閑話 騎士隊長が語る聖女(前)
クライフ・K・ゴルト。22歳。独身。
アクアシュタット王国に存在する騎士隊の一つ、ゴルト騎士隊の隊長職。
順調に出世街道を歩いていた俺がその道を大きく外したと言われるようになったのは、約一年前の事件がきっかけだった。
将軍の一人娘であり、アクアシュタット王国唯一の聖女であったアリア様が落命したのだ。
その責任をとる形で、俺の隊は王都から徒歩半日ほどの距離にある駐屯地へと配属されることになった。担当地区内に《女神の泉》があり、極めて重要な場所の一つだが、隣国との戦いとも無縁の平和すぎる場所だった。
隊のうち、約半分の人間は別の隊へと転属となり、それに伴いゴルト騎士隊は元の半分以下の小隊となった。
副隊長のエルヴィンやヨハンといった主要メンバーを丸ごと巻きこんでの左遷である。
だが、三か月前、担当地区内の《女神の泉》でミスズ殿が見つかったことで、ゴルト騎士隊の運命は変わった。聖女の護衛騎士隊という側面を帯びるようになったのだ。
ミスズ・ニーガキ殿は、出身地不明の『聖女候補』だった。
外見は隣国に多い黒髪黒目。顔立ちも隣国に多いそれであり、我が国に照らしてみると年齢よりも若く見える。十八歳と言うが、はじめて会った時は十三、四歳だろうと思った。
出会った当初は隣国からの迷子だと思っていたが、そうではないらしい。
ミスズ殿の説明は要領を得ず、彼女がどこからやってきたのかはいまだによく分からない。
※ ※ ※
高熱に侵された俺が目を覚ましたのは、ラインホルトのハーブの香りのせいだった。
うっすらと目を開けた先に、不機嫌そうなメガネ姿の男が立っている。
アクアシュタットではあまり作られていないこの視力矯正具は、彼が他国に留学中に手に入れたという貴重品だった。
宮廷薬師と呼ばれ、国でも有数の頭脳の持ち主ではあるが、武術、剣術に関しては素人同然である。
この男が近づいてくるのに気配も気づかなかった自分に驚いて、思わず口からついて出た。
「……なぜ?」
「ご挨拶だな。減点してやる」
ヒクヒクと顔を引きつらせ、ラインホルトは言った。
メガネのフレームをくいっと上げ、文字通り上から見下ろすような視線で続ける。
「状況が分かっていないようだから説明してやろう。おまえは熱を出して寝込んだんだ。ミスズによって助けられたというオマケつきでな」
「えっ……?」
慌てて起き上がった俺は、枕元にミスズ殿が眠っていることに気づいて狼狽した。
白く細い手が、俺の額からストンと落ちた。
完全に力が抜けており、目覚める様子はない。疲れ切って眠っているように見えた。
見たままを分析するに、彼女は俺の額に手を置いていた、ということになる。
「な、なぜ?」
狼狽のあまり、漏らした声は裏返った。
「腹部の傷を放っておいただろう。毒が塗られていたらしいな。……ミスズが、毒抜きを試みて成功したんだ。おまえの体液を媒介に毒を抜いた」
「……」
ラインホルトの説明で、俺は何が起きたのかを思い出した。
王宮で開かれた晩餐会。ミスズ殿が出席するため、無理やり警備に潜りこんだ先で、襲撃があったのだ。
賊の投げナイフを避け損ね、腹部に傷を負った。
一通り治療はしたつもりだったが、刃先に毒が塗ってあったわけか。
「負傷したことは……」
「当然、知られただろう。国王にも、聖堂長にもな」
ラインホルトの言葉に、俺は舌打ちを隠せなかった。
「……このマヌケめ。どうするつもりだ」
ラインホルトの声に、俺は眉を寄せる。
自分の身体にかけられていた掛布団を払おうとすると、ズキンと腹部に痛みが走った。
「治療したとはいえ、まだ動けまい?というか動くな、マヌケ。毒抜きしたばかりだ」
