表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Phantasma  作者: triptych
2/4

Ⅰ 魔術     ――Miracle――

 学園都市ティレク。湖に面し、森に囲まれたその町の最大の特徴は、町の面積の六割を占める巨大な学園だ。

 名を第七学園。ギルドが経営する大陸に八つ存在する学園の一つ。

 ここでは冒険屋の他、ギルドの依頼をこなす魔術師、遺物の研究家、錬金術師、医療士など様々な人材が育成される。

 だが学園出身の冒険屋は他の冒険屋から現場を知らないと実力を下に見られがちで、実際に学園にも通わず冒険屋になるものはどいつもこいつも規格外な者が多い。しかしギルドからしてみればまともに言う事を聞いてくれる冒険屋は幾らいても足りないわけで、こうして一定以上の実力を持った冒険屋を育成して世に輩出しているわけなのだ。

 冒険屋を志す者たちには、自らの実力に限界を感じ、進む道を変える者も多く出る。その逆に、飛びぬけた実力を発揮して学園内に名をはせる者もいた。

 図書館で一人本を熟読している少年、ヴァイスもそのうちの一人である。

 白い上着に黒いズボン、体型は中肉中背。柔和な印象を与える童顔で、見る者を和ませる。特徴的なのはやや長めの雪のように白い髪と、青の瞳だ。その白い髪は後ろでくくられ小さな尻尾のようになっている。

 木製の椅子に座り本を読みふける彼の手元には、メモらしき紙に幾つかの文章と幾何学文様の図形が描かれていた。


「魔術とは世界にあまねく存在する魔力素に魔力で干渉し、それに共振する事で何らかの効果を発生させる行為である。また悪魔が使うとされている魔法とは摂理を改変する行為であり死者を再び蘇らせることすら可能だとされて――」


 本の序文をそらんじた後ヴァイスは人差し指をたてる。そして指先を眺めること一分。ヴァイスは手を下ろすとため息をついた。


「やっぱり駄目か……」

「何が駄目なの?」


 唐突にヴァイスの後ろから声がかけられた。ヴァイスは頭をかくと、椅子をそのままに後ろに向き直って先ほどまで読んでいた本を差し出した。

 そこには透けるような薄い金色の髪を後頭部横で二つにくくった少女がいた。白いシャツと紺色のスカートに黒いローブを羽織っている。端正な顔立ちとやや低めの鼻、桜色の唇にきりっとした眉と意志の強そうな大きく紅い瞳。まぎれもなく美人だ。惜しむらくはその慎ましい胸だろうか。しかしその細い手足には見た目からは想像もできない力が宿っていることをヴァイスは知っている。

 少女は本を受け取ると、その題目に目を見開いた。


「魔術概論……? ヴァイス、もしかして――」

「うん。魔術を使おうとしてた」


 そう、ヴァイスは魔術を使えない。五歳児ですら使える光を生み出す魔術、『照明ライト』すら使うことが出来ないのだ。


「どうしたの? 急に魔術を使いたいなんて」

「あはは……。誕生日までに召喚術を使えるようになりたくってさ」


 自嘲を交えた苦笑いで返すヴァイスに少女がため息をつく。


「もう諦めていたんじゃなかったっけ? それに『マジックキャンセラー』が魔術を使えたら反則だよ」


 『マジックキャンセラー』。ヴァイスの持つ二つ名だ。ヴァイスは魔術を使えないが、代わりに魔力をかき消すという特異な能力を保持している。ヴァイスは魔力によって高い身体能力を得ている人間や魔獣にとって天敵なのだ。


「それにしても召喚術? そんな高度なものを?」

「うん。どうしても出来るようになりたいんだ」


 召喚術とは空間を飛び越えて何かを呼び出す魔術である。主に精霊が対象となるが、過去には悪魔を召喚した例も残されている。

 精霊は自然に関して絶大な力を持つ。たとえば木の精霊を呼び出したなら治癒キュアを初めとした生命力を扱う魔術を増幅させられるし、土の精霊を身に宿したならば身体能力が強化され肉体も堅牢なものとなる。

 しかし召喚術は高度な知識と適性が必要とされる。学園でも使える者は僅かだ。


「理由を聞いていい?」

「うーん。今は秘密」


 ヴァイスの返事に少女はため息をついた。ヴァイスはこれで口が堅い。無理矢理聞き出そうとしたところで教えてはくれないだろう。


「今はってことは、ちゃんと教えてくれんだよね」

「うん。イリアにはちゃんと教えるから」


 その返事に少女――イリアは口元を緩めた。イリアの小さな笑みにヴァイスも柔らかな笑みを浮かべる。イリアは本をヴァイスに返すと、顔を真剣なものに変えた。


「お姉ちゃんに相談してみる?」


 イリアの言葉にヴァイスはこれ見よがしに大きくため息をつくと、椅子から立ち上がった。


「アリスかー……」

「お姉ちゃんの方がこういうことには役に立つから。……ボクじゃ力になれないみたいだし」

「できることなら余り人には頼りたくはなかったんだけどなー。まあ、仕方無いか」


 本を棚に戻し、図書館を後にする二人。日は西に傾いている。あと二時間もすれば夕日が世界を赤く染め上げるだろう。

 イリアに手を引かれながら、ヴァイスは女子寮へと向かった。学園は全寮制で、男子寮と女子寮は向かい合わせに造られている。

 イリアがこうしてヴァイスを部屋に連れ込むのは今に始まったことではなく、寮内ですれ違う女子達からも普通に挨拶の声が飛んで来る。男子寮のマスコットとされるヴァイスは女子達の間で愛玩動物として人気があるのだ。


