第十二話 パチモノ聖女と訪問者(後編)
「アクアシュタット王国の先代の聖女は、アリア様という方でした」
クライフさんは重々しい声でそう言った。
隊長用の執務室は、クライフさんのイメージを損なわない、質実剛健な作りになっている。置かれている机や椅子も、重厚感のある色合いだ。
壁の一面には本棚が置かれ、分厚い本がズラリと並んでいる。装丁が立派なものは、政治や歴史に関するもの。残り半分は騎士隊があちこちで見聞きした情報を報告する書類の束らしい。……わたしには読めないけど。
部屋の中には椅子が一つ。だけど彼はそこには座らずに、立ったままわたしに向かって話を続ける。
「将軍の一人娘でありながら、聖女役を務めることに積極的だったのですが、もともと能力は高くなく。懸命に浄化をなさっておいでだったことが災いして、一年ちょっと前に亡くなりました。
自分とエルヴィンは、王女が産まれたころから存じておりますが、今日この場に現れたシャルロッテ王女は、王女らしくない。むしろアリア様を思わせる言動だったのです」
「???どういうことです?」
「幽霊というものは、他人にとり憑くことがある――と聞いたことがあります」
クライフさんの目は冗談を言っているようには見えなかった。
「もし、シャルロッテ王女にアリア様が憑いているのであれば。我々は王女を殺す以外に対抗手段がありません」
それは、恐ろしく冷え冷えとした声だった。
アクアシュタット王国において幽霊とは何か。
実はこれは、地球のそれとさして変わらないらしい。
死してなお浮かばれない魂が、この世に残っている存在だ。幽霊を実際に視たという人もいれば、視えないという人もいて、信じる信じないは個人差がある。
本来であれば、亡くなった人の魂は女神のもとへと行くらしい。そこで、生前の傷(心と身体の)を癒し、やがて別の存在となって転生してくる。
お葬式を取り仕切るのは聖堂である。亡骸は火葬され、家族のもとへ帰ってくるのは生前の名前が書かれた石版一枚。これを形見として代々の墓に入れたり、あるいは家のどこかに飾ったりするらしい。
ただし、例外がある。それが聖女だ。
聖女の身体は火葬されない。死した瞬間に毒の残滓が問題視される聖女は、その毒抜きを行う必要があるからだ。フォアン帝国の供養塔のような場所に集められ、その毒素が浄化されるまで安置される。ハーブによる毒抜き効果が研究されるようになった現在は、安置場所で毒抜きを行い、それが完了すれば他の死者と同じように扱われるようになった。
これらは能力のある聖女の場合であり、儀式のために聖女となった多くの『名ばかり』聖女については、そもそも毒を溜め込んでいないので問題視されない。
フォアン帝国の施設が『供養塔』であったことから考えても、聖堂は魂や幽霊を信じる立場なんだろう。さらに、聖女は幽霊になってもおかしくないだけの気の毒な存在だと考えていることになる。
幽霊を信じるかどうか。これは、日本においても議論の余地があるだろう。ついでに言うと、わたしは『いたら怖いけど、視えないのであまり怖くない』くらいの認識だ。
クライフさんが言った言葉でなければ、何かの冗談だと思ったかもしれない。
そしてここからが問題である。
アクアシュタット王国には、幽霊へ対処できる者はいない。
水魔を斬ることができないように、魔物を倒すことができないように、幽霊を滅ぼす手段はないのだ。確かに、日本でだって一般的に幽霊は倒せない。神社やお寺でお祓いをしてもらったり、成仏してもらったりという手段は考えられても、そこらの一般人がナイフを振るったところで幽霊を倒せるはずはないだろう。
結果、憑かれた対象――つまり器になった者を殺すことで、幽霊の行き場を無くすことしかできない。器ごと供養して、女神のもとへ行ってくれることを期待することしか。
「……ま、待ってください」
わたしは、焦る気持ちを抑えながら尋ねた。
シャルロッテ姫を、あの可憐な天使みたいなお姫様を殺させるなんて、絶対ダメだ。
ばくばく騒がしい心臓を抑えながら、必死に言葉を探す。
「……ええと、その。アリアさんはきちんと埋葬されたんですよね?」
