Ⅱ 精霊 ――Spirit――
没作の続きに手を加えてみました。これ以降はプロットしか残っていないので次話の投稿までかなり時間がかかると思われます。御容赦下さい。
召喚術には一つの問題がある。召喚した対象を送り返す送還術が未だ確立されていないことだ。召喚術の歴史自体は決して浅いものではないが、それでも召喚術を扱える魔術師が圧倒的に少ないのが理由の一端を担っている。
そのため、召喚された対象――主に精霊――は使役された後放置されることになる。精霊の場合勝手に自分達に適した土地に住み着くので問題になることはないはずだった。今回のケースを除いては。
夕方の学食棟はいつも人で賑わいを見せていたが、今日のざわめき方は普通ではなかった。食堂中の生徒達が押し合いへし合いしながら一箇所へと固まっている。その中心はぽっかりと空いていて、そこに一人の白髪の男子がいた。
「凄え……。精霊があんなにいる」
「見る限り二十以上はいるぞ」
「あいつって『マジックキャンセラー』だよな。何で魔術が使えないはずのあいつが……」
「ヴァイス君おどおどしてて可愛いー」
「なあ、それどうしたんだ?」
周りから絶え間なく浴びせられる言葉にヴァイスはあたふたしていた。その周囲には緑色の光球がふわふわと漂っている。木の精霊達だ。
ヴァイスがどうしようもなくおろおろしていると、群集をかき分け一人の男子がヴァイスの前に来た。コーラルだ。
「……どうしたんだ? それ」
「コーラル先輩! 実は――」
そしてヴァイスは話し出す。今日の昼過ぎに起こったことを。
◇
ヴァイスに抱きついていたイリアが身を離した直後のことだった。召喚陣の上に漂っていた精霊達がヴァイスに纏わり付いてきた。
「イリア。これは?」
「えーと、ヴァイスの魔力を吸ってるんだと思うよ。ほら、精霊は魔力を吸って、そこに込められた指示に従って力を使うでしょ? ヴァイスは普段から魔力を垂れ流しにしているから、それ目当てでくっついてきてるんだよ、きっと」
イリアの説明に納得する。精霊にとって魔力は必須のものではないが嗜好品の様なものだ。虫が蜜にたかるようにヴァイスに集まっているのだろう。
「召喚した精霊ってどうすればいいんだっけ?」
「魔力の供給を切れば後は勝手に何処かへ行っちゃうよ」
ヴァイスの背にはもう光の羽はない。つまりここにいる精霊はヴァイスの普段周囲に張り巡らされた魔力――魔力素を世界の裏側に押し戻す力を吸収しているということになる。
「……どうやれば魔力を消せるんだろう」
無意識に放出していた魔力を消す方法が思いつかない。このままではずっと精霊達に纏わりつかれることになる。
「無意識に放出される魔力は薄い。精霊は意図的に魔力を供給しないとすぐに何処かへ行ってしまう。……本来なら」
「アリス?」
「貴方は特別。無意識に放出している魔力がひどく濃い上に魔力の質が違いすぎる」
アリスが平淡な声で説明してくれる。だがよくわからない部分もある。
「ねえ。魔力の質が違うってどういうこと?」
「魔力を色で表すならば、私達の魔力は万色たる黒。たまに偏って緑とか赤になる者もいるけれど、貴方のような色にはならない。あなたの色は、決して黒からは生まれでない白。その魔力は、黒に属するものにとっては最高の嗜好品となる。それは緑の色である精霊も同じ」
つまり、ヴァイスの魔力は精霊達にとってこの上ない餌ということらしい。
「分かった。それで精霊達を野に返すにはどうしたらいいの?」
「魔力の供給を断つしかない」
無意識の魔力の放出を止める。どうすればそれができるのか、ヴァイスにはさっぱり分からなかった。
「どうしよう。このままだとずっと付いて来ちゃうよね」
常に精霊に付きまとわれる。それはひどく面倒な事態を呼びそうだった。
「とりあえず、ボクの部屋に行こうよ」
そう言ってイリアが宙に浮く。その後に続こうとヴァイスは背中に光の羽を展開――できなかった。
「あれ?」
「どうしたの? ヴァイス」
何度か試してみるけれど宙に浮くことが出来ない。アリスが近寄ってきてヴァイスの背中をぺたぺたと触る。
「魔力素を吸収するための魔力も精霊に吸収されてる。これじゃ魔術は使えない」
「そ、そんな……」
このままでは魔術は一切使えない。三ヶ月後の誕生日の召喚も諦めなければならなくなる。
「とりあえず、歩いて帰ろっか」
そう言ってイリアが地面に降りてくる。
それから森を歩いて寮まで帰り、女子寮のイリアの部屋に通された。
白い壁に小さな花の絵が飾られている。棚にも魔導書などと一緒にぬいぐるみなどが飾られており、パステルカラーの敷物が可愛らしい女の子の部屋だと感じさせてくれる。アリスの部屋とは大違いだ。なぜ姉妹であるのにこうも違うのだろう。
「それで、どうする?」
部屋の真ん中にある丸いテーブルを囲んで話し合う。
「私が全部殺そうか?」
「駄目だよアリス。この子達はただ喚ばれて来ただけなんだから」
物騒なことを言うアリスに釘を刺す。アリスはやや不機嫌な顔でヴァイスの周囲を漂う精霊を見つめていた。
「じゃあヴァイスが魔力を抑えるしかないけど……」
「ごめん。どうやったらいいのか分からない」
イリアと共にため息をつく。
「一時的に魔力を抑える魔法薬を作ろうか?」
