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第八話 パチモノ聖女とフォアン帝国の聖女

 わたしはそのまま高熱を出して倒れたらしい。

 キャパシティオーバーでというわけではなかったので、丸一日寝込んだ後、回復した。

 考えてみれば、ラインホルトさんが同行していないのである。毒抜きできる人もいないのに、クライフさんに無理を言って強行して倒れるなんて、本当に迷惑な真似をしてしまった。

 その上、冷たい雨風の中でビキニ水着と浴衣もどき。濡れに濡れた状態で耐えていたら、風邪くらいは引くだろう。肺炎を起こして死んでもおかしくない。

 まあ、実は風邪自体は引かなかったのだけど。


 無事に《女神の泉》を浄化したわたしは、再び馬に乗ったクライフさんと一緒に、雷鳥に運ばれて村近くまで戻ったそうだ。雷鳥が村まで来なかったのは、人里であることに加え、うっかり村を焼き尽くしてしまうから、だそうで。……やらないでくれて本当に良かった。

 当初馬車で二日かかる距離と言われた場所へ、往復一日足らずで用事が済んだことになる。

 

 村への帰還を一番喜んだのは馬だった。ストレスで倒れそうだった馬もまた、そのまま体調不良でダウンした。買い取っているので、今後は道中の荷馬などに活躍してもらう予定なんだけど、期日までに回復しないようなら、このまま村に置いていくつもりだとクライフさんは考えていたようだ。


「今回は許可しましたが、次はさせませんので」

 あてがわれた部屋で寝ずの番をしていたらしいクライフさんは、疲れた顔でそう言った。

「はい」

 わたしもまた、神妙にうなずく。多大な迷惑をかけてしまったのだ、しばらくはおとなしくしていたいと思う。

「……クライフさんは、体調は……」

「自分は鍛えてますから」

 彼はそっけなくそう言ったけど、風邪を引いていなかったとしても睡眠不足は否めない。疲労の色が濃い。

「……どうして今回は許してくださったんです?」

 ベッドで身を起こしたわたしは、おそるおそる尋ねた。

 浄化が目的だったのだから、高熱で倒れるかもしれない。寄り道のせいで特使を待たせることになる。その上、そもそも雷鳥は危険な生き物だった。……クライフさんが止めに入る可能性の高い申し出だったのに。

「あなたが」

 そう言ってクライフさんは言葉を切った。

「……あなたが、雷鳥を助けると言ったからです。これまで何度も《女神の泉》を浄化してきましたが、あなたが明確に意思を示して『助ける』と言い出したのは、これがはじめてです」

 えっ、とわたしは言葉を呑みこんだ。

 そうだっただろうか。これでも人助けだと思って今までやってきたつもりなのだけど。

 ……ああ、だけど。これまではクライフさんの示すスケジュールに合わせてきた。自分から、予定を変えてまで強行したことはなかったかもしれない。 

「実を言えば、自分は雷鳥を助ける必要性など感じませんでした。雷鳥は、害獣でこそありませんが、人間にとって危害を与えるだけの存在です。

 今回向かった《女神の泉》は、毎年騎士隊の新入隊員たちが、新人研修として必ず行く場所なんです。巣跡であって、……すでに使われていないはずの場所だった。来年も使うでしょうから、むしろ母鳥も雛も、諸共に斬ってしまえば後腐れがない」

「……」

「……ですが、ミスズ殿は、彼女たちを助けたいと思ったのでしょう?」

「……はい」

 こくんとわたしはうなずいた。

 雷鳥の母鳥は、メッセージを送ってきたのだ。衰弱した雛を助けたくて、なりふり構わずに。おそらく助けてもらう相手だからと、餌にしか見えない馬にだって手を出さなかった。

