第十一話 パチモノ聖女の活動(前)
アクアシュタット王国に戻ってきたわたしのもとに、衝撃の事実が伝えられた。
「謹慎、ですか……?」
「はい。申し訳ありません、そのため、当分の間、浄化の旅にご同行できません」
深々と頭を下げて謝罪する、クライフさん。
「そ、それは、その。やっぱり、無断でフォアン帝国に行っちゃったからなんでしょうか」
「……ミスズ殿がお気になさる必要はありませんので」
「やっぱりそうなんですね?」
おそるおそる尋ねた先で、エルヴィンさんがあっさりと笑って答えた。
「まあ、そうなんだけど。ミスズ殿が気にすることじゃねえよ、ホント。わざわざ偽名と変装していったのに、正体バラしたこいつが悪いんだし。謹慎ったって、当分の間王都を離れるなって程度の話だから。
つーわけで、次の浄化はオレが同行するんで。オーケイ?」
「は、はい。よろしくお願いします」
明るく笑うエルヴィンさんに、クライフさんは渋面を向ける。
「……やはり思い直せないか?俺の謹慎が解けるまで浄化には向かわないとか……」
「おいおい、この期に及んでワガママ言うんじゃねえよ。女装までしたのにまとめて謹慎くらったヨハンが可哀相だろ」
なんと、ヨハンくんまで謹慎を!?
「それに、もうすぐ冬になるからな。そうなったら雪で足止め食らって浄化どころじゃない。野外にある泉には氷が張っちまう。その前に、できるだけの浄化を進めたいっつって予定組んだのはおまえだろ?」
「……それは、そうだが……」
「ハイハイ、抵抗はここまで。そーゆーわけで、ミスズ殿。出発は明日の朝だけど、今のうちに買っておきたいものとかある?今日は準備のためにオレはフリーだから、付き合うぜ」
「い、いえ、特には……。あ、いえ、でしたらフォアン帝国のお土産を買ってきたので、ファニーさんのお店に行っても良いですか?
「オッケー」
ビシッと親指を立てて、エルヴィンさんは明るく笑った。
今日はやけに上機嫌だけど、どうしたんだろう。
エルヴィンさんの馬に乗せてもらい、騎士隊の駐屯地から王都に向かう。エルヴィンさんとの二人乗りで、ここまで長距離は体験したことがなかったんだけど。上機嫌なエルヴィンさんの表情と同様、テンションの高い乗り心地である。……ものすごく、揺れる。
「いやぁ、悪い悪い。久々のフリーなんで浮かれちゃったよ」
「い、いいえ……。お休み、久しぶり、なんですか……?」
「そうそう。クライフのやつがワガママ言ったせいで、隊長代理だったろ?さーすがに休めなくってさ。こんな時に限って面倒な案件ばっかり舞い込んでくるし。今頃クライフもたっぷり溜まった仕事に悲鳴上げてるぜ」
ゲッソリと馬酔いしてしまったわたしは王都に着いてからしばらく休憩。そこから回復した後、ファニーさんのお店に向かった。
残念なことに、ファニーさんは出張中だったらしい。不在ということで旦那さんにお土産を預けるだけにして、残り時間は街でぶらぶらお散歩ということになった。
「ミスズ殿はどんな店が見たい?」
「特に希望は……。エルヴィンさんのお好きなお店がいいです」
「そー?なら、任されちゃおっかな」
楽しそうなエルヴィンさんはそう言いながら、広場へと向かった。
広場には大道芸を披露している民族衣装風の三人組がいて、その周囲を人々が囲んでいる。地球で言うなら、南米ペルーあたりの衣装に見える。ケーナに似た笛と、太鼓と、ギターかマンドリンに似た楽器を使う三人組だ。歌い手はいない。楽しそうな音楽に思わず目を惹かれて視線を向けたんだけど、演奏している彼らの顔色はひどく悪い。
お金を入れてもらう帽子の横に、何やらメッセージが書かれていた。
「エルヴィンさん、あれ、なんて書いてあるんですか?」
「え? ……ああ、そういやミスズ殿は読めないんだったか。あれは『病気の子供たちを救うための薬を買いたい』ってあるんだよ。まあ、同情引きの典型だな」
「……」
同情を引く言葉。地球の街角で見かけた時にはそう思ってしまうかもしれないんだけど、今のわたしにはそうではなかった。
「彼らの住んでいる場所って、……《女神の泉》があったり、しますか?」
わたしの問いに、エルヴィンさんは目を丸くして――少ししてからうなずいた。
「次に行く予定の泉が、集落に近いな」
「もしかして、彼らの病気って……」
「どーだろなー。病気と毒とは違うしな」
「……そうですか、そうですよね。それじゃ、無理ですよね……」