そうアリスが提案する。なるほど、無理矢理魔力を出せなくするわけだ。
「お願いしていい?」
「分かった。ただし、貴方にも手伝ってもらう」
「薬を作るのを?」
「貴方には別の薬を作る手伝いをしてもらう。等価交換。これだけ濃密な木の属性のマナなら充分出来る」
何が出来るのかは深くは聞かない。アリスの部屋の棚には蛍光ピンクやオレンジ色に発光する薬など、見るからに毒々しい薬があった。どうせろくな薬では無いだろう。だが、今はアリスだけが頼りだった。
「分かった、お願いするよ」
「あ、お姉ちゃん。ボクも手伝うよ」
◇
「――というわけで、今アリス達に薬を作る準備をしてもらっているところです」
「そうか。……しかし凄いなこの数は。噂に聞く『アンデッド』のようになれるんじゃないか?」
コーラルがとんでもないことを口にする。『アンデッド』とはある冒険屋の異名だ。体内に十八もの木の精霊を宿したその冒険屋はどんな傷を負っても瞬時に再生するという。またその再生力の副次作用で凄まじい膂力を発揮するらしい。
「でもこのまま魔術を使えないのは困りますよ。早いところこの子達にはお引取り願わないと……」
「まあ、とりあえず飯を食って元気を出せ。おい! 通らせてやってくれ!」
コーラルの言葉に従ってヴァイスを取り巻く集団の一部が割れる。その狭い隙間をコーラルに引っ張られてなんとか抜け出すことが出来た。
コーラルとヴァイスを先頭に、配膳口に長蛇の列が出来る。基本的に学食はセルフサービスだ。コーラルに連れられるまま食堂の片隅に座るヴァイス。ヴァイスの前にはコーラルと艶のある黒髪の女子が座っていた。
「あ、アリシア先輩。こんばんは」
「こんばんは、ヴァイス君。大変そうね」
おっとりとした口調で話しかけてくるアリシア。ヴァイスの周囲の精霊を見てもあまり驚いた様子はない。
「驚かないんですね」
「驚いていますよ。すごいなーって」
にこやかに話すアリシアに動じた様子は見られない。アリシアがこのマイペースを崩すことがあるとしたら、それはどれほどの大異変なのだろうか。
魔術師を中心とした一団が取り巻く中で食事を始める。中にはコーラルとアリシアが互いに食べさせあう様子を見て悔し泣きや恨みがましい目をする者もいた。だが二人だけの世界に入っているコーラルとアリシアはそんな周囲を気にも留めず、惚気話を始めている。
「ところでヴァイス。お前、イリアとアリス、どっちが好きなんだ?」
一通り二人の夫婦的会話が終わったところで、コーラルはそんなことを口にした。
「うーん。どっちも大好きですよ。あ、コーラル先輩とアリシア先輩のことも大好きです」
「そういう意味じゃなくってだな。恋する方の好きって意味だ」
呆れた返った様子のコーラルにヴァイスは苦笑してしまう。それは度々(たびたび)いろんな人に聞かれたことだった。
「うーん。そういうのって分からないんですよ。アリスのことは好きだしイリアのことも好きだけど、それが友愛なのか恋愛なのかよく分からないんです」
「そうか……。ならどちらを抱きたいと思う?」
コーラルの言葉に思わず噴き出しそうになる。ヴァイスの心臓が早鐘を打ち始めた。
「何をいきなり言うんですか!?」
「何って、だからどっちにエッチなことをしたいかと聞いているんだが」
コーラルの言葉に赤面するヴァイス。顔が熱くなって何も言えず縮こまってしまう。そして脳裏に蘇るのは抱きしめたアリスのひたすら柔らかい体と、抱きついてきた時に当てられたイリアの慎ましやかな胸の感触。
「そ、そんなこと考えたら二人に失礼ですよっ! 僕はそんなことなんて……考えた、こと……」
「あー、そうか。悪い。忘れてくれ」
コーラルの大きな手がヴァイスの頭に乗せられた。その大きな手で頭をなでられて頭に上っていた熱が段々収まってくる。コーラルに頭をなでられる様子を見てアリシアが微笑んだ。こんな会話にも動じていないのは実に彼女らしい。
夕食をなんとか食べ終えると学食を出て、アリシアと別れて男子寮に入る。これから風呂の時間だ。コーラルと二人着替えと洗面用具を持って共同浴場へと向かう。その途中でコーラルが質問をぶつけてくる。
「なあ、ヴァイス」
「何でしょう?」
「もしあの二人のどちらかから告白されたとしたら、お前はどうする?」
「それは……」
ありえない、とは言い切れない。イリアはまだまだ精神年齢は幼いが、抱きついてくるなど率直な愛情表現をしてくる。アリスも告白とも取れなくもない言葉を口にすることも多々あるし、ヴァイスを見る目が熱っぽく感じたこともある。もし、どちらかから告白されたとしたら――
「分かりません。とりあえず考えてみます。本当に僕がその子を好きなのかどうか」
「そうか。いや、お前今まで女子に告白されても全部断ってきただろ? だから二人のどちらかに心を決めているのかと思ってな」
意地の悪い質問だった、とコーラルが謝ってくる。それにヴァイスは苦笑で返す。
「とりあえず、今の僕には色恋の話なんてもっと先でいいです。それより今はこの子達をなんとかしなくちゃいけないですし」
ヴァイスの周りを飛び回る精霊達。脱衣所で服を脱ぐと、肌に触れるようにくっついてきた。
「はは、人気者だな」
「うー。森に帰ってくれないかな……」
