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第一話 パチモノ聖女の日常(前)

 早朝。

 朝霧によって足下がよく見えない中、昨日見た記憶だけを頼りに足を進める。

 裸足の指先にちゃぷりと感じた感触。怯みそうになる心を静めて、ゆっくりと深呼吸を一つ。肩にかけていた薄布をとると、丁寧に畳んで岸辺に置く。

 その後はただ黙々と水の中へと歩を進め、肩まで浸かるまで行ったところで足を止める。

 目を閉じて、数えること二百秒。

 待ちかねていた奇跡が起きた。

 毒々しい紫色に染められていた泉が、わたし――新垣にいがき水涼みすずを中心にした波紋を描き、無色透明の清らかな水へと変化を遂げていった――はずだ。

 ホッと息を吐いたわたしは、冷え切った身体を再び動かして岸辺に戻ってくる。

「……お疲れさまです」

 労うような声と共に、厚手のタオルを差し出してくる男性が一人。受け取ったタオルで軽く身体を拭くと、岸辺に置いてあった薄布を再び羽織る。脱ぎ着しやすいよう考案された薄布は、浴衣に似た形をしている。

「焚き火を用意してありますので、どうぞこちらへ」

 気づかってくれる声に小さくうなずいて、わたしは大人しく足を進める。

 ガサガサと下草を踏みしめる音だけが、森の中に響いた。



「さぁああああむううううういぃいいいいい!!」

 焚き火の近くまで来たところで、わたしの我慢は限界を越えた。

 縮こまってガタガタと震え、紫になっているであろう唇をカチカチ言わせる。

 早朝ということは、まだ日が昇り切っていないのだ。そうでなくても森の中の泉というものは、他より冷たいと相場が決まっている。

「寒い!寒い!寒い!!あぁああ、これが真昼間でしかも夏なら、水浴びだって大歓迎なのに!」

「申し訳ありません、ミスズ殿。残り七つの泉を回り切るには夏を待つわけにはいかず――……」

 先ほどからそばにいた男性が、恐縮したような声で説得しようとしてくれるが、ブンブンと首を横に振るしかない。彼が悪いわけではないのは、分かっているのだけど。

 寒いものは寒いのである!


 浴衣に似た衣、これは女神を祀る聖堂で支給されたものだった。

 話によれば、女神に選ばれた聖女はこの服を着ていたということで、それ以降聖女の役割をすることになった女性たちはそれに従っているらしい。

 本物の聖女がどうだったか知らないが、全裸で泉に入れなんて正気の沙汰ではない。ただでさえも聖女なんてものは話題を呼びやすい存在なのだ。いつ、不届き者が覗きにくるか分かったものではない。実際に何度か問題も起きたらしく、現在の聖女役は専用の水着を着て禊を行っているそうだ。

 パチモノの聖女であるわたしには、そこまでの配慮はされなかった。そのため、専用ではなく仕立て屋で作ってもらった水着を着用している。デザインとしてはビキニタイプ。透けない素材なんて売っていなかったので、濃い目の布である。

 現在の季節は、秋。日本で例えるなら晩秋に当たる。そんな時期に水垢離もどきをしろとは、わたしは一体いつ修行者になったと言うんだろう。

 

「身体が冷えないよう、早めに着替えてください。朝食を用意しておりますので」

 そう言って男性――クライフさんは焚き火の上に小さなお鍋を置いた。

 野菜たっぷりの麦粥を用意してくれるのだろう。この地域での一般的な朝食で、乾燥野菜と麦を使うため、水さえ確保できればどこでも食べられるという万能の携帯食だ。

「ありがとうございます、本当にすみません、何から何まで」

 ガクガクブルブルと震えながら、わたしはテントに飛びこんだ。


 焚き火のそばにはテントが張ってあって、中はわたしの仮眠室だった。聖女の儀式は夜明けごろに行うのが慣例らしいので、それに合わせて前の夜から泊りがけだったのである。

 同行してくれているクライフさんは、御年二十二歳。この若さで小隊とはいえ騎士隊の隊長を務めているエリートさんだ。

 身長百八十を越える長身と、真面目そうな顔立ちが売りのイケメンさんである。実際、水着姿の女の子を見ても眉ひとつ動かさないんだから、大真面目な人なんだと思う。……わたしの水着姿なんかじゃ萌えねえよ、というのではないと思いたい。

