第五話 パチモノ聖女の看病(前)
王宮の用事が終わるまでの間、わたしとクライフさんは聖堂に滞在している。
毎日王宮に上がらないといけないわけではなく、それでいて騎士隊のある場所からでは遠いためだ。聖堂なのは、わたしがパチモノでも聖女であることが理由だろう。
部屋はかなり小さい。シングルベッドが一つあり、サイドテーブルが一つあるだけ。クローゼットや椅子もない。籐の籠のようなものが一つあって、これが荷物入れである。
衣装を何着も用意されてしまった今の状態では、不満もないわけではない。シワにならないよう、ハンガーにかけておきたい。
これでも聖女の部屋があてがわれているだけ、わたしは恵まれているんだと思う。修行中の聖女の部屋は、ラインホルトさん以外の男子禁制となっている。
王宮から帰るとすぐ、当のラインホルトさんがやってきた。ドレス姿では検診が受けにくいので、お古の騎士服に着替えてからベッドに腰掛ける。
「三十点」
部屋を開けて早々、ラインホルトさんの採点は辛かった。
室内をぐるっと見回した彼は、メガネの縁をくいっと上げてから呆れた声を出した。
「色気のない部屋だ」
「いえ、あっても困るじゃないですか、色気なんて」
「あるに越したことはない。花くらい飾ったらどうだ」
「王宮の用事が終わるまでの仮住まいでそんなことをしたら、部屋を出る時に困ると思います」
「仮住まいを飾るからこそ女だろうに」
ラインホルトさんはますます呆れた顔をした。
けど、検診にきたお医者様相手に色気を振り撒いてどうしようというのだろう。
「まあいい。ここ最近、騎士だの兵士だの、色気のない相手ばかり診ているからな。おまえでも少しはマシだ」
「ラインホルトさんでもそんなこと言うんですね?女の子の方がいいだなんて」
「正常な男なら普通はそうだ」
フン、と機嫌の悪そうな顔になったラインホルトさんは、しげしげとわたしを見た。
「気が病むことでもありそうな顔だな」
「……」
気に病むこと。心当たりが多すぎて即答できない。
頭に浮かんだのは晩餐会で会ったリャンさんのことと、――襲ってきた賊を追い返したクライフさんのことだった。
「あの、クライフさんは治療にいらっしゃいました?」
「は?」
「怪我です。さっき、賊に襲われて……」
わたしの言葉に、ラインホルトさんはメガネの奥で不機嫌そうな顔をした。
「来ていない。……あのマヌケめ、また勝手に応急処置しているな」
「勝手に、って……」
「体力を過信しているんだ。減点してやる」
ふう、と息を吐いた後、ラインホルトさんはメガネのフレームに手を触れた。
「だが、先におまえの方だ。寝ろ」
「……はい」
ベッドの上に横になり、おとなしく検診を受けることにした。
聖堂跡の毒水を浄化したことで、わたしの身体には相当量の毒素が蓄積されていたらしい。毒抜き用のハーブを調合してもらい、ベッドの上で目を閉じること、――数分。
この世界に来てから、自分の身体は人間ではないのかもしれないと思うことがある。
毒素を吸収するとか、蓄積した毒素はハーブで抜くとか。
どこか甘いハーブの香りが鼻をくすぐる。
――お聞きになりたいですか?