「そういえばイリアはどうして図書館にいたの?」


 女子寮の階段を上がりながらヴァイスが質問する。


「んー。使えそうな魔導書がないか探してたんだよ。近頃はいいインスピレーションが浮かばないから。結局見つからなかったんだけどね」


 イリアもヴァイス同様異名を持っている。『スペルマスター』。複雑な詠唱と魔法陣が必要とされるような大魔術を、ただ魔力を放出するだけで使えてしまう魔導の天才。イリアはそれだけでなく新しい魔術の開発にも手を出していて、オリジナルの魔術を十以上創りだしている。

 超一流の魔術師であるイリアは、どういうわけか冒険屋を目指してこの学園にいる。魔術科の教師達からは姉のアリス共々ともども魔術科に誘われているのだが、全て断っているらしい。

 女子寮五階の一番端、そこにイリアの部屋はあった。イリアはその隣の部屋の扉をノックする。


「……入っていい」


 中から抑揚に乏しい返事が返ってきた。イリアが扉を開く。




 そこは、異界だった。




 部屋に入ってまず目に入るのは苦悶に顔を歪め、救いを求めるかのように手を天に伸ばした人間の彫刻。次いで青やら黄色やらに発光している棚に並べられた珍品の数々。窓は暗幕のようなカーテンで締め切られ、薄暗い部屋の壁には女神のように微笑む女性が血のしたたる人の生首を優しく抱く絵が激しく自己主張している。敷物は原色がこれ以上ないぐらいにごった返しており、この部屋の混沌とした状態を見事に表していた。

 はっきり言って、趣味が悪すぎる。

 ポウ、と光がともった。部屋の奥から少女が幾つもの光球を周囲に纏って歩いてくる。

 照らし出された少女は、良くて中等部、普通に見れば初等部の子に見えるほど背が低かった。ゆったりとした黒いローブに身を包み、イリアと同じ金の髪を肩で切りそろえられている。そのルビーの様な紅い瞳をヴァイスに向ける少女の顔立ちはイリアとよく似ていたが、その表情からは活発なイリアとは正反対の静かな印象を受ける。まるで人形のような少女は、その能力ゆえに畏怖いふされながらも一部の豪胆な女子達に女子寮のマスコットとして熱烈に可愛がられていた。

 少女の名はアリス。『マスターマインド』の異名を関する魔女である。


「ようこそ。イリア、ヴァイス」


 無表情ながら、アリスはどこか喜んでいるようにヴァイスの目には映った。六年間付き合って来た身だ。表情に出ないアリスの心の動きが、ヴァイスにはなんとなく分かるようになっていた。


「お邪魔するね、アリス」

「お邪魔します、お姉ちゃん」


 部屋に入ると、アリスは二人の手を取りベッドへと案内した。アリスを中央に据えて、その両脇に二人が座る。ヴァイスの記憶が確かならば、アリスは初めて会った時からこのぐらいの背丈だった。かつては三人とも同じくらいだった背は、今ではアリス一人が取り残されたように変わっていない。


「それで、今日はどうしたの?」

「ヴァイスがね、召喚術を使いたいって」


 アリスの問いにイリアが答える。それを聞いて、アリスはヴァイスの目を覗き込んだ。


「……正気?」

「それは酷くない? せめて本気と聞かれるかと思ったよ……」


 改めて脱力するヴァイス。


「何をび出したいの? 私なら大抵はび出せる」

「一応、僕がび出したいんだ。何をび出したいのかは秘密」


 アリスのやや細めな眉が八の字になる。どうやら秘密というのが気に入らないらしい。


「じゃあび出すときに立ち会ってもらうから、どうやったら魔術を使えるようになれるか教えてもらえる?」


 その言葉でアリスの機嫌は直ったようだった。アリスの身に纏う空気が穏やかなものとなる。


「分かった。まずは貴方が既存の方法では魔術が使えない理由を教えてあげる」


 アリスの周囲に小さな白い光球が幾つも生まれる。それらはアリスの周りをゆっくりと回転しながら浮遊していた。


「魔力素は世界の裏側にある。私達はこれに干渉し、引き出す力――魔力を持つ。この引き出した魔力素を用いる事で、私達は魔術を使う」


 そして小さな光はヴァイスに向かっていき、しかしヴァイスに触れることなく消えてしまった。


「貴方はこの魔力素を世界の裏側に戻してしまう力を持つ。だから貴方に魔術は届かないし、貴方も魔術を使うことは出来ない」

「待って、アリス。僕は一つだけ魔術を使えるし、前にアリスの攻撃を受けたこともあったよね」


 その言葉に頷くアリス。かつての魔術の実習の時、アリスが放った光弾が無効化されずにヴァイスを吹き飛ばした事件があったのだ。


「私と貴方、どちらも魔力素に干渉する力には変わり無い。私の干渉力が上回ったから貴方は魔術を無効化できなかった。でもその力を意識して使えるなら、貴方は魔法でさえも無効化することが出来る」