 騎士隊の他のメンバーは、泉のある森に不届き者が近づかないよう、見張りをしているはずだ。

 わたしがパチモノの聖女になって三か月、儀式に付き添ってくれるのはいつもクライフさんだった。


 着替えを終え、麦粥を食べておなかも落ち着くと、ようやく笑顔になる余裕ができた。

 おなかが空いている時の麦粥は、めちゃめちゃ美味しいのだ。腹持ちも良いし。栄養価も高い。ただ、一度乾燥している分、どうしても粉っぽいという弱点はある。ついでに言えば、どんなに美味しく作ってくれても、炊き立ての白米が恋しくなってしまったりはする。

「これで、折り返し地点ですよね?」

「はい。順調に進んでいます」

 わたしの言葉にクライフさんがうなずく。

「次の泉は北の国境付近にあるので、移動に少しお時間をいただきますが。なるべく早く帰国できるよう、我々も努力いたしますので」

「ありがとうございます」

 深々と、わたしが頭を下げた、――その時である。

「おい、隊長!!」

 ほのぼのとした朝食タイムに割りこんできたのは、小隊に所属する騎士の一人だった。

 これがまた、イケメンである。癖のある赤毛を後ろで束ね、目元にホクロがあるのが印象的な人物。名をエルヴィンさんと言う。

「どうした、ミスズ殿の儀式は無事に――」

「そりゃあ、良かった。けど、そんなこと言ってる場合じゃねえんだよ。恐れてた事態が起こりやがった」

 ちなみにこのエルヴィンさん、クライフさんとは旧知の仲らしく、騎士隊の中でも仲がいい。そのためお二人で話しているとお互いが騎士職だというのをついつい忘れてしまうらしい。具体的には言葉遣いの点で。

「どういう意味だ」

「国だよ、隣国がイチャモンつけてきやがった。おまえんとこの聖女はニセモンだろうって」

「なんだと……」

 ユラッとクライフさんの背後に怒りの気配が立ち上る。ギクリとなったわたしも、若干距離をとる。

「ミスズ殿は聖堂が奉じる聖女もどきとは別物だ。実際に浄化する能力を持っている。それを、偽りだと……?!何様のつもりだ!」

「いやいや、オレに怒んなよ!隣国だよ、り・ん・ご・く!」

 普段穏やかな分、クライフさんは怒ると怖い。声が低くなって、凄味が増すのだ。寄らば斬る、みたいな。真面目な人を怒らせちゃいけません、みたいな感じである。

「…………国王は、なんと?」

「形式上、聖堂の聖女は一国で独占する存在じゃない。隣国と戦争もしたくない。つーわけで、国王としては一度ミスズ殿を王宮に呼んで、隣国への使者という形をとるつもりらしい。まあ、簡単に言やあ、隣国の泉を一つ浄化してこいってことだ」

「ふざけるなっ!これ以上ミスズ殿の負担を増やすつもりか!」

「だからオレじゃねえよ、国だよ、国王が言ってんの!それに、戦争やるよりかマシだろ!?」

「…………」

 ギリギリギリ、とクライフさんは拳を握りしめた。

「……使者ということは、護衛はつけるんだろうな……?」

「分かんねえけど、たぶんな。国王としちゃあ、隣国に裏切られてミスズ殿を誘拐されでもしたら大損だ。泉一つ分の浄化はいいが、それ以上の仕事をさせずに連れ帰れって指示を出してくるだろうよ」

