が引きつるのを感じた。

 この男はわたしに対して害意しかないはずだ。逃げ場所のないところでこの男と対峙するなんて、命の危機しか感じない。


「あなたも、ここにいたんですね」

「それはこちらの言葉だ。私を貶めた聖女を名乗る不届き者がここへ囚われるのはまったく違和感がないがな」

「……」

「本物の聖女であれば証を見せよと言ったはずだが。どうやら証を示すことはできなかったと見える」

「あなたには、本物が、分かるんですか」


 いっそ妄執のような様子で聖堂長へ返り咲くことしか口にしていなかった男だ。

 女神への信仰を水魔に利用された男だ。

 ――ふと、考える。

 この男には今のシャルロッテ姫とアリアさんはどう見えているのだろう。


「あなたにも部屋があるのではないんですか?なぜ、廊下を歩いているんです?」

「女神の導きだ。外へ出よ、と。おそらくおまえがここへ呼ばれたことを女神が伝えようとしていたのだ」

 自分に確信のある人物というのは、迷いがない。自分にとって正しいことを言っているから、聞いている方までそうなのかなと思わせる。

 彼に女神の加護があるかどうかは、知らないけれど。

「哀れな格好だな」

 ご自分こそ、と嫌味で返そうと思ったけど、できなかった。


「あなたは、幽霊を視ることができますか」

「なんだと?」

「死者の魂です。この国で言うならば、死後、女神のもとへ還らずに、地上に留まっているひとのことです」

「それがどうした」

「幽霊や水魔は、人にとり憑いたりするんですか?」

「何を言って」

「ねえ、教えてください。シャルロッテ姫をどうやったら助けられるんですか?」


 この男は、元聖堂長だ。アクアシュタット王国の誰よりも、聖女や水魔について詳しいはずの男だ。

 そう思ったら、もう止まらなかった。滝のように質問が口から流れ出していく。


「わたしは彼女を斬らせたくないんです。クライフさんはわたしのためにやってしまうかもしれない。他に手段がなかったら、彼ならやってしまうかもしれないんです。

 それに、アリアさんの無念をどうやって晴らせばいいんです?彼女は、クライフさんに逢うために戻ってきたって言ったんです、でもそれってただ逢えばいってことじゃないんだと思います。彼と結婚して、彼と心から結ばれて、幸せにならないときっと満足しない。でもそれっていつです?

 それだけの間ずっと、ずっとシャルロッテ姫にとり憑いていて、シャルロッテ姫は大丈夫なんですか?地球じゃ、日本じゃ、幽霊にとり憑かれるなんてことは本人のためにならなかった、物語だととり憑かれた人間は衰弱して死んでしまうことが普通です。そうでないという保証は、あるんですか?」


 わたしの勢いに、元聖堂長はどこか引き気味になった。 

 

「お願いです、教えてください」



 わたしの問いには何一つ答えが返らなかった。

 元聖堂長が息を呑んだように見えた、その直後。廊下をバタバタと駆けてくる足音が邪魔したからだ。


 駆けてきたのは三名の人物だった。

 将軍のようなガチガチの武装ではないが兵士のものと思われる制服を着ていて、そのうち一人は短い槍を、残り二人は細い剣を腰に下げているのが分かった。三名は勢いのまま元聖堂長を取り囲み、細い剣を下げている二名が左右から彼を拘束する。おそらくこの牢屋の看守たちだろう。

「この野郎っ!」

「どうやって独房から抜け出したんだっ!」

「暴れるなっ!」

「抵抗するなよ、斬るぞっ!」

 口々に脅しをかけながら元聖堂長の腕を引っ掴み、身動きできないようにしてから縄で両手を結びつける。ちょうど、わたしが今されているのと同じ拘束だろう。

 元聖堂長はさほど抵抗はしなかった。疎ましげではあるが、大人しく縛られているようだ。

 短い槍を持った最後の一人はその間槍の切っ先を元聖堂長に向けて無言の圧力を加えていた。

「逃げ出す気だったんだろうが、そうは……」

「オイ、いや、マテ、ここは」

 拘束を行っていた二名のうちひとりがわたしの方を向き、ギョッとした顔をする。表情の分からない元聖堂長とわたしとを交互に見やって、あからさまに顔色を青くした。

「ま、まさか、聖女と結託して何かしでかそうとしたんじゃないだろうなっ!」

 元聖堂長は答えない。ただ、ギラギラした目のままゆっくりと顔を上げただけだ。

「と、とにかく房に戻るぞ!今度こそ逃がさんからな!」

「そうだ!無駄な抵抗は止せ!」

 口早に告げた二名によって押され、元聖堂長は廊下の向こうへと去っていく。

「あ、ま、待っ……」

 聞きたいことがあったのは、彼らだけじゃない。わたしだって元聖堂長には聞きたいことが山ほどあった。

 結託して何かできるとは思わないけど。

 