「魔法でも、とは大きく出たね」 

「事実だから」


 平淡な口調で話すアリス。それが事実なら、ヴァイスは伝説上の悪魔にだって勝てるかもしれない。


「お姉ちゃん。ヴァイスの『飛翔フライト』は?」

「『飛翔フライト』は魔術や魔法とは原理が違う。あれは体内に魔力素を吸収して使っている。飛行中背中に見える光の羽は、魔力素が吸収されているのが見えているだけ。だからヴァイスは空を飛ぶ時のように魔力を吸収して使えばいい」

「簡単に言ってくれるね……」


 魔力素を吸収して使う、というのはヴァイスにもなんとなく分かった。ヴァイスが唯一使える魔術、空を自在に舞う『飛翔フライト』。目立つのを嫌ったためこの二人の前でしか使ったことはなかったが、確かに発動中には体の奥底が熱くなるような感覚があった。あれが魔力素を吸収しているということなのだろう。


「……報酬」

「え?」


 とぼけた声を上げるヴァイスにアリスは抱きついた。女の子特有の柔らかな体がヴァイスの胴体に押し付けられる。


「これが報酬なの?」

「そう。貴方は私にいだかれる」


 両手をヴァイスの体に絡ませたままヴァイスを見上げるアリス。その瞳は深く底が見えない。


「いいなあ、お姉ちゃん。ねえ、ヴァイス。次はボクの番だよ」

「駄目、恥ずかしいから」


 ぶーぶーとブーイングを口にするイリアに苦笑する。アリスもイリアもこうした抱きつき癖は変わっていない。


「ところで、いつまでこうしていればいいんだ?」

「私が満足するまで」


 抱きしめる力を強めるアリス。そこで妙な寒気がヴァイスの背筋を走った。


「ねえ、アリス。もう離れてもらえない?」

「嫌」


 いつの間にか、ヴァイスの首から下が動かなくなっていた。脳からの命令を受け付けなくなっている。だが、気付いてしまえばそれまでだ。自分の体だ。自分の自由にならないはずがない。まずは体の末端から力を込めていく。すると、手足が指先からゆっくりと自由を取り戻してきた。


「もう少しで貴方の心が覗けたのに……」


 残念そうに呟くアリス。その様子にヴァイスは苦笑する。


「こういう真似をするから魔女って言われるんだよ。もう少し優しくしてくれない?」

「私のモノになったらうんと優しくしてあげる」

「流石にそれは勘弁だよ。それに心なんて覗かない方が面白いと思わない?」


 ヴァイスの言葉に押し黙るアリス。そしてアリスはそっとヴァイスの体を解放した。


「貴方の心は覗き込めない。感情の色をうかがうことしか出来ない。でも、確かに予想もしていなかった心を掻き乱し惑わす言葉は私をこの上なくよろこばせる」


 そう言うとアリスは小さく口元をほころばせた。それにヴァイスも力を抜いて笑みを浮かべる。


「もう、お姉ちゃんったら……」


 呆れたようにイリアがため息をこぼした。アリスがヴァイスにちょっかいをかけるのはいつものことだ。ただ今日は少し危なかった。もう少し気付くのが遅れたらヴァイスは身も心もアリスのモノになっていただろう。にもかかわらずヴァイスは平気な顔で笑っている。こういうことは慣れっこなのだ。


「でも助かったよアリス。ありがとう、頼りにしてる」

「いつでも頼っていい。私はいつも貴方を待っている」


 幼い容貌ながら妖艶に微笑むアリス。その表情と告白ともとれる言葉にヴァイスは一瞬固まってしまう。アリスから視線を逸らすと、不満げにヴァイスを見つめているイリアと視線が合った。


「むー。お姉ちゃんとヴァイスだけ仲が良い……」


 そう言ってイリアはむくれてしまう。イリアがこうなってろくなことがあったためしがない。ヴァイスはアリスの頭越しにイリアの頭にぽんと手を置いた。


「僕はイリアのことも大好きだよ?」

「あ、うん。ありがとう!」


 イリアは元気いっぱいに笑う。ヴァイスは内心で安堵の息をついた。とりあえずはどうにかなったらしい。

 しばらくしてイリアの頭から手を下ろすと、イリアはベッドから立ち上がった。


「ヴァイス。練習に行こうよ」

「練習? 魔術の?」

「うん。お姉ちゃんも一緒に」


 イリアはヴァイスとアリスの手を取ってベッドから立ち上がらせた。ヴァイスは苦笑して、アリスはため息をついてそれに従う。それはいつものことだった。イリアが先陣を切り、ヴァイスとアリスはその後を付いていく。六年前から変わらない関係。