 目の前にいる相手からのヘルプを無視するなんて、そんなことしたくなかった。

「あなたが晴れ晴れとした顔でいてくださるなら、その方がいい。……そう思いました」

 クライフさんはそう言って、わたしの片手をとった。

「……あ。あの?」

 彼はそのままわたしの手を両手で包み、祈るようなしぐさで唇に運んだ。

 ふんわりとした温かい感触は、その……もしかして、手に、キスをされちゃったのではないかと思わせる行動だった。

「ク、クライフさんっ!?」

 マ、マズイ。そういう状況じゃないのに、顔が熱くなってきた。

 クライフさんだってそんな意図はないに違いないのに。

「自分はラインホルトとは違い、熱に倒れたあなたを助けることができません。ですが……」

 唇を離したクライフさんだが、まだ手を離してはくれない。

 そのまま、熱を帯びた視線でわたしを射抜く。

「俺の手の及ばないところで、これ以上の無茶はさせません」

「……」

 どうしよう。

 なんだか、取り返しのつかないことが起きている気がする。

「あ、あの……」

 クライフさんの強い視線に呑まれ、わたしは頭の中が真っ白になる。

「無茶は……なるべく、しません。ご迷惑をかけることもしないよう心がけます。……だけど、絶対という約束は、できません」

 彼の視線から逃げるようにわたしは目線をベッドに落とした。

「ゴメンなさい。わたしは、……わたしにしかできないことがあるのが、嬉しいのだと思います。だから精一杯やりたい。

 本当はもっと効率よくできれば一番なんですけど、自分の中でベストだと思ったことを今後もおそらく……言い出すと思います。こんなことクライフさんにしか頼めないから、……どうか、本当にダメだと思ったら止めてくださいませんか」

「……ミスズ殿」

 おそるおそる上げた視線の先で、クライフさんは微笑んでいた。優しい目で彼は口を開く。

「俺にしかできないこと、なんですね?」

「え?あ、はい……」

 こくりとうなずいたわたしに、彼は苦笑いを浮かべた後、再び強い視線になる。

「ミスズ殿。俺は――……」

 そう、彼が何事か言いかけた瞬間だった。


 バターン!!


 大きな音を立てて部屋に駆け込んできたのは、侍女服を着たヨハンくんである。

 ぜえはあと荒い息をつきながら、彼はわたしのベッドサイドに駆け寄ってこう続けた。

「ミスズさんっ!熱を出すなんて、どんな無茶をしたんですか!?これから先は無理させないですからね!なにしろ僕は侍女なんですから、じーじょー!侍女って意味分かります?隣に侍って世話を焼く役です。今後はあなたを一人で行かせたりしませんよ!」

 一応、病み上がりなのであまり大きな声を上げられるとちょっと辛いですよ、ヨハンくん。

「あ、あの、ヨハンくんも……。大丈夫、だった?」

 おそるおそる尋ねたわたしに、彼はみるみるうちに顔を赤くした。照れたわけではなく、怒ったのである。

「どういう意味ですか、それは!?まさか恐ろしいこと想像してないでしょうね!?無事ですよ、ええ、無事に決まってます。一時間に一度はデートに誘われ、あっちこっち食事に連れ回されたりはしましたが、貞操は守りましたからね!というか、僕が男だっていい加減気づいて欲しいんですが、あの特使!!」

「あ、ははは……」

 そりゃ、こんな美少女に化けてしまっているヨハンくんを、実は美少年なんですよと言ったところで信じないだろう。

「騎士仲間も面白がって助けてくれないし!ったく、あいつらも経験してみればいいんだ!」

 頼まれたってやらないだろうとわたしは思った。

「って、あれ?隊長?何してるんですか、ミスズさんの手なんか握って」

「……」

 何事か言いかけた言葉を呑みこんだクライフさんが、ユラッと怒りのオーラを立ち昇らせる。

「……あ、あれ?ちょっと、隊長?」

 ヨハンくんにも伝わったらしい。顔を引きつらせ、逃げ腰になったヨハンくんへ、クライフさんは静かに――それでいて、低い声で告げた。

「明日には馬車を出せる。ミスズ殿と同乗を頼もうと思っていたが……。止めるか?おまえが外で馬に乗ると聞けば、おそらく特使は馬車に誘ってくるだろうけどな」

「絶対、嫌です!」

 青ざめたヨハンくんは、必死に首を横に振った。



 ※ ※ ※



 結局、村には丸二日逗留したことになる。

 雨に合わせて速度を上げたことで、最終的なスケジュールにはまったく影響が出なかった。

 滞在している間に馬車の幌も直されていた。特使と聖女の一行なのに幌がボロボロではちょっとカッコが悪すぎる、ということらしい。費用の方が気になるけど、おそらくクライフさんは教えてくれないだろう。

 リャンさんはその後も休憩のたびにわたしやヨハンくんへ軽口をかけにきたが、あくまで女性と見れば声をかけるというレベルであって、本気で口説いているわけではないようだ。 