体を洗ってから浴槽に浸かる。湯の温かみが今日一日の疲れを癒してくれるようだった。
「しかし髪を下ろすとますます女の子っぽく見えるな」
「僕はれっきとした男ですよぅ」
髪を止めていたゴムを外しているので白髪が肩の辺りまで降りてきている。ヴァイスの髪を切るのはいつもイリアがやってくれている。そのため可愛らしく見えるようにカットをされるのだ。ちなみにアリスの髪もイリアがカットしている。イリア自身は学園を出た通りにある理髪店でカットを頼んでいるらしい。
「短くして逆立てたら男らしく見えますか?」
「似合わんからやめておけ。それに今のが一番似合ってるんだからいいじゃないか」
「中等部のとき男子に告白されたことがあるんですけどね……」
中等部二年生の時のある日、校舎裏に呼び出された。喧嘩かと思いヴァイスの数少ない持ち物の一つ、幅のある一メートルを超える白い大剣を背に校舎裏に行ってみると、いきなり付き合ってくれと告白されたのだ。無論断ったがしつこく言い寄られたため、仕方なくヴァイスは実力行使に出た。それ以降も散々言い寄られ、最終的にアリスによってその男は処理されることとなったのである。今ではその男子はヴァイスの半径五メートル以内に近づくことはなくなったが、ヴァイスの心には深い傷が残ることとなった。
「そうか。すまんかった。嫌な事を思い出させたみたいだな」
体を震えさせるヴァイスにコーラルが謝ってきた。頭を振って嫌な思い出を思考の外に追い出すヴァイス。
「じゃあそろそろ上がりましょうか」
「だな。これ以上浸かっていると茹だっちまう」
風呂から上がり、体を拭いて服を着る。そして服の下で体に張り付いている精霊を引っぺがし服の外に出す。それでも精霊達は頭や腕など肌の露出している部分にくっついてきた。どうやら直にくっついているのが気に入ったらしい。
湿った髪を手櫛で軽く整え、部屋の前でコーラルと別れる。部屋に入るなり靴を脱いでベッドに横たわった。
「今日は疲れたな……」
今日一日を思い返す。目の前を漂う精霊達を見て、自分が召喚術を行使したことを改めて実感する。
ふと体を起こし、机の奥にしまってある古びた紙を取り出した。そこには絵が描かれている。幾何学的なものではないがこれも召喚陣の一種だった。
「あと三ヶ月で約束の十六歳、か……」
天井を見上げて呟く。思考は過去へと飛び、旅をしていた四年間を追憶する。
「楽しみだな……」
きっと今も変わらぬ姿で旅をしているであろう人を想い、思わず顔に笑みが浮かんでしまう。苦しかったけど、とても意義があった旅。あの頃のように、イリアとアリスの二人と一緒に三人で旅をしたい。それが、ヴァイスの抱く夢だった。
そして授業のメモを机の上に放り出したままいつもより早く眠りにつく。その夜に見た夢は、懐かしい旅の記憶だった。
翌日の授業は実戦訓練だった。皆が刃をつぶした剣や捧、杖を倉庫から取り出す中、ヴァイスは一人倉庫から離れたところに立っている。
「どうしたヴァイス。授業を受けないのか」
「今日は見学にさせてもらいます。この子達が邪魔をして離れないので」
声をかけてきた講師に自分の周りを飛び回る緑の光球を指差して返事をする。
「それは分かったが、扱いは欠席にしておくからな」
危ないから見学します、などという理由では欠席扱いにされても仕方がない。大人しく皆が剣や棒を取り回すのを眺めることにする。
やがて様々な相手と組んでの模擬戦闘が始まった。ただ二人、イリアとアリスが皆の枠組みから離れるように立っていた。
二人の魔術の威力が強すぎて、相手を出来る人間がいないのだ。
二人の周囲に光弾が生まれ、ぶつかり合う。そのうち体を使って光弾を避けながら光弾を撃ったり、複数の光弾を防壁を作り出して防いだりと模擬戦は実戦の様相を呈してきた。いつものことなので誰も気にしない。段々と戦いが白熱する中、遂にアリスの光弾の一つがイリアに当たった。イリアは軽くよろめく。そして二人は周囲に纏っていた光弾を消した。
「あーあ、また負けちゃった……」
「勝利」
基本的に訓練ではアリスの方がイリアより強い。イリアが勝利するのは稀だ。尤も二人ともかなりの手加減をしているので、本気の実力がどの程度か分からないのだが。
他の面々も激しい音を立てて剣や棒をぶつけ合っている。肉弾戦をメインに戦う者達にとっては威力を最優先にするのが基本だ。なぜなら冒険屋が戦う相手は人間ではなく魔獣なのだから。まあ、犯罪者などを相手取ることもままあるが。
そしてそのような威力に武器が破壊されてしまうことも良くある。強すぎる力に金属性の剣や捧はどれもこれも歪んでいる。使用者の力に武器が耐え切れないのだ。
そんな武器を持って戦う者達の動きを改めてヴァイスは観察する。足運び、体捌き、そして剣筋。
やがて授業が終わり、皆は倉庫に武器を戻しにいく。そんな中、武器を使っていなかったイリアとアリスがヴァイスの元にやってきた。
「ヴァイス。一緒にご飯食べに行こう」
「うん。行こうか」
三人で学食棟に向かい、テーブルに向かい会わせに座る。昼食の最中、ヴァイスは気になったことをアリスに質問してみた。
「昨日薬を作るのを手伝うように言ってたよね。どうやって精霊に指示すればいいの?」