 女子寮を出て、学園裏の森の中へと入っていく。木々の巨大な根がそこかしこに突き出ていたが、三人はそれらを軽々と飛び越えて進んでいく。一般に強い魔力を持つものほど身体能力も高いと言われている。無論、例外もあるが。

 やがてたどり着いた場所は、この森の中でも一際背の高い大樹の下だった。

 ここはイリアの魔術の練習場所だ。大樹には幾つも大きな――しかし大樹の全体からしてみれば微細な――傷跡があった。

 空を見上げると葉の隙間から陽光が零れ落ちている。この木の周りは森の中でも比較的明るい。

 イリアとアリスは大樹の根の上にちょこんと座る。根の間に立ち二人を見上げるヴァイスは、二人がまるで伝説の妖精のように思えた。


「じゃあ、始めるね」


 二人に声をかけると、ヴァイスは目をつむりへその下辺りに力を入れた。空を飛ぶときの体が熱くなる感覚を思い出し全身に力を入れる。すると、体の奥から力が湧き出るような感覚を覚えた。

 その力を右手に集中させる。光を生み出す魔術、『照明ライト』。初歩の魔術を使うべく魔導式を脳に浮かべる。だが目を開いてみてもその手に光は生まれていなかった。


「ヴァイス」

「なに?」


 アリスから声をかけられ上を見上げる。


「それは魔力素を世界の裏側に追いやる力。魔力であることに変わりはないけど、それでは魔術は使えない」

「そう……」


 淡々と告げられた言葉にヴァイスは落胆する。力の挙動が掴めたと思ったら、どうやら違ったらしい。


「ねえ、ヴァイス。まずは空を飛んでみたら?」


 イリアがそう提案してくる。そういえば空を飛ぶのも久々だった。肩から力を抜き、体が軽くなる感覚に身を任せる。


「『飛翔フライト』」


 イメージを固定する言葉と発すると共に体が羽のように軽くなり、ゆっくりと体が上昇していく。ヴァイスは二人と同じ目線の高さで上昇を止めた。

 首を捻り、背を見返す。そこには白い光が羽のように広がっていた。


「それが魔力素。世界の裏側に満ち、摂理に反する現象を生み出す力」


 アリスが歌う様にそう言った。ヴァイスは背中の光を強めようとしてみるが、さっぱり制御がきかない。しばらく木の周りを飛び回ったり停止して魔術を使おうとしてみたが、魔力の扱い方はつかめずじまいだった。

 ヴァイスは二人の座っている根の上に降り立つ。同時に背中から広がる光が宙に溶ける様に消えた。


「やっぱり思うようにはいかないね」

「なら、貴方の代わりに私がぶ。貴方は何をぶのか教えてくれるだけでいい」


 ぼやく声にアリスが魅力的な提案を差し出す。目を見ると、そこには期待の色が見て取れた。


「代償はなに?」

「貴方自身。貴方は私のモノになる」


 これも昔からの彼女の口癖のようなものだ。初めて会ったときから、彼女はヴァイスに興味を寄せていた。


「あはは。じゃあ駄目だね。僕は僕自身のものだから、そう簡単にはあげられないや」

「……残念」


 アリスは立ち上がると、宙に浮き上がった。『浮遊フロート』。さして難しくない、熟練者が使えば高速で空を飛ぶことも出来る一般的な魔術だ。空を飛ぶまでいかずとも、高いところにジャンプするために大抵の人間は修得している。

 アリスに続いてイリアも宙に浮いた。二人にならうようにヴァイスも背中から光の翼を生やして宙に浮く。


「ねえ。この木のてっぺんまで行ってみようよ」


 イリアはそう言うと、アリスとヴァイスの手を掴んで上に急上昇した。重さのない二人は引っ張られるまま上へと引き上げられる。森の木々を抜けると、そこには山の上で赤い光を放つ夕日があった。


「うわあ、綺麗……」


 イリアが歓声を上げる。赤く照らし出され輝く湖と、それを取り囲む森。それは確かに壮観だった。


「ねえ、このまま飛んで帰ろうか」


 イリアの提案はとても魅力的だった。この景色をもっと眺めていたい。ヴァイスはイリアの手を握り返すことでそれに答えた。アリスも異論はないようでイリアの手を握っていた。

 イリアが二人を引っ張って、ゆっくりと森の上を学園に向けて飛んでいく。赤くきらめく湖を、赤く染まった市街地を、しっかりとまなこに焼き付けていく。

 やがて三人は寮の裏手に舞い降りた。ヴァイスの背中から光の羽が消える。


「それじゃあ、また明日ね」

「諦めたら私に頼む。貴方の代わりにび出してあげるから」

「あはは。まあ頑張ってみるよ」


 手を振って二人と別れるヴァイス。魔術を使うことは出来なかったが、それでも貴重な情報が手に入った。

 空を飛ぶのは生まれて初めて起こしたたった一つの奇跡だ。今までは呼吸をするように自然に行なっていたが、それを解体して新しい奇跡に変換するというのはとても難しい作業に思えた。だが、手応えがないわけでもない。おぼろげながら感触は掴めた、と思う。


