第一章 ー開幕ー
東京ランドマークホテルは四月一日にグランドオープンされるはずの東京都が新設した日本最大規模の建造物だった。五十年前の人間が思い描いた二十一世紀の未来の予想図をそのまま形にしたような建物である。入り口には金属探知機とゲートがあったが、直哉がIDをかざすと予め参加者のIDが登録されていたようでゲートはすんなりと開いた。
最上階のロビーは建築基準法を遵守しているのか疑問になるほど柱が少なく広々とした空間だったが、これを貸し切りにするというのは悪戯心の資金ではどうにもならないのではないか。これではあの新聞広告の内容も信じざるを得ない。素人目に見ても高級感がある装飾された分厚い扉を開いて中にはいると、黒服のスーツに身を包んだどうみても倍以上の年齢の大人達が多く、私服だった直哉は完全に浮いてしまっていた。おまけに日本語でも英語でもない言語が飛び交っており、内容を全く理解することができない。直哉は理系科目は国公立大学レベル以上の内容は既に取得していたが言語に関してはそこまでのレベルに達していなかった。
「この場違い感にあとどのくらい耐えてればいいんだろうな」
直哉がぽつりとそうつぶやいて、帰路へ着くためのドアに手をかけたときだった。
「ちーっすってあれー? 日本人っぽいからって声をかけたのにクラスメイトがいるとは流石のあたしも考えなかったなぁ。直哉くんも賞金目当てなの?」
肩ぐらいまでの短めのポニーテールをぶら下げた日本人の女が親しげに話しかけてきた。髪が綺麗にセットされているのと対照的に高校の制服はシワが目立っており、スカートは気付きにくいが数センチ短くしているようだった。その制服の上に羽織っているカーディガンは指定のものではなく、厳しい校則の目をかいくぐったお洒落としてクラスの女子生徒の間でも流行っている方法だった。風紀の教職員も制服の着こなしや髪型にはうるさかったが、そういったちょっとした装飾品の類には甘かった。中にはどうしてもアクセサリーをつけたくてキリスト教徒だといってロザリオを持ち込んだ生徒もいたぐらいだ。
「そりゃそうだろ。一億四千万ドルがないなら正体もわからない奴にメール送ってわざわざこんな場所に来たりしない」
最も当たり障りのないような典型的な返事をいつのまにか返していた。
「そりゃそうね。あたしも同感」
「これだけの大金があったらあと六十年いきるとしても一日六千四百ドルも使える。働いたら負けとはこういうことを言うんだろうな」
「あたしは遊んで暮らそうとは思わないけどね」
意外な答えだった。てっきり彼女も賞金で一攫千金を狙っているものだと思っていたからだ。
「だってそうじゃない。ただただ日常を繰り返すなんてあたしには堪えられない。明日はきっと不思議なことがあるからと思うから明日が待ち遠しいの」
「そんなもんか」
「女の子にとって人生ってそんなものなの」
「女…の子?」
彼女を一般の女の子にカテゴライズしていいものかとは真剣に悩む素振りをする。
「こらこら悩むなっ!で、自己紹介が遅れちゃったけどあたしは逆瀬川夏美よ」
ポニーテールをひらひら左右に揺らせてポーズを決めながら夏美は言った。
「本当に遅い自己紹介だな。今更わざわざ自己紹介されなくてもクラスメイトの名前ぐらい知ってるよ」
直哉と夏美は同じ学校で同じ学年で同じクラスのクラスメイトだ。定期テストの結果報告以外で会話が成り立ったためしはなかったような気もする。
逆瀬川夏美は自分が世間一般が描く女子高生像とは少し違っているということを自覚していた。他の子のように体重計とにらめっこしながら甘いスイーツを食べるという矛盾した行為はしなかったし、周りの子が本心では可愛いと思ってもいないものに声を揃えて「可愛い」と言っていることに対して不快感しか覚えなかった。ファッションにも特にこだわりもなかったし、どこのブランドでも結局は布切れでできているのだから服としての機能を果たせるのならなんでもいいと思っていた。ブランドもののような世間の気分次第で価値の変わるものに縋りたくはなかった。幸いにそこそこ勉強のできる頭は持っていたので家にいる時間の大半は知識を詰め込むことに費やしていた。天才が一瞬の閃きから偉大な未知の発見をするというのなら、私は過去の天才たちの歴史から学んでやろうと考えていた。
