赤ずきんのお婆さん
森の奥の小さな家に、ひとりのお婆さんが住んでいました。
街から離れたこの家には、三月に一回、孫の赤ずきんがワインやパンを持って訪ねてくる以外には誰も近寄りません。
お婆さんは毎朝森の中を歩いて木の実を集めたり、罠を仕掛けて野ウサギを捕まえたりして生活していました。
ある日のこと、お婆さんがいつものように森の中を歩いていると、怪我をして弱りきった一匹の狼に出くわしました。
「おやおや。ずいぶん酷い怪我だねえ。仲間の狼と喧嘩でもしたのかい?」
お婆さんは狼を家に連れ帰ると、手厚く介抱してやりました。
お陰で狼は、なんとか命を取り留めました。
ところが、狼はお婆さんの親切が不思議でならない様子です。
狼は、お婆さんに向かって言いました。
「なあ婆さん。アンタ、俺みたいな狼を助けたりして、一体何を企んでいるんだ?
…ああ、もしかして俺に喰い殺させたいような、胸くその悪いヤツでもいるのかな?
言っておくが、俺はあくまで狼だ。
嫌な人間も恩人の婆さんも…
俺にとっては皆一様に、美味そうな肉でしかないんだぜ?」
口元から鋭い牙を覗かせ、ニヤニヤと恐ろしい笑みを浮かべている狼。
けれどもお婆さんには、少しも怯えた様子がありません。
「そんな物騒なことなんて、アタシはひとつも望んじゃいないよ。
アンタは時々人間を喰らうかもしれないが、アタシだって時々野ウサギのスープを喰らって生きてきたんだ。
アンタとアタシに、大した違いなんぞありゃしない。
アタシを喰いたきゃそれもいい。
だけど、せめて怪我が完全に治る頃までは、大人しくアタシの世話になっといた方が賢明だと思うよ?」
「……。」
狼は暫くの間、黙ってお婆さんの顔を見つめていましたが、やがて静かに笑ってこう言いました。
「そうだな、婆さん。全くもってその通りだよ。
怪我が治るまでの間、アンタとだったら仲良くやっていけそうな気がするぜ。
暫くの間世話になる。宜しく頼むよ。」
こうして、お婆さんと狼…
一人と一匹の生活が始まったのです。
「狼さんや、お食べなさい。
今晩のメニューは野ウサギのソテーだ。たっぷり食べて怪我なんてさっさと治しちまいな。」
「ああ、ありがとうよ。コイツは俺の大好物だ。」
「さて、今夜はそろそろ眠りなさいな。
その前に包帯を巻きなおしてやろう。」
「悪いね、婆さん。宜しく頼むよ。」
そんな日々が一ヶ月ほど続きました。
狼の怪我がすっかり良くなってきた頃、今度はお婆さんが風邪をひいて体調を崩してしまったのです。
「なあ、婆さん。さっきそこで狐を一匹仕留めたぜ。
今日の夕食はコイツにしよう。」
「ああ、すまないね。
しかしアンタ、もう怪我はすっかり治ったじゃないか。無理してここにいることはないんだよ。」
「馬鹿言うな。俺は俺の意志でここにいる。好きなようにさせてもらうぜ。」
「……ありがとうよ、狼さん。」
「…ああ。」
体力のある若者であれば、風邪などすぐに良くなることでしょう。
けれど、年老いたお婆さんはそのまま体調を崩して、とうとう寝たきりになってしまいました。
お婆さんに残された時間は、あと僅かです。
今際の時に、お婆さんは狼を側に呼び寄せてこう言いました。
「…ねえ、狼さんや。
ひとつだけ、お願いを聞いてはもらえないかい?
アタシが死んだらさ、アンタ…、アタシを食べてほしいんだ。」
「何言ってやがる!こんなに長いこと一緒に暮らして…
今更、俺にアンタを喰える訳がねえだろう!」
狼は怒っているような、泣いているような、悲しい顔をしています。
「…そう言わずにさ、頼むよ。
初めて会ったとき、アタシは“アタシとアンタに大した違いなんてない”なんて言ったがね。
本当言うと、アタシはアンタに憧れてたんだ。
どこにも行けない弱った年寄りのアタシとは違って、
力強く、何処へでも駆けていけるアンタが羨ましかった。
例え死んでも、アンタに喰われてアンタの血肉となったアタシは、アンタと一緒に何処までも駆けていける。
ずっと一緒に、風を切って何処までも。
そうして欲しいんだよ。
…駄目かい?」
「…解った。アンタが死んだら、俺はアンタを喰う。
そして、アンタを連れて何処までも走り続けると約束するよ。」
お婆さんが亡くなって、狼は約束通り、お婆さんを食べ始めました。
そのとき――。
「こんにちは、お婆さん。
私、赤ずきんよ。ワインとパンを持ってきたわ。
ねえ、おば…―――!!」
「キャー!誰か助けてー!!
悪い狼がお婆さんを食い殺してしまったわ!!」
赤ずきんの悲鳴を聞きつけてやってきた腕利きの猟師は、一発で狼を仕留めました。
「もう大丈夫だよ、お嬢さん。
悪い狼は死んでしまった。
お婆さんを助けることは出来なかったけれど、君が無事で良かった…。」
猟師は、誠実で優しい、とても良い人です。
赤ずきんは猟師に心から感謝しました。
「ありがとう、猟師さん。
ねえ、猟師さんは動物を仕留めて食べるのでしょう?
なら、この恐ろしい狼のことも食べてしまうの?」
赤ずきんの質問に、猟師は左右に首を振って答えます。
「いや、狼なんて食べないよ。
狼の肉なんて、食べても美味しくないからね。狼はこのまま捨て置くさ。」
「ああ…、すまねえな、婆さんよ。
約束、守ってやれねえや……。」
倒れ伏す狼が最期に流した涙に、気付いた者はありません。
《E N D》