わたしが泉を浄化すれば治せるかもしれない。そんな淡い思いが一瞬で溶ける。
気落ちしたわたしに、エルヴィンさんはため息をついた。
「あのねえ、ミスズ殿。聖女だからってすべての人間を救えるわけじゃねえんだよ。本物の聖女って呼ばれる存在ならともかく、普通の聖女にできるのは泉の浄化だけだ。ミスズ殿はミスズ殿ができることをすりゃ、それで十分すぎるほど働いてる。いちいち気に病んだらダメだぜ?」
「……はい」
せめて、ということで彼らの帽子に手持ちのコインを全部投げ入れてからそこから離れた。
エルヴィンさんは露天を覗き、売っていたおイモのデザートみたいなのを買ってわたしに分けてくれる。スイートポテトみたいなものらしい。甘くて食べやすくて、腹持ちも良さそう。なによりちょっと懐かしい味。
「美味しいですー」
「だろー?携帯食も、これっくらい甘いやつの方がいいと思うんだけどな。毎食粥じゃなくて。いや、粥が悪いってわけじゃねえよ?嵩張らないしな」
もぐもぐもぐ。
そう言えばエルヴィンさんは甘い物がお好きだったように思う。
「ただ、メニュー変更となると、日持ちするかどうかって問題が大きくてさー」
「あまり日持ちしないんですか?これ」
「どうだろうなー。試してみねえと分かんねえだろ?一日や二日は平気だろーけどさー。一週間平気かっつーと」
「あ、ダメっぽいですね、確かに」
スイートポテトの日持ち期限は知らないけど、冷蔵保存が基本だろうし、常温にしておいたらあまり保ちそうにない。
美味しいものを食べて少し気分が浮上したわたしに、エルヴィンさんは笑った。
「ミスズ殿は美味いもん食べて嬉しそうにしてる顔が一番可愛いぜ?」
「え」
思わず顔が赤らんだわたしに、彼は楽しそうにニヤッと笑った。
「せっかくだし、次はリリベットに行くかー」
王宮御用達のお店、リリベット。
馬車で乗り付ける人が多いお店に、徒歩で踏み入るのはこれで二度目だ。クライフさんは、この店に入ると目立つからと渋い顔をしたものだけど、エルヴィンさんは堂々としたものだ。慣れた様子に驚いて尋ねたところ、エルヴィンさんは「この店に入るのははじめてだぜ?」と答えた。
先ほど帽子にお金を投じてしまったので、今のわたしはほぼ無一文。このお店に入るには場違いも甚だしい。
「慣れない場所だからってビクビクしてると逆に目立つんだよ。常連だぜって顔してりゃ、全然目立たない。クライフは、融通利かねえからなー」
笑いながら店に入ると、今日もお客さんは少なかった。
入り口から見たところ、赤毛の侍女さん風の人が一人と、ご年配の夫婦が一組である。外に停まっていた馬車は一台だけだったので、どちらかは徒歩で来店したんだろう。
「へえ、中はこんな風になってたんだなー」
感心した風にエルヴィンさんは言って、キョロキョロと楽しそうに見回す。
――と、店員さんと話していた侍女さん風の人物がハッと振り返り、エルヴィンさんに声をかけた。
「兄さん!」
え。
よく見ると、それはサリサさんだった。聖堂の天使こと、シャルロッテ様に仕える侍女さんである。今日はお一人らしい。
「へ?」
きょとんと目を丸くしたエルヴィンさんは、自分に駆け寄ってくる侍女さんが妹であることに気づいたらしい。ますます目を丸くした。
「サリサぁ?なんでここにいんだよ。お使いか?」
「それはこっちのセリフよ!リリベットに彼女連れでくるような甲斐性がある男だとは思わなかったわ、やるじゃない……、って、あれ?」
目を丸くしたサリサさんも、わたしの正体に気づいたのはワンテンポ遅かったらしい。不思議そうに小首をかしげた。
「ミスズ様?」
「そうそう、ミスズ殿だよ。今日は彼女の付き添い」
エルヴィンさんの彼女ではなかった、ということに、ガッカリしたのかそうでないのかは分からないけど。サリサさんはサラリと態度を変えた。
「リリベットに注目されるとはお目が高いですよ、ミスズ様。こちらのお店で一番バランスよく高評価なのはこちらの焼き菓子です。ドライフルーツ入りで、甘みが程よいのが人気のポイントですね。オリジナルセットも作ってくれますし、追加料金なしでラッピングしてくださるので、お土産にはすごく向いてます」
「へえ。そうなんですね」
「それにしても兄さん?マリエのこと放っておいてるんじゃない?一か月も連絡がないっておかんむりだったわよ」
