閑話 騎士隊長が語る聖女2
聖女の供養塔。
そう呼ばれる施設がフォアン帝国にあるというのは、ラインホルトから聞いたことがあった。
アクアシュタットの外が見たいという理由で留学していたという彼は、数年で七か国を留学して巡り、薬学を修めて帰国した。
俺と知り合ったのはその後――軍属となり、ゴルト騎士隊に配属になった後の事だから、当時のことは何も知らない。
ラインホルトがかの塔について形容していた言葉はなんだったか――思い出そうとしたが、思い出せない。おそらくその話を聞いた時、感銘を受けた覚えがなかったからだ。きちんと聞いておけば良かったと後悔しても遅い。
ミスズ殿が塔に向かうのを、拳を握りこんで見送る。
《女神の泉》に足を踏み入れていく姿を見守るのとは違い、塔の内部の様子がまったく分からないというのが、たまらなく不安だった。
「なんだ、着いていくのかと思ったよ」
意外そうに肩をすくめた男が、髪を揺らしながら引き返していく。
フォアン帝国第五皇子キウラン。
ラインホルトの友人を名乗った男は、小馬鹿にするような視線を俺に向けた。
「騎士クレーメンスは過保護なようだから」
「……聖女にしか立ち入れない場所にまでは、同行しません」
「へえ?無理やり着いてきて迷惑かけるタイプかと思ったけど、違ってた?」
「どのようにお考えになられているかは分かりませんが……。フォアン帝国にご迷惑をおかけするような真似はいたしません。ご安心ください」
「ふうん」
彼は面白そうにこちらを見やった後、木の陰を指して俺を呼んだ。
「それより、野営準備でもしたらどう?ここは馬車が来られないから、寝るとしたら場所が必要でしょ」
俺に作れということらしい。
思うところがないわけではなかったが、俺は大人しく準備をはじめた。
焚き火の支度と寝床の準備、それに水の場所を聞いて一定量を汲んでおく。ミスズ殿が戻って来られたら必要になるわけだから、いずれにせよ準備は必要だった。
黙々と作業を続ける俺に、彼は不満そうに声をかけてきた。
「なんか喋ってよ。二人しかいないのにだんまりはどうかと思う」
「そう言われましても」
「そうだなー、聖女ミスズについてなら喋る?」
「……」
キウラン皇子はそう言って、塔の方へと視線を向けた。
「あの子、フォアン帝国の子じゃないよね。アクアシュタット出身にも見えない。どこの出身?」
「……ニホンというそうです」
「へえ?」
キウラン皇子は目を丸くして、感心したように続けた。
「出自だけは『本物』か。筆頭聖女からはランクDだって報告が上がってたんだけどね」
「ランク?」
首をかしげた俺に、皇子は再び小馬鹿にした表情に戻る。
「騎士クレーメンスは物を知らないね。フォアン帝国じゃ、聖女はランク分けされるんだ。能力に応じた手当が出るから、わりと厳しめにね」
「……ランクDというのは、どのような能力なのですか」
「水の浄化くらいは可能。だけど、それ以上は無理かな」
「でしたら、それで正しいのでは?ミスズ殿は水の浄化以外のことをされたことはありません」
俺の解毒を実行したことは伏せて言うと、キウラン皇子は納得がいかないといった雰囲気を醸し出しながら俺を見やる。
「なーんか隠してるみたいだけど。まあ、仕方ないね。さすがにアクアシュタットも機密事項までは漏らせないだろうし」
あーあ、と呟いた後、彼は言う。
「――で。あんたは聖女ミスズの婚約者なわけ?」
「……は?」
「あれ、違う?アクアシュタットとしてはそのつもりなのかと思ったけど。どこの国だって同じだろ?能力ある聖女なら自国の人間と結婚させて取りこむのが定石だし」
彼の言葉に、俺は苦々しい思いを押し殺した。
自国の国王がそのつもりであることは知っている。相手は俺ではなく、王子の誰かのはずだが。
だがあくまでも聖女を引退した後の話であって、今すぐではない。国王はミスズ殿の能力を失わせるつもりはないのだ。
ついでに言えば、俺はそれをさせるつもりはない。彼女を、権力者の玩具になどさせたくない。
「ミスズ殿は、泉の浄化を終えれば元の場所にお戻りになります。そのため、誰とも結ばれることはありません」
「ふうん?」
俺の返答に、彼は意外そうに続けた。
「じゃあ、あんたにとって聖女ミスズは『聖女』であって、『女性』ではないわけだ」
