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第五話 パチモノ聖女の看病(後)

 再びハーブの香りに包まれて眠り、スッキリと目覚めたわたしの部屋には誰もいない。

 枕元に置かれた水差しを口にして、わたしは起き上がった。

「今は何時でしょう、っと……?」

 聖堂はどこもかしこも白い壁なので、この部屋も例外ではない。おかげで明るいんだけど、それもこれも外から明かりが入ってくる時だけである。

 深夜は本も読めないほど暗くなる。室内なのでランプの灯りも最低限にしないといけないし。日本で夜更かし生活を送っている友人なら「ありえない!」と叫ぶだろう。

 窓から入ってくる光はオレンジ色だ。どうやら夕方らしい。


「夕食時間なのにクライフさんが迎えに来ないなんて珍しい……」

 男子禁制の部屋までは来ないが、たいがい入り口までは迎えに来てくれるのである。

 騎士隊長さんなのに、そこまでしてくれていいんだろうか、と不安になるほどだ。


 男子禁制エリアを抜けて、聖堂内を通り抜ける。

 中庭の噴水を経由して、反対側。同じような作りになっているが決して女人禁制ではない場所に、クライフさんの仮住まいはある。

 トントンとノックをして、声をかける。

「クライフさん、いらっしゃいますか?」

 返事はない。留守だろうか?

 でも、もし任務などで聖堂を離れるのであれば、一報残していってくれる人なのだ。つくづく、真面目な人である。

 夕食についても、そう。たいていの場合、彼がわたしを迎えに来てくれる。期待しているようで複雑だが、彼に言わせると「その方が安全なので」ということになる。

「クライフさん?クライフさん?」

 トントントン。何度か叩いて声をかけてみたが、やはり返答はない。

 やっぱり留守なのだろう――そう思った時だった。

 

 ふんわりと香る、水の香り。そこに、覚えのある甘さを感じて、わたしは思わずドアノブに手をかけた。

「クライフさん!失礼します!」

 ガチャッと開けた室内に揺れる花。

 クライフさんがいたのはベッドの上だった。わたしの部屋と同様の、ベッドとサイドテーブルがあるだけのシンプルな作りだが、ベッドの大きさはやや大きい。

 サイドテーブルの上に置かれている水差しに、花が一輪揺れているのだ。

 紫色の花弁が美しい、――何度も見覚えのある花。

「泉の花!!」

 水魔が現れる時、毒水に侵された場所に咲く、あの花だ。


 どうして、という疑問より先にクライフさんの枕元へと駆け寄る。

 無事には見えなかった。

 ぷつぷつと額に汗が浮き、はぁはぁと荒い息を吐きながら、苦しげに眉根を寄せる。

「クライフさんっ!」

 額に手を置いたとたん、火花が散った。

 

 ――バチンッ!


 火傷のような痛みに驚いて手を離してしまったが案の定だ。――熱がある。かなり、熱い。

「どうして?なんで?」

 この症状は、わたしが毒で倒れる時のものと似ている。

「ラ、ラインホルトさんを探してきます!だから、しっかりして!」

「その必要はない」

 声は、入り口から聞こえた。

 ハッと振り返った先に、顔をしかめた銀髪のメガネ姿がある。

 ラインホルトさんだ。手には、診察用の道具と思われる鞄を下げていた。もう片方の手には水の入ったバケツを持っている。

「ここは男の部屋だぞ、なぜいる」

「そんなことどうでもいいです!早く診てあげてください!」

 はあ、と大きく息を吐いた後、「十五点」と彼は呟く。

「まあ、来てしまったものは仕方ないな。端に下がっていろ」

 ラインホルトさんにうなずいて、わたしは部屋の隅っこに張りついた。


 ラインホルトさんは診察途中だったらしい。身体にかかっていた布をバサッと払いのけると、服を着ていない上半身が現れた。

 突然現れた男性の半裸に、思わずうっと身を引いてしまう。照れるとかそういうのとは、ちょっと違う。さすがに鍛えられているので見事な身体つきなんだけど、その腹部。小さな傷があったのだ。

