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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

請い文

作者: 春馬

拝啓、親愛なるキミよ。


最近は滅法寒くなってきたが、体調を崩してはいないか。

キミは確か、喘息の気があったな。気温の変化は、喉に負担があるのだろう。こうしていきなり寒くなると、キミはいつも酷い咳をしていたのを憶えている。

今にも胃の物をすべて吐き出してしまいそうな酷く下品な咳をするもんだから、こっちはいつも冷や冷やしながら見ていた気がする。

あの咳は、馴れない人間は相当驚く。どうにか喉と肺を大切にしなさい。



こっちでは、一昨日雪が降った。

まだ積もりはしないが、そろそろ雪かき用のスコップを物置から出して来なければいけないだろう。


そこでだ、キミに聞きたい。

昨冬まではキミが雪かきをしてくれていたから、私は、どこにスコップがあるのかわからない。

今朝物置に行ってみたが、綺麗に整頓されているのに、スコップだけが見当たらない。

そういえば、スコップの端が欠けたとかなんとか言っていなかったか? もしかして、捨ててしまったのか?


あのスコップは軽い割には丈夫で重宝していたのだが。同じスコップを店で探したが、何軒回っても無いんだ。

もし捨てていないなら、どこにあるのかだけ教えて欲しい。

いや、捨てたのならば別にいい。新しく別の物を買うだけだからだ。

ただ、まだ物置のどこかに有るなら、一言でいいから返事が欲しい。



ところで、キミは今、どういう生活をしているんだろうね。

キミからまったく連絡が来ないから、キミが生きているのかどうかもわからない。

今こうしてキミ宛の文が届いているのだから、少なくとも、まだキミは生きているんだろう。



東京の大学は、楽しいか。

私から見てもキミはとても賢いから、きっと優秀な生徒なんだろう。

田舎出だからと馬鹿にされてはいないか。いや、心配はしていない。キミは、馬鹿にされてめげるような子ではないと知っているから。

けれど、もし、何か嫌なことがあったら、いつでも話を聞いてやろう。



私も一人暮らしはもう充分に馴れた。

もっとも、キミが来るまではずっと一人だったのだから、元の暮らしに戻っただけなんだけれどね。

キミが出て行った頃はどこに鍋が閉まってあるのかもわからなくて困ったが、今では味噌汁だって作れる。ただ、キミのように上手には作れないが。



キミが密かに魚の皮なんかをあげていた近所の野良猫が、子どもを産んだようだ。

それも大量にだ。

私は小さくてもふもふとした生き物が苦手だが、キミが見たら発狂して喜ぶのだろうな。


キミは、普段は物静かなくせに、猫と触れ合う時は妙に饒舌だった。

ぺらぺらと喋り続けるキミを見ているのも、まあ、悪くはなかった。

あいつら、キミがまだ家にいると思って、度々魚の皮を貰いにくるんだ。そのせいで、私はいつも魚を焼いてやらなければいけない。

焦がさないように焼くのは難しいんだ。まったく、迷惑な話だ。



キミが追い出されたあの寮が、春に取り壊されることになったそうだ。

決してキミが床を踏み抜いたからではないよ。キミが床を踏み抜いた時にはもう、寮の取り壊しは決まっていたらしい。


だからあそこの寮長も、そんな些細なことでキミを放り出したのだろうね。

いずれは、同じように放り出さなければいけないのだから、冬が来て野宿が辛くなる前にそれを実行しただけだったみたいだ。



ただ、キミは運良く私に拾われたが、もしあの時私が通り掛らなかったら、そして私がキミだと気付かなかったら、どうなっていたんだろうね。

時折そういうことを思うようになった。

文系のキミだったなら、奇跡だとか、運命だとか、青臭くて気恥ずかしい言葉で説明するんだろう。まったく、文系とはつくづく合わないと思う。



例えば、だ。

あの時私が、キミがかつての教え子だと気付かなかったら、どうなっていたと、キミは思うだろう。


私は、キミだったら上手く渡り歩いて、いつの間にか令嬢の婚約者なんかになっていそうだなと思うんだ。

キミは、大人しいように見えて、案外したたかだったからね。

それに、とても見目が良い。目の肥えたお嬢さんも、キミには見惚れてしまうだろう。



私も、見惚れてしまった。