 一緒に雷鳥のところまで頑張ってくれた馬は、乗り手がいないので荷馬として歩いている。隣国で必要があったらヨハンくんが乗馬する馬として採用される予定だ。

 村で一番丈夫な馬とはいえ、騎士が乗る馬としてはスマートではない外見なので、ヨハンくんはあまり嬉しそうではなかった。

 ものすごく愛着ができてしまったので、わたしが名前をつけることになった。ライちゃんにしようか、サンダーくんにしようかで悩んだ末、ライちゃんにすることにした。ちなみに雄なんだそうだ。見かけからは違いがよく分からない。

 雷鳥の機嫌が直ったおかげか、その後の道中は天候に恵まれた。



 どこまでも続く荒野の果て、景色は様変わりした。


 似ている。日本に似ている。

 植生も、建物も。喉の奥がヒリヒリするほど懐かしい思いにかられ、わたしは馬車から身を乗り出して息を呑んだ。

 東洋系とはいえ、リャンさんは衣服も馬車の装飾もどちらかというと中国風。

 だから、こんなに似ているとは思わなかったのだ。


 日本といっても、都心部のそれとは違う。もっと田舎の方にある山林の光景だった。

 家屋は茅葺でできており、のどかな道で牛が荷車をひいている。水田が広がり、野良仕事をしている老人が汗を拭っている。

「このあたりは国境に近いですから、村が点在しているだけです。都心部とは異なり、昔ながらの木の家が多いですね」

 何度目かの休憩の折、リャンさんは言った。

「都心部はもう少し栄えていますから、ご安心ください。延焼防止のため、石造りの建物も多いですし」

「あ、そうなんですね」

「我が国が誇る聖女研究所があるのも王宮部分ですので……。滞在中に一度はご案内しましょう。帝国中で書かれた書物がすべて収められている図書館や、美術品が収められた宝物殿などもあります。どちらも許可を得た者しか入れませんけどね」

「それは残念……」

「どうしてもとおっしゃるなら、便宜を図りますよ?」

 パチンとウィンクしながらリャンさんが言う。図書館や宝物殿に興味はあるが、どうしてもってほどじゃない。それに、……この世界の文字はまだほとんど読めないのだ。簡単な単語くらいは読みたいと、初心者向けの読み書きテキストを買ったりはしているのだけど、こんなに揺れる馬車の中で文字を読もうとしたら、ものすごく酔ってしまう。

「それよりも……食事が楽しみです。以前、リャンさんがおっしゃってらしたでしょう」

 晩餐会の折の会話を思い出して言うと、彼は嬉しそうに顔をほころばせた。

「覚えておいででしたか。ええ、無事に用事が終わるまで、日替わりでいろいろな食事を召し上がっていただきますよ。我が国は地方ごとに特色ある料理がありますので、食べ比べてどれが一番お好みか、ぜひ教えてください。

 聖女殿のお気に召すものがあれば、いつでもご用意させていただきます」

 にこりと彼は微笑んだ。

「聖女料理と呼ばれる、過去に現れた聖女たちが残したレシピなども研究されています。『本物』の聖女であればあるほど、他国ではなくこの国を選ぶのにはそれなりの理由があるんですよ」

 彼は意味深にそう言うと、スッと視線を田畑へと向けた。

 ――そうだ。水田があった。つまり、この国には、米があるのだ!! 


 都心部に着くのが待ち遠しい。

 道中の食事は相変わらず乾燥野菜の麦粥で、これはこれで美味しいのだけど、久しぶりにお米が食べられるかもしれないと思うとワクワクしてしまう。

 そわそわしているのが分かるのか、クライフさんは終始不機嫌である。

 まあ、確かに、お世話になっているアクアシュタット王国よりもフォアン帝国の食事が楽しみだなんてなったらそうだろう。口には出さないようにしているのだが、……気づかれちゃってるだろうか。



 やがてたどり着いた都心部は、ヨーロッパ風のアクアシュタット王国の王都とは違い、また現代日本のコンクリートジャングルとも違う場所だった。

 遠目から見た印象は、――お寺?だった。

 奈良や京都にあるような、お寺がいくつも連なっている街である。実際は長屋みたいになっているようで、お寺に似ているのは屋根だけのようだ。建物のほとんどは二階建て。土台は石で、それ以外は木で作られている。

