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閑話 騎士隊長が語る聖女(後)

 ミスズ・ニーガキ殿とはじめて出会ったのは、森の中だった。


 ゴルト騎士隊はその時、近隣の村で聞いた不吉な噂の真相を調査中だった。

 担当地区内の《女神の泉》が、毒水に汚染されているという噂だ。水魔らしき人物を見た、と。

 事実であれば大問題である。


 水魔というのは、この国――いや、この世界のはじまりと深く関係する魔物だった。

 意味合いとしては水の魔物、とだけだが、その姿は紫の髪をした美しい女性である。


 世界は、女神の祝福によって成り立っている。

 毒水によって汚染され、生き物が住まうことのできなかった世界に、一人の女神が降り立った。

 女神は毒水を浄化し、清らかな水の湧く泉をもたらした。

 それにより、あらゆる生き物は生を謳歌することができるようになったのだ。

 だが、女神の行動は、それ以前の世界を統括する神によって疎ましいものだったのだろう。水魔が現れるようになった。水魔は、《女神の泉》を汚すことを狙った。

 再び毒水に汚染されるようになった世界を救うため、女神は聖女を遣わすようになった。頻度は数百年に一度程度だが、聖女は子を残し、能力はその血に受け継がれたのである。



 騎士隊が駆けつけた時、村の井戸水は毒に侵されていた。村人の多くはそれによって倒れ、そればかりか村で飲み食いした騎士たちも倒れる事態になってしまった。


 当時騎士隊所属であったラインホルトにより解毒が行われている間、俺は一人で《女神の泉》に向かった。毒が、水魔によるものか人間によるものかによって事態は大きく異なっていたからだ。

 《女神の泉》が無事であれば、それは水魔の仕業ではなく水魔の名を借りた人間の仕業だということになる。

 

 そこで、俺はミスズ殿に出会った。


 知らぬ間に俺自身も毒を受けており、泉にたどり着いた俺は疲労していた。前後不覚になり、倒れた俺は、ミスズ殿が呑ませてくれた水によって回復した。

 ラインホルトによれば、水魔の毒とは異なるため、清らかな水を入れたことで体内の毒素が薄くなったのだろうということだ。だが、そのような事情が分からぬ間、ミスズ殿が聖女だからではないかという期待を消すことはできなかった。

 その後聖堂に向かい、彼女が『聖女候補』ではあっても『本物』ではないと判明したが、それでも俺は思わずにはいられない。彼女は『本物』で、泉を浄化し終えた時には元の国へと帰るのだろう。決して、それ以上望んではいけない相手なのだ、と。

 なによりも、彼女を『聖女候補』にしてしまった自分には、彼女を守る義務がある。


 《女神の泉》は無事だった。

 だが、それは、ミスズ殿による浄化が終わっていたからである。

 水辺には紫色の花が咲き、この場に水魔が現れていたのは間違いなかった。

 一方で、村中に毒を撒いたのは、村人の一人だった。恋人に裏切られた女性がそれを恨み、村人全員を巻きこんだ無理心中を図ったのだ。井戸水に毒を入れたのは、水魔の仕業に見せかけるためだったらしい。


  

 ※ ※ ※



 ミスズ殿の華奢な指に唇を寄せる。

 肌荒れのない手だ。両親に大事に育てられ、家事に追われるような生活とは無縁だったのだろう。

 就業経験がなく、ずっと学生だったという話からすると、かなり良い家の出身だったのだろうと思う。

 それが、今では毒水に身を浸し、あちこちから命を狙われ、政治的な利用しか考えない国で保護を受けている。なぜ、女神はそのようなことをしたのか。――それが、腹立たしくてならない。