――聖女がどういった扱いを受けてきたのか。水魔がどういった存在なのか。
――女神の泉を、なぜ浄化しなくてはならないのか。
蘇るのはクライフさんの言葉だった。
知りたくないはずはない。自分の行動がどういった結果を生むのか、無頓着でいられるわけがない。
だけど。
――余計な心配をかけるようなことは言わずに来ましたが――……
そうだ。隠すということは都合が悪いということなのだ。
知ったら後悔するようなことかもしれないのを、自分から聞くなんて恐ろしくてできない。
「ミスズ」
クールな声が降ってくる。ラインホルトさんの検診中だったことを思い出した。
「聖女が溜め込む毒は、精神的な暗黒面だという報告がされている」
目を閉じたまま、わたしはラインホルトさんの言葉に首をひねる。
「……?」
「晩餐会で隣国の特使に会っただろう」
「……」
目を閉じたまま、わたしはこくりとうなずく。
「予定よりも早くやってきたのは、『聖女候補』に会うためだろう。あいつの国は、アクアシュタットよりも聖女研究が進んでいる。そのため、いろいろなことが分かっているんだ。
……聖女は、水を浄化する代わりに自分の中に毒素を溜める。それを、解放できないことで死に至る。
聖女になるのは性格的に発散の苦手な女が多い。後ろ向きで、真面目で、趣味がなく、溜めたストレスを開放することができない。嫌なことがあっても我慢する。内に溜まった毒を吐き出せずに、死ぬ」
「……」
「おまえもそうだろう。言われるままに偽物の聖女役を引き受けて、馬鹿正直に毒水に身を浸している。どんなお人好しだってもう少しは代価としてのわがままを言うだろうに、それもない」
「……」
フルフル、とわたしは首を横に振った。
「男か、金か、食か、煌びやかな衣装か。聖女はたいがい寿命が短いからな、その分たいがいの願い事は叶うぞ。ないのかそういう、やりたいことは」
「……」
目を閉じたまま、わたしは困り顔をしたと思う。
「ラインホルトさんは、どうして薬師になったんですか?」
「薬学に興味があったからだ。勉強を口実に他国に留学できるのも魅力的だった」
「クライフさんはどうでしょう」
「知らんが、あれは家系的なものもあるだろう。あいつの家は代々騎士だからな。今はまだ若いから家を継いでいないが、そのうち国有数と言われる領地を経営する立場になる」
「わたしには、……ないんです。そういう、将来の夢とか、やりたいこととか」
パチリと目を開けて、わたしは天井を見上げた。
「生まれてから高校を卒業するまで、ずっと、目の前にある目標をクリアするだけで良かったんです。試験があればそれを合格すれば良かった。高校を選んだ時だって、通いやすさと学力レベルだけで選びました。だけど、大学となるとそうはいきません。学部の選択も、将来的な職業も、自分から望んで選ばなくちゃいけなかった。
親はやりたいことをやればいいって言ってくれます。継がないといけない家がある子に比べたら、すごく恵まれてると思います。
だけど――……いっそ、レールを敷いてくれたら良かったのに、って、思っちゃうんですよ」
はあ、と息を吐きだす。
「分かってます。ただの甘えです。そんな意識だから、望んで頑張ってる子に比べたらモチベーションも低いし、達成感もないし、いつも迷ってばかり」
ラインホルトさんからの相槌はない。わたしはただ、吐き出し続ける。
「……この世界に来て、クライフさんに泉を浄化して欲しいって言われた時。
嬉しかったんです。目の前にやることができて。十二の泉をすべて浄化すれば帰ることができる、なんて、やりがいのあるゲームみたいだった。
危険はあるのかもしれないけど、素敵な騎士様が護ってくれるなんて、まるでお姫様になったみたいで。……クライフさんに、辛そうな目を向けられるたびに罪悪感がズキズキしてました。
そんな悲壮感ある目を向けられるような立場じゃないんです。やることを与えられて、わたしは喜んでた。
目の前に道を拓かれて、ただ歩けばいいなんて楽チンです。多少寒かったり、痛かったり、高熱を出して寝込んだりしたところで、道があるんですから。自分で選んでない道なら、こんなにも――……」
甘いハーブの香りが鼻をくすぐる。
ハァっと漏れ出た自分の息は、ハーブと違って少しも甘くない。
「……少しは軽くなったか」
ラインホルトさんの声を聞いて、わたしはへらっと笑った。
軽くなった。口に出して、自分の毒を吐露して。心の中に溜め込んでいた、膿のようなものを表に出して。
たぶん、わたしの悩みなんていうのは、生き死にが関わっているような大げさなものではない。解決しないと生きられないような類じゃない。
だけど、年頃の女の子が恋に悩むように、年頃の学生は進路に悩むものなのだ。
「クライフさんには言わないでください。こんな、卑屈っぽい子だと知られたら幻滅されそう」
「医療畑の人間は、患者の秘密をやすやすとは洩らさない。
ましてや、毒抜きハーブの香りで無理やり吐き出させたような内容はな」
やれやれ、と彼はメガネのフレーム位置を直してから、呆れたように言った。
「むしろ、かつてないくらい毒のない聖女に呆れているくらいだ。
これまでの聖女は、殺したいくらい憎い相手がいたり、幻と言われるような財を望んだり、手に入らない男を欲しがって禁断の薬に手を出そうとするような輩が多かったんだがなあ」
「……」
それはまた、極端な例だと思う。