誕生から一人きり、はじめましてを言うまで。
それは今から一年前。
父親に軟禁されてから三年と少し、エルと庭で遊んでいたときのことだ。
「坊っちゃん?ボーッとしてどうしたのですか?」
僕はトール、下半身が全く動かない状態で生まれてきた出来損ないだ。
そんな僕のことでも気にかけて遊び相手になってくれているのが、傍付きのメイドであるエルだ。
「ううん、少し、考え事してた。もう一回やって、エル姉」
「いいですよー。いいですか?魔力というのは認識のままに形を変えるものなんです。あとは形作ったそれを魔術式で顕現させるだけです」
そういってエルが手のひらから火の玉を生み出す。
(……やっぱり。魔術式に余計な行程が刻まれ過ぎている。魔術自体、廃れて古代技術として扱われているもんな…)
「ねえ、魔術式は自分で考えてるの?」
これは重要なことだ。もし、既存の魔術式であるとしたら、それを作り出した誰かは、意図して魔術を廃らせているということであるのだから。
「いいえ、魔術は魔導書といわれる古文書を解読することで発見され、全ての魔法はそのなかに載っていたものとされています」
(やはり、か)
こうなってくると、何者かの目的は分からないが、古代の魔術を扱うというのはそいつの邪魔でしかないかもしれない。
気を付けなければ、と気を引き締めようとしたその時、屋敷の周りに怪しい気配が無数に現れた。
「「!」」
エルも俺も、構えるのは同時だった。
林の向こうから投げナイフが飛んできた。それをエルは風を操り防いでいく。
「坊っちゃん!そこを動かないでください!なるべく私から離れないで!」
いくらエルとて、この数を相手に護衛をするのは無理がある。魔力を無駄に浪費するエルでは、相手にできる数にも限界がある。
(どうする?守りたいのなら、僕はもう僕ではいられなくなる。半端な力では何も守れない。なら、僕は僕のままこうして守られる方が…)
いつかの記憶と今の体が力とも呼べぬささやかな魔術を使うことすら迷わせる。
迷っている間にも、暗殺者然とした奴らが林を抜け次々とエルに剣を降り下ろしている。
今やエルも攻撃に割く時間もなく、防御結界を張るので精一杯のようだ。
「坊っちゃん…どうしよう。このままじゃ…」
無理だ。俺には守る力はなかった。今じゃ歩くことすら出来ぬこのからだ。
無理だ。あのときも無理だったじゃないか。あのとき無理だったのなら今なんてもっと無理だ。
無理だ。俺には無理だ。
「坊っちゃん!屋敷へ!」
そういってエルは結界を崩すと同時に、暗殺者たちに向かって短剣を片手に突進していった。
(なんで?どうして力もないのに立ち向かえるんだ?)
エルは剣を扱えない。非力なエルフでは、鉄剣など扱えないのだ。
(どうして振るえぬ力を持って誰かを守れるの?守ろうとできるんだ?)
エルも必死であるがゆえになんとか攻撃をいなしているが、小さな傷もつき、だんだん動きが鈍くなってきた。
「坊っちゃんに…手を、出させるかぁぁ!!」
(!?)
無意識だろう。彼女は、詠唱もなく、魔術式もなく、爆破の付与をかけた火の魔法を顕現させた。
その瞬間、思い出した。
この意志の底に燻っている、過去の記憶。
(そうだ、俺も力があったから守ろうとしたんじゃない!守りたいと思ったから力を手に入れようと努力した!)
エルの決死の魔法も、六人を焼き殺しただけで終わり、消耗も激しく膝をついてしまった。
そして暗殺者の剣がエルの首に吸い込まれようとしたその時。
──魔王が、再びこの世に顕現した。
轟。火の轟く音がする。
辺りは一面炎獄の如く漆黒の炎が渦を巻いている。
いつか見た光景だ…
俺が引き起こした地獄だ。あのときも、誰かを守ろうとした。でも、あのときは何もかも手遅れだった。
だが、今度は違う。
「間に合った…」
「ぼ、坊っちゃん?これは一体…」
俺の腕のなかには無傷のエルがいる。転移魔法と黒炎魔法の並列展開を瞬時に行い、間一髪エルを救えた。
「こうして話すのは初めてだな。だが今は先に済ますことがある」
「あ、危ない!!」
背後から忍び寄ってきた一人に切断魔法を顕現。さらに周囲にある敵性生命体すべてに圧縮魔法を顕現。
「な…!?」
僅か数秒で暗殺者は全滅した。これが、かつて魔王と呼ばれたものの力の一部。
(やった…間に合った…)
安堵のせいか、全身から力が抜けていく。
(いや、これは魔力の枯渇か…)
久方ぶりの感覚だと思いながら、俺は意識を失う。
誰かを守った代償は、必ず精算される。次に目を覚ましたとき、俺は大切な何かを失うだろうと確信を得ながら。
「この力は、一体…?」
エルはただ、未知の事への恐怖を感じるかのように、呆然とフールの隣で呟いた。