「貴方の思念を魔力に乗せれば精霊達は指示通りに動く。精霊は知性は低いから簡単なことしか出来ないけど、そのポテンシャルは高い。貴方には木の属性のマナを薬に注ぎこんでもらう」
アリスの説明を聞いて、ヴァイスは右手を胸の前で開いた。
――集え。
ヴァイスの意志に従うように、精霊達がヴァイスの手の上に集う。思ったより精霊を指揮するのは簡単だった。
「下準備は済ませてあるから、後は薬にマナを注ぎこむだけ」
「ちなみに魔力を抑える薬は?」
「あと十日はかかる」
十日。まあその間くらいは大丈夫だろう。せいぜい戦技実習に出られないくらいのものだ。
「そういえばヴァイス、今日は戦技の授業参加してなかったね。どうしたの?」
「今は魔術をかき消す能力が使えないから、いつもの調子で行くと危ないと思ったんだ」
ヴァイスの能力は単に魔術をかき消すだけではない。人間の高い身体能力は魔力によって支えられていることが証明されている。だからヴァイスに接近した相手は一時的に身体能力が低下してしまう。ヴァイスが学園で有名になったのもそこに理由があった。
だが今は逆にヴァイスの魔力が精霊に吸われている。どうにか身体能力は維持出来ているみたいだが、いつそのバランスが崩れるか分からない。
昼食を終え、女子寮のアリスの部屋に入る。異様な雰囲気は相変わらずだが、中央のテーブルの上には怪しい薬品のセットが積まれていた。アリスが灯した魔術の光に照らし出されたのは、幾つもの液体が入った試験管と、透明な液体の入ったフラスコ。
「あ、ヴァイス。ヴァイスはそのフラスコの薬の担当だよ」
明るい口調でイリアが言う。テーブルに近付いてフラスコを揺らしてみる。ちゃぷん、と音がした。ただの水のように思えるが、これは未完成の魔法薬だ。相当に危険な物の可能性がある。
「試験管の薬液は反応が終わるまであと四時間かかる。その薬は木のマナを加えれば完成。さあ、やってみて」
フラスコの栓を開けて差し出すアリス。それを受け取ると、ヴァイスは周りの精霊に念じてみた。
――ここにマナを集中。
フラスコの周りに木の精霊が集まり、フラスコの中に緑色の光を注ぎ込む。なぜかその中の液体はピンクに染まっていった。
「いけない。勢いが強すぎる」
「え?」
アリスの呟きにヴァイスが声を上げた瞬間、ボフッとフラスコからピンクの蒸気が飛び出した。開いた口の中に液体の飛沫が飛び込む。えもいわれぬ味にヴァイスは顔をしかめた。周りを見ると、アリスとイリアは光を放っている。魔法で防御したようだ。
「なあ、アリス。これ、何の魔法薬……!」
その言葉は最後まで続けられなかった。ヴァイスの体の中が燃える様に熱くなる。震える手でフラスコをアリスに手渡すと、ヴァイスはその場に倒れこんでしまった。イリアが自分の名を呼ぶ声を聞きながら、ヴァイスの意識は闇へと落ちていった。
暗い海の中で明るい水面を見つめている。体は思うように動かず、苦しいのに上に上がる事が出来ない。このまま死ぬのかと思ったとき、体が急に軽くなった。そのまま体は水面へと上っていき――そこで、夢から覚める。
後頭部に柔らかな感触がある。目を開くと、逆さまになったアリスの顔があった。どうやらヴァイスはアリスに膝枕をされているらしかった。
「アリス。僕はどれくらい眠っていたの?」
「半刻ほど」
思ったより意識を失っていた時間は長くはなかったらしい。ただ、妙に自分の声が高い気がする。体を起こそうとすると、額に手を添えられた。起きるな、ということらしい。
「ヴァイス、あのね、落ち着いて聞いて欲しいんだ」
イリアが気まずそうな顔をして顔を覗き込む。そしてヴァイスの胸に手が当てられた。
――むにょん
ひどく柔かいものが胸にあった。視線を自分の胸に移す。そこにはシャツを大きく持ち上げる二つのふくらみがあった。
自分でさわってみる。柔かい。さらに揉んでみる。深く指が沈みこむ。
さらに股間がスースーする。そこにあるべき重みが感じ取れない。
「あのね、ヴァイスはあの薬の効果で女の子になっちゃったの」
イリアの言葉が空っぽの頭に反響する。数秒おいて、やっとヴァイスはイリアの言葉を理解した。
「え、えええええ!?」
勢いよく立ち上がる。胸が重い。さらに股間に手を当てると、そこにあるべきモノがない。
「座って。説明するから」
言いたい事は色々あったが、自分を抑えてアリスの指示に従う。頭の中はごちゃごちゃとしてまとまらないが、とりあえずアリスの説明を聞いてみることにした。
「あのフラスコの薬は、反対の性別に擬態させる魔法薬。それを貴方は微量ながら口にしてしまった。本来ならばその程度ではこの薬の効果は発揮されない。でも、貴方の周りには二十を超える木の精霊がいる。そのマナが薬の効果を増幅させ、貴方の体を女のものにしてしまった」
「……元に戻る方法は?」
「本来ならば飲んだ量に比例した効果時間が存在する。つまり時間の経過で自動的に元の姿に戻る。だけど貴方の場合、常に精霊が薬の効力を増幅し続ける。その精霊達がいなくならない限り貴方はその姿のままということになる」
混乱する。いや、精霊が消えれば元の姿に戻れるのは分かった。でもそのための薬は十日後にならないと完成しないわけで、それまでの間どうやって暮らせばいいのか。特に問題になるのは風呂だ。男子達に襲いかかられたら今のヴァイスに撃退できる力は無い。いや、そもそも授業とかはどうすればいいのだろうか。
