墓
去来したのは私自身の屍だった。
高層マンションの最上階である。5000万円で私が買ったものだ。65インチの壁掛けの液晶テレビがあり、耐火性の頑丈な金庫があり、しかし冷蔵庫は空っぽである。少し前までビニールのような毛並みをしたチョコと名付けられたマルチーズがいたが、今はどこかに行ってしまった。もう戻ってくることはないだろう。そこは動物がいるべき場所ではない。
その無菌室のような部屋に私が倒れている。テレビ画面の向こう側で我が子が拷問にかけられているような諦観と強烈な哀しみを湛えた目をしている。焦点はどこにも合っていない。拷問にかけられていることだけがわかっているけれど、どこを探してもそれは見つからないのだ。
死体はやがて腐敗していく。私の中と外の軟らかさをもっているものはすべて流れ出ていき、私の存在は徐々に融解する。臓物や目や脂肪はひとつに混ざり合う。それはワックス掛けされたフローリングに広がり、蒸発するには多くの時間がかかる。残滓は板目に入り込む。右手薬指の根元まで下がってしまった控えめな3カラットのサファイアの指環はプラスチックのようにすべやかであるが、それを認める者がいなくなった今はどろどろに溶けた私の臓物といくらも変わらない。
腐臭ももちろんするはずであるが、そこは無菌室のように清潔であり、清潔であると私は信じていた。だからそこは清潔だった。しかも、そこは最上階であり、ほかの階よりも空気が薄かった。なにより、腐臭を感じる人間がどこにもいない。だからほんとうに清潔だった。
最後には白い骨だけが残る。眼窩は目があったときよりもしっかりと何かを見つめているように見える。最後の不純物を洗い流して骨の潔癖な白さが現れた時、5000万円のマンションの完全に清潔な調和が完成する。
豪奢な装いと豪奢な精神によって私の肉体は駆逐されるのだ。