直哉と夏美は会場の端に移動するとテーブルに置かれていたペットボトルの飲み物を手にした。直哉が選んだのはどこの自販機でも手にはいるようなウーロン茶だったので味には問題ない。
「ねえねえ、これって飲んじゃっても大丈夫かな? 風紀の先生にバレたりしない?」
そう言った逆瀬川が持っていたのは海外の有名なメーカーのビールだった。日本には正規輸入代理店がないため手に入れるのが困難でプレミア価値がついている。
「お前、俺と同い年なら未成年だろ」
「そうだけどさ〜だって、これ超高いんだよ!? 同じサイズのスーパードライが十本は飲めるんだよ!」
直哉がもう一度「やめとけ」と言うと逆瀬川は「ちぇっ」と言いながらオレンジジュースを手にとった。
「お前も応募してるっていうのは意外だったよ。少女趣味じゃないのは知っていたけど、なんとなくこういうギャンブル紛いの類は嫌いだと思ってた」
直哉はウーロン茶を飲み干すとペットボトルの蓋を閉めてゴミ箱に投げ捨てた。
「あたしは賞金には興味なかったんだけどね。なんかこういうイベントって楽しそうじゃない?それに……」
四十八和音ぐらいの安っぽいファンファーレが夏美の言葉を遮り、その場にいた全員が一斉に会話を中断して一瞬のうちに静寂が訪れた。
『時間になりました。みなさん大変お忙しい中お集まりいただきありがとうございます。これからおよそ十分で今回のゲームについて説明を行い、その後ゲームに参加するか否かを選択していただきます』
管理者を語る抑揚のない特徴的な低い声は一世代昔のRPGゲームを思わせた。
隣で逆瀬川が「なんだかボーカロイドみたいな声だね」と呟いた。
続いて英語で同様の内容が読み上げられる。
日本語だけではなく英語でも説明してくれるとは親切な奴だと直哉は思った。
『今回のゲームの賞金は総額一億四千万ドルです。これからあなた方にはプレイヤーになっていただきます。私はプレイヤーに全部で五つのゲームを出題し、負けた方にはゲームから降りていただきます。他人に危害を加える行為は禁止されており、破った場合ペナルティが与えられます。全てのゲームが終わったときに最優秀の成績を残したプレイヤーに賞金を与えます。最優秀成績者が複数いらっしゃる場合には賞金は山分けと言う形になります。では参加する意志のある方は十分後にこの会場でお待ちください』
ノイズ混じりの解説は一端ここで終わった。アレウスの説明は結局のところ直哉の疑問を全て解消するものではなかった。知りたかったのはアレウスが何者かであるかということであり、賞金はおまけのようなものと考えていた。
「ゲームって言ってもどんなゲームするんだろうね? あたしプレイステーションまでしか持ってないからあんまり新しいゲームとかだと力になれないかもしれない。先に言っておくね、ごめん」
「ここまで大規模な投資をしておいて、まさかそんなわけないだろ。というか俺たちは協力しあうことが前提なのか」
「えっ?だって二人でやればゲームクリアする可能性増えるじゃん。ん〜じゃあこうしよう!あたしはあたしの都合で勝手に直哉くんに協力するから、どうしても直哉くんが賞金を全額欲しいのなら最後にあたしを裏切っちゃえばいいんだよ」
「そう言われたら断るわけにいかないじゃないか」
「えへへ〜あたしの勝ち!じゃああたしたちはしばらくは協力してゲームクリアを目指すっていうことでいいよね」
夏美はにっこりと笑うと右腕を掲げると嬉しそうにくるくると回った。
回転運動でブラウスがふわっとめくれ上がってお腹の辺りがチラッと目に入る。
「わかったわかった、俺の負けだ。ゲームは二人で協力して進める、賞金がでたら山分け。そういうことでいいか」
「うん!」
笑顔の逆瀬川は直哉がクラスでいつも見ている彼女と全く同じように見えた。言い出したら止まらない、断られそうなら機転を利かして上手い言い回しで相手を言いくるめてしまう。悲しいと感じたら涙を流し、嬉しいときには誰よりも素直に喜んでみせる。感情を周囲にバラまいているだけにも見えるのだが不思議と悪い気はしていなかった。直哉がどちらかと言えばクラスの外堀の関係を埋める性格なのに対して、逆瀬川は自分から和の中心にいってとりまとめてしまうタイプだった。
「でもなおくんの言うとおり確かにここまでお金持ちな人ならプレイステーション7くらいの未発表新機種でゲームさせるかもしれないよね、よね?」
「同意を求めるようにこっちをみるなよ…。いい加減コンシューマ向けの家庭用ゲーム機から離れろ、どうせそんなモノは出てこないから」