「とりあえず、寮監と先生達に相談しようよ。どうにかしてくれるかも」
イリアの提案にとりあえず頷く。まずは現状を知ってもらって、対策を練ってもらうのだ。
そう決めたら動きは早かった。まずは男子寮と女子寮の寮監、そして学年主任の教師を呼んで、一通りの説明をする。
「必ず十日後には何とかできるんだね?」
「はい。必ず」
学年主任の質問に迷い無く答えるアリス。その言葉が今は頼もしい。
「ならばそれまでの生活はどうする? 男子寮で女子が暮らすとなると、不都合も多いだろう」
男子寮の寮監がそう言った。確かに男子寮は危険だ。女子寮に覗きを敢行して女子寮の寮監に折檻されたにも関わらず、未だに懲りていない連中がいる。しかも上級生だ。今のヴァイスは格好の獲物となるだろう。
「あら。なら女子寮に住めばいいんじゃないでしょうか」
そして女子寮の寮監の言葉に呆気に取られた。寛容な事で知られる美人の女性なのだが、不埒な行いをする者に対しては羅刹と化す。
「あの、僕は中身は男なんですけど……」
「でも体は女の子でしょう?」
「お風呂とかどうするんですか? 流石に他の女子と一緒に入るのはまずいのでは」
「大丈夫。時間を区切って一人で入れるようにしてあげるから」
なるほど。そうやって便宜を図ってくれるのなら女子寮で暮らしてもいい気がしてきた。
「じゃあヴァイス。ボクの部屋で一緒に暮らそうよ」
「あら、イリアちゃんいいの?」
「もちろんです!」
まずい。寮監とイリアの間でまずいことが進められていく。しかも男子寮の寮監と学年主任は黙って事の推移を見守っている。
「イリア。一応僕も男なんだから、一緒に住むのは問題があるよ」
「ヴァイス? 問題って?」
「そ、それは……」
どもってしまうヴァイス。イリアは純粋な好意でヴァイスを受け入れようとしてくれている。ここは素直に好意に甘えておくべきだろう。ヴァイスが何も問題を起こさなければ済むだけの話だ。まかり間違っても愛の結晶が生まれることはありえないし。
「分かった。お願いするね、イリア」
「わーい。やったー!」
ヴァイスの返事に無邪気に喜ぶイリア。後はヴァイスが何も問題となる行為をしなければいいだけだ。
「じゃあヴァイスの部屋に行こう」
「僕の部屋? どうして?」
「だって服とかの荷物を運ばなきゃいけないんだよ? 手伝った方がいいに決まってるよ」
なるほど。イリアのいうとおりだ。勉強の道具に本、着替え。一人では一度に運べない。
「私も手伝う」
アリスもそう申し出てくれた。三人で運べば一度で済む。
「ありがとう。お願いするね」
細かいことは先生にお願いして男子寮に三人で入った。部屋にたどり着いたところで隣の扉が開き、コーラルが出てくる。
「こんにちは、コーラル先輩」
「ああ。えっと……ヴァイスか?」
「はい、そうです」
証拠に木の精霊達を前に集めて見せる。
「……なんで女になってるんだ?」
「アリスの魔法薬でこうなってしまいまして……。十日間はこのままだそうです」
「そ、そうなのか。それはご愁傷様だったな」
同情してくれた。相変わらずいい人だ、本当に。
「それでどうするんだ? 風呂とか大変じゃないか?」
「あー、それが……」
「ボクの部屋で暮らすことになったんだよ!」
嬉しそうにイリアが宣言する。その言葉を聞いてコーラルがヴァイスの頭に手をぽんと置く。
「あー……。まあ、頑張れ」
「……はい」
心底同情された。これからの苦労を慮ってくれたその言葉に素直に感謝する。そのままコーラルは何処かへと行ってしまった。ヴァイスは自室の扉を開けてイリアとアリスを迎え入れる。
「アリスはこの勉強用具をおねがい。イリアはこの服を運んで。僕はこの本と服を運ぶから」
二人に荷物を渡し、部屋を出る。扉を閉める際に、部屋の片隅に置かれた大剣を見た。白磁のように白い剣。それから視線を切って、部屋を後にした。
そしてイリアの部屋に荷物を運び込んで一服する。水を飲み、一息ついたところでベッドに腰掛けるイリアを見て、あることに思い至った。
「あ、寝る場所をどうしようか」
毛布か何か寮監に言って借りてくればいいか。そのヴァイスの考えを、イリアがぶち壊した。
「一緒に寝ればいいんだよ!」
元気いっぱいなイリアの返事に一瞬くらっとする。流石に年頃の男女が同衾するわけにはいかない。
「いや、僕は寮監に相談して毛布か何か借りて床に寝るよ」
「えー。昔みたいに一緒に寝ようよ」
「流石にこの年で一緒に寝るわけには行かないよ」
確かに初等部にいた頃、ヴァイスはイリアとアリスに両脇を囲まれて一緒に寝ていた。だが流石にこの年になって一緒に寝るというのは気恥ずかしくてしょうがない。
「とにかく、寮監に相談してくるからっ!」
これ以上なし崩しにされる前に寮監室に向かう。話はすぐについた。寒い季節ではないので、毛布一枚を借りてイリアの部屋に戻る。扉を開けると、イリアとアリスがヴァイスのパンツを広げて眺めていた。
「ちょ、ちょっとなにやってるの!」
「あ、お帰りー」
暢気な声でヴァイスを迎えるイリア。その手からパンツを取り上げて服と服の間に隠す。
「えへへ。男の子ってああいうの穿くんだね」
「お願い。恥ずかしいから勝手に見ないで」