「……どのような意味でしょうか」
「騎士クレーメンスにとって、聖女ミスズは保護対象であって恋愛対象じゃないんだろう?」
「当然です」
「それならリャン特使の邪魔をすることなかったかな。彼は女性なら誰でも良しの節操なしだけど、その分『聖女』って特別扱いはしないから。もしかしたらその方が聖女ミスズのためだったかもしれないなあ」
「……本気でおっしゃっておいでなら、ミスズ殿への侮辱と受け取りますが」
腹の中に苛立ちが湧き上がるのが分かる。
どのような狙いがあるのか、キウラン皇子が俺をからかっているのが分かるからだ。にやついた口元から、それが伝わる。
「そうかな?僕としてはさ、君らがフォアン帝国に留まってくれれば、ラインホルトを呼び寄せる理由になるから、仲を深めてもらうのは一向に構わないと思ってたんだよね。ああ、もちろん?この塔を浄化してもらった後の話だけど」
「自分とミスズ殿がラインホルトとどう関係あると?」
「ラインホルトが、一度診た患者を放っておけるわけがない。あいつはさー、クールに見せてるけど実はかなり面倒見がいいだろ?」
「ずいぶんと評価しておいでのようですね、彼を」
「うん。彼がこの国に来てくれるなら、親父殿の跡取りを簒奪してもいいくらいには思ってたんだけどね。ただ、キッパリフラれちゃってさー。あいつの面倒見の良さを甘く見てたよ。故郷を見捨てられないからってあっさり帰っちゃった」
「……」
確かにラインホルトにはそういうところがある。
納得しかけたところに、皇子の言葉が耳に届いた。
「あんたなら当然知ってるだろ?金獅子の騎士クライフ。帰国後のラインホルトは、あんたの隊にいたんだからさ」
「……知っておいででしたか。偽名を使った意味がありませんでしたね」
嫌な名前を聞いた。それは、熟練者同士の模擬戦という見世物で、国王が俺に授けた名前だ。
「リャン特使は気づかなかったろうから、意味はあったと思うよ。『金獅子』の名前はアクアシュタットでは知らぬ者はいないほどの知名度なんだろ?そんな有名人が国境を越えてくると知れたら、アクアシュタットにどんな含みがあるのかと穿った目を向ける輩は多い」
「国王のお遊びです。俺は獅子の名を与えられるような器ではありません」
「へえ?」
キウラン皇子が、そう、面白げな声を上げた時だった。
――ざわ、と周囲の気配が動いた。
「――!皇子、伏せてください」
瞬時に腰の剣を抜き放ち、俺は暗がりへと目を向けた。
闇に溶けこむようにして気配が複数。五、いや――六だ。そのうち一つが木々の間から抜け出して塔へと向かうのが分かった。
「!?」
出入口は見張っている。それ以外に入り口があるというのだろうか。
ミスズ殿の身を案じて走り出そうとした俺は、続けざまに飛んできた刃物を弾き飛ばすのに足止めされてしまった。
「……出てこい」
殺気を飛ばすが、素直に出てくるような輩は刺客とは言えない。
足下の石を蹴り上げると、剣先で飛ばして木々の間に放りこんだ。
――ザザザザザッ!!
木々の間から飛び出してきたのは、覆面をした人影――五つ。それぞれ短い刃物を携えていた。
四方から連携してくるのを飛び退いてかわし、着地と同時に剣先を向ける。
とっさに身をかわそうとする人影の、手元を狙って刃物を弾き飛ばす。
――一、二、三人!
刃物を突き出して近づいてきた三人は、まとめて薙ぎ払うことに成功した。刃物だけを狙っているので弾き飛ばした先までは確認できない。草原に転がりこんでいく様子を目で追うことはしなかった。
――四人!
四人目はもう少し利口だった。他の三人を盾代わりにして、間を縫って近づこうとする。首筋を狙ってきた刃先を避け、剣の柄を顎にブチ当てる。
「ぐがっ!」
悲鳴を上げた瞬間、手首を捩じり上げて刃物を落とさせる。
そのまま剣先で拾い上げた刃物を五人目に向かって投げようとした、――瞬間だった。
――ギィイイイイイイイイイイイイイイイイッッ!!
耳を裂くような鋭い声が響き渡る。
木々の間を割って突進してきた巨体は、そのまま五人目の覆面へと激突した。診の軽さには自信があったであろう刺客が、逃げられもせずに吹き飛ばされる。
視界から外れた五人目の生死がどうなったのかは確認する余裕もなかった。
――ギィイイイイイイイイイイイイイイイイッッ!!