「――俺は外されるのか」
一番の懸念を口にすると、ラインホルトには伝わったらしい。
ミスズ殿は、数日のうちに隣国への使者として派遣される。隣国の泉を浄化して『聖女』としての力を示すために。その道中の護衛に加わるため、密かに根回しをしていたのだが――それが、叶わない。
アクアシュタット王国よりも聖女研究の進んでいる隣国で認められれば、彼女に箔を付けることになるだろう。
『聖女』として公認されたことが広く知られれば、命が狙われる率も増すが、同時に味方も増える。女神の奇跡を体現する少女を失うなど惜しいと考える者もいるはずだ。
なにしろ、全世界中に存在する『聖女候補』のうち、現在『本物』と認定されている者は一人もいないのだ。皆、年に一度行われる儀式のための添え物であり、能力を求められている者さえほとんどいない。
ミスズ殿は自分を『ニセモノの聖女』であり、あくまで『聖女の代理』と受け止めているようだが、とんでもない。そもそも彼女が行っている浄化は、聖女の能力を持っている者にしか行えないことだった。
「当然だろう。一命を取り留めたとはいえ、ミスズがいなければこのまま死んでいたのは間違いない。それを隠したとしても、負傷した人間を隣国への護衛に加えるような国王ではないぞ」
「……そうか」
「せいぜいできるのは、おまえの推薦でエルヴィンを行かせることくらいだが」
「……」
黙りこんだ俺に、ラインホルトは呆れた声で言う。
「傷の影響がないと言い張りたいのであれば、今回の襲撃者を捕まえることだ。
王宮を襲っておきながら逃げおおせたというのは、こちらに手引きした人間がいたという可能性が高い。ミスズか、特使か分からないが。狙いはどちらかだろうからな」
「できない」
きっぱりと、俺は告げた。
「襲ってきたのは、元聖堂長を惑わしたのと同じ組織だ。目的もおそらく同じ。――誰でもいいから、水魔を呼び寄せる手がかりを作ることだ。
この晩餐会の時間を狙ったのは、狙いを分かりづらくするためだと思う。
襲撃犯を捕えるのは現状ではほぼ無理だ」
「なに……?」
「紫色の花が咲いた」
「!?」
俺の視線を追って、ラインホルトがサイドテーブルを見やる。
水差しの中に一輪、紫色の花を咲かせる花が揺れている。
「い、いつのまに……?おまえ、こんなもの持ちこんでいたわけではないだろうな?」
「まさか。だいたいそれは、水差しであって花瓶じゃない」
女神に見捨てられた場所に咲くという紫色の花。この花に正しい名前は存在しない。たいがいは、『水魔の花』だとか、『魔女の花』だとか呼ばれている。
俺は花を掴み上げると床の上に転がした。
こうして水から離しておくと、すぐに枯れると言うことも分かっている。燃やすよりもこちらの方が安全なのだ。燃やすと花が危機を感じるのか、周囲に花粉を撒き散らすことがある。
植物の癖にと思うが、伊達に『水魔の花』とまで呼ばれていない。
「この花が咲くということは、……この聖堂はもう……」
ラインホルトの言葉を首を振って否定し、俺は告げる。
「それは早計というものだ。ミスズ殿がいる限り、この聖堂は機能する。それに、……この花はあくまでも俺が受けた毒を追ってきたものだろう。熱にうなされている間、夢の中に水魔が現れた。おそらく、こうやって元聖堂長は惑わされたんだ」
「なぜそれが言い切れる……」
ラインホルトは意外そうに聞き返し、ハッと目を見開いた。
「おまえ、わざと傷を作ったんじゃないだろうな?元聖堂長と水魔とのつながりがどうやってできたのかを確認するために」
「まさか」
さすがに、そこまでマヌケではない。
そこまで推測していたなら、傷を作らずにナイフを受け止める方法を考えたはずだ。