顔から火が出そうだった。無邪気な分、性質が悪い。
「ヴァイス、動揺しすぎ。そんなに動揺していると……」
背筋を寒気が走る。一足飛びで部屋の端まで跳び、アリスから距離をとる。
「……残念」
「何しようとしたの? アリス」
「心を読もうとした。失敗したけど」
忘れていた。アリスの前では無様な姿を見せると容赦なく付け込まれる。それでいて弱っている時には優しくしてくれるのだから、つくづくアリスは不思議な存在だ。
「ところでヴァイス。あのね、お願いがあるんだけど……」
「なに? イリア」
「胸、さわらせて?」
どうやらこの胸の重りに興味があるらしい。いや、ヴァイス自身も興味がないわけではないのだが。
「……いいよ、そのぐらいなら」
「わーい。ありがとー」
イリアが近付いていて胸にさわる。そのまま揉んだり、掬い上げるようにして重さを確かめたりされた。
「ねえ、お姉ちゃん。胸が大きくなる魔法薬って無いの?」
「作れないこともない。ただし、一時的な効果しかない」
「そっかー。……いいなー、ヴァイスは。こんなに胸が大きくって」
恨みがましい目で見られる。決してヴァイスは望んで巨乳になったわけではないのだが。
それからは夕方の鐘が鳴るまで、三人でたわいのない話をして過ごした。
そして、学食棟に入ったとき、それは起こった。学生――主に男子がヴァイスの周りに集まってきたのだ。
「おい、本当にヴァイスなのか?」
「あの精霊、間違いないよ。ヴァイスだ」
「本当に女の子になってるよ、オイ」
「胸でかいな。なあ、ちょっとでいいからさわらせてくれよ」
好奇の視線にさらされるヴァイス。その体にさわろうとした不埒な輩もいたが、アリスに触れられた瞬間そういった男達は床でのた打ち回る羽目になった。
そういった男子の間を潜り抜けて、今度は女子達が近付いてくる。
「わー。ヴァイス君本当に女の子になったんだ」
「可愛いねー。男の子の時でも可愛かったけど、ますます可愛くなったよー」
「ねえ、おねーさんと一緒にお風呂に入ろ?」
「む……負けた」
男子以上に遠慮なくぺたぺたと体のあちこちをさわってくる女子達。流石に女子達からはアリスは助けてくれなかった。
散々女子達の玩具にされた後、ようやく配膳口までたどり着くことが出来た。空いている席を探すと、コーラルが手を振っているのを見つけた。
周囲の視線を集めながらイリア達と一緒にコーラルの元に行く。コーラルは眉を八の字にしながら笑っていて、その隣に座るアリシアが微笑んで迎えてくれた。コーラル達の向かいの席にトレイをおいて座る。
「あら、本当に女の子になってしまったんですね」
「……あまり驚いていませんね」
「コーラルから聞いていましたから。聞いた時には本当に驚いたんですよ?」
ヴァイスには、アリシアが動じている場面が想像できなかった。ヴァイスが女になったとコーラルから聞いた時も、あらあらうふふと笑って受け入れたのではなかろうか。
「でも、ホントに大きなお胸ですね」
いえ、貴方も立派なものをお持ちですよ、と心の中で呟く。
「重いし重心狂うし勘弁して欲しいんですけどね」
「うー、それは持たざる者への嫌味なんだよー」
拗ねた声でイリアが呟く。アリスは我関せずといった調子で既に食べ始めていた。
「同じ女子寮ということですし、何かお困りになりましたら相談に来てくださいね」
その気遣いの言葉を聞いたヴァイスにはアリシアが女神に見えた。
「お、そういえばこの学園が建てられる前に、ここには遺跡があったって知ってるか?」
「遺跡!?」
コーラルの発した遺跡という言葉に目を輝かせるイリア。七不思議や遺跡という言葉にイリアはひどく弱い。
とりあえず食事を始めようとして気づいた。スープの野菜が明らかに増えている。
「アリス。嫌いな野菜を僕のスープに入れるのはやめようよ」
「……知らない」
平淡な口調で白を切るアリス。仕方なくヴァイスは野菜増量のスープにさじを入れた。
遠巻きに見物する生徒の視線に耐え、食事をなんとか終えたヴァイスは学食棟を出てコーラルと別れ、女子寮に向かった。
ロビーにいた女子達にひとしきりいじられた後、なんとかイリアの部屋にたどり着いた。扉を開けて中に入り、毛布の上に転がる。
「疲れたー」
大きく息をつく。思えば長い一日だった。だが、後は女子の入浴時間が終わってから一人で風呂に入れば全て終わる。明日以降も男女問わずいじられるだろうが、それは慣れていくしかない。
「ヴァイス、お風呂は?」
「九時の鐘がなった後だって聞いたよ。イリアとアリスは今から入りに行ってきたら?」
「うーん。……よし。ヴァイス、一緒に入ろう」
にこやかにとんでもないことをイリアが言い出した。
「駄目。女の子がそんなはしたない真似しちゃ駄目だよ。ほら、アリスと一緒に入っておいで」
「……分かった。行こう、お姉ちゃん」
棚の下の引き出しを空けて、寝巻と下着を取り出すイリア。そしてイリアはアリスの手を引いて部屋を出て行ってしまった。
「……妙に素直に言うことを聞いたな」
いつもならごねるか無理矢理ヴァイスを風呂に連れて行くかするのだが。不審に思いながらもとりあえずため息をついて不安を余所にやる。
やがて黄色の上下の寝巻を来たイリアが部屋に戻ってくる。
「あれ? アリスは?」