「夜にもう一度練習しておこうかな」


 一人呟き、ヴァイスは男子寮へと向かった。

 男子寮に入る。ロビーに入るなりよく見知った顔と遭遇した。


「コーラル先輩」

「お、ヴァイスか。どうだ。元気にやってるか?」


 そう言って笑いかけるのはやや筋肉質な日に焼けた男だった。ヴァイスより頭三つ分くらい背が高い。髪はライトブラウン、顔立ちは整っていて爽やかな笑みを浮かべている。ヴァイスより一つ年上のこの男子は、高等部に上がって隣同士の部屋になって以来色々とヴァイスの面倒を見てくれていた。やはり冒険屋を目指していて、得意とするのは剣。その腕前は学園随一で『ソードマスター』の異名を冠している。教師でさえ剣で彼に勝てるものはいない。


「はい、元気です。先輩、アリシア先輩は?」

「ん、ああ。今日も晩に勉強会だ。試験も近いしな」


 アリシア、というのはコーラルの交際相手だ。黒髪の美人で男子の人気も高い。コーラルとは幼なじみだったのだがその近すぎた距離が想いを伝える障害となり、付き合うまでには紆余曲折があった。その告白の際にはヴァイスも一役買っており、今でも二人から強く感謝されている。


「ところで先輩。先輩って魔術で体を強化してるんですよね」

「ああ、そういう体質らしくてな。初歩の魔法とこいつぐらいしか使えないが、威力に関しちゃそこらの魔術に引けをとらんぜ」


 実のところ、攻撃用の魔術というのは少ない。攻撃魔術というのは大体が火の属性なのだが、これを扱うには先天的な素質が物を言う。大体二百人に一人いればいい方で、しかも決まってそういう者達は火の属性の魔術しか扱えない。その点、光弾で攻撃をするイリアやアリスの魔術は本来ありえないものだ。


「しかし、どうしたいきなり。俺の魔術は先天的なものだから、他の奴には使えないぞ?」

「あ、違います。実は、魔術を習ってみようかと……」


 その言葉にコーラルだけでなくロビーにいた男子達まで目をいた。


「『マジックキャンセラー』が魔術を?」

「無理だろ、どう考えても」

「というか、今頃になってなんで魔術を始めるんだ?」


 周りにいた男子達がどよめく。コーラルも気を取り直してヴァイスに向き合った。


「一体何の魔術を使いたいんだ?」

「えーと、秘密です」


 周囲のざわめく男子達を見回してヴァイスはそう返事した。あまり人に聞かせたい話ではない。それを察したコーラルも、そうか、とだけ言って真剣だった顔を緩める。


「まあ、とりあえず食堂に行こうか。もうすぐ鐘が鳴るぞ」

「あ、はい。分かりました」


 コーラルに付いてヴァイスも食堂に向かう。その途中で鐘が鳴った。時計塔の鐘だ。夕方に鳴るこの鐘は食堂が開く合図にもなっている。

 今日のメニューはパンとシチューだった。シチューの中には大きめの肉が転がっている。大抵の場合料理に使われるのは魔獣の肉だ。シチューに使われている乳も魔獣のものだろう。よく人間は上手く魔獣を飼いならせたものだ、とヴァイスは思う。幼い頃、旅をしていた四年の間にヴァイスは魔獣と対峙したことがある。そのときは旅の連れが素手で魔獣を殴り倒していたが、あれは普通の人間には手に余るものだった。


「なあ、ヴァイス」

「なんでしょう、先輩」


 コホン、と咳払いをしてコーラルが口を開く。


「何事も根気が一番だ。諦めずに突き進めば何かしら得るものがあるだろう。苦しいとは思うが、俺はお前を応援してる。くじけるな。頑張れ」


 コーラルの口から出てきたのは叱咤激励の言葉だった。応援してくれるというだけでヴァイスは嬉しくなる。


「はい。絶対に諦めたりしません」


 誕生日まであと三ヶ月。時間は充分にある。まずは魔力の挙動を掴む事から始めよう。決意を新たに、ヴァイスはシチューの最後の一さじを口へと運んだ。




 それからヴァイスの猛特訓が始まった。

 まずは魔術の講義。今までも真面目に授業を受けてきたヴァイスであったが、実習でも魔術の練習を開始した。結果、周囲の人間の魔術をかき消してしまった。失敗。

 次に放課後。学園裏の森の中で一人魔術の練習をしてみた。まずは空を飛ぶときの感覚を分析し、空を飛ばなくても魔力素を吸収できるよう訓練する。おぼろげに感覚は掴めるのだが、気を抜くとすぐに魔力素が霧散してしまう。要訓練。

