五季~春・夏・秋・冬・君~
正月、時間のあるときになんとなく文字に起こしてみた作品です。
僕はクリスマスの過ぎた次の日、つまり12月26日の午前中、一人で公園のベンチに座りながら、時計を見上げていた。
「はぁ」
吐く息は白く、地面には霜が立っている。
夏にはきれいに芝の絨毯がひかれ、木々が青々と生い茂り、子連れの家族やペットを遊ばせている飼い主が多く見られる。
しかし12月に入ってから一気に寒くなった。
どれだけ服を着込んで防寒対策をしようとも、端から体温が奪われていく。
そのせいでこの公園に人影はほとんど見られない。
たまにただ目的地への道として通り過ぎる者や、散歩をされているご老人が見られる程度だろうか。
「はぁー」
僕は手を口元で重ね、息を吐いて指先を暖める。
遠くで車が走る音だけが僕の耳へと吸い込まれる。
いつからここにいたのだろう、体の感覚は寒気によって曖昧になり、意識もこの息のように白くぼやけていく。
何をするでもなく、ただ時間だけが過ぎてゆく。
「――――パイ」
「東堂先輩!」
そんな声が僕のかじかんだ意識に火を灯す。
時計に釘付けになっていた目を、声のしたほうに向ける。
そこにいたのは、ウィンドブレイカーを着てランニングシューズをはいたショートカットの女の子だった。
「やぁ、林さんじゃないか」
「やぁ、じゃないですよ」
彼女は大学のテニスサークルで一緒だった、後輩の林舞さんだ。
彼女とは家も近くて、僕が大学を卒業した後もこうやってたまに出会うことがある。
「何してるんですかこんなところで?」
「いや……ちょっとね」
彼女は少し息が荒く、しきりに白い息を吐き出し、そして頬も赤く染まっている。
「君こそこんなところで何をしてるんだい?」
「私は走ってたんです!」
彼女は得意げに、大きな声で腰に手を当てそう叫んだ。
「私運動するのが好きだから、休みでもついこうやって体を動かしたくなるんです」
そういえば昔そんなことを言ってたのを聞いたことがあったかもしれない。
「それはいい心がけだね」
僕なんて卒業して就職してから、ほとんど体を動かしていない。
「そうだ先輩、前から一度聞いてみたかったんですけど」
彼女はそう言うと僕の隣に腰を下ろした。
彼女が動くたびに聞こえるナイロンのこすれる音が、妙に懐かしく感じた。
「なんだい?」
「先輩に、彼女っていらっしゃるんですか?」
「ああ、いち――」
「やっぱりいらっしゃるんですね!」
この子は昔から、人の話を最後まで聞かないという悪癖がある。
何度言っても七割方かぶせ気味に話を進めるのだ。
人の話を聞くより、自分の言いたことが先行してしまうちょっと困った子だ。
「あの、はや――」
「どんな人ですか?」
本当に人の話を聞けない子だな……
「あのね、林さん」
「あってみたいなぁ、ねぇ今どこにいらっしゃるんですか?」
彼女はようやく黙ると、答えをせかすように僕ににじり寄ってくる。
「……えっと、彼女はねこの前事故で……トラックに――」
「えっ、ごめんなさい、私……」
林さんは目を大きく見開き、口に手を当て驚きを見たかと思うと、立ち上がり必死に頭を下げた。
「……別にかまわないよ」
「あのー、失礼ついでにもうひとつ聞いてもいいですか?」
「どうぞ」
僕は公園の時計を見つめ、うなずいた。
すると彼女はもう一度ベンチに腰をかけなおす。
「彼女さんとの思い出なんて、教えていただけたりしないでしょうか?」
僕と、彼女の思い出か……
まあここで彼女について思い出す、というのも悪くはないかな……
僕は肺いっぱいに冷たい空気を吸い込み、長い時間をかけ吐き出した。
「そうだね、彼女と出会ったのはいつのことだったかな――――」