「…………」

 悔しげに握り締められたクライフさんの拳は、そのまま開かれることはなく。

 彼は苦しそうな表情のまま、わたしを振り向いた。

「あの、大丈夫ですよ、わたしは」

 ははは、と乾いた笑いを浮かべつつ、わたしはなんとか彼の怒りだか憤りだとかを収めてもらおうとした。

「王宮の使者ってのは、ちょっと荷が重いですけど。やることは今と変わらないんでしょう?でしたら、ちょっと寒い思いするだけですし」

「そういう問題ではありません」

 クライフさんは、苦々しい声で続けた。

「隣国に向かうということは、……ミスズ殿が帰国するのにさらに時間がかかるということなのです」

「……」

 わたしは愛想笑いを浮かべるのに失敗した。 

「……そうですよねえ……」


 思わず空を仰いでしまう。

 この世界に来て三か月。わたしが帰れる日はまだ遠い。



 ※ ※ ※



 異世界にトリップしてしまったらしい。

 そう、わたしが気づいたのはトリップから一週間ほど経った日のことだった。


 行くあてもなく泉のそばで途方に暮れていたところ、ガサゴソと草をかきわけて現れたのがクライフさんだった。

 全身鎧で武装していたのでハンパなく怯えてしまったが、その異常な出で立ちのせいで、自分が得体のしれない場所に迷いこんでいることには気づけた。

 泉はアクアシュタット王国という場所にあり、ヨーロッパのどこかだろうと思っていたのだけど、どうやら地球には存在しない国だった。

 しばらくの間、ただの迷子として扱われたわたしだったけど、おかしな体質を持っていることが判明したことで『聖女候補』と認定された。

 その後、聖堂という場所に連れていかれ、本物の聖女ではない、ということもハッキリした。ただ、体質のおかげで聖女の真似事はできることが分かったので、帰国するまでの間『聖女もどき』を務めることが決まったのだ。

 わたしの、聖堂での正式名は『泉の魔女』である。

 聖女じゃないよ!という聖堂の主張が聞こえてくる。聖なるどころか魔物になってるじゃないか。

 

 この体質というのが問題で。毒素を吸収することで水を浄化することができるのである。

 具体的には、汚れた水を手で汲むと、真水にすることができる。

 全身で泉に浸かると、泉ごと清らかなものへと変えることができる。

 もっとも、泉以上の水量はキャパオーバーで浄化できないし、水以外のものも浄化はできない。

 しかも、吸収した毒素は体内に溜まるので、一定以上になると活動停止してしまう。高熱を出して寝込んでしまうわけだ。

 体質に気づいたきっかけは、この熱だった。いくら看病してもらっても数日間熱が引かず、その時のことを知っているせいでクライフさんはこうしてわたしを心配してくれる。



 ※ ※ ※

 


 騎士隊の駐屯地に戻ってきたわたしの元へ、正式な書状が届いた。

 ミミズがのたくったような字でまったく読めないが、内容はエルヴィンさんから聞いた通りだろう。

 駐屯地の、クライフさんの執務室。受け取った書状を見て困った顔をするわたしに、クライフさんが代理を申し出てくれる。

「正装をして参上するようにとのことですね」

 わたしの代わりに書状を読み上げてくれたクライフさんがそう言って、少し難しい顔をする。

「聖女の正装って、アレですか。浴衣もどき」

 あの薄布一枚で王宮に来いって、ちょっと嫌すぎる。

「いえ、あれは水を浄化する時の服装ですから違います」

 クライフさんはそう言って、小隊に所属する一人、ヨハンくんを呼んだ。

 金髪巻き毛の美少年、ヨハンくんは、なんとわたしよりも年下である。この国の騎士というのは12~13歳くらいから見習いをして、早ければ16歳くらいで正式な叙勲式を行うらしい。騎士になりたてのヨハンくんは16歳。若々しくて瑞々しい美少年ぶりに、騎士隊の中でも人気ナンバーワンの逸材である。

「なんでしょう、隊長」

「仕立て屋に頼んで正装を誂えてもらうとして、何日かかる?」

「ミスズさんのですか?……そうですねえ」

 人気ナンバーワンなためか、ヨハンくんはクライフさんよりも顔が広い。おばさま、おねえさま受けが抜群に良いのだ。騎士隊では日常の食料や衣料、医療品などについて周囲の村々からの援助もあったりするんだけど、主に受け取る役はヨハンくんである。

 わたし個人も、騎士様というよりはお友達みたいな感覚なので、「くん」付けしてしまっている。

「ファニーさんなら、三日で仕上げてくれると思います。前から、ミスズさんに綺麗なドレスを着せてみたいって言ってましたから」

「良し、では彼女に依頼しておいてくれ。王宮からの呼び出しは一週間後だからそれまでに間に合うように」

「了解です!」

 ビシッと敬礼みたいな仕草をして、ヨハンくんはにっこり笑った。

「楽しみにしててくださいね、ミスズさん。デザインについては僕からもリクエスト出しておきますから!」

 どんなリクエストだろうと首をひねりはするものの、「急ぎの用件でゴメンね、よろしくお願いします」と頭を下げる。

「ええ、任せてください!ミスズさんには前から、ズボンよりスカートが似合うと思ってたんですよねー」

 なにやら不穏なことを聞いた気がして、わたしは注文をつけずにはいられなかった。

「あ、あまり動きづらいのは勘弁してね!?」

 