 かすり傷のようにも見えるのに、傷の周囲にどす黒い色が広がっている。何か悪いものが肌の下に這っているような、そんな様子。

 全身が高熱によって侵され、クライフさんの表情は悪い。汗が浮き、息を乱しながら苦しそうにしている様子を見て、見ているこちらがハラハラする。

「ラ、ラインホルトさんっ……!クライフさん、どうしちゃったんですか!?」

 なんだか、泣きそうな気持ちになる。

「毒だ。昨夜の襲撃者の刃に毒が塗られていたらしい。傷が軽いからと放っておいたのが致命的だったな」

「ち、致命的!?」

 ザッと顔が青ざめる。致命的って、致命的って、まさか……。

「い、命にかかわるんですか!?そんなっ!」

「何を驚く。毒とはそういうものだ」

「…………っっ!」

「少し黙っていろ」

 そう言いながら、ラインホルトさんは運んできた水でクライフさんの傷口を洗う。

 どす黒い色をしているのは血であるようで、綺麗な水で洗い流していくうちに、赤い血が混じるようになってきた。

 悪い血を流すことで治療するという方法は、確かに聞いたことがある。だけど、血を流し過ぎたら死に至る、わりと危険な治療方法だった気がする。

「……マズイな。毒の回りが早い」

 舌打ちするような声で、ラインホルトさんがわたしを見た。

「ミスズ、おまえ毒抜きできるか」

「!?」

 どういう意味だろうと視線を向けたわたしに、ラインホルトさんは言う。

「水に含まれる毒素は抜けるだろう?クライフの……体液を媒介に、毒は抜けるか?」

「た、体液?」

「そうだ。唾液でも、汗でも、尿でもいいが……。直接肌を触れさせてみろ。

 そうだな、口移しが一番いい。分かりやすい交感だろう」

「く、くちっ!?」

「怖気づかずに舌を入れろよ?触れただけでは唾液を吸い取れない」

「~~~~っっ!?」

 動揺のあまりパクパクと口を動かし、しばらく声が出なかった。

 だが、ラインホルトさんの目は真剣そのもの。それどころか、動かないわたしを責めるような目で見てくる。クライフさんの顔隣りの場所を開けて、さあやれとばかりに命令してくる。

「このままだと、クライフが死ぬぞ」

「――っっ!」

 ごくりとわたしは息を呑んだ。


 口づけ。マウス・トゥ・マウス。しかも、舌を入れろって、そりゃディープキスってやつではないですか。

 わたし、ファーストキスもまだなんですけど。初心者なんですけど。はじめてにはいろいろ夢だってあったのに。

 せめてこう、ああああ、心の準備を!!


 目一杯動揺しながらも、熱にうなされるクライフさんの姿に、覚悟を決める。

 迷っている時間は、おそらく、――ない。

「ラ、ラインホルトさんっ!」

 裏返った声で名前を呼ぶと、わたしは一つだけ、極めて重要なことを頼んだ。

「……絶対に、クライフさんには、何があったか言わないでください!!」


 これは人工呼吸だ。人助けだ。ノーカウントだ。そうだよね?

 クライフさんはわたしよりも年上だし、おそらく過去には恋人さんとかがいて経験済みだろう。だから、わたしがはじめてを奪っちゃったとしても、きっと許してくれるはずだ。それどころか、こんなことさせてすみませんとか謝られたりするに違いない。どう考えても悪くないのに。悪いのはラインホルトさんだ。いや、彼も悪くない。悪いのは襲撃者だ。毒を塗った刃物なんて振り回したどこかの誰かだ。


 がくがく震える手でクライフさんの顔に、自分の顔を近づけていく。

 間近で見ても整った顔立ちをしているイケメンさんだ。こんな人とファーストキスができるならラッキーだと思え……。うううう、ラッキーだとでも思えと言うんだろうか。

 もう一度だけラインホルトさんを恨めしげに睨んだ後、わたしは唇を近づけながら考える。

 クライフさんは息が乱れているせいでわずかに唇が開いている。だけど、そのほんのわずかな隙間に舌を入れろって、……どうやるの?


「ゴメンなさい、クライフさん」

 そうっと、彼の頬に手を添えて、顔を近づけようとした――時だった。


 ――バチンッ!


 頬に指が触れた瞬間、再び火花のようなものが走った。

 静電気でも発生したかと思うような、一瞬の痛みに驚いて手が離れる。

 どこかで感じた覚えのある痛み――……。


「あ」


 わたしはあることに気づいて顔を離した。

 口づけを試みるのではなく、そのまま両手を彼の額に触れさせる。

 ぽつぽつと浮かんだ汗と手のひらが触れた、……その部分にビリビリとした痛みが走る。


 汗だって体液である。素手で触れていれば、そこから毒素が吸い取れるのだ。

 考えてみたら最初にクライフさんの熱を測ろうとして額に触った時、一度同じ経験をしていたのに気づかなかった。

 熱さに驚いて手を離したりせず、そのままにしていればよかったのだ。

「……ラインホルトさん」

 ちょっと恨めしい気持ちになりながら彼を振り返り、わたしは呟いた。

「キスする必要なんて、ないじゃないですか……」

 

 恨めしげなわたしの視線に、ラインホルトさんはなんでもないような顔で答える。

「水だけではなく体液ごしにも毒素が抜けるというのは新発見だな。隣国の研究書でも見たことがない。

 ……ついでだから、どの程度の接触でどの程度抜けるのか、あれこれ触ってみるか?」

「しませんっ!」

 