「お姉ちゃんなら部屋で薬の調合をやってるよ」
薬、というと魔力抑制の薬だろうか。後九日をなんとか乗り切れば、精霊もいなくなってヴァイスは元の体に戻ることが出来る。
「ところでヴァイス。今日コーラルが言ってた遺跡の話なんだけどね」
「この学園が遺跡の上に建てられたって話?」
「うん。来月は一月丸々休みで皆帰省するでしょ? でもボク達は休み中もここに残るじゃない」
「それで、休みの間に遺跡探しをしてみたいの?」
その言葉にコクリと頷くイリア。まあ、毎年この休みにはイリアに引っ張りまわされるので別に嫌ではない。
「いいよ。遺跡探し、やってみよう」
「やったー!」
そして抱きついてくるイリア。その顔がヴァイスの胸に埋まる。
「いいなあ。こんなに大きくて」
「男の僕には要らないよ。……邪魔だし」
本心からそう言った。いや、イリアと一緒に暮らせることは気恥ずかしいけど少しばかり嬉しいのだが。
そこまで考えて、昨日のコーラルの言葉が脳裏をよぎる。
『どちらを抱きたいと思う?』
心臓が大きく鼓動を打った。耳元から血管が脈打つ音が聞こえてくる。まずい。このままではイリアを『そういう目』で見てしまう。
「ねえ、ヴァイス」
「な、なに?」
声をかけられて思わずどもってしまう。変に思われなかっただろうか。だがイリアはそれを気にした様子もなくにこやかに話しかけてくる。
「学園を卒業したら、一緒に冒険屋をやらない?」
それは、ヴァイスも自身の未来として想像していたことだった。だが今まできちんとそれを約束したことはない。
「うん、いいよ」
ヴァイスが小指を差し出す。それにイリアが小指を絡ませる。先ほどまで動揺していたのに、不思議と心が落ち着いていた。
「イリア。冒険屋になったら、何をしたい?」
「遺跡探しも楽しそうだけど……まずは色んな町を旅してみたいかな。ここには外の世界を知るための勉強をしに来たから」
外の世界。イリア達はどこか閉鎖的な環境で育ってきたのだろうか。ヴァイスが六年前初等部に編入した時、同じタイミングでイリア達も編入してきた。それ以来ずっと二人と一緒にいるが、それ以前の話はまるで教えて貰えない。
「ねえヴァイス。また旅の話を聞かせてもらっていい?」
「いいよ。どんな話が聞きたい?」
上目遣いにおねだりしてくるイリアにヴァイスは考えるのを止めて答える。考えていても仕方が無い。今は駄目でもいつかは必ず教えてくれるだろう。
「えっと――」
それからヴァイスの思い出話が始まった。それに熱が入ってきたところで九時を告げる鐘が鳴る。風呂の終了時間だ。
「ヴァイス。もうお風呂に行く?」
「まだ人がいるかもしれないから、もう少し時間をずらして入るよ」
「じゃあ話の続きを聞かせて?」
イリアのおねだりに頷いて旅の話を続けた。話し終えると、服とタオルを持って部屋の入口に行く。
「じゃあ、お風呂に入ってくるね」
「うん、分かった」
部屋を出て共同浴場へと向かう。
この時、話していた旅の思い出に浸っていたため気付けなかった。浴場に向かおうとしているヴァイスを、イリアがわくわくした表情で見守っていたことを。
浴場の脱衣所に入り、シャツを脱ぐ。胸が服の下からこぼれ出た。まじまじと見つめる。とても大きい。
黒いズボンと下着を脱いで、髪を纏めているゴムを外す。周りにいた精霊が肌に張り付いてくる。そしてタオルを持つと脱衣所にある大きな姿見の前に立った。
「これが……僕……?」
張りのいい大きな乳房を持ち上げながら、姿見に映る自分の姿を見て赤面する。やがて胸を見つめる視線はだんだん下に移っていった。
――どうなっているのかな。
そう思った瞬間、脱衣所の扉が開く音がした。瞬間的にそこから飛びのき浴場へと入る。
――僕はなんてことを考えていたんだ……。
顔が熱い。もしあの場を見られていたらと思うとぞっとする。しかし、一体誰が脱衣所に入ってきたのだろうか。
「まあ、普通に考えて忘れ物をした人だよね」
桶にお湯を汲み、タオルを浸す。石鹸を取ったところで浴場の扉が開いた。そこには裸体を隠すことなくタオルを持って立っているイリアとアリスがいた。
二人の姿から目が離せない。イリアは笑顔で、アリスは珍しく微笑を浮かべてヴァイスの元へと近付いてくる。
「ふ、二人ともどうしたの? もう風呂には入ったんじゃなかったの?」
上ずった声で質問する。意地悪そうにイリアが笑った。
「ボクは入ったよ。だけどもう一度入りに来たんだ」
「私は入っていない。ずっと魔法薬にかかりきりだった」
そういうと二人はヴァイスを見つめてくる。正確に言うと、ヴァイスの胸を。
「すごいねー。大きい上に形もいい。どうしたらこういう風になるのかな」
「……えい」
「ひいっ!?」
アリスに乳首をつねられ、変な声が出た。慌ててタオルで胸を隠す。
「何するの、アリス!?」
「いたずら」
ようやく気付いた。アリスはただ微笑んでいるんじゃなくて、嗜虐的に笑っているのだ。
「ねえ、どうしてこんな時間にお風呂に入りに来たの?」
「ヴァイスと一緒に入りたかったからだよ」
そう言って僅かに膨らんだ胸を張るイリア。思わず視線を逸らす。
――きっとイリア達に他意はない。仲のいい友人として一緒に風呂に入ろうとしているんだ。そうに決まってる!