 短い槍を持っていた最後の一人は、元聖堂長と彼を拘束する二名が廊下の向こうへと姿を消したのを確認してから、わたしを振り返った。

「聖女ミスズとお見受けする」

「え」

 思わぬ問いかけに驚いて顔を上げた先。短い槍を手にしていた看守は、コロリと手のひらから何かを落とした。

 小さな包みだ。ピンク色のファンシーな包み紙でくるんだ、丸玉のようだった。

 コンッと小さく跳ね、そのまま牢屋の中へ転がって止まった。

「こ、これは?」

「あなたの食事は、看守の不注意により、二日ほど忘れられることになっている」

「……え」

 それ以上何も言わず、短い槍を持っていた人物もまた、廊下の向こうへと姿を消そうとする。

 お手洗いの件だけでも頼めばよかった、と痛恨のミスに気付いたのはしばらく経ってからだった。



 後に残ったのは静けさと虚しさ、それと、疑問だ。

 わたしは今、捕まっている。

 このまま大人しくしていることがアクアシュタット王国の望むところではあるんだろう。看守だって囚人が暴れだしたら困るはずだ。

 だけどそれは、正しいんだろうか。

 あと二週間足らずで冬が来る。春には世界中の聖女が集まる儀式があったはず。

 シャルロッテ姫はアクアシュタット王国の聖女として参加する予定になっていた。このまま状況が変わらなければそうなるはずだ。水魔を連れた、死者のとり憑いた聖女が代表として参加する。

 水魔の狙いはそれではないのだろうか。

「っっ……っ!」

 思いついたことに身の芯から寒気がした。

 アリアさん個人の願いはクライフさんなのかもしれない。だが、そそのかしている水魔の狙いはクライフさんではないはずだ。アリアさんが幸せになるために力を貸している、なんて、水魔はそんな甘い存在ではなかったように思う。

 狙いはおそらく、春に行われる聖女の儀式。


「どうしよう。誰かに伝えないと」

 伝言手段が思いつかず、わたしは床に座ったまま黙り込んだ。

 手元にあるのは両手を拘束する縄と、今しがた看守が落としていった小さな包みだけ。


 座ったままズリズリと移動して、なんとか床に落ちた包みを手にとった。

 ファンシーな色の包み紙を開くと中にはビー玉のような大きさの丸いものが入っていた。後ろに回された手で触れてみても正体が分からず、やむなく一度床に置いて、もう一度ズリズリと移動してから視界に入れる。

 包み紙を皿代わりに置かれたもの。


 それは、飴玉だった。




 ※ ※ ※




 短い槍を持った看守が言ったように、わたしは二日の間食事を与えられなかった。

 底冷えする部屋の中、身体を横たえているとさらに冷えるので、端の方に体育座りで座り込む。

 お手洗いがないのを心配していたのだけど、まともに食べていないせいか眠ってばかりだったせいか、最悪の事態は回避できた。

 二日の間口にしたものと言えば、看守が差し入れてくれた飴玉と、小瓶の水だけ。

 喉が渇いて気持ちが悪くなってきたところに短い槍を持った例の看守さんが通りかかり、そっと置いて行ってくれたのだ。おそらく越権行為なんだと思うけど、正直なところとてもありがたい。蜂蜜をそのまま固めたような味の飴で、アクアシュタット王国でこんなに甘いお菓子ははじめて食べた気がする。

 誰かの指示というわけでは、ないようだった。それを示唆するような行動を看守さんはとらなかったし、伝えようとしたお礼についても聞こえないふりをされた。

 飴玉は、あくまでも看守がうっかり落とした遺失物であり、意図的な行為ではないということだ。万が一見咎められた場合、看守さんが迷惑をこうむってしまうことが予想できたので、わたしはそれ以上お礼を伝えようとするのを諦めたし、包み紙もゴミとして処分されないようそっと隠しておくことにした。

  

 

 二日経って、おそらく三日目の早朝。

 牢の上部にある窓から白い粒が入りこんできた。地下牢と言っていたけど、明かりが入ってくる以上、あの部分は地上につながっているのだろうと思いながら見上げていた場所だ。

 雨というよりもみぞれに近い粒のようで、入りこんでくる冷たい風で息が白くなる。

 小さく積もった白い粒が掌サイズのこんもりした丸い塊になるのをぼんやりと見つめていた。

 冬になったら雪に阻まれて浄化に行けなくなるとクライフさんたちが言っていたことを思い出す。あと四つ、浄化していない泉があるのに、間に合わなかった。

 冬がはじまってしまったのだろう。

 膝を抱えて小さく小さくなりながら、はぁっと息を白い息を吐いた。

 看守さんの親切のおかげでわたしは生き延びている。だけど、凍えて死んでしまうことだってあるのかもしれない。丈夫な聖女の身体とはいえ雪が降る中を薄い浴衣一枚で生きていられるほどではないだろう。 

 凍えながらジッと格子越しに廊下を見つめる。カツ、カツと待望の靴音が聞こえてきたのはそれからしばらくしてからだった。


「聖女ミスズ、あなたの処分が決まったようだ」


 待ちに待った出迎えは、そっけない言葉だった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 看守の不注意で食事が忘れられる事になってるって時点で処分がまともじゃなさそう… 将軍もそらそういう気持ちになるやろなぁってなるから責めるに責められない… ほんま水魔さん搦め手上手ですね
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