蝶と魔法使い
深い深い森の奥、
美しい花々の咲き誇る、不思議な花園がありました。
この不思議な花園には、世界中探しても見つからない、幻の虹色蝶がたった一匹だけ棲んでいるのです。
とても綺麗な虹色蝶。
しかし彼女は、今はもう上手に空を飛べません。
以前、蜘蛛の巣に引っかかってしまった時に、必死で逃げ出して羽を痛めてしまったのです。
ある晴れた日のこと。
この世でたった一匹の美しい虹色蝶を求めて、不思議の花園に魔法使いがやってきました。
「こんにちは、虹色蝶さん。私はしがない魔法使い。
どうしても貴女を手に入れたくて、遠い街からやってきました。
どうか私の家に来ていただけませんか?
見たところ、貴女はもう、ろくに飛ぶことも出来ないご様子。
ここでの暮らしは何かとご不便も多いでしょう。
私の家で暮らせば、雨に打たれることもなくなるし、蜘蛛に襲われる心配もなくなりますよ。
お食事は毎食、この花園の花の蜜をお出ししますし、貴女に似合いの七色の宝石細工でしつらえた、美しい籠に住まわせてあげます。
どうです、素晴らしいでしょう?
ぜひ、私の家に来て下さい。」
虹色蝶はぎこちなく羽をばたつかせ、不恰好ながらもなんとか魔法使いの近くまで飛んできました。
「ごめんなさい、魔法使いさん。
お気持ちはありがたいけれど、一緒には行けないわ。」
虹色蝶の返事を聞いて、魔法使いは目を丸くしました。
「何故です?
私の家には、貴女に必要なものならばなんでもあります。
私は、貴女の望みならばなんでも叶えます。
一体何がご不満ですか。」
虹色蝶は答えます。
「いいえ、貴方に私の望みを叶えることは出来ないわ。」
この言葉に、プライドの高い魔法使いは、虹色蝶が自分のことを馬鹿にしているのだと考えて、ムキになって言い返しました。
「私は魔法使いです。私に出来ないことなどありません。
貴女の望みを言ってごらんなさい。今すぐ叶えてみせましょう。」
虹色蝶はフラフラと無様に飛びながら言いました。
「私が何より愛すもの。貴方の檻にはそれがない。
私が何より愛すもの。それはこの美しい花園の、広大なる空。
だからね、魔法使いさん。私、貴方とは行けないの。」
「…幾ら愛せども、貴女のその羽では精々花から花へと飛び移るのがやっとのご様子。ここに居ても、もう高い空など飛ぶことは出来ませんよ。」
意地悪く言い捨てた魔法使いに、虹色蝶は哀しげに笑いかけました。
「ええ、解っているわ。
だから言ったでしょう?貴方に私の望みを叶えることは出来ないと。」
「……いいえ、出来ますよ。出来ますとも。
私は至高の魔法使い。ちっぽけな貴女の、取るに足らない望みなど、幾らでも叶えてあげましょう。」
苛立たしげにそれだけ言って、魔法使いは花園に背を向けて歩き去っていきました。
こうして、花園には虹色蝶と美しい花々だけの静かな時間が戻ってきました。
そして、虹色蝶がいつものようにぎこちなく羽ばたいたその時。
その身体はふわっと軽く舞い上がり、ひらひらと優雅に、空高くどこまでも飛び回ることが出来るようになっていたのです!
「ああ、なんということでしょう。またこんな風に飛ぶことが出来るだなんて、まるで夢のよう。
こうして自由な空で舞い踊ることが出来る日を、どれだけ待ち望んできたことか…!」
ひらひら、ひらひら。
ひらひら、ひらひら。
美しい花園の広い空を優雅に舞い飛ぶ、世界一美しい虹色蝶。
しかし――。
哀れ、虹色蝶は巨大な蜘蛛の巣にかかり、逃げること叶わず。
そのまま、おぞましい毒蜘蛛の餌食となりました。
深い深い森を抜け、街へと戻った魔法使いは、歪んだ笑みを浮かべて呟きました。
「そう、私は至高の魔法使い。
私に叶わぬことなど何もない。
虹色蝶よ、約束通りお前の望みを叶えたよ。
下らぬ望みなど捨てて、美しいまま私の物になっていれば良かったものを。
私の物にならないお前に、興味はない。
望み通りに空を舞って、そして蜘蛛に喰われて死ぬがよい!」
蜘蛛に喰いちぎられて無残な最期を迎えた虹色蝶。
美しかった彼女は、もうどこにも居りません。
それでも彼女は幸せでした。
再び、愛する空を飛べたから――。
《E N D》