 アクアシュタット王国で言うところの王宮は、街の北側に作られた広い広い建物。だだっ広いのは庭であり、建物自体はその三分の一以下だそうだけど、それでも広い。なんでも街全体の半分が王宮になるんだそうだ。ここにはフォアン帝国の皇帝陛下と、その家族、並びにその世話係が暮らしている。

 政治の中心地や大学も兼ねているので、国のお役所や聖女研究所、図書館、宝物殿などもすべてここに入っている。巨大な学術都市という感じだろうか。

「……うわぁあ……」 

 感嘆の声が上がってしまう。道行く人々が身に着けているのが、着物なのだ。もちろん、日本のそれとは違っていて、リャンさんが着ていたような中国風の着物。ヨーロッパ風の風土に目が慣れた今のわたしには、目新しくてついキョロキョロしてしまう。

「スゴイですね。隣の国なのにこんなに光景が違うなんて」

 同じく馬車の小窓から外を覗いていたヨハンくんが、目を丸くしている。

 馬車はそのまま王宮近くまで進み、一軒の大きな屋敷の中へと入っていった。

「聖女殿とお連れの方々にはここで滞在していただきます」

「ここは?」

「大使のための館ですよ」

 特使リャンさんの家ということらしい。


 こんな待遇の良さが続けば、一つくらいは落とし穴があるのは分かっていた。

 わたしがリャンさんに呼ばれ、ドレスに着替えて聖堂に向かったのは、深夜だった。

 時計がないので詳細は分からないが、身体の感覚で言えば丑三つ時。

 夜中の二時、三時ごろに部屋のドアがノックされた。

 何着も用意された中からわたしが選んだのは、オフホワイトのドレス――ロングワンピースである。理由は単純で、人の手を借りなくても着ることができるからだ。

 ヨハンくんは本物の侍女ではないので、衣装を着る時に手助けしてもらうわけにはいかない。いや、喜んで手助けしてくれるかもしれないけどこちらが躊躇われる。

「誠に恐れ入りますが、お連れの方も立ち入り禁止なのですよ」

 出かける前にクライフさんに一言かけようとしたわたしにそう言って、リャンさんはわたしを大使の館から外へと連れ出した。


 外灯がところどころにあるだけの、真っ暗な道。

 どこから襲われてもおかしくないような場所を、リャンさんと二人きりで歩く。


 ……正直に言えば、ちょっと怖い。

 立ち入り禁止だというなら、せめて入り口までクライフさんと一緒に来たかった。

「クレーメンスさんたちのお部屋には鍵をかけさせていただいておりますので」

 にこやかに言うリャンさんの言葉にも、不安しかない。

 むしろ助けは来ないと言われたようなものではないか。


 幸いにして何事もなく、わたしたちは王宮内のとある建物にたどり着いた。


 アクアシュタット王国で言えば、聖堂にあたる場所のようで、壁も屋根も白く塗られている。入り口には白い花が咲き、出入口は固く閉ざされていた。

 リャンさんが門衛さんとやり取りをすること数分。長い長い通路の果てにたどり着いたのは、大きな扉のある部屋だった。

 扉の前には女の人が立っていて、彼女の服装もまた着物だった。リャンさんと色違いだけど女性用と分かる服装に、上から聖女の浴衣もどきを羽織っている。

 年齢は三十代くらいだろう。派手さはなく落ち着いた様子で、気品のある女性だった。顔立ちの印象としては、やや目が細いこと。細目というか、キツネ目というか。細面の美人という言い方もできる。

「ようこそ、『聖女候補』様」

 彼女はそう言ってさらに目を細めた。 

「こちらが、フォアン帝国における筆頭聖女でいらっしゃいます」

 リャンさんの説明に、首をひねる。

「筆頭ということは、他にもいらっしゃるんですね?」

「ええ。フォアン帝国では、聖女の血を引く女性は登録を行い、それぞれに能力に応じた聖女手当が出ます。ランクSが最高で、その下にA、B、C、D、Eと分けられています。本人にその能力がなくても、血を引いている女性であれば、その子に能力が発現することがありますしね」

