第十話 パチモノ聖女と帝国の宴(前)
キウラン殿下の治療は、ラインホルトさんよりも手荒だった。
野外だというのが関係しているかもしれない。
彼は、クライフさんの用意した着替えやら水やらを使い、傷口を洗浄した上で裂いた布で止血を行うと、細かく砕いたハーブを丸ごと飲み干すようにと言った。
ハーブティにして上品に飲むほど時間の猶予がないということらしい。
言われるままに飲み干し――草の味がモロにしてとてつもなく苦かった――水で口の中を誤魔化した後、横になる。
自分が満天の星空を見上げていることに気づけたのは、塔を出てから二時間ほど経ってからだった。
わたしは、野外に寝かされていた。
背中の下にはマントが敷かれ、着替えのうち一着が掛布団代わりになっているようだった。
眠っていたのか、単純に痛みと熱とで意識が朦朧としていたのかは分からないけど、我に返ったということは、ある程度毒抜きが完了したんだろう。
温かい手の感触に気づいてハッと視線を向けると、……枕元にはクライフさんがいた。
どうやら傷のない左手の方を、ずっと握られていたらしい。
「あ、の……」
声をかけようとすると、彼はわたしの意識が戻ったことに気づいたようだった。
サッと顔を近づけてくると、彼はまず額に触れた。
「……熱は、ありませんね。お加減はいかがですか」
「は、はい。元気です、たぶん」
「元気なわけがありません。……傷の初期処置が早かったので、これ以上の悪化は避けられそうですが、戻りましたらきちんとラインホルトに診てもらってください」
「は、はい……」
グッと、クライフさんの手に力がこもった。
焚き火の灯りに照らされたクライフさんの顔が赤く染まって見える。額に手を置かれ、顔を覗きこまれているのだから当然だけど――彼の顔が、すごく近くに見えた。
クライフさんは綺麗な、それでいて悲しそうな目をしている。
「無茶をさせないと、……言ったばかりだというのに。このような傷を……」
「い、いえ、その、仕方ないと思います!だって、部外者立ち入り禁止の塔だったんですよ。その上、内部が毒でどうにかなってるかもってなったら、汚染された《女神の泉》に他の人が入れないのと同じです。わたしが一人で行くのが当然でした!」
「ですが、そこを狙われた」
「いや、そうですけど!でも、でも――……」
それに刺客だって一人だった。道中狙ってきた刺客は確か複数だったはずなのに。
もしかしたら、それは彼女の出自に関係していたかもしれない。聖女の血を引いていると言っていたから、あの覆面女性にもおそらく聖女の素質があるのだ。そのため、塔に入ることを頓着しなかった。
「……魔物は」
わたしは尋ねる。
「魔物はどうなりました?現れました?」
わたしの問いに、クライフさんは面食らったような表情を浮かべた後、苦笑いになった。
「倒しました」
あっさりと答えられ、わたしは驚いて息を呑んだ。
魔物は倒せないと、そう聞いたばかりだったのに。
「浄化は……。塔の中を見たんですが、どこにもヒビはなかったんです」
「それにつきましては、後ほど改めて。ひとまず今夜はここで休みます。夜道を馬車まで戻るのは危険すぎますので」
クライフさんの言葉に納得する。昼間だってかなり危ない道だったのに、暗い中で進もうとしたらいつ足を踏み外して落下してもおかしくはない。
「刺客は……どこへ?」
「分かりません」
クライフさんは首を横に振った。
「……あなたが出てきてから、塔から出てきた者はいません。キウラン皇子も聞きたがっています、あなたが中で何を見たのかを……」
「……」
顔が近い。クライフさんの真剣な表情は、どこか怖いくらいだった。
「ミスズ殿」
「は、はい……」
「聖女を辞めたいとは思いませんか?」
「え?」
「今回の役割は、あなたがニホンに帰るためには不要でした。あなたは、アクアシュタット王国の十二の泉を浄化すれば帰れるはずなのです。今回の役割は、国王が隣国との関係を重視したゆえの些事だった」
「え?え?そ、そうかもしれませんが、それが何か……」
「自分の妻になってくれませんか」
「……!?」
時間が止まった気がした。何を言われたのか分からなくて、ギョッと目を見開いてクライフさんを見返す。冗談を言っているようには、見えない。
ついでに言えば、プロポーズをする男性の目にも見えなかった。クライフさんの視線は、どこまでも真剣で、――怖い。
「聖女に夫ができたとなれば、聖女の力が喪われたと考えます。国王も、それ以上無理は言ってきません。フォアン帝国も同様のはずです。その上で、十二の泉を浄化さえすれば、あなたは国に帰れます」
「……」
パカンと開いた口が、そのまま強張る。