「放たれた投げナイフに、特徴はなかった。毒が塗られていたことさえ分からなかったが、ナイフを投げてきた人間の姿は視認している。見事に特徴を消した襲撃者だった……、並みの相手じゃない」
「ミスズを狙ったという可能性は?」
「否定できない」
水魔がミスズ殿を狙う。考えたくはないが、連中にとっては一番楽な方法のはずだ。ミスズ殿がいなければ、アクアシュタット王国で浄化を行える人物はいない。
「……ひとまず、もう少し眠っておけ。あと一時間はベッドを離れることを禁ずる」
ラインホルトはそう言って、荷物をまとめた。
彼は多忙な薬師なので、次の患者の元へと行くのだろう。
医者の言うことに逆らうのは愚かだと知っているが、一時間は長い。
「それなら、エルヴィンに知らせを出しておいてくれないか。奴のツテを借りたい」
俺が言うと、ラインホルトは嫌そうな顔をした。
「忙しいと言っているのに、小間使い代わりにする気か」
「一時間離れるなというんだから仕方ないだろう。それと、ミスズ殿をどこかゆっくり眠れる場所に――……」
言いかけて、言葉を切った。
「……」
この聖堂内に、ミスズ殿を自室まで運ぶことのできる男はたくさんいる。むしろ、彼女を運べないほど貧弱な男の方が少ないくらいだ。確実にできないのはラインホルトくらいである。
だが、その男たちが彼女の部屋に立ち入るのを許可するかと言えば、――否だった。
俺が入れない場所なのに、どうして他の男を許さないといけないのだ。
「クライフ、ミスズはあと一時間もすれば起きる。それまで大人しくしていろ」
「……まさかそのために彼女をここで寝かせたわけではないだろうな?」
「それこそまさかだ」
ラインホルトはそう言って、それから、急にニヤリと楽しそうな笑みを作った。
「そういえば、クライフ?」
「ん?」
「先ほど体液ごしにおまえの毒を抜いた、と言っただろう」
「?ああ」
「手っ取り早く口移しでやれ、と言ったら、……どうしたと思う?」
「っっ!?」
ギョッとなって視線を向けた先で、ヤツはニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべていた。
「ど、どう……と、言われても」
おそるおそる、ミスズ殿の方へと視線が向いた。
疲れ切ったようすで眠る、小さな少女。十八歳と言えば立派な成人のはずなのに、未だにどこかで彼女はまだ子供なのではないかと思ってしまう。
「……人助けだからと、了解したのでは?」
俺の回答に、ラインホルトはつまらなそうな顔になった。
「正解だが、もう少し狼狽したらどうなんだ。
聖女と呼ばれる娘がけなげにも唇を捧げてくれようと言ったんだぞ?まあ、この通りのちんくしゃの小娘だが」
「ミスズ殿に対して、そのような物言いは止めろ」
狼狽。狼狽はした。だが、どちらかというと落ちこんだと言った方が近い。
彼女に余計な負担をかけてしまった、という罪悪感。
「……したのか?」
尋ねた俺に、ヤツはあっさりと否定する。
「しなかったさ。汗ごしで毒素が抜けることに気づいて、それで終わりだ。先ほどまでやっていたから、額に手を置いてあっただろう。
……ああ、口移しを実行しようとしたことを口止めされていたような気がしたが、それは薬師としての私向けだから構わんな」
「……そうか」
どこかホッとした気分になって、俺はミスズ殿の華奢な手に触れた。
他の成人女性に比べて小さいということはない。森の中を歩く様も、むしろ逞しささえ感じる女性なのに、華奢だと感じてしまうのはなぜなのか。
「エルヴィンに連絡すればいいんだな?」
そう言いながら、ラインホルトは呑めなくなった水差しを手に部屋を出て行った。