 動揺するだけ損した。

 憮然となったわたしを押しのけ、ラインホルトさんはクライフさんの顔色と、患部の様子を確認する。

「もう少しだな、しばらくそうしてろ」

 そのまま治療に戻ったラインホルトさんの姿に、今さらながら緊張が蘇ってきた。

 

 緊急事態だったし、人工呼吸のようなものとはいえ、男の人にキスしようとしただなんて、……知られたくない。絶対嫌だ。

 事情を知れば嫌われたりはしないだろうけど、ものすごくはしたないことをしたような気がして。

 キスくらいなんだ、と言われるかもしれない。同年代には経験済みの子が多いんだし。

 知り合いの中にはそれどころかもっと先の……、いくところまでいっちゃってる子もいるんだけど。

 恋人がいた試しのないわたしには、未知の領域である。


「……クライフさんには、言わないでくださいね」

 わたしはもう一度頼んで、そのまま彼の額の上に両手を重ねた。

 ビリビリと弱い電流が流れこんでくるような痛みは、おそらくクライフさんから抜け出ている毒素が、わたしに取りこまれている証なんだろう。

 このまま便利アイテム扱いされて、ラインホルトさんの治療の手伝いをさせられるのはちょっと遠慮したい気がする。

 いやでも、大発見だ。水からしかできないと思っていたので。



 ※ ※ ※



 ホッとしたのが悪かったのか、ハーブで毒抜きした直後に同じことをやったのが悪かったのか。

 ふと気づいた時、わたしはその場で眠っていた。

 クライフさんの額に手を置いたまま、ベッドサイドにもたれかかるようにして居眠りしていたのだ。

 室内には治療用のハーブの香りが漂っていた。クライフさんがよく眠れるようにとラインホルトさんがしたことだろうけど、わたしもついでに眠ってしまったということだろうか。


 甘い香りにうなされるように、わたしは目を覚ました。

 クライフさんはまだ目をつむったままだ。 

 ベッドサイドにあるサイドテーブル。その上に、花の入った水差しが置かれている。

 紫色の花弁に、ラインホルトさんは気づかなかったというのだろうか。

 素手で触るのは躊躇われて、わたしは上着を脱いで手と腕に巻いた。

 ゆっくりと掴み上げると、花の茎の下からは白い根が数本伸びているのが分かる。球根みたいだ。水耕栽培ができる種類の花だったんだろうか。

 引き抜いたものを床に放り、水差しの中を覗きこむ。

 うっすらと色がついているような、いないような。よく分からない。


『どうした、呑ませぬのか?』

 ゆらゆらと花の上に女性の姿が現れる。湯気のように現れた幻影は、紫色の髪をした、高慢そうな美女だった。

『泉の魔女よ、護衛の騎士に水を呑ませてやるがいい。その男ならば、我らのためのいい手駒になるであろう?』

 ――水魔!!

「……」

『どうした、泉の魔女よ』

 にんまりと、彼女は笑う。

「――今しがた、解毒したばかりなのに、呑ませるわけないです。それに、なんですか、その言い方。わたしが、まるであなたの味方みたいな……」

『おや、違うのかえ』

 美女は意外そうに言った。

『泉の”魔女”そう呼ばれておるのだろう?水の”魔女”である我らと、――何が違う?』                   

「~~~っっ!」                     

 声にならない罵声を上げて、わたしは飛び起きた。



 ※ ※ ※



 起きた・・・のだ。


 ということは、眠っていたというわけで、今のは……夢?

 視線を向けたサイドテーブルには、水差し自体が置かれていない。


 目を覚ましたわたしの目の前で、クライフさんが所在無げな視線を向けてくる。

 額に手を置かれていたせいで起き上がれなかったらしい。 

 嫌な夢を見て汗をかいているわたしへ、心配そうに尋ねた。

「大丈夫ですか、ミスズ殿……」

「おはようございます」

 へらっと笑って手を離してみせると、彼はホッとしたような顔をして身を起こした。

「どうか男の部屋で眠るのはお止めください」

「緊急事態だったんですよ。……お身体の方はいかがですか?」

「もうなんともありません。ラインホルトの指示だったと伺いましたが。……毒を、取りこんだと?」

「ああ、そこまでご存じなんですね。はい、そうです。大発見でした」

 へらっと笑ってみせると、クライフさんは苦々しい表情を浮かべた。

「……ラインホルトには口止めしておきます。あなたも、決して公言しないようお願いします」

「え」

「このことが知られたら、あなたの利用価値はさらに増してしまう。これ以上、危険は近づけない方がいい」

 真剣な眼差しに、思わずうなずいた。

「は、はい」

「それと」

 深々と頭を下げて、彼は微笑んだ。

「ありがとうございます。……これで、あなたに借りがもう一つ増えてしまいましたね」


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