ものすごいことを言われてしまった気がするのに。同時に、――なんだろう、このガッカリしたような、力が抜けたような気分は。
「え、ええと……その……」
真剣な視線が気まずくて、わたしは目をそらした。
「お申し出は嬉しいです。嬉しいのですけど……。それは、申し訳ないので、遠慮させていただきたいです」
もごもごと口の中で言い訳が走る。
「それは、故郷にいる恋人に申し訳がないとかいった意味でしょうか。でしたらこの国にいる間だけですし、妻と言ってもあなたに何かしようというわけでは」
「ち、違います!恋人とかいませんから!そうでなくて、怪我のことでしたら、責任を感じていただかなくて大丈夫ですよっ?顔にできたわけでもありませんし、痕になったところで後悔しません。それに、そんなことをしたら、わたしは他所の方に口説かれなくなって助かるかもしれませんけど、今度はクライフさんがバツイチってことになって、経歴に傷ができちゃいますから!」
「……ミスズ殿」
「それに、わたし、……聖女を辞めたいとは、思っていないので」
以前、ラインホルトさんの前で愚痴ってしまったことを思い出す。
わたしは、目の前にやることができて嬉しいのだ。それが人助けなら、なおのことだ。もしかしたらそれは、自分の進路というものから逃げているだけかもしれないけど、そうであったとしても。
※ ※ ※
翌日、キウラン殿下の前で塔の内部について報告した。
どこにもヒビは見当たらなかったことと、天井部に出入りできる場所があったこと。そこから刺客が出入りしていたこと。
報告の間、クライフさんは塔周辺の調査に向かっていた。騎士隊長さんがする仕事じゃないとは思うけど、他にできる人がいないのだ。
「すると、そこから入りこんだトカゲが、たまたま毒に中てられてただけで、浄化の必要はなさそうってことか」
キウラン殿下はホッとしたようにため息をついた後、「やれやれ」と面倒そうな声を漏らした。
「余所者が入れないように、天井部の空気穴の管理も考え直さないといけないな」
「そういうのも、聖女研究所の仕事なんですか?」
「フォアン帝国の聖女に関する統括施設だからね。こういう機密事項のトップは皇子が担当することになってるんだよ。他の皇子たちはもっと楽な仕事なのに、ホンット貧乏クジだ」
「キウラン殿下が優秀な証拠じゃないですか。頼りにされてるんですよ」
「……あんた、にこにこ褒めるの止めろよな、他人事だと思って」
呆れたようにわたしを見返すキウラン殿下。
「す、すみません」
「……別にいいけど。僕が優秀なのは確かだからね」
慌てて頭を下げると、ボソッと呟くキウラン殿下。その頬が、微妙に赤い。……もしかして、照れている?
思わぬ発見に目を輝かせようとしたわたしは、その出鼻をくじかれた。
「ところで聖女ミスズ。あんた、騎士クレーメンスにプロポーズされてたろ」
「ぶぶっ!?」
口にしていたお水を思いっきり噴き出してしまい、わたしはゲホゲホと咽ながらキウラン殿下を見やった。
「な、な、なにを……」
「いや、聞く気はなかったんだけどさ。僕も焚き火のそばで仮眠してたからね。耳元であんなやりとりされてちゃ狸寝入りせざるをえないよね」
今、言った!狸寝入りって言った!
「~~~~っっ……」
「いいの?断っちゃって」
「い、いいのって、だ、だって。クライフさんだってわたしのことを好きでおっしゃってるわけじゃありません!わたしに怪我をさせた責任を感じてらしただけです!」
「あ、偽名使う余裕もないね」
「ク、クク、クレーメンスさんです!」
「くくくくく」
楽しそうに笑いながら、キウラン殿下は口を開いた。
「確かに、騎士クレーメンスの言葉は義務感からきたものだっただろうけど。フォアン帝国の興味をそらすには有効だったはずだよ。あんたは、たった一日で帝国の厄介事を排除した。ランクDとは思えない優秀な聖女だ。元々結婚政策をとっているフォアン帝国としては、ぜひとも”欲しい”人材だね」
キウラン殿下の視線が鋭い。
「僕としては、あんたのような聖女は現役でいて欲しい。騎士クレーメンスみたいに自制心が強くて、婚約したとしても手を出さないような安全牌の方がいい。だけど僕の親父殿は違うことを考える。優秀な聖女であればあるほど――、その子供に期待をする。早いところ結婚させて子を作らせてしまえ、それも他国に盗られるよりはウチの国で」
「……」
ごくりと息を呑み、わたしはキウラン殿下の意図するところを知った。
「あんたは今夜にでも、酒宴の席に呼ばれるはずだ。くれぐれも飲み物に気を付けろよ。酔わせて何かしようと企む輩がいてもおかしくない」
「……な、何かって」
「聖女は毒を吸収してしまうから、全般的に酒に弱い」