再び聞こえたそれは、現れた巨体の声のようだった。
体長十メートルはあろうかという、化け物。
四本の脚は巨体に対して短く、尻尾は身体の半分近くあった。ぬめりと光沢のある鱗が全身を覆い、その色は毒々しい紫色をしていた。
ちょろちょろとした長い舌を伸ばし、細長い顔をこちらに向けてくる。
顔はトカゲに見えたが、その身体は大きすぎる。このようなサイズの爬虫類など、いるとすればそれは……。
ドラゴン。そんな、幻想の生き物を想起させるような身体つきだった。
「魔物だ!逃げろ!」
覆面の一人が叫び、残りの者たちが四散する。木々の間に紛れこみ、後ろを振り向くこともなくいなくなった。
化け物の登場に驚き、動きが鈍った俺を狙うのではなく、木々の間から姿を見せた巨体から逃れようとしたのだ。
刺客にとって――絶対に関わりあいになりたくない相手。
「魔物、か……」
声に出してみると、自分の不利がよく分かった。
魔物は人間には倒せない。特別な力のないただの騎士では、切ることさえできない。
「騎士クレーメンス、何をしてる。逃げるんだよ!僕は魔物と戦えなんて依頼してないぞ!」
キウラン皇子の声が聞こえたが、俺はその場から離れようとは思わなかった。手にした細い剣先は、目の前の巨体と比較すると爪楊枝のようにも見えた。ぬめりのある鱗は剣先を通すことはないだろうし、そもそも鱗を傷つけることもできないだろうが。
「ここで離れたら、塔から出てきたミスズ殿が危険です」
「っ……!?」
キウラン皇子が何やら叫ぶのを無視して、俺は四人目の覆面が落とした刃物を拾い上げた。
――ギィイイイイイイイッッ!!
化け物は四足をガサガサと動かしながら突進する。
動きは一直線であり、動きだしさえ分かれば逃げることは可能だった。
問題は、尻尾だ。
五メートル近い尻尾を左右に振りながら突進してくるということは。ギリギリで突進を避けると尻尾にぶち当たるということだった。
みるみるうちに崖の上が禿げていく。木々が薙ぎ倒され、丸裸にされていくのだ。
塔に向かって突進しないのだけが救いだったが――……。
「……いや、おかしい。なぜ突進しない?」
塔があるのは崖の中央。どの方向に突進したとしても掠めることは避けられない方角にある。だが、魔物は塔を避けるようにして突進を繰り返している。
おそらく、こいつはトカゲだ。それが、魔物化したことによって巨大化している。だが、少し動いただけで崖の上が丸裸になるような破壊力で、今まで無事だった理由が分からない。
こいつがここまで巨大化したのは、つい先ほど。
理由は不明だが、塔内部に水が浸みこんで、聖女たちの毒が漏れ出したのを吸収したのだと思われる――。
俺は頭に浮かんだ仮説を試すため、四人目の刺客が落とした刃物を握り締めた。
「……キウラン皇子!」
俺は仮説を試す前に皇子の名を呼ぶと、塔に向かって駆け出した。
釣られて俺を追いかけようとした魔物が、躊躇したかのように足を止める。前に進むしかできない生き物が思いとどまる動きに、俺は自分の考えが正しいと確信していた。
「僕を呼ぶんじゃない!気づかれるじゃないか!」
「この魔物が現れるようになったのは、いつからですか!?」
「……三か月前だ!」
塔に向かって駆け出していった俺に、魔物はついに攻撃に転じることを決めたらしい。突進してくるのではなく、その長い尻尾を振って払いのけようとしてくる。
大きくジャンプしてそれを避けた俺は、尻尾が再び戻ってくる前に、魔物に向かって駆け出した。
紫色の鱗はぬめぬめしており、毒素を帯びているのが目に見える。服ごし、靴ごしであっても無事で済むか分からない。だが、手の届くトカゲの尻尾は自分で切ることもできるような末端器官だ。短い刃先に含まれたものでは効果がないかもしれない。
俺はそのまま魔物の足下へと走りこみ、短い脚に向かって刃物を突き立てた。
――ギィイイイイイイイイ!!