「んん……」

 わずかに身じろぎするミスズ殿の声に、自分が何をしていたのかと我に返る。

 いくら温厚なミスズ殿でも、男に手を取られていれば戸惑うはずだ。

 先ほどのミスズ殿はどの体勢だったか――思い出しながら、ベッドの上に横になった状態で手を自分の額に導く。

 ……照れくさいな。

 寝たふりをしながら待っていると、やがてミスズ殿は苦しげに眉を寄せた。

「ん……んあっ……一緒、に……しない、でっ……」

 うなされるような声。ミスズ殿はハッと我に返ったように飛び起きた。

「……」

 夢?そう呟きながら周囲に目を向けている。嫌な夢でも見たのだろう。痛ましいと思いながら、夢の内容を聞くわけにもいかず……俺はただ、彼女を見つめた。

「大丈夫ですか、ミスズ殿……」

 俺の言葉に、彼女はへらっと笑った。

 凛々しいという言葉とは無縁だが、見ているとこちらの気の抜けるような笑顔である。時折彼女が見せる顔だった。

「おはようございます」

 身を起こしながら、ミスズ殿の様子を伺う。寝たふりをしていたことには気づかれていないらしい。

「どうか男の部屋で眠るのはお止めください」

「緊急事態だったんですよ。……お身体の方はいかがですか?」

「もうなんともありません。ラインホルトの指示だったと伺いましたが。……毒を、取りこんだと?」

「ああ、そこまでご存じなんですね。はい、そうです。大発見でした」

 再びへらっと笑うミスズ殿。

 なんでもないような顔をしているが、本人はそれがどんな恐ろしいことか分かっていないのだろう。

 儀式に従って泉を浄化するだけならば、そこまで頻繁には行わずに済む。だが、日常的な毒まで解毒できるとなると、国がどのような動きをするか想像がつかない。

「……ラインホルトには口止めしておきます。あなたも、決して公言しないようお願いします」

「え」

「このことが知られたら、あなたの利用価値はさらに増してしまう。これ以上、危険は近づけない方がいい」

 真剣に伝えると、ミスズ殿は戸惑ったようだった。驚きながらもおそるおそるうなずく。

「は、はい」

「それと」

 深々と頭を下げて、俺は言った。

「ありがとうございます。……これで、あなたに借りがもう一つ増えてしまいましたね」

「え、もう一つ……ですか?」

 心当たりがないのか、ミスズ殿は目を丸くして不思議そうに首をひねる。

「はい」

 出会った時のことを、彼女は深く考えていない。

 水を欲しがる俺に水を分けた、その程度にしか思っていないのだ。

 村人と騎士隊の命をすべて救ったことになるなんてこと、想像してもいない。

「……ミスズ殿ご自身は、怪我などはありませんね?」

 晩餐会の夜のことを差して尋ねると、彼女は一瞬目を丸くして、それから恥ずかしそうにうなずいた。

「クライフさんのおかげです。あの折は申し訳ありませんでした、不用意にバルコニーに出たりして……」

「ご自分の意志でなかったことは分かっております。ですが、次はなさらないでください」

「はい……」

 ミスズ殿は恐縮したように、身を屈めて頭を下げた。

 別に脅したいわけではないのだが、彼女はこうして、俺の意思以上に怯えたように縮こまる。

 それほど俺は恐ろしい叱り方をしているのだろうかと、それが少し気にかかる。


 ミスズ殿は、隣国の特使に誘われて外に出たのだ。

 男に誘われて会場を抜け出すということが、逢引と同義にとられかねない行動であったことについては注意したいが、メインゲストであった特使からの誘いを断れるはずがなかったことは理解できる。

「……」

 思い出したら、苛々してきた。


 ミスズ殿はもともと、異性に対しても過剰な警戒はしない。

 エルヴィンやヨハンに対しても気さくに話しかけるし、気難しいと評判のラインホルトであっても態度が変わらない。だから、特使に対しても同様だったのだろうとは思う。


 隣国特使であるリャンは、まるで同郷であるかのようにミスズ殿と似合っていた。二人で寄り添っていると、そこだけ特別な場所であるかのように見えたものだ。

 その上あの男、ミスズ殿の肩を抱いたのである。

 白く広がりの少ないドレスは、確かにミスズ殿によく似合っていた。国王や晩餐会での出席者が不埒な真似を考えないよう、露出は少なめにするようファニーに依頼してあった品だ。

 だが、あの布は少々薄すぎる。ミスズ殿の華奢さが強調されてしまい、少しばかり気が気じゃなかった。


「あ、あの、クライフさん?何を怒ってらっしゃるのでしょう……?」

 びくびくとした声でミスズ殿が聞く。

「いえ。……何も」

 彼女は俺の機嫌を的確にとらえてしまうらしく、こうして怯える。

 別に怯えさせたいわけではないのに、護衛として失格ではないかと不安になる。

 彼女の探るような視線が気まずく、俺は話題を変えた。


「……ミスズ殿は、責めたりなさらないのですか?」

 先ほどまで頭に過ぎっていたものを振り払うようにして、俺は尋ねた。

「何を責めることがあるでしょう?」

「囮にされているとは思いませんか?我々が、わざとあなたを危険に晒しているとは」

 俺の言葉に、ミスズ殿は困ったような顔をした。

「わたしは『聖女もどき』なのでしょう?

 それはつまり、本物の聖女のための囮役ということです。荒事に対する備えのない身でそういう役が回ってきてしまったことは残念だと思いますが、仕方ありません。

 クライフさんたちが、わたしに負担がないようにと考慮してくださっているのは存じてますし。その上で必要だと判断された負担なら、わたしは引き受けますよ」

 なんでもないことのように、彼女は微笑む。

「それに、三食用意されて、毎夜の宿も心配なくて、何より十二の泉を救うって目標までありますからね。待遇としてはかなり良いと思うんです。とても恵まれてます。その上こうして、クライフさんのように身を護って下さる騎士様もいるのに、誰を責めることがあるんでしょう?

 逆に、わたしが責められることはあるかもしれないですけど……」

 口ごもりながら不思議そうに尋ね返してくるミスズ殿に、俺の心はささくれ立つ。

「あなたは十分すぎるほど、頑張ってくれています。何かありましたら、その時はすぐに俺を呼んでください」

 やはり、ダメだ。エルヴィンに任せて隣国に向かわせるなどできない。

 隣国というのは、あのリャンの国である。特使である以上、ミスズ殿を迎えた後も仲介役としてそばにまとわりつくに違いないのだ。

 ベタベタと無遠慮に触って来た時に、ミスズ殿では強く拒絶ができない。

「……それと、ミスズ殿」

「はい?」

「自分があなたを怯えさせていることがあるなら、……遠慮なく言ってほしいのですが」

 俺の申し出に、彼女は困ったような表情を一瞬浮かべた後。またいつものようなへらっとした笑みを浮かべただけで何も言わなかった。

 


 

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