会場には大勢の人間がいたが帰ろうとする者は一人もいなかった。ここまで来ておいて賞金を目の前にしながら引っ込みが着かないのだろう。一億ドル以上の大金のためならそれこそなんでもやってやるという人間は少なくない。
『十分経ちました。ご招待した百名全員の参加の意志をいただき光栄です。それではゲームについて詳しく説明させていただきます』
『ゲームには以下の原則を遵守していただきます。一つ目は…』
管理者のいう五つのルールは単純なものだった。そもそも守るべきルールがなければそれはもうゲームとは言えない。ゲームに絶対に必要なのはゴールとルールだ。
ゴールが存在しないゲームはプレイヤーが必ず敗北する。そのようなものはもはやゲームとは言えない。また、ルールも絶対になければならない。例えるなら駒の動かし方が決まっていない将棋はゲームとして成立しないようなものだ。
ー管理者側の原則ー
壱:ルールに関して嘘をつかない。
弐:不正を行わない。
以上の原則に反した場合、プレイヤー全員に賞金が与えられる。
ープレイヤー側の原則ー
壱:個別のゲームのルールを破ってはいけない。
弐:プレイヤーに危害を加えてはいけない。
参:プレイヤー以外にゲームの内容を洩らしてはならない。
四:ゲームに参加し続ける限りバンドをつけなければいけない。
以上の原則に反した場合、ペナルティが課せられる。
『基本的ルールの説明は終わりました。ではゲーム参加に必要不可欠なバンドをお配りいたします』
黒服の男たちがバンドを配るのかと思っていたが、会場のステージの幕が上がりそこに無数のバンドが並んでおり、どうやら自分で付けろということらしい。ロビーにも受付がいなかったことからも、アレウスは徹底的に人間の介入を避けようとしているのが感じられる。
ステージにはプロジェクター用のスクリーンが掲げられていたが、真っ黒な画面が表示されているだけだった。直哉と逆瀬川も他の参加者に続いてステージにあがると、手の届きそうなところにあった適当なバンドを手にとった。
「ん、これシグマ社の最新のデジタルウォッチじゃないか」
「シグマ社?」
首を傾げる逆瀬川に直哉は説明する。
「バンドの裏に会社のロゴマークが彫ってあるだろ? シグマ社っていうのは近年急激に成長した世界的に有名な時計メーカーの一つだな。何でも飛行機が墜落して全部が木っ端みじんになってもシグマ社の時計だけはちゃんと動いてたっていう噂があるくらい精巧で正確頑丈な作りをウリにしてる」
逆瀬川は「ふーん」と言いながらバンドをパチンと閉じた。マグネットのようなもので固定する仕組みになっているらしい。
「じゃあデジタルウォッチっていうのはなに? ただのデジタル式の時計とは違うの?」
「ちょっと前まではスマートウォッチって呼ばれていたタイプの時計だな。時計盤のところが液晶になっていていろんな情報が表示できるんだよ。このモデルなら確か体温とか脈拍まで表示できたはずなんだが……」
直哉はバンドを操作したが、どうもいつものシグマ社のデジタルウォッチのシステムと細かいところが違っていた。どうやら今回のゲーム用にカスタマイズされたオペレーティングシステムが搭載されているらしく、バンドにはゲームのプレイヤーの人数も表示する機能があるようだった。
「あたし、ブランドの時計には詳しくないんだよね。動けば何でもいいじゃんって思っちゃう」
逆瀬川はそう言いながら左腕に付けたバンドをまじまじと眺めている。
「って何でお前左腕にバンド付けてるんだよ。左利きだろう?」
「あ、そうだった。直哉くんのまねしてたら反対の腕に付けちゃった。えっと……あれ? バンド外れないよ」
「このタイプの時計はデフォルトだとモニタを操作して外すんだよ。今から外してやるから腕を見せろ」
直哉は逆瀬川の腕をとると慣れた手つきでバンドを操作していく。彼女の腕は力を込めれば折れてしまいそうなほどに細く、日焼けしていない肌は陶磁器のように白かった。
「……!?」
バンドを操作する直哉の指が止まった。
システムによってバンドを外すための機能がロックされていた。管理者からのコードがないと解除できないようだった。
硬直した直哉を不思議に思ったのか、逆瀬川が声をかけてきた。
「どうしたの、直哉くん…?」
逆瀬川の腕を掴んだまま、直哉は返事もできずしばらく動けずにいた。参加を強制されたゲームはもう始まっていた。