頭の中で理論武装をすると、ヴァイスは落ち着くために大きく深呼吸した。改めて石鹸をタオルに擦りつけ、丁寧に体を洗う。
その隣にアリスが座り、同じようにして体を洗い始めた。
――イリアと違って、アリスは毛がな……だめだ考えるな僕!
もう顔から火が出そうに熱かった。手早く体に付いた泡を流し、浴槽に向かう。お湯に浸かってようやく邪念が振り払えた。
「疲れたなあ……」
「ヴァイス、肩でも揉んであげようか?」
浴槽の中を泳ぐようにしてイリアが近付いて来る。お湯の中に桜色の先端が透けて見えた。
また顔に熱が上ってしまう。
「イリア。いいの? 僕に裸を見られて」
「え? 別に構わないんだよ。だってヴァイスだもん」
どうとっていいのか分からない答えを返された。恥らう様子がないからきっと異性として見られているわけではないのだろう。
そこにアリスがやってきた。浴槽に浸かると、ヴァイスの背中に抱きついてくる。背中に当てられた平坦な胸の、小さな先端が当たる感触がした。
「ね、ねえ、アリス。離れてくれない、かな」
「駄目。私が満足するまでこのままでいる」
仕方なくヴァイスは心を無理矢理に落ち着ける。これでアリスの精神干渉からは逃れられる。精密な精神制御。これが出来なければアリスと長年付き合うことなど出来はしない。
――そうだ。初めからこうしていればよかった。そうすれば動揺なんてすることは無かったのに。
「気持ちいいねー」
「うん。今日は肩が疲れたから余計にそう思えるよ」
イリアの気の抜けた声にそう返事する。胸というものは結構重たい。そして風呂に入って初めて知ったが、胸というものは湯に浮くものなのだ。
「アリス。もういい?」
「ん。大体満足した」
アリスが背中から離れた。今の時期は暑い。そろそろ上がっておくべきだろう。
浴槽から上がる。火照る体が心地良い。タオルをギュッと絞って体を拭いていく。
ヴァイスに続いてアリスとイリアも浴槽から出た。皆で脱衣所に向かい寝巻を着る。胸の辺りがやや苦しい。黒いシャツが胸のところで大きく膨らんでいる。窮屈だが我慢しなければ。
イリアはゆったりとした黄色い半袖の上と長いズボン。一度目の風呂から上がった時の格好だ。アリスの寝巻は黒いワンピース型で下が透けて見えていた。ネグリジェだ。そのの下には何も穿いていない。
――気にしないことにしよう。動揺すれば足元をすくわれる。
脱衣所を出て、イリアの部屋に戻る。なぜかアリスまでイリアの部屋に入ってきた。
「アリス、どうしたの?」
「私もここで寝る」
もう突っ込む気力もなかった。床に寝そべって毛布を腹の上にかける。すると二人が両脇から毛布の中に入り込んできた。
「えへへ。昔に戻ったみたいだね」
イリアがはしゃぐような笑顔で話しかけてくる。確かに小さな頃はこうしてよく二人はヴァイスのベッドにもぐりこんできた。三人で寝るにはベッドは狭かったけど、二人と一緒にいられることが楽しかった。
月明かりに照らされた部屋で、アリスとイリアがそっと身を寄せてきた。その体の柔かさにどきどきするよりも安心感を覚える。二人の体温を感じながら、ヴァイスは眠りへと落ちていった。
そんな楽しくて恥ずかしい波乱の十日間が終わった。最初の二、三日はひどく騒がれたが、コーラルとアリスに庇われて何とか貞操は死守できた。
そして今、アリスの部屋で最後の詰めが行われようとしている。
試験管の中に濁った紫色の液体が入っている。それにアリスが何事か呟きながら手から生み出した光を注ぎ込んでいく。すると液体が澄んだ青色に変わった。
「完成した」
この十日間、待ち望んだ瞬間だった。アリスから試験管を受け取ると栓を開ける。
「一気に飲み干して。それで魔力を抑制する呪いがかかる」
「呪い!?」
物騒な単語に驚く。本当に飲んで大丈夫なのだろうか。
「問題ない。二十時間程度で呪いは解ける」
その言葉に覚悟を決めて試験管をあおった。あまりにも強いえぐみが味覚を破壊する。慌てて用意されていたコップに入った水を飲む。しかし口の中には凄まじい後味の悪さが残った。
そして精霊達に変化が起こった。ヴァイスの周りを飛び回っていた精霊達はヴァイスから離れ、部屋のあちこちを飛び回った。やがて精霊達は壁をすり抜けて森のほうへと向かっていく。
次に、ヴァイスの体に変化が起きた。胸の感覚が無くなり軽くなる。股間に手を当てると、あるべきモノがあった。
「ありがとう、アリス」
「礼はいらない。これは等価交換だから」
「それでも、だよ。ありがとう」
それっきりアリスは黙り込む。こころなしかアリスの頬が赤いように見えた。
こうして、精霊と女体化事件は幕を閉じる。
そして学園は一ヶ月の夏休みを迎えることとなった。
かなり昔に書いた物なので文章が安定していない……。
根底から手直ししたいですけど、余力がなさ過ぎて軽く手直しするに留まりました。
九月以降の予定次第では書き直しの可能性もありますが、それまではこのままで行こうと思います。




