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閑話 刺客が語る聖女

 夕闇が近くなるころ、私は気配を殺しながらその一行を見つめていた。

 聖女を狙う刺客という、この上なく罰当たりな存在。――それが我ら”闇梟”である。



 森と川の美しい国アクアシュタット王国と、隣国フォアン帝国とを結ぶのは、どこまでも続く平原だ。雨が少なく、荒野と呼ばれることもある広大な平原は、我らにとっては都合が悪い。身を隠すことができない上、雷鳥と呼ばれる怪鳥が出没することで知られているからだ。

 そのため、アクアシュタット王国内を進む街道が唯一のチャンスだった。


 アクアシュタット王国に一年ぶりに現れた聖女は、特別に誂えた馬車に乗っている。

 馬車には侍女らしい人物が同乗していた。俗世と隔離されて過ごすとされる聖女としては、侍女の同乗は珍しかったが、前例のない話ではない。出自が貴族などの場合、十数名の侍女を連れての行軍だって過去にはある。

 街道を進む馬車は二台。そのうち一台はフォアン帝国の特使が乗りこむのが確認されている。もっとも、フォアン帝国の装飾はアクアシュタットとは雰囲気が異なるため、よほど暗闇でもなければ間違うことはないだろう。

 護衛は合計十名である。馬に乗った護衛が五名で先行し、馬車二台が続き、その後ろにさらに五名という構成だ。聖女と帝国特使の護衛としては、かなり少なかった。おそらく、馬車による移動を目立たなくするためだったのだろう。

 我らのような存在が気づかぬように。――無駄な努力だが。

 

 一行が森に差し掛かったところで、我らは二手に分かれた。森の中を進む街道は、左右から攻める方が効率がいい。

 私と同じ左側に渡った同僚が、覆面に隠した目元で合図を送ってくる。

<ゆくか?>

<いいや、まだだ>

 私もまた、視線だけで返答をする。読唇術よりもさらに高等なこの手段を使えるようになると、日常でも声を出すのが億劫になる。もはや一か月ほど、私は自分の声を聞いていない。


 馬車は、最初の分岐点に差し掛かった。

 森の中を進む街道ゆえか、目印として立札がしてあった。東へ向かうとフォアン帝国。北と西とは、アクアシュタット国内の別の街へと通じる。

 騎乗している護衛の一人が立札を確認し、そのまま一行は東へと進路を変えた。

 ゴトゴト、ゴトゴトと馬車が揺れる音が響く。

<狙わないのか?>

 同僚からの視線に対して、私はただ首を振った。

<分岐点はダメだ。逃亡先が多い>


 ”闇梟”は一度のチャンスに一撃しか狙わない。それは、我ら自身の生存率を上げるための知恵だった。狙いを外した場合はとにかく逃げる。決して相手に捕まってはならない。

 我らに殺害を依頼する連中は数多い。失敗したところで仕事にあぶれる心配はない。

 だが、囚われることがあれば依頼者の名が漏れるかもしれず、また、少数精鋭である我らにとって仲間が減ることは致命的だった。

 

 やがて馬車は、障害に気づいて動きを止めた。

 街道途中の森が、落雷でも受けたかのように倒れて道を塞いでいたのだ。

 一本ならばともかく、合計で三本。いずれも大の大人が両手を広げて抱えきれぬほどの太さの木々だ。

 そういえば昨夜、雨が降り、落雷があったという報告が――と騎士たちがざわめく。

「予定よりも早いですが、一度戻りましょう」

 護衛騎士の一人がそう言って、特使に声をかける。

「先ほど、街道を進む人間用の野営地がありました。本来はこの先の宿に泊まる予定でしたので申し訳ありませんが、この木をすべて片づけるには一晩かかります」

 護衛騎士の言葉に、特使は了解を返したらしい。

 しばらくの間もたもたと方向転換した後、彼らは来た道を引き返していく。


 街道を進む人間用の野営地というものが、幾つもある。

 普通の人間は馬車や馬などといった手段を使えないため、成人が徒歩で進める距離を見込んだ位置に、野営用のスペースがあるのだ。もともとは街道を旅する行商人や旅芸人たちが作った場所だったに違いないが、往来が多い場所であれば店ができることもあるほど、人々に馴染んだ場所である。


 騎乗していた護衛騎士たちが各々馬を停めた後、馬車から特使が姿を見せた。

 フォアン帝国の特使は、かの国の特徴を集めたような容姿をしている。黒髪黒目なだけではなく、服装もフォアン帝国の民族衣装だ。動きづらそうだと思うが、暗器を隠す場所には事欠かない作りだなと思う。

 護衛騎士たちのうち、半数がその場を離れた。おそらく、道を塞いでいる木を片づけに向かったのだろう。今夜はここで寝るとしても、夜の間に作業することはできないだろうから。