成仏していれば、他人にとり憑くなんてことをするはずはないと思う。
「おそらく」
クライフさんはあいまいに答えた。
「……自分をはじめとするゴルト騎士隊は、アリア様の死去と同時に蟄居を命じられておりましたので。葬式には参列しておりません。薬師による浄化を受けた後、聖堂で執り行われ、将軍家領内の代々の墓に納められただろう――と思いますが」
「クライフさんから見て、アリアさんには……シャルロッテ姫にとり憑いてまで果たしたい無念が残っていたと。そう考えておられるんですか」
「……」
クライフさんは押し黙った後、ポツリと告げた。
「アリア様は気の毒な女性でした。
将軍家の跡取り娘として、どんな婚姻も望める立場でありながら、聖女になったことで短命に終わり……どのような無念を残されていてもおかしくはないと思います」
なるほど、とわたしは思った。
クライフさんは彼女に同情しているのだ。わたしへ同情を向けているように、『聖女』というもの自体を、理不尽な運命を背負わされている存在だと思っている。実際のところはどうか分からないけど――……。
「……先ほどの質問に戻りますけど」
わたしはそう言って、話題を戻した。
「わたしは、幽霊の類を視たりはできません。元々の国にいた時もそうでしたし、こちらに来てからも実際に視たりといった経験はしていないので、できないと思います」
「……」
クライフさんの表情は陰った。彼だってシャルロッテ姫を殺したいと思っているはずはない。また、水を浄化するだけの生来の聖女は幽霊に対する手段は持っていない。だが『泉の魔女』なら――わたしなら何か別の手段がとれるのではないかと期待していたのだ。彼の期待に応えられないことが、心に重く圧し掛かる。
「ただ――、もし、アリアさんがシャルロッテ姫にとり憑いているかもしれないなら、直接聞いてみてはいかがでしょうか。どうしても叶えたいことがあってそうしているなら、意識があるかもしれません。希望が叶えば成仏なさるでしょうし……。わたしは経験したことがありませんけど、幽霊にとり憑かれた場合、シャルロッテ姫の身体に負担があるかもしれないですから、早いうちに」
「……ジョウブツ、とは?」
「え?」
ああ、そうか。アクアシュタット王国には仏教はないし、成仏っていう言葉は翻訳されていないのだ。わたしの耳にはクライフさんは日本語を話しているように聞こえているので、時折こんなすれ違いが起きる。
「ええとですね、わたしの国でも、幽霊を倒すというのは難しいんです。けれど、幽霊というのは、無念だとか心残りだとかが原因でこの世に残っていると考えられることがあって。その無念や心残りを無くしてあげた結果、この国で言う女神のところに還ってくれた――という物語が多く伝わっています。そういうケース、この国にはいないんでしょうか」
「……」
クライフさんはしばらくの間黙っていた。
「自分は、そういった記録を読んだことはありませんが。あなたの国には、成功例が伝わっているんですね」
「はい」
わたしがうなずくと、クライフさんはポツリと続けた。
「……先ほど、シャルロッテ王女が駐屯地を訪れました。もしもアリア様ならば、そのような行動は普通じゃないと分かっておられるはずです。それを強行したということは、おそらく、我々に何かを伝えようとしていたはずなのですが。彼女の言動からはそれが伝わってきませんでした」
「……クライフさんのお部屋に行きたいっておっしゃってましたけど、それとは違うんでしょうか?」
「?なぜそれを?」
「あ」
しまった、扉の隙間から聞こえてくる会話を聞いていたなんて、恥ずかしいことを自分から吐露してしまった。
「ええと、その、廊下を歩いておいでなのが、聞こえて……」
「そうですか」
「す、すみませんっ!」
正直に謝ると、彼はさほど気にしていない風に話を進めた。
「聞いておられたなら話は早いです。確かにそう言っていましたが、死者が女神のもとへ還るのを拒むほどの願いでしょうか、あれが?」
納得いかないといった風に、クライフさんは息を吐いた。
その言葉の端々に、イライラしたものをにじませながら言葉を続ける。