 そして夜。窓から抜け出し空を飛んで大樹の元へ。夜には闇のわだかまる森の中も、光の羽を出していると明るい。宙に浮かびながら魔術を試してみる。結果は失敗。魔力素の吸収量を増やせれば魔術を使える可能性あり。

 そんな生活を五日ほどしたところで、学園内に妙な噂が立ち始めた。妖精が学園の空を舞っているという噂だ。

 そしてその噂を聞いて目を輝かせるものが一人いた。イリアだ。


「ねえ、ヴァイス。新しい学園七不思議だよっ!」

「えっと、今度はなに?」


 講義室ではしゃぐイリアと、その横で興味なさげに座っているアリス。イリアが幾つ目かわからない不思議に夢中になるのはいつものことだが、今日は勝手が違った。


「妖精さんだよ妖精さん! 夜の空を光の羽を生やした妖精が飛んでいたんだって!」


 それを聞いてヴァイスは苦笑いをする。


「ごめん。それ多分僕だよ」


 声を抑えて二人にだけ聴こえるように言う。それを聞いてイリアが目を丸くする。


「ヴァイスって妖精さんだったの?」

「違う違う。きっと夜に空を飛んでいたのを誰かに見られたんだよ」

「あ、なるほどー」


 納得の声を上げるイリア。


「でも練習するだけなら自分の部屋でやっててもいいんじゃない?」

「あ」


 迂闊うかつだった。確かに魔力を扱う練習だけなら寮の自室でも出来る。しかもヴァイスがやっているのは一番簡単な魔術、『照明ライト』だ。危険性はまるでない。


「私がぼうか?」

「でも代償は払わされるんでしょ?」

「代償は無しでもいい。貴方の心を占めるものがなんなのか、興味がある」


 それはとても魅力的な提案だった。確かにアリスならば召喚に成功するだろう。だが――


「ごめん。それは最後の手段にさせてもらうよ。できれば僕が召喚したい。ううん、僕が召喚しなきゃ駄目なんだ」


 いつになく真剣な顔をしてヴァイスは言った。アリスはヴァイスの目を覗き込む。


「貴方、会いたいんだ」

「心を読んだの?」

「感情の色を読んだだけ。……貴方は渇望している」


 言われた通りだった。ヴァイスは召喚術を使って会いたい存在がいる。そこでイリアがため息をついた。


「そっかー。妖精さんじゃなかったのかー」


 残念そうに口を尖らせるイリア。


「七不思議探検はまた今度ね」

「うん。また新しい七不思議が見つかったら一緒に探検しようね」


 そう言って小指を差し出すイリア。ヴァイスはそれに小指を絡めた。昔から伝わる約束の儀式……らしい。


「ヴァイス」

「あれ? なんだかアリス、怒ってる?」


 相変わらず平淡な声だったが、それでもヴァイスにはアリスの声が不機嫌なものに聴こえた。


「教える。貴方が求めて止まないモノのことを」


 どうやらアリスは召喚の対象に敵愾心てきがいしんを燃やしているようだった。ヴァイスはため息をつくと、そっとアリスの頭を撫でる。


「十六の誕生日になったら会う約束なんだ。それまでは秘密にさせて欲しい。……駄目かな?」

「……わかった。その代わり、召喚の時には立ち合わせてもらう」

「うん。アリスとイリアにも紹介しておきたいしね」


 にこやかに言う。アリスはそれで引き下がってくれた。そして頭を撫でる手を引っ込めると、今度はイリアがヴァイスを見つめてきた。


「どうしたの? イリア」

「お姉ちゃんだけずるい。ボクも撫でて」


 そう言って頭を突き出してくるイリア。ヴァイスも口元を緩めてその頭を撫でる。その光景を見て、周囲の人間がざわめき始めた。


「あそこだけ時間がゆっくり進んでるみたいね」

「三人とも可愛らしいしね、なごむー」

「そういえば、ヴァイスがどっちとくっつくかって賭けはどうなったんだ?」

「まだ続いてるぜ。イリアの方にかける人間が多かったな」

「俺は二人と同時に付き合うのに賭けたんだが」

「一番オッズが高いな。何と8倍だ」


 ずいぶんと人気者のようだ。ヴァイスは周囲の声を聞いて苦笑する。イリアはそんなヴァイスを不思議そうに見るが、すぐに力の抜けた笑みを浮かべてなでられるままになる。


「うにゃー」


 ふやけた声を出すイリア。つむじの辺りをぐりぐりとすると気持ちよさそうにイリアは目を閉じる。

 そこで鐘が鳴り響いた。遺跡探索の講師が入ってくる。イリアの頭から手を離すと、ヴァイスは前を向いた。授業の始まりだ。

 講師が話すのは旧世界の遺跡について。その話を聞くたびに、ヴァイスはかつての自分を思い出す。入力された情報だけが己の世界で、言われるままに従ってきた人形のような自分。そんな自分に、あの人は自分で判断することを教えてくれた。生きる喜びを教えてくれた。


