「好きな俳優なんていねぇよ」
パンプスが痛い。履き慣れたスニーカーほど、季節感に合わない。通年で使えることが売りなのは分かる。分かる……けど、もう少しカラーバリエーションがあれば、こんなパンプス捨ててやったのに。
裸足で帰ってやろうかと思う。かかとが擦れて、きっと赤くなってる。赤みを隠すワンピースが白くてイラついた。紅白だねって皮肉に祝われている感じがした。今日は、会社の女子会だった。舐められたくなくて、柄にもなくオシャレしたのだった。
「え、ゆき。ワンピかわいいね」
タイムカードを切って、デスクに座った時だった。白いワンピを褒められたけど、きっと翻訳するとこうだ。
『え、女子会ってだけなのに気合い入ってるね。ウケるね』
私はだるうと言いそうなリップをつぐんで、「ありがと。ネイル変わった? かわいい」と返した。『うるせえよ。てめえもネイル変えてんじゃねえか。はいはいかわいいかわいい』を濾過して出力しただけだった。
「ありがと〜〜」
ありがとうは『必死じゃん』に変換されて私の耳に届いた。私の被害妄想なんだろうか。たびたび、こんなこと考えているのは私だけで、みんな私のことを本心から褒めているだけなんじゃないかと思う。
そうなったら、私はかなり罪悪感を感じるだろう。今まで勘違いしてすみません、と頭を下げなければいけない。しかし、どうしてもそうは思えない。なぜなら女はキモくて怖いと信じているからだった。その信頼の根拠は、私がそうだからだった。
女はキモくないと困る。もし違えば、私だけキモいことになる。そういう意味では、悪口にわざわざ変換して、日々ストレスを感じているのも、完全な一人相撲だった。
夜になり、女子会(飲み会)が始まると、好きな俳優は誰かという話になった。お酒はあまり飲んでいないから、これは序章だった。二杯、三杯と進む頃には「誰にどう抱かれたいか」という話になった。私はほぼ喋らず、同僚たちの会話を聞いていた。
「やっぱ胸筋。腹筋があるのは、もう前提って感じする」
「それはさあ、彼氏がそうだからじゃん」
「もう彼氏の胸筋は飽きてる。味変したい。マヨかけたいもん」
「えっち〜〜」
何がだよと思った。
「山田孝之かな。なんか、優しく前戯して、暴力的に抱かれたい」
「わ、めっちゃM」
「でもたまに、山田涼介みたいな美形をいじめたい」
「え、めっちゃS」
「両極対応」
「え、ゆきちゃんは?」
好きな俳優なんていねえよ。そう思った。まずテレビ見ねえよ。実家暮らしだけど、お父さんがたまに見るくらいだよ。同僚は普通に聞いてくれているのだろうか。それとも、
『え、こんくらいの話はついてこれるよね? それとも処女なの? バージンちゃんには刺激が強かった? うわあ、ごめんね。いや、私たちの年齢ならさ、セックスなんて当たり前でしょう?』
とでも訳せばいいのだろうか。会話の代わりにお酒を飲んでいたから、酔いが回って思考がおぼつかない。
お金を置いて、逃げるように店を出た。いや、実際に逃げていた。何から? そりゃキモい女からだ。逃げた恥を知らせるように、パンプスで踵が痛んだ。後ろから声がした。
「ゆきちゃん、ゆきちゃん。歩くの早いね。ちょっと待って」
「あ、ごめん。途中で抜けちゃって」
「いいのいいの。それでさ、お金。多分千円札出したと思ってるだろうけど、これ、一万円だよ。混じってたの。だから」
「届けてくれたの?」
翻訳機能が死んでいく。
「そう。歩くの早くてびっくり。パンプスでそんなに。すごいね」
私が、私だけが単に、キモいって分かってしまう。私はさっき逃げた。でも逃げたのは、自分のキモさから逃げた。
「それでね、私も抜けてきたの。だってほら、同僚ってみんなキモいじゃん? 陰口しようよ」
そう言った同僚は笑った。私は、この同僚が一番キモいと思った。けど安心もしていた。ああ、よかった。キモいのは私だけじゃない。女はみんなキモい。みんなキモいなら、それでいいか。この同僚がキモいおかげで、私はまた、女はキモいって信じられる。『お前が一番気持ち悪いよ』を濾過して出力する。
「いいね。みんなキモいからね」