僕はゆっくりと、記憶の海へと潜ってゆく。
◆◇◆
彼女、西条愛理に出会ったのは、一年前の今頃の季節だった。
その日僕が大学から帰ろうと校舎を出ると、突然雨が降り出した。
徒歩にもかかわらず傘を持っていなかった僕は、その場で何十分も立ち往生をしていた。
そんなところに現れたのがアイリだ。
彼女はとてもきれいだった、よく手入れのされた長い髪、整った目鼻立ち、すらっと高い身長に、モデル顔負けのスタイル。
アイリは立ち止まっている僕に気付くと「傘、入りなよ」とそう笑顔で声をかけてくれた。
でも僕は断った、だって彼女が持っていたのは小さな折り畳み傘だったからだ。
それでは彼女に迷惑をかけてしまう。
しかしアイリは傘を開くと、強引に僕の手を引き歩き出した。
でも僕は結局校門を出たところで彼女の傘から出て、ぬれて帰ることになった。
◆◇◆
「どうしてですか?」
おとなしく話を聞いていた林さんだったが、とうとう痺れを切らして声を漏らす。
その目には早く先を教えてくれと書かれているようだった。
「それはね、僕と彼女の家がまったくの逆方向だったからだよ」
それを知ったときのアイリの顔は本当に面白かった。
大きく目を開いた後、笑いたいのと謝りたいのが一度にきたのか、口を鯉のようにパクパクさせていた。
しばらく二人して見詰め合った後、アイリは傘を貸してくれると言ったがさすがにそれは断った。
そして引き止める彼女の声を無視して、僕は降り注ぐ雨にその身をさらした。
「それだけですか? よくそれで進展しましたね」
「はは、そうだろ」
僕だってそう思ってた、名前も学年も知らない目にするのも初めてな人間と少し関わっただけ、それだけでそこから何か先があるなんて考えもしなかった。
「で? どうやって近づいたんですか?」
林さんはそう言って先を促す。
そしてまた僕は記憶の海へ飛び込んだ。
◆◇◆
次の日、僕はいつもどおり大学で講義を受けていた。
退屈な講義で集中を切らしふと横を見ると、そこにいたのはなんと彼女、アイリだった。
それから僕とアイリはたびたび出会うようになった。
今だから言えることだけれど、これは運命だったと思う。
僕たちはたった数週間でみるみる仲がよくなった、それはもう昔からの幼馴染じゃないかと言われるくらいに。
僕の消極的な性格と彼女の積極的な性格、まさに真逆の性格だったがそれがうまく噛み合ったのだ。
はじめは講義や大学内でだけの付き合いだったが、いつしかプライベートでも合うようになっていた。
冬、アイリと初めて行った初詣。
彼女は見せびらかしてやると冗談めいて言い、振袖を着てきた。
一面銀世界の中で見た彼女の振袖姿は、とても鮮やかだった。
それをうれしそうに見せびらかす彼女の笑顔は一輪の花のようで、どんなに素晴らしい着物より綺麗だった。
――そしてこの冬、僕は彼女の笑顔に惹かれた。
春、アイリと花見に行った。
場所はもちろん今いる公園だ。
夏は緑でいっぱいだが、春には桜が咲き誇る。
桜が満開になればたくさんの花見客で埋め尽くされるこの公園、僕はアイリに頼まれて朝早くから場所取りに来た。
狂ったように咲き乱れる桜の木々たちの下で微笑むアイリ。
お酒を飲んで少し赤くなった彼女の頬はまるで桜みたいで、その笑みはどんなに美しい桜の花よりも美しく咲いていた。
――そしてこの春、僕は彼女の笑顔に恋をした。
夏、アイリと祭りに行った。
地元に流れる川に面した大きな公園で行われる、結構大規模な夏祭り。
僕は人ごみを嫌ったが、アイリに強引に家から引っ張り出され連れて行かれた。
浴衣を着た彼女はまるで幼い子供のように屈託なく笑い、周りの目も気にせずはしゃぎ、走り回った。