 クライフさんは続いて、エルヴィンさんを呼んだ。

「王宮への呼び出しの件だが、他に何か言ってなかったか?」

「なんかって?」

「……王宮で、聖女のお披露目をするとか、そういった類だ」

「あー……」

 エルヴィンさんはしばらく目をさ迷わせた後、へらっと笑ってみせた。

「もともと聖堂の聖女ってのは、御簾の奥に隠して顔見せしねえもんだから、あったとしても大げさなものはないと思うぜ?

 心配しても、ミスズ殿は庶民出身で王宮での礼儀作法とかできねえだろ。おまえがフォローしてやればいいって」

「そう簡単にはいかないだろう。俺は一介の騎士に過ぎない。入り口まで同行できたとしても、それ以上は……」

「いや、まあ、そこはアレだ、オレがうまく言っといたからさ」

「?何をだ」

「ゴルト騎士隊の隊長は、聖女のそばを片時も離れない。引き離そうもんなら剣の錆びになるぞってな」

「……ふざけるのもたいがいにしろ」

「いやあ、ふざけてねえんだけどー」

 へらへらと笑いつつ、エルヴィンさんは手を振った。

「オレの個人的意見だけど、ミスズ殿を国に関わらせたくないんだったら、礼儀作法なんざ身につけない方がいい。隙を作らないのはいいことだけどな、王宮でも渡りあえるとなれば、いよいよ政治に利用される。聖女って名前以上は表に出せない、そのくらいの方が聖堂の聖女らしくてちょうどいいだろ」

「……」

「どうしても恥をかかせたくないってんだったらおまえが教えてやりゃあいい」

 悩むクライフさん。

 わたしに礼儀作法がなってないのが原因なんだけど、こればっかりはどうしようもない。教えてもらおうにも、騎士隊の駐屯地にいて王宮での作法を知っている人なんて、つまり騎士隊メンバーに限られる。騎士様方が暇じゃないのは、わたしもよく知っている。

「あ、あの……。最低限、庶民が知っているべき作法、というのはどうでしょうか。ご迷惑じゃなければ、ですが……」

 わたしが提案するべきではなかったのかもしれないけど、おそるおそるそう申し出た。

 正直なことを言えば、そもそもこの世界の作法が分かっていないので、とんでもないことをやらかしてしまうかもしれなくて怖い。

 麦粥をご馳走になってる時に、「お米はないんですか?」なんて空気読めてない発言しでかすようなものじゃないか。 

 礼儀作法を知らない田舎者と侮られるくらいならいいが、それによってお世話になっている騎士隊にとばっちりがくるのは嫌だ。

 わたしの申し出に、クライフさんは少しホッとしたような顔をした。



 ※ ※ ※



 さて、そんな風に準備をすること数日。

 いよいよ王宮に上がる日がやってきた。

 

 正直に言えば、ちょっと綺麗なドレスまで用意されたものだから浮かれていたのかもしれない。

 仕立て屋ファニーさん(ちなみに旦那さんと子供が二人いるんだけど、まだ30代のおねえさんだ)が作ってくれたのは、ふんわりとしたロングスカートのドレスで、心配していたようなゴテゴテした装飾はほとんどなかった。

 聖堂の聖女というのは、水の浄化に象徴されるように清らかな存在なので、華美な衣装よりもシンプルなのがいいだろうっていうのがヨハンくんの意見だったらしい。なるほど。

 この世界に来てからというもの、着る服といえば騎士隊の方々のお古ばかりだったので、スカート自体が久々だった。制服はスカートだけど、高校を卒業した身で着るのはどうかと思ったのと、短いスカートはこの世界の風俗に合わないものだから着づらかったのだ。

 そんな、慣れないドレスを身に着けて、王宮行の馬車に乗りこんだところ。


 どうやらわたしは誘拐されたらしい。


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