再び上がった高い悲鳴。
邪魔者を排除すべく振り払われた尻尾を、俺は避けることができなかった。
まともに横から食らい、吹き飛ばされる。
木々が薙ぎ倒されたその上を、崖の下まで飛ばされることを覚悟したが――そうはならなかった。
みるみるうちに魔物は縮んでいき、その衝撃も小さなものに留まったのである。
「……」
ゴロゴロと地面の上を転がった後、俺は姿勢を整えて魔物のいたあたりを睨みつけた。
予想通り、魔物の正体はトカゲだった。
十五センチほどの小さなトカゲが、塔を守るかのように立ち塞がる。
だが、巨体に対しては小さいとはいえ、小さなトカゲには大きな刃物で足を切られたトカゲが、いつまで命永らえるかは不明だ。
よたよたとした動きでこちらを見据えるトカゲに対し、さらに剣先を向けることは躊躇われた。
「どう、なってるんだよ、いったい……?」
おそるおそるといった風に、キウラン皇子が声をかけてくる。
刺客や魔物から上手く隠れていたらしい。戦いの邪魔にならないというのは、護られる立場の人間としては大変な美点だと感心する。
「あの魔物は、元々は塔近くに棲んでいただけのトカゲだったと思われます。それが、なんらかの原因で毒を受け、魔物化した。ですが、魔物化による影響は、あくまで巨大化に限られていたのでしょう。元の住処である塔を護ろうとしていたように見えました」
「は?……護るって、魔物が?」
「ええ。塔に向かう不届き者に対して攻撃を仕掛けていただけで、それ以外の攻撃意志はなかったかと。……そうでなければ、三か月も前に現れた魔物の被害がこの程度というのは軽すぎます」
「……」
「三か月前に現れたという魔物は、これほどのサイズでしたか?」
「そんなわけないだろう。こんな大きさの化け物が出ると知っていたら、僕がのこのこやってくると思う?」
「ええ、おっしゃる通りですね」
「は?」
元が小さい生き物だけに、吸収できる毒の量に限りがあったのだろう。なんらかの理由で量が増え、キャパシティオーバーを起こす寸前だった。毒が塗られていると思われる刃物で切りつけたことで、本格的に許容量をオーバーし、……絶命した。そういうことになる。
我ながら残酷な決断ではある。このトカゲには罪はないだろう。ミスズ殿がこの場にいれば、もしかしたらこのトカゲを救おうと言い出したかもしれない。
「させるわけにはいきませんが……」
問題は、”誰が”やったのかということだ。
トカゲが魔物化したのは、三か月前。それは、ミスズ殿がアクアシュタット王国に現れたころだ。これが偶然の符丁かどうか――……。
俺は胸を騒がせる不安を抑えこんで塔を見やった。
刺客の動きには覚えがあった。おそらく、アクアシュタットの王宮で投げナイフを放ってきた連中だ。
その、六人目が塔に入りこんでいる。
「皇子、この塔に他に出入口は?」
「天井に空気穴があるらしいが、僕は見たことがない」
一つだけ離れた六つ目の人影は、塔の外壁を登ったというのだろうか。供養塔というだけあり、装飾はほとんどない塔だ。足を掛けられる場所など数えられるだけだというのに、刺客の身体能力は馬鹿に出来ない。
遅まきながら出入り口へたどり着いた俺の目の前で、扉が開いた。
外へと開いた扉の内側には、片腕から血を流すミスズ殿が立っていた。体重をかけて扉を押したのだろう。そのまま外へと倒れこんでくる。
「ミスズ殿!」
受け止めた俺に、彼女は血の気の失せた青ざめた表情のまま、言った。
「クライフさん、……あれを。ラインホルトさんからの……」
そう言って大きく息を吐く、ミスズ殿。
アクアシュタット王国を出る際に、ラインホルトから餞別を受け取っていた。
一包み分のハーブである。だいたい、ラインホルトが治療に使う一回分だと聞いている。出先なのでハーブティとして使え、と彼は言い、ミスズ殿にはそれで使い方が分かったらしかった。
件の包みを荷物の中から取り出していると、キウラン皇子がミスズ殿に話しかけるのが見えた。
「何に襲われた?魔物じゃないだろうね?」
今にも気絶しそうな顔をしながら、ミスズ殿は気丈に答えようとした。
「い、え。別口の」
「馬車を狙ってた輩か」
塔に入りこんだ刺客の仕業。だとすれば、刃物には毒が塗ってあったはずだ。ラインホルトの餞別で毒抜きができるかどうか……。焦りを覚える俺の目の前で、キウラン皇子はチッと舌打ちしてから、俺を見やった。
「寄越しなよ」
「な、何を」
「ここは僕の管轄だって言っただろう。死なれるのは迷惑だからね。……特別に僕が介抱してあげるよ」
そう言って、キウラン皇子は着物の上着を脱いだ。
「騎士クレーメンス、焚き火を起こせ。できるだけ早くだ。それと聖女ミスズのための着替えを用意しろ。野営用に汲んでおいた水があったな?あれもすべて運んで来い」
「――はっ」
「傷口は右か。他には?」
「あ、ありませ……」
素直にうなずきながら、ミスズ殿は困惑していた。
驚いている様子に機嫌を損ねたような顔をして、皇子は馬鹿にするかのように言い捨てる。
「何をボケッとした顔をしてるんだかね。ラインホルトと留学先で一緒だったってことは、僕にも薬学の心得があるって分かってないの?」
どうやら分かっていなかったようで、ミスズ殿は目を丸くしている。
それを見ていた俺の方はと言えば、……またしても彼女を助ける役目が自分でないことに、やりきれない憤りを覚えていた。