「生前のアリア様は、あれがしたいこれがしたい、と小さなことを次々と要望してくることはありました。叶えられないほど大きな願い事ではないですが、いちいち対応していては日が暮れますので、あまり相手にしていられません」
予想よりも冷たく、彼は言った。
「……あの、生前のアリアさんと、何かあったんですか?」
思わず口にして、しまったと思った。
驚いたように目を見開いたクライフさんがわたしを見下ろす。
「……なぜ、そのように?」
「ええと……」
クライフさんの言葉の端々に、イライラしている風の気配を感じたのと、彼の背後にユラッと立ち昇る怒りのオーラのせいだ。
「な、なんとなくです」
クライフさんのこのオーラが、わたしはちょっと苦手である。
具体的に言うと、怖い。
彼自身は感情を抑えて話しているつもりだと思うのだけど、その後ろでにじむ感情が見えてしまうので。
「……そうですね」
クライフさんは大きく息を吐いて、静かに首を縦に振った。
「何かあったわけではありませんが、自分はアリア様を苦手としていました。
彼女は騎士というものを誤解しているところがありましたので……」
「誤解?」
「はい。騎士というものは、主君に対して忠誠を誓う、騎兵です。兵士であって、戦うのが仕事です。
平民であっても、基本的な読み書きと礼儀作法を心得ている健康的な男子であれば、採用試験の結果、登用されることがありますが、アクアシュタット王国では領土を持たない貴族の子息が多いです。これは、剣技をすでに身に着けているため後の鍛錬に耐える肉体を持っていることや、領土を親から受け継ぐまでの間、他に働き口がないからといった事情もあります」
「ほ、他に働き口がない?」
「戦うより他に能がないのですよ。それと、戦士は若い男の方がいい。肉体労働ですから。性格上、商売に不向きであることも理由ですね」
「……へ、へえ……」
クライフさんが商売人に向いてないというのは、なんとなく分かる気がする。
「……あ、あれ?すると、アクアシュタットでは女騎士っていうのは、いないんですか?」
「聞いたことがありません。なれないわけではないでしょうが……、男社会の中に、女性が混じるとロクなことがないので、採用されないといった事情はあるでしょう。騎士になるより、子を産み育ててくれた方が国のためになりますし」
「そうなんですか……」
「ですが、アリア様は、騎士というものは姫君をチヤホヤする存在だと思っておられたようでして。何かにつけてご自分を特別扱いするよう求めてくるのです」
「……」
「父君が将軍職である以上――つまり、騎士の中でも一番上位に当たる存在がどういったものか、ご存じでなかったはずはないと思うのですが。将軍が娘に甘いのを、騎士は女性に甘いというのと混同していた風に思います」
それは、どうだろうか。
もしかしたらアリアさんのそれは、『騎士が』ではなく、『クライフさんが』『自分を』特別扱いして欲しいというものだったのかもしれない。
「……あの、わたし、話してみましょうか。シャルロッテ姫と」
「え?」
「明日にでも聖堂に報告に行って、そうしたら彼女が修行にくるのに逢えると思います。女同士、男性には言えないようなことも打ち明けてくださるかもしれません。……もしアリアさんが憑いていないのであれば、シャルロッテ姫とお喋りできるので、それはそれで楽しみですし……」
わたしが言うと、クライフさんは苦い表情を浮かべた。
「それは、お一人でということですか?」
「そうですね。クライフさんがいては出来ない話もあるかもしれないので」
「……承諾できかねます。せめて他の者をその場に連れてくださるわけにはいきませんか」
「クライフさん、それでは意味がないです」
わたしは笑った。
「女同士、腹を割って話そうって言ってるんですから。そこに保険をかけるような真似をしては信用されませんよ」
※ ※ ※
アクアシュタット王国の聖堂は、王都にあるものだけらしい。
女神を奉じる聖堂は、ピラミッド型の組織図になっていて、トップは大聖堂。その下に各国の聖堂。さらに国によっては女神を奉じる小さな小聖堂がある場合もある。アクアシュタット王国の場合、村に女神を奉じる小さな祠とかはあったりするんだけど、それはカウントされないらしい。