彼女は色とりどりの花火を見上げて、なぜだか涙を流しながらくしゃくしゃになって微笑んだ。
僕は花火じゃなくて、花火によって七色に輝く彼女の笑顔に、思わず泣き出しそうになった。
――そしてこの夏、アイリは僕の彼女になった。
秋、アイリと紅葉狩りに行った。
僕とアイリが、リビングで二人してくつろいで見ていたテレビ、そこで紅葉の名所特集が流れた。
それを見た彼女が見に行きたいと言い出し、その日のうちに家をとび出した。
真っ赤に燃え上がるもみじの下で、その圧倒的な美しさにみとれ破顔するアイリ。
そんな彼女の満面の笑みに、僕の心はもみじの色よりも赤く、燃え上がるように熱かった。
――そしてこの秋、僕たちは愛を深めた。
そして今年、季節めぐり彼女と出会って2度目の冬がやってきた。
二人で過ごす初めてのクリスマスが訪れようとしたその朝のこと。
クリスマスケーキを自分で作りたいと言い出した彼女は、雪の降る中一人自転車で近所のスーパーに行った。
そしてその帰り、坂で滑ってしまい止まれなくなった彼女は、そのまま道にとび出してしまい、トラックと衝突して……
◆◇◆
「どうしたんですか、センパイ?」
林さんの声で、記憶の海に漂っていた僕の意識は、再び公園へと引き戻された。
「ああごめんね、なんか色々あったなって思って」
僕は冷え切った頬に流れる熱い雫に気付き、それを手でぬぐった。
彼女との毎日、それは本当に夢のようだった。
アイリが現れてからの一年は嵐のように一瞬で過ぎていった。
もちろん楽しいことだけじゃなかった、喧嘩もしたし、辛いこと、苦しいこともたくさんあった。
でもどんなときもその中心にいたのはアイリだった。
きっと彼女とだったからこそどんなことでも乗り越えられた。
今思い返してもアイリの笑顔は僕の心に鮮明に焼きついている、今後どんなことがあっても、この思いでは色褪せることはないだろう。
「彼女さんだいぶアクティブな方だったんですね」
「そうだね、本当にそこが良いとこでもあるし、困ったとこでもあるよ」
だが彼女がいたおかげで、僕はたくさんのことを学んだ。
アイリがいなければ一生行くことのなかったような場所、見ることのなかっただろう景色。
彼女はそんなかけがえのないものを僕にくれた。
「そうですか……」
それから林さんは口をつぐみ、僕もこれ以上口を開くことはしなかった。
突然降り出した雪にあたりの音は吸い込まれ、公園はそこに誰もいないように静寂に包まれた。
僕と林さんが吐く白い息が、天使の羽のような雪と重なって揺れる。
僕は時計を見上げたまま、林さんはうつむいたまま、静かに時が流れる。
「――――や」
そんな静寂を切り裂くように、僕の耳の奥に声が響く。
「みきやー」
それは僕の名前を呼ぶ声だった。
僕は声のする方向を見て立ち上がる。
「ごめんね林さん、彼女が来たからもう行くよ」
「えっ? 彼女って、えっえ? どういうことですか? 彼女さんて、亡くなったんじゃ……」
「本当にどうしようもない子だなぁ、彼女はこの前事故で入院して今日退院するんだ。それでここで待ち合わせしてたんだよ……」
僕は林さんの方に向き直ると、着ていたコートのポケットから小さな箱を取り出した。
そしてその箱を開け、中を林さんに見せる。
「そ、それって」
林さんは小さく光る箱の中身を見て、口を大きく開けた。
「そう、今日プロポーズするんだ」
「幹也ー! 早くー!」
アイリは僕の名前を叫びながら、両手を挙げてブンブンと振り回している。
「ああ、今いくよー」
「じゃあまたね」
僕は林さんに軽く手を上げ挨拶すると、アイリの元へと駆け出した。
――こうして僕に彼女の季節がやってくる。
ストーリーに色々無理やりな点がありますが、許してやってください。
ごめんなさい。