「ゲゲッ。……隊長代理で忙しかったんだよなあ。次はけっこう遠方まで出向くし……。仕方ねえ、サリサ、こいつを渡しておいてくれ」
そう言ってエルヴィンさんは、サリサさんがおすすめしてくれたばかりの焼き菓子セット(お店チョイス)のカゴをひょいと持ち上げる。
「やぁよ、お使いしろっていうの?」
「まあいいじゃねえか。マリエと一緒におまえも食べていいから」
「あのねえ、兄さん……」
はぁ、とため息をついたサリサさんは、チラリとわたしの方を向く。
「どう思います?ミスズ様。こういう態度」
「ど、どうって言われましても……。
……あの、エルヴィンさん、今日の午後は特別な用事はないわけですし、良ければそのマリエさんのところに直接プレゼントを持っていかれてはいかがでしょう?」
サリサさんの目が訴えるままにわたしが言うと、エルヴィンさんはかるーく片手を振って流した。
「向こうも仕事なんで、そういうのはナシナシ」
そう言いながら焼き菓子セットを購入してきたエルヴィンさんは、カードを一枚添えてサリサさんの手の上に押しこんだ。リリベットのお菓子はブランド品だから、もらって嬉しくないことはないだろうし、手書きのカードが添えてあれば、エルヴィンさんが忙しくて顔を出せないことは伝わるだろう。実際、エルヴィンさんは隊長代理だった間、休みもとれなかったのだから。
「でも……。恋人さんですよね?」
わたしがおそるおそる尋ねると、エルヴィンさんはぶはっと笑った。
「あっははは!違う違う。あいつはそんなんじゃねぇよ。トモダチトモダチ」
サリサさんは非難するような視線をエルヴィンさんに送る。恋人同士ではないにしろ、それに近いようなそんな関係なんだろうと思うけども――大丈夫かなあ、これがきっかけで喧嘩になったりしないといいな。
……あれ?でも、恋人さんだったとしたら、サリサさんの「彼女連れ」発言がおかしくなる。何者だろう、マリエさん。
心配しているわたしをよそに、エルヴィンさんはサリサさんを気づかうような声を挟んだ。
「ところでおまえ、この時間はシャルロッテ様は聖堂じゃないのか?」
そのとたん、サリサさんの表情が陰った。
「……聖堂よ。姫様は、別の侍女が付いていってるわ」
「は?おまえ、お役御免になったのか?なんかへまでもしたとか?」
「してないわよ!……でも、なんだか作ったデザートで不評を買ってしまったらしくて」
みるみるうちにサリサさんはしょげた。
「いつもなら、姫様は美味しいって召し上がってくださるのに、口にもせずにリリベットの方がいいから買ってきなさいっておっしゃるのよ。それで、買いに来たのだけど……。焼き菓子ばかりでは飽きてしまわれると思うし、せめてバリエーションを揃えてお出ししようかと思って……」
しょんぼりとしながらも、サリサさんはシャルロッテ様への配慮を忘れない。お酒を使っているかどうかを細かくチェックし、少しでも子供の身体に悪そうなものは省いていた。
「これを召し上がって、シャルロッテ様がいつもの調子を取り戻してくださるとよいのだけど」
「まあ、気落ちしてんなって。シャルロッテ様だって女の子だからな。機嫌が悪いこともあるんじゃねえか?」
「兄さん!ふざけないでちょうだい!」
「ははっ」
ぷりぷり怒りながらも、サリサさんは手早く支度を終えて店を出た。マリエさんへの贈り物も、なんだかんだいってちゃんと持っていってくれた。(目立たないように別の袋に入れて)
あのシャルロッテ様がサリサさんの手作りデザートよりも既製品を褒めるなんて、信じられない。
わたしだけではなく、エルヴィンさんも同じ感想を抱いたらしい。納得のいかない様子でサリサさんの後ろ姿を見送っていたが、やがて気を取り直したようにわたしを見やった。
「悪かったね、妹が余計なこと言ったせいでテンション下げちゃったよな。お詫びに、この店のものなんでも一個奢るぜ」
「ひええ!?」
※ ※ ※
エルヴィンさんとお出かけした後、わたしは駐屯地に戻ってきた。
騎士隊はザワザワとしており、忙しそうだ。こんな時に丸一日も留守にしていて良かったのかな、と思ったのだけど、エルヴィンさんは息抜きできたみたいで満足そうだった。
翌朝。日が昇る前に出発するわたしたちを見送ってくれたのは、クライフさんただ一人。彼は、ふんわりとした白いコートをわたしに渡すと、こう続けた。
「山岳の方はかなり冷えると聞きます。どうか体調を崩されないようお気を付け下さい」