「旧世界の遺跡は主にカガクという非常に発達した文明を持っており、発掘された機械は全て電気を用いて動くものばかりだった。発掘された物のうち稼動状態であるものは非常に稀で、用途不明の物品がほとんどだ。発掘された文献も風化して読めないものがほとんどだが、ただ一つ判っている事はそれらが判読不能な古代文字で書かれているということだ。主にギルドがこれらを買い取り、分析して新たな技術を生み出そうとしているが、今の所その試みは上手くいっていないのが現状で――」


 古代文字。それは英語という言語だ。今の世界ではなぜか主に日本語が公用語となっている。地方ごとになまりがあり、中には別の言語に近くなっているものもある。その理由は世界の秘密に関係することだからと教えてもらえなかった。

 そしてカガク。発掘された物品は、現在の技術をはるかに上回る。ただ、ヴァイスはカガクに関してはあまり知識を持っていない。ただ一人カガクに精通した人物を知っているが、その人物は放浪中だ。


「今稼動状態にあると思われる遺跡は三つ。悪魔が住まうとされる魔境、黒の森の中心にある白い建造物、『エッグ』。ここから南に見える天高くまでそびえ立つ塔、『中枢塔アクシスピラー』。そして空高くに浮かぶ城、『ウインダム』だ。エッグを調べに黒の森に踏み入った冒険屋は全て行方不明。中枢塔アクシスピラーは入口がなく、壁の破壊も不可能。ウインダムに至っては、人間の飛べる高さではなく近づくことさえ出来ない」


 講師の説明が続く。ヴァイスもウインダムを目指そうとしたことがあるが、失敗に終わった。なんでもあれは人工衛星で、成層圏より高い位置にあるという話だ。たどり着くには宇宙船、またはそれに準ずる物が必要だとか。

 過去を振り返りながらも講師の言葉をメモに取る。後ろの席を見てみると、イリアは目を輝かせて講師の説明に聞き入り、アリスは机に突っ伏して寝ている。見事に対照的な姉妹だ。


「――と、今日の話はこれまでだ。次回は森の中の遺跡についてだ。こっちの方が諸君には重要度が高い。試験も厳し目にいくからな。きちんと話を聞くように。以上」


 話し終えた講師が教室から退出した。そして教室にざわめきがみちていく。それと同時にアリスが目を覚ました。


「お姉ちゃん。ちゃんと話を聞いていないと駄目だよー」

「興味、ないから」


 アリスは気が乗らないと居眠りをしたり、授業を欠席することがままある。そして試験のたびにイリアが勉強会を開くのだ。おかげで成績は悪いながらも一応アリスは試験をクリアしてきた。


「ヴァイス」

「なに? アリス」


 アリスの顔は能面のように変わっていない。それでもアリスはどことなく楽しそうに見えた。


「思いついたことがある。あの場所で試してみよう」


 アリスが腕を引っ張ってくる。そのアリスをイリアが抱きかかえて椅子に座らせた。


「駄目だよ、お姉ちゃん。次の授業があるんだから」

「授業ごとき、受けなくても死なない」

「だーめ。それに次の授業は魔術Ⅳだよ? お姉ちゃんも好きでしょ?」

「む……」


 イリアの言葉にアリスは抵抗をやめる。魔術と薬に関してはアリスも目の色を変える。魔術の多彩さでいうならばイリアに軍配が上がるのだが、魔法薬、魔道具の製作においてアリスの右に出るものはいない。


「わかった。放課後に行こう」

「うん。いいよ」


 アリスの言葉に二つ返事でオーケーする。場所は森の中の大樹の下だろう。アリスが思いついた方法がどんなものかは分からないけど、ヴァイスの体質と魔術の関係について最も理解しているのはアリスだ。期待していいだろう。

 そして始まる魔術の講義。講師の言葉をしっかりと聞き、必要な部分をメモしていく。ヴァイスは魔術の実技が壊滅的なため、座学で点を稼いでおかねばならない。

 だが魔術自体未だその技術は確立されていない。理論だけではなく感覚に頼ることが多い魔術の理論を理解するのは困難だった。

 授業の時間は講師によってまちまちだ。授業の始まりと終わりは時計塔の鐘によって知らされるが、大抵の場合鐘がなる前に講師は講義を終えて退出してしまう。魔術の講師もその例にれず、鐘がなる前に講義を終えて教室を出て行ってしまった。残された生徒達は講義の分からない点を互いに教え合う。


「イリア。教えて欲しいところが有るんだけど」

「ん? いいよ。どこが分からなかったの?」

「魔術の魔力に乗せた思念と効果の変動性について。どうしてもここが理解できないんだ」


 こうして魔術の講義の後イリアに分からない点を教わるのも恒例化してしまっていた。その横でアリスは指先から光を生み出し魔法陣を描く。空中に魔法陣を描くのはかなりの高難度技術だ。

 最も魔法陣は、いや、呪文も含めて全ての魔術的行為はイメージを固定するための行為でしかないという。つまるところ、魔術とは魔力に載せた思念によって効果が発動する。イリアとアリスが空中に無言で浮かべるのもそう言った例の一つだ。