 残りの護衛騎士のうち、二人が野営地の焚き火を準備する。

 残り三名は周囲の警戒を続けるらしかった。


<これを狙っていたのか>

 同僚が驚いたような視線を送ってきた。

<外に出てきてくれればなお良かったが、そこまでは望めそうにないな>

 私もまた、無言のまま視線を返す。

 十名いた護衛が、三名まで減った。

 あとは護衛が特使に意識を使っている隙を狙えばいい。問題は馬車だ。幌が邪魔になるため、周囲の木々に紛れて投げナイフを放つという手段は使えない。我ら自身が馬車に潜りこむ必要があるだろう。


 私は街道の反対側を進んでいるはずの仲間へと意識を移した。

 狙い通り、三名の気配が森の中に溶けこんでいる。我ら自身でさえ、意識しなければ存在に気づかないくらいである。

<待て>

 忍ばせたナイフに手をかけた私へ、森に紛れている方の仲間から視線が飛んできた。

<まだ、早い>

 馬鹿な。

 放っておけば焚き火の準備が終わってしまう。木を片づけに行った連中とて、いつまでも作業を続けるわけではないはずだ。

 まだ夕暮れ時なのはネックだが、夜を待てるほど悠長にしている時間はない。

 不満を視線に込めて向けると、さらに返事がある。

<奴らは食事をするはずだ>

 飛んできた視線に、私はなるほどと納得した。

 同僚と視線を合わせ、お互いにうなずき合うと、再び闇の中に気配を隠す。

 聖女と言えど、人間だ。食事のためには馬車から出てくるはずである。仮に、護衛騎士がそれを止めたとしても、食事を馬車に運び入れるため幌に隙間ができるだろう。

 チャンスは、――くる。


 

 聖女の乗っている場所へ、護衛騎士の一人が近づいた。

 黒髪をした長身の美丈夫である。目元を隠すためか、色ガラスのはまったメガネをしているのが気にかかる。

 真っ黒いレンズで、あの男は外が見えているのだろうか。

 ハタから見張るこちらにとっても都合の悪いレンズだった。目が見えないため、男の視線が追えないのだ。

「不自由はございませんか」

 男はそう言って、馬車の中へと声をかける。気遣う声はなかなかの美声だった。

「だ、大丈夫です。ただ、ちょっと、震動でお尻が……。いたたたたた……」

「もう少しクッションを多めにしておくべきでした。申し訳ありません。次の宿営地につきましたら、調達いたします」

「あ、ああああ、いや、その、謝らないでください!せっかくお気遣いいただいたのにすみません!」

 大慌てで叫ぶ――これが聖女の声だろう。若い。

「ただ、その、できれば外で体操とかしたいんですが、……ダメですか?」

「許可できません」

 黒髪の護衛騎士の言葉に、馬車の中の人物はしょんぼりと肩を落としたに違いなかった。

「しかし、クレーメンス様。ミス……いえ、聖女様はお疲れのご様子です。せめて食事の間だけでも外に出してさしあげてはいかがですか?」

 馬車の中から別の声が聞こえた。中性的な響きだが、おそらくは侍女の声だろう。

 クレーメンスというのが、黒髪の護衛騎士の名か。

「なりません」

 クレーメンスは堅い男であるらしく、侍女の言葉にも首を縦には振らなかった。


 私は聖女が嫌いだ。

 アクアシュタット王国の聖女は、”守られる女”だ。

 その貴重価値ゆえに、国王から守護を与えられている。それが護衛騎士であり、侍女だ。他国の聖女たちであれば、儀式の時以外はただの平民であることもあるというのに、アクアシュタット王国では、聖女はチヤホヤされる存在なのだ。