それと、と彼は言う。
「出来る限りの護衛はつけましたが、どうか油断されないよう。山岳地方には少数民族がおりまして、基本的には友好関係にありますが、ミスズ殿の素性を知ればどういった態度に出てくるか分かりません。彼らとの交渉はエルヴィンに任せて、ミスズ殿は馬車にいてくださるようお願いします」
「は、はい……」
顔全体から「心配!」という目で見られ、なんだかちょっと気恥ずかしい気分になってくる。慌てたわたしは顔を隠すために、クライフさんから渡されたコートを身に着けて、「行ってきます」と頭を下げた。
クライフさんから渡されたコートは女性物らしかった。サイズがピッタリだ。デザインもオシャレで、このまま地球に持って帰りたいくらい。ふわふわの素材も、見たことがないような柔らかなものだった。騎士隊のお古というわけではない気がする。とても暖かく、馬車の中にいると暑いくらいだったんだけど、駐屯地から離れるにつれて――隙間風が身に染みるにつれて、ありがたさが増していく。
晩秋の山岳は、舐めてかかれない寒さらしい。
まだ駐屯地から離れて一日程度だというのに、かなり冷えた。
わたしたちの一行は、馬車一台に馬が四頭。エルヴィンさんと三人の護衛だ。《女神の泉》へ向かう時のメンバーとしてはわりと少なめになる。今から向かう山岳地帯に住むのは友好関係を結んでいる民族なので、大人数だと変に刺激してしまうので避けたということらしい。
一日目は平和に終わり、二日目はいよいよ山道になってきた。
アクアシュタットはどこも森と川の国だと思っていたのだけど、そうでもなかったらしい。二日目の光景は禿山で、あまり木が生えていない砂ばかりの山だった。石や岩もゴロゴロ落ちていて、かなり歩きにくそうだ。
山道は急で、馬車がギリギリ通れるくらい。砂埃を巻き上げながら馬が駆け上がっていく。
「揺れるけど大丈夫?」
エルヴィンさんがそういってくれたけど、……大丈夫じゃなかったとしても替えの馬車などないのである!
「だ、だいじょ、ぶ、ですー」
声の方はあまり大丈夫じゃなかったけど、ガタガタ揺れるわりに身体へのダメージは少ない。ヨハンくんが座席にたっぷりクッションを入れてくれたことと、クライフさんから渡されたコートのおかげだ。ふわふわなのでお尻の衝撃が緩和されている。
「あと少し行ったら、今日の休憩場所だから」
エルヴィンさんはそう言って、また先頭へと戻っていく。
チラッと木々の間へ視線を向けるしぐさに覚えがあるような気がして……わたしはごくりと息を呑んだ。
もしかしてこの馬車、見張られてる、とか?
「どうも、見張られてるね」
休憩所に着いたところで、エルヴィンさんが言った。エルヴィンさんたちは馬車の外、わたしは内で作戦会議である。わたしもだいぶ『聖女もどき』として慣れてきたらしい。驚きもしないでうなずいた後、わたしは答える。
「馬車の中で寝た方がよいですか?」
「寒いし、その方が安全かな」
「今夜中に襲ってくる可能性は?」
「うーん」
エルヴィンさんは腕組みをした後、他の三人へと視線を向けたらしい。無言のまま打ち合わせを終えたエルヴィンさんは、こう続けた。
「見張りは一人だ。だから、襲ってくることはないだろう。オレたちも交代で不寝番を立てるから」
まあ、心配ないよ、とエルヴィンさんは続けた。
「闇梟の依頼主は不明だけど、あいつらは万全の体制になるまで動かないって特徴があるからね」
ところが、そんなことを言っていられるのは二日目までだった。
三日目、わたしたちの前方を足止めしたのは、姿の見えない見張りではなかった。
バリケードみたいに置かれた、岩と枯れ木の柵である。
トゲトゲした木が上に向けて立てかけられていて、障害物競走に長けた馬だって飛び越えられそうにない高さだ。まして、馬車が通れるわけもなかった。
「なんだこりゃ」
不審に思ったエルヴィンさんと、護衛の一人が馬を降り、柵を調べに向かった時である。
――ざざざざざざざざざざ!!
砂を巻き上げて現れた人影が、五つ。上がってきた山道を塞ぐようにしてこちらを見やる。その手には各々武器を持っており、殺意に似た感情を向けてくる。
「馬車に乗ってイル貴人と、ソノの護衛とお見受けスル。無事に生きて帰りたクバ、身代金を用意するよう家族に伝えるがイイ」
営利誘拐犯たちは、武器の切っ先を向けながらそう告げた。