砂埃で薄汚れていたキミに、私は目を奪われて足を止めた。キミが私を「先生」と呼ばなければ、キミが教え子だったことを思い出さなかったかもしれない。


キミは中学を卒業してから、羽化したのだろうね。

厚いレンズの眼鏡を掛けて教室の隅で本を読んでいたキミと、今のキミが同じ人間だとは、俄かに信じ難い。


冴えない私には、今のキミはあまりにもきれいすぎたよ。

キミのその容姿は、きっと東京でも群を抜いているに違いないだろう。今のキミの武器でもある。美貌は十分に世間を渡り歩く武器になるんだ。


けれど、使い方を間違ってはいけないよ。

少なくとも、私にしたようなことは、他の人にはしてはいけない。決してだ。これは、同居人としての私としてではなく、教師としての私からの助言だ。きちんと守りなさい。



先日、キミと同級だった子から、結婚したという手紙が届いた。

まだ成人していないのに、子供も出来たらしい。驚きはしたが、きちんと式を挙げたのだから、それに中学の頃の担任にまで律儀に手紙を出すのだから、きっと幸せな家庭なのだろうと思う。

届いた写真も、とても幸せそうだった。同封しているから、見てみるといい。


キミと同い年の子が結婚して子供を育てていると考えると、どうにも不思議な気持ちになる。

中学の頃とは違うのだと、もう子供では無いのだと、そう告げられているような気持ちになる。

キミは歳の割にはしっかりしていた方だったが、けれどまだ、私はキミを教え子としてしか見ていなかった。

いつまでも子供だと、甘く見ていた。だから、キミが望む言葉を返すことは出来なかった。




キミには未来がある。

これはキミがここを出て行く時にも言ったが、今でも変わらずにそう思っている。

キミには、まだ沢山の物を知り、者を知り、物を学び、者を学ぶ権利がある。

私という人間と共に生きることを選べば、キミに与えられた権利という名の自由は、拘束されるだろう。


キミが遠くへ行き、多くのものを時間を掛けて学びたいと願っても、私という足枷が、キミをここへ留めてしまう。

大人とは、そういうものだ。

大人は自由ではない。大人であるというだけで、勤労の義務に縛られる。



私はキミを、縛りたくはなかった。まだ、キミには子供でいて欲しかった。

キミは、学ぶべきだ。

私のもとを離れ、その目で、その脳で、細胞のすべてで、余るほどに学ぶべきだ。



キミが私の隣を望んだことは、何の変哲も無い一教員である私にとっては、何よりも幸せなことだったと思っている。

ただ、私の幸せとキミの幸せは違う。


キミはまだ若い。これから、もっと大きな幸せに出会えるだろう。

こんなちっぽけな場所で、ちっぽけな感情に同調する必要はない。


キミにしてみれば、突き放した人間が何を言うかと憤るのかもしれないが、文のひとつくらいは返して欲しい。

いざという時に頼る大人を、一人は持っておいた方がいい。

キミが困っているのならば、私は必ずキミを救いに行く。

だから、連絡はしなさい。



この文が届いたなら、すぐに筆を取りなさい。

たった一文、「生きている」だけでも良いから、必ず返事を書きなさい。


返事を書いたら、この文は破り捨てなさい。けれど、私からの忠告は胸の内に留めておきなさい。



勝手なことを言う私を恨みなさい。

そして怒りなさい。憶えた感情を忘れないようにしなさい。

そして、私以外にはその感情をぶつけないようにしなさい。



私はここで、キミがずっと健やかであることを願っている。そんなことしか出来ぬ私だが、許してほしい。

私はいつまでも、キミを想っている。

文才の無い私にはそれしか書けない。文豪たちのような洒落た言葉など書けない。

けれど、私が理解できない文系脳というのは、質素な一文すら一夜掛けて思案して真意を探ってくれるのだろう。

どうかキミが、意味を正しく汲み取ってくれることを祈っている。


体を大事に、勉学に励むように。


敬具


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― 新着の感想 ―
[良い点] 主人公の気持ちにとても共感できて、とても感動できる良い作品だと思う。 いつまでも人を思う大切さがとても良く解る。 [一言] こんばんは。いつもワクワクしながら拝読させて頂いております。 個…
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