 リャンさんの言葉に感心して、わたしは筆頭聖女様に向かって頭を下げた。

「アクアシュタット王国でお世話になっているミスズです。はじめまして」

「こちらこそ、お会いできて光栄ですわ」

 それから筆頭聖女様はリャンさんへと視線を向けた。  

「では、特使様。お下がりくださいませ」

「え?」

 なんと、リャンさんもここまでらしい。固く閉じられた扉の向こうへ誘導されたのはわたしだけだ。

「……」

「どうなさいました」

「い、いえ……」

 ごくりと息を呑みながら、わたしは彼女の後ろに続いた。


 大きな扉の向こうには、噴水があった。

 アクアシュタットの聖堂において中央部分にあたる中庭と、よく似た作りである。同じ女神を信仰しているのだから当然なのかもしれないと思ったけれど、大きな違いが一つある。

 噴水が凍り・・ついていたのだ。

 噴き出している水が、あたかも瞬間凍結したかのように美しく凍りつき、その中央には紫色の髪をした女性が一人、眠りについていた。

 目を閉じているのでその傲慢そうな顔立ちも、ただただ美しい芸術品に見える。

 この顔を、わたしは知っている。

「す、水魔……!?」

「そうですわ。これは、かつてフォアン帝国を困らせていた水魔。ご存じかは分かりませんが、各国に現れる水魔はそれぞれただ一人なのです。そのため、この水魔を封じたことでフォアン帝国では水魔被害はゼロになりました」

 誇らしげに彼女は告げた。

「歴代の聖女たちの努力により、こうして動きを封じ続けていますが、『本物』の聖女でなければ完全な浄化はできません。そのため、この場所は不届き者が近寄らぬよう、筆頭聖女以外は立ち入りできないようになっているのですわ」

 彼女はますます目を細くしながら、わたしに言う。

「アクアシュタットの聖女様。あなたにもぜひお試しいただきたい。これが浄化できる――それが、フォアン帝国が認めるランクS、本物の聖女です」

「……」

 彼女の言葉に驚いて、わたしはただただ氷漬けの女性を見つめる。

「どう、やればいいんですか?わたしにはさっぱり……」

 わたしの返答に、彼女は端から承知の上だったとばかりに笑みを深くした。

「そうですよね。分かるはずがない。あなたもまた、『本物』ではないのでしょうから」

「……」

 大きく目を見開き、彼女は笑みを浮かべた。

「ご心配はいりません。あなたのランクを確認するために、リャン様はあなたをここへ連れてきただけの話。片手で触れてご覧なさい。その時点で、あなたはご自分のランクを知る」

 言われるままに、わたしは氷に触れた。


 紫色の髪をした女性が、わずかに身じろぎしたような気がした。

 今まで遭ったことのある水魔はすべて同じだということは、それは目の前の水魔は別人だということでもある。目の前の女性がどのような悪さをしてきたのか、わたしは知らない。

 ヒンヤリとした氷は、つるつると磨かれたようにも思えた。常に水で洗い流しているかのようにも思える。

 触ったとたん浄化能力が発揮されるかと身構えていたのだが、氷ごしなせいなのか、まったくピリピリした感じはなかった。

 ただ、ランクがどうこうというのは、やはり分からない。

 代わりに、その様子を見ていた筆頭聖女様が教えてくれた。

「ランクD……といったところですわね。最低ランクではありませんし、この程度ならば我が国で生涯養ってもらえるだけの手当が望めますよ。良かったですわね」

 彼女の言葉は、思ったよりもグサリときた。


 ランクSは別格としても、AからEまであるのに、D。下から数えた方が早いというのは、能力としてはかなり低いのだろう。『泉の魔女』であって聖女ではないから、当たり前かもしれないけど。どうせならもっと高いレベルで、クライフさんたちのお役に立てる能力なら良かった。


 氷漬けの水魔から手を離したわたしは、筆頭聖女様の世間話で我に返った。

「もうリャン様とご婚約はされていて?」

「は!?」

 すっとんきょうな声を上げたわたしに、筆頭聖女様は目を細める。首をひねっているところを見ると、これは彼女の怪訝そうな顔だろう。

「リャン様がお連れになられたということは、そういうことでしょう。

 ランクDですものね、あなたに望まれているのは、個々の能力よりもその子を残す力ですわ。まだお若いご様子ですし、六、七人は産めるでしょう?女の子が何人できるかは分かりませんが、多い方が手当が増えてよろしいかと」

 パクパクと口を開けていたわたしに、彼女は首をひねる。

「私も、女の子を10人産みましたけど。その功績を認められて筆頭聖女として働き口も得ておりますもの」

「10人!?」

 目の前の女性は、東洋系だというのを差し引いても30代にしか見えない。それが10人の子持ちという衝撃に、わたしの声は裏返った。いや、女の子だけで10人ということは、男を入れるともっと多いかもしれないのだ。