 特別扱いは、女を狂わせる。

 聖女であるという以外に価値がないのに、まるで自分自身に特別な価値があるかのように勘違いしていくのだ。

 そういう女は虫唾が走る。


 クレーメンスの意見が採用され、聖女は食事の間でさえも外に出てこなかった。侍女と共に馬車内に籠り、二人で食事を終えたのだ。

 見張る我らの内にも焦りが湧く。

 今夜のうちに倒木は片づけられるだろうし、そうすれば一行は再び馬の速度で移動をはじめるはずだ。

 だが、待った甲斐はあった。

「クラ、い、いえ、その、クレーメンスさん」

 馬車の中から聖女の切羽詰った声がした。

「あのう……」

 ごにょごにょごにょ、と聞き取れないほど小さな会話が続き、しばらくして馬車から侍女が降りてきたのだ。ロングスカートが歩きづらいのか、わずかにもたついたのが見えた。

 侍女服に身を包んだ、黒髪の少女。フードを目深にかぶった彼女は、クレーメンスと共に馬車を離れる。

「……クレーメンス様」

 侍女服を着た少女が、チラリと森の木々へと視線を向けた。

 一瞬ドキリとする。少女が視線を向けたのは、同僚の隠れている木だったのだ。

 美しい顔立ちをした少女だった。黒髪は肩ほどで切り揃えられており、髪をまとめることの多い侍女としては珍しい。だが、少し釣り目がちな彼女にはこの上なくよく似合う。

「どうしました?」

「いえ、気のせいかもしれないのですが。視線を感じるのです。聖女様を狙う刺客では?」

「……」

 クレーメンスは少し考え込んだようなそぶりを見せた後、うなずいた。

「調べてみましょう。見張り役の騎士たちに連絡します」

 そう言って一礼したクレーメンスは、焚き火を作った後、火の番をしていた二人の方へと歩を進めた。


<どうする>

 同僚から焦りのような視線が向けられた。

<今なら馬車に聖女は一人。狙うなら今しかない>

 同僚が逸るような視線で訴える。

 確かにそうだ。厄介そうな護衛騎士クレーメンスと、侍女が共に馬車を離れた。聖女は馬車の中に一人きりだ。絶好の機会だ。

<騙されるな>

 だが、私は視線を返して、侍女服の方を目で追った。

 狙われている聖女を残し、侍女が馬車を離れたというのが怪しい。それに、ただの侍女が我らの気配に気づくだろうか?”闇梟”は無音で近づき、命を獲る生き物だ。その気配は、獲物に気づかれることはない。

 あの侍女は、何者だ?

<待てない。……向こうも同じようだ>

 同僚はそう伝えてくると、投げナイフを握りしめた。

<待てと言っている!>

 私の視線に、同僚は応えなかった。

 

 ザワ、と森の中に気配が盛り上がる。

 小動物たちが我らの気配を察して逃げ出し始めたのだ。街道の向こう側、右側の森に潜んでいた者たちが動き始めた。

 狙いはただ一つ、馬車だ。

 

 ビシュシュシュシュシュ!


 四方から放たれたナイフが幌を裂く。

 その直後に飛び出した影が馬車へと殺到した。

 幌ごしに投げられた投げナイフでは殺傷能力はないに等しい。直接斬りつけなければ獲れない。

 

 ガキンガキン!!


 互いのナイフがぶつかり合い、我らは――”闇梟”は一瞬硬直した。

 馬車の中には誰もいなかった。


 ”闇梟”がお互いの視線をぶつけあう、その一瞬が致命的だった。 

「いーいところに来たよ。切り刻まれて、僕のストレス解消の露になれっっ!」

 黒髪の侍女が動いた。スカートの下に隠していた刃物を抜き放つと、動きを止めた”闇梟”を片っ端から斬りつけたのだ。

 頭に載せていた黒髪がふぁさりと落ちる。――金色が輝いた。

 カツラをかぶっていたらしい。なぜ、と問う余裕はなかった。私の隠れていた場所が、サーベルによって散らされたからだ。

「おまえが頭か」

「っ!!」

 間近に迫る、クレーメンスの顔。

 大きく後ろに飛びのきながら、私は自分の失敗を知った。

 私は馬車を狙わなかった。”闇梟”の中でただ一人、気配を殺したままだったのだ。


 どうしてここが分かった!?

 

 サーベルの切っ先が覆面を裂く。もう少し飛び退くのが遅ければ顔ごと切り裂かれていた。

 容赦ない斬りつけをする男だ。

 慎重な性質なのが幸いした。高い木を選んでいなければ、この男のジャンプが届いていたはずだ。

「神妙に捕まれ。――その方が、苦しまずに済む」

 低い脅しが聞こえた。


 クレーメンスの言葉に惑わされず、私は迷わず逃亡を選んだ。

 馬車を狙った者たちも散り散りに逃げ出したはずだ。”闇梟”の鉄則は、お互いを助けないことにある。まず、自分が逃げることだ。


 同僚に再び会うことができるかどうか、私には分からなかった。

 だが、もしまみえることがあれば文句を言ってやろうと心に決める。

<急いてチャンスを待てなかったおまえのせいだ>

 それとも、他の皆が攻めた時に傍観を決めこんだ私を、逆に責めるだろうか。それもまた良しだ。

<生きろよ、同僚>

 いずれにせよ聖女たちは生き延びられない。倒木による足止めを仕掛けたのは、我ら”闇梟”ではないからだ。

 荒野に現れる雷鳥は、特使だろうと聖女だろうとお構いなしである。


 報酬は手に入らないが、聖女は死ぬ。

 その姿を見届けられないことに、私は残念だという思いを隠せなかった。

 

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