ゴルト騎士隊の駐屯地にほど近い村にも小さな祠はあって、たまにお願いされて出張することがあった。村の人たちが手入れをしているため、とても綺麗な祠だ。色は真っ白。野外にある祠が白さを維持するのって大変だよね。この白さが、村人たちの信仰の深さを示しているんだろう。
「せいじょ、みすずさま?」
シャルロッテ姫と話がしたいと希望したわたしは、王都の聖堂にやってくるなり、中央の噴水に待機した。
やっぱり着いてきたクライフさんは、噴水が見えない回廊の向こうにいてくれている。これが彼の許容限界らしい。
シャルロッテ姫が修行にくる時間を見計らい、わたしも修行用の衣装を身に着けて、噴水の縁に座って待つ。
ふわふわとした美少女が、天使のような姿を見せたのが目に入り、思わず顔がほころんだ。
「はい。シャルロッテ姫、お久しぶりです」
噴水に向かって歩いてくるシャルロッテ姫と、侍女さん。今回もサリサさんとは別の人だ。見た目の年齢は二十代くらい。淡い色をした髪を後ろで結んだ侍女さんは、その紫色の双眸でわたしを見やった。
……二人から向けられてくる視線を見て、ああ、と納得する。
彼女たちの視線は、初対面の相手に向けられたそれだった。
「姫様、誰とも知れぬ相手に話しかけるのはお止めください。ここは聖堂内ですから安全ですが、本来であれば姫様は下々の者に話しかけるようなことをされてはならぬ立場なのですよ」
侍女さんが険のある声でそう口を挟むと、わたしとシャルロッテ姫との間に割りこんでくる。
「聖女ミスズ様とお見受けいたします。この噴水は今からシャルロッテ様が修行に使われる場所ですのでどうぞお立ち去りくださいませ」
サリサさんもそうだったけど、姫様の侍女というのは最初は警戒から入るのだろうか。
「どうしてですか?」
「!?」
「わたしはシャルロッテ姫とはお友達ですよ。前回お会いした時に、そう約束しました。それに、姫の修業はこの噴水そばで身を清めることでしょう?他の人ならともかく、わたしが一緒で困ることはないはずです」
持参した手土産を取り出そうとしたわたしの手が、乱暴に振り払われた。いつの間にか近寄っていた侍女さんが払ったのだ。
バサリと落ちた、小さな包み。フォアン帝国で買った、向こうの国の装飾がされたスカーフだったんだけど……。包みが汚れても中身はまだ大丈夫だろうか?
「……」
何を?と尋ねようとしたわたしの目が、鋭い視線によって封じられる。
「姫様に危害を加えようとしても無駄ですよ、聖女ミスズ様。このわたくしがおります限り、傷一つ負わせることは許しません!」
侍女さんの言葉を聞いたシャルロッテ姫の表情に驚きと恐怖が浮かぶ。
「ど、どういうこと?まさか……」
「左様にございます!あの包みは凶器!姫様、お下がりになってくださいませ!」
「そ、そんな!せいじょみすずさま、どうして!?」
「聖女ミスズ様は、シャルロッテ様が聖女となられることで立場を失われる身です。それを恨んでのことでしょうが……まさか自ら襲ってくるとは!聖女の名に恥じ入る行いだと思わないのですか!」
目の前でにわかに繰り広げられた会話に、戸惑ったのはわたしの方だった。
「……わたしの方こそ聞きたいです。この包みはフォアン帝国で買ったお土産です。どうしてそんな理不尽なことをされないといけないんでしょう?」
わたしの言葉に、シャルロッテ姫の顔に浮かんだのは疑惑だった。わたしの言葉と侍女さんの言葉、どちらを信じるかといえば後者なんだろう。
そりゃあ、まだ一度しか会ったことのないわたしたちだから、いつもそばにいる侍女さんより信用されないのは仕方がない。
なにより――。
「シャルロッテ姫。わたし、今日はクライフさんと一緒に来たんです」
「!?」
シャルロッテ姫の表情が変わった。
「”アリアさん”がお会いしたいのではないかと思って」
彼女たちの視線は、初対面の相手に向けられたそれ。
シャルロッテ姫は、少なくともわたしが逢ったことのあるシャルロッテ姫ではないのだ。