「――というわけで同じ魔力を消耗しても、魔力に乗せられた思念の強さによって魔術の効果は増減されるんだよ。ちなみに魔力の質にも個人差があって、人間に魔法が使えないのは悪魔が人間とは異なる質の魔力を持っているからなんだ。分かった?」

おおむねは。ありがとう、イリア」


 イリアの解説が終わる。同時にアリスが描いていた複雑に絡み合った立体魔法陣が掻き消えた。


「さ。ヴァイス、お姉ちゃん、ご飯に行こう」


 イリアが席から立ち上がる。アリスもその後に続いた。ヴァイスもメモをとった紙を持って教室を出る。同時に授業終了を知らせる鐘が鳴り響いた。今日の授業はこれで終了だ。

 学食のある棟は向かい合う二つの寮とコの字を描くように建てられている。ここでは五十を超える料理人達が働き、学生達の食事を作っている。ちなみに学生達の授業料は決して高くない。その代わり学生達は卒業後一定期間ギルドの依頼を割り当てられ、その報酬の一部が天引きされてギルドの予算に回されるという仕組みになっている。また、これを拒否すると一定の金額をギルドに納める規則があり、払えない者は地獄の取立人に死ぬまで追い回されるともっぱらの噂だ。

 昼食を終えたヴァイス達三人は、張り切るアリスを先頭に森の中を突き進んで大樹の根元までやってきた。

 根と根の間の地面に三人が立つ。アリスが地面に手を触れると、途端に地面が小さく隆起して幾何学的な図形を描きあげた。円の中に碁盤目状の四角が描かれた図形だ。


「これって木の精霊の召喚陣?」


 ヴァイスの問いにアリスは頷く。他の魔術と違い、召喚陣は描かれた図形によって効果が決定される。召喚術には必ず召喚陣が必要となり、召喚対象の同意を持って召喚という魔術は成立する。このとき召喚対象が送られてきた魔力の質や思念を読み取り、同意するかどうかが決められる。精霊というのは好みが激しく、ごく一部の人間にしか召喚に応じてはくれない。


「ヴァイス。浮いて」


 アリスから指示が出される。ヴァイスが体の力を抜くと、ふわりと体が浮き上がった。背には光の羽が輝いている。


「その状態を維持したまま地面に足をつけて」


 軽くなった体は音を立てずに地に降り立った。足は地に着いているものの、地面を踏みしめる感触は一切伝わってこない。


「そのまま魔力を召喚陣に注ごうとして」


 指示に従い、召喚陣に手を付ける。アリスがなにをやらせようとしているのか、ヴァイスには大体分かってきた。


「そのまま『飛翔フライト』を徐々に解除して」


 体に徐々に重みが戻り、足が地面を踏みしめる感触が脳に伝えられる。だが背中の羽はそのままだ。そして召喚陣に白い光が走る。『飛翔フライト』に使っていた魔力を、徐々に召喚陣に移し替えているのだ。


召喚サモン


 その呟きをトリガーに、召喚陣が一際眩しく光った。思わず目を閉じてしまう。

 そしてヴァイスが目を開けたとき、目の前には二十を優に超える数の光球が浮いていた。穏やかな緑色の光。まぎれもなく木の精霊だ。目の前の光景に思わず呆然としてしまう。


「これを……僕が……?」

「す、すごいよヴァイス! 一度にこんなに精霊を召喚できるなんて!」


 イリアの言葉にはっとする。召喚術ができた。その事実を噛み締めると同時に口元が緩む。

 嬉しかった。どうしようもないくらいに嬉しかった。『飛翔フライト』しか使えなかったヴァイスが初めて使えた奇跡。心の奥底で弾けた喜びがヴァイスの全身を支配した。


「ありがとう、アリス」


 アリスのほうに向き直ってお礼の言葉を口にする。


「わぷっ」


 嬉しさと感謝の念のあまり、ついアリスを抱きしめてしまった。ヴァイスの腹に押し付けられたアリスが変な声を上げる。

 初めはもがいていたアリスだったが、しばらくするとアリスもヴァイスの腰に手を回してきた。やがてヴァイスが抱擁を解くと、アリスは押し付けられていたヴァイスの腹から顔を離す。


「ぷはっ」

「あ、ごめんアリス。つい力が入っちゃった」

「……別にいい。貴方の匂いを堪能できたから」


 恍惚こうこつの色を目に浮かべたアリスが小さく、本当に小さく微笑む。


「匂いって、そんなにいいもんじゃないよ?」

「貴方は特別だから」


 アリスがそっと体を離す。そして次の瞬間イリアが抱きついてきた。慎ましやかな胸がヴァイスの胴に押し付けられる。


「おめでとう! これで召喚術が使えるね!」

「う、うん。ありがとう」


 押し付けられる柔らかな感触に心臓が大きく跳ねる。ヴァイスは平静を装って抱きついてきたイリアを体から離した。

 こうしてヴァイスは召喚術を使えるようになった。だが、同時にヴァイスはとある大きな問題を抱えることになってしまったのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