キッパリと彼は言った。
「僕は親父殿に反抗的なのを知られているからね、そういった酒宴には出席できない。あんたを守れるのは、――誰かな?」
※ ※ ※
わたしがクライフさんにプロポーズされて、しかも断ったという話は、キウラン殿下以外には知られていないはずだった。
クライフさんの態度は変わらなかったし、わたしも顔には出さないようにしていたはずだ。キウラン殿下が触れ回ったとも思わない。
だが、留守番だったヨハンくんに何があったか根掘り葉掘り尋ねられた結果、口を滑らせた覚えもないのに気づかれてしまったのだ。
もう一度言っておきたい。クライフさんから何を言われたとか、そんなことは一切漏らしていない。ヨハンくん、鋭すぎる。
「ははーん」
ヨハンくんはどこか楽しそうに笑った。ヨハンナさんの変装をしているせいで、女友達に相談している気分になってしまう。
「それで隊長、落ちこんでたんですね」
「お、落ち……?」
「いやーだって。いつもよりも口数少ないし、ミスズさんの前で気まずそうに目をそらしてましたし。まあ、ただ、隊長も悪いですよね、そんなタイミングで言ったら怪我に責任感じてのことにしか思えないですもん」
「……」
ヨハンくんの言い方に違和感を覚えて、わたしはおそるおそる尋ねた。
「わたしって、聖女を放棄したがっているように見える?」
「いいえ?すごく積極的にこなしてくれてると思いますよ、僕は。責任感とか義務とかではなくて、楽しんで――といったら言い過ぎですかね」
「そう、だよね?でもクライフさんには辛そうに見えるのかな」
「たぶん、ですけどね。アリア様のせいだと思います」
それは確か、アクアシュタットの先代聖女様の名前だっただろうか。
「将軍の娘さんだったんですが、あまり身体が強くなくて。浄化も数カ月に一度くらいしか行えなかったんです。それも、一か所を浄化するのに何度もやらないといけないっていう……。ただ、昔からクライフ隊長のファンだったので、無事に終われば隊長と結婚できるって約束を餌にされていたらしくて」
「ええええ!?」
「まあ、結局、亡くなられてしまったんですけど……」
「……クライフさんの、恋人さんだったって、こと?」
「違いますよ。彼女の片思いです。隊長は女性に興味がなかったんで、わりと困惑してたみたいですし。ただ、気の毒には思っていたらしくて。責任として結婚する気はあったんだと思いますよ」
「クライフさん、責任感強いもんね……」
「そんな気持ちで結婚しても、その後しんどいだけだと思うんですけどね、僕は」
ふう、と大きなため息をつくヨハンくん。
「ヨハンくんも結婚願望とかあるの?」
「そりゃまあ。というかね、ミスズさん。僕はわりとミスズさんのこと気に入っているので、他人事みたいに聞かれると傷つきます」
「え。ご、ごめんなさい」
「謝られるとますます対象外っぽいじゃないですか!」
いやでも、そんな|カッコ(女装姿)で言われても。
ぶつぶつと文句を漏らすヨハンくんだけど、やがて本題を思い出したらしくてわたしの荷物から一枚のドレスを取り出した。
自分一人で着ようとするとすごく時間がかかるので、候補から外していた一枚だ。色はブルー。白と水色との組み合わせがヨハンくんの一押しだったものである。
「今夜はこれを着てください」
「今夜……」
キウラン殿下の言葉を思い出し、わたしはごくりと息を呑んだ。
「フォアン帝国の皇帝陛下が、直々にお礼の宴を開くんだそうです。ミスズさんは招待席でお酌されていればよいという話なので、こちらから何かする必要はありません」
「お酒……だよね」
「そうですね。一応、ミスズさんはお酒が苦手なので無理してすすめないでくださいって希望は出してますけど、向こうは注いでくると思います。ミスズさんの席にはノンアルコールのものだけ並べてくれるよう手配してますから、くれぐれも飲みすぎないように気を付けてくださいね」
「う、うん」
「リャン特使がサポートについてくれるはずなんですけど……。なんというか、あの人あんまり頼りにならないんですよね。僕は侍女なんで、さすがに宴には参加できませんし。隊長も、今回は正体隠してるから席に呼ばれてないですし」
「……う」
ひ、一人で参加か!知り合いのいない立食パーティよりはマシだろうか。リャンさんは確か無理にアルコールをすすめてきたりはしなかったはずなので、やんわり断る方法を教えてもらおう。
「……そういえば、ヨハンくんは大丈夫なの?」
「何がです?」
「ほら、リャンさん。口説かれてたけど……」
「あれはあくまで、『ヨハンナ』あてですからね。ヨハンである僕は無関係です!」
据わった目で怒られ、わたしは慌てて謝ることにした。