「危害を加えるつもりはありませんし、そんな能力もありません。ただ、嘘をつかずにお話したいので……そちらの侍女さんには少し静かにしていてもらえませんか」
わたしの言葉に、侍女さんが顔色を変える。
「戯言を!何を言い出すのです、姫様、このような者の言葉を信じてはなりません!」
「黙っていてください。水魔」
「――!」
顔色が変わった。シャルロッテ姫のそれが青なら、名も知らない侍女さんの色は紫色に。
「あなたの瞳の色、覚えがあります。水魔が、どうしてシャルロッテ姫に近づくことができたのかは知りませんが、……姫を惑わそうとしているのは、あなたの方じゃないですか?」
わたしの言葉を聞いた侍女さんの顔が歪んだ。
にんまりと、笑ったのだ。
『なぁんだ、気づいておったのか泉の魔女。それに離れた場所に護衛の騎士が一人。相変わらず、味方のおらぬ娘よなぁ』
侍女だった女性は、その淡い色をした髪色を、見事な紫色へと変じた。もう正体を隠す気はなくなったのだろう。
水魔だ。間違いない。
ただ、完全に化けているというわけではないらしい。淡い色をした髪が向こうに透けて見える。それこそ幽霊のように、侍女さんの身体に半透明の水魔が憑いている。
『そうと知りながら単身近づいてきたとは。命が要らぬと見える』
「逃げてどうにかなるものでしたら、そうします。
……あなたの目的は、最初から『本物の聖女』だった。でしたら、シャルロッテ姫に近づくのは当然でしょう。……どうやって侍女さんになり変わったのかはしりませんけど、言動もいちいちおかしかった。シャルロッテ姫が正常な判断ができなくなるように促していた」
まさか、とわたしは続けた。
「クライフさんたちがアリアさんを思わせるような言動をさせていたのまで、あなたのせいですか」
『ふくくくく』
水魔は笑う。
『それは違う』
『ええ、違います。聖女ミスズ』
違う声が混じった。
ハッと顔を上げた先に、もう一人いた。
シャルロッテ姫と侍女だった水魔。……そして、見たことのない美女だ。年齢は20歳前後だろう。わたしと同い年か、もう少し年上に見える。
淡い色をした金髪がふわふわと広がり、聖女が浄化の際に着る浴衣もどきを身に着けている。こうして見ると、金髪の下ろし髪の美女が浴衣を着ているようにも見え、似合わないことこの上ない。
宙に浮いているその女性は現実感がなく、光の加減でゆらゆらと見えたり見えなくなったりする。まるで水中を漂う人魚姫のようだった。
「アリアさん、ですね」
『ええ、そうですわ。クライフ様に近づく不届きな方。お役目ご苦労様でした。この後はわたくしに任せて早々に立ち去りなさい。わたくしは、この身体で、今度こそあの方と結ばれるのだから』
ザザザザザザザ……。
ふいに、気配が沸き上がった。
シャルロッテ姫ともう一人に集中していたわたしが気づかなかっただけなのか、あるいは本当に気配ごと消えていたのかは分からない。だけど、聖堂服姿の男たちが二人、左右から走り寄ってくる。
「!?」
右と左、両方から腕を拘束され、わたしは戸惑いに目を見開く。
聖堂服姿ってことは、聖堂の人間だろうに、なぜ――……。
驚くわたしが身動きをする前に、動きはもう一つあった。
噴水から離れた場所に待機していたクライフさんが、急いで駆け寄ってきてくれる足音だ。
だが、噴水縁で動きを止められたわたしを見下ろしながら、シャルロッテ姫――その身に取り憑いたアリアさんが嗤う。どこに持っていたのか、小振りのナイフを両手に握りしめて自分の首元に近づけて告げた。
『クライフ様。そちらにおいでになるのでしょう?どうか邪魔をなさるのは止めてくださいませ。うかつに動かれては――この身体の主が、死にますわ』
なんてことだ。
自分が取り憑いた相手を、器を、そのまま人質に取ってアリアさんは言った。
『わたくし、あなたに逢うために戻ってまいりましたのよ』
クライフさんがそれ以上動こうとしたかどうか、わたしには分からなかった。
左右から腕を拘束してきた男たちが、問答無用で手刀を入れてきたからだ。
首筋にガツンという衝撃を受けて、頭の奥で火花が散る。
気絶しながらわたしが思っていたのは、ただ一つ。
どうか、クライフさん。――シャルロッテ姫を斬らないで。