「そ、そそ、それは……。スゴイです……」

 ものすごく身体が丈夫なのか、旦那さんが頑張り屋なのかは分からないけど、わたしには無理だ。というか、想像できない。そもそも恋人もいないのに、将来も未定なのに、子供のことなんて考えたことがない。

 彼女は自慢そうに口端を上げた。

「ええ。働かずともやっていけるくらいの収入にはなっておりますけど、それでは身体が鈍ってしまいますから。フォアン帝国の聖堂は、聖女登録されている者でなければ働けないのですわ。

 あなたも、子育てばかりが辛いのであれば、兼業という道をオススメしますわ。良い気分転換になりますし、その方が若々しく生きられますもの。フォアン帝国はベビーシッター業も盛んですしね。

 それにしてもリャン様のような容姿も立場もおありな方を夫に望めるのは運が良いことですよ。フォアン帝国では手当目当てに成人前から求婚者が絶えませんけど。そうすると、あまり出世を見込めない相手と縁ができてしまうことが多いのですもの。なんと言いますか……若いと見る目がないのですわよねえ。私も、旦那はロクデナシですのよ」

「……」

 実にパワフルな筆頭聖女様の経歴に、わたしは驚きを隠せない。そのせいで、リャンさんは別に婚約者でもなんでもないと否定することを忘れていた。

「けれど、ご注意なさいませ?

 子ができる前に進路を決めておきませんと、子を産んだら能力は消えてしまいますから」

「……」

 どうやら筆頭聖女様は、親切心から教えてくれているらしい。

 どう答えたものか真剣に迷った後、わたしはまず一番大事なことを告げた。

「あ、あの、筆頭聖女様。

 わたしは……リャンさんとは別に、なんでもないんです。単に、こちらの国の泉を一つ浄化して欲しいという依頼を受けて……」

 筆頭聖女様の誤解を解こうとしたわたしは、そこで自分の言葉のおかしさに気づいた。


 この国では、水魔を氷漬けにしてから水魔被害はない、と筆頭聖女様は言ったのだ。

 だが、わたしが受けた依頼は、フォアン帝国の泉を一つ浄化すること。浄化しようにも、そもそも水魔による汚染はされていないのではないだろうか。


「……あれ……?」

 おかしい。

 黙りこんでしまったわたしに、筆頭聖女様は不思議そうにしていたが、やがてわたしの言葉を思い出したらしく、こう続けた。

「まあ、まあ。それはお気の毒」

 着物の袂で口を覆いながら、彼女は言った。

「あなた、リャン様に騙されたのかもしれませんわ。私が言いました通り、聖女の能力は『子を産むと消えてしまう』のです。アクアシュタット王国は能力がない聖女を優遇する制度にはなっていないのでしょう?

 ということは、子ができたらアクアシュタットには帰れませんものね。フォアン帝国の聖女として生きるしか道はない……」

「え……」

「あなた、ここに滞在している間に、どなたかのお子を授かってしまわれるのかも」

「えええええええええええええええ!?」

 目を剥いたわたしに、彼女は少しばかり同情してくれたらしかった。

「恋人は、おあり?」

「い、いいえ……」

「仮にも『聖女候補』ですもの、きっと皆さん、暴力に訴えなどせず甘く優しく口説いてくださいますわ。まあ、聖女としてこの地に留めるのが目的の口説き方ですけど、それはフォアン帝国ではよくあることですもの。どうかお気を落とされず。

 そういう時は、前向きに、相手の方を好きになってしまえばよいのですわ。そうすれば、別に向こうが利用しようとしていたとしても気になりませんもの」

「……」

 青ざめたわたしに、彼女は続けた。

「それでもどうしても嫌だと思うのであれば、……一つ、知恵を授けてさしあげますわ。これは聖女同士というよりも、女同士のちょっとした手助けです」

 キツネ目みたいなんて思って本当にゴメンなさい。

 フォアン帝国の筆頭聖女様は、まさしく聖女様である。



 かくして筆頭聖女様の言葉は、予言だったのかもしれない。

 翌日、『聖女候補』として王宮に招かれたわたしの前には、実に10人もの様々な美男が並べられ、口々に口説きはじめるという悪夢が待ち構えていたのである。


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