8話:享楽の街の暗殺者
数日後。二人は隣国との国境に近い歓楽都市『セドナ』に到着した。
シオンの調査によれば、元パーティメンバーの弓使いハンスは、この街の裏社会を支配するギルドと手を組み、レンから奪った金で「殺し屋」としての隠居生活を謳歌しているという。
「レン様、ハンスはこの街の最上層、会員制の娼館を貸し切っています。……表向きの警備は私が排除します。あなたは、私の後ろを歩いていてくださいね」
「う、うん……。わかった」
夜。シオンはレンの手を引き、絢爛豪華な娼館へと足を踏み入れた。
当然、見張りの荒くれ者たちが立ち塞がる。
「おい、ここはガキの来るところじゃ――」
「黙りなさい。不浄の者がレン様に触れるなど、万死に値しますわ」
シオンの剣が閃いた。
彼女の剣筋は、王宮で鍛え上げられた正統派のそれでありながら、今の彼女の心酔が混じり、容赦という概念が消えていた。一太刀で男たちの手首を跳ね飛ばし、返り血を浴びても眉一つ動かさない。
「ひ、ひぃぃ……っ!」
後ろで怯えるレン。その恐怖が、少しずつ、確実に彼の脳内のゲージを押し上げていく。
【ストレス値:30%……40%……】
シオンに手を引かれ、レンはおどおどと娼館『紅蓮閣』の階段を上っていた。
金箔で縁取られた豪華な内装とは裏腹に、そこには鉄錆と、安物の香水の奥に潜む「血」の匂いが充満していた。
「おい、てめぇら! 何処へ行きやが――」
行く手を阻もうとした巨漢の守衛が、言葉を終える前に床を転がった。シオンの抜き手から放たれた白刃が、男の喉笛を浅く、しかし致命的に裂いたのだ。
「レン様に不快な声を聞かせないで。汚らわしいわ」
冷徹に告げるシオン。返り血が彼女の美しい頬を一筋汚すが、彼女はそれを拭うことすらしない。その苛烈な守護に、レンの心臓は早鐘を打ち、喉の奥がヒリつくような圧迫感に襲われていた。
【ストレス値:45%……】
「ひ、ひぃ……っ、シオン様、もうやめましょうよ……怖いよ……」
「大丈夫ですよ、レン様。私があなたをお守りします。……あぁ、その怯えた瞳も、守ってあげたくなって……ゾクゾクいたしますわ……」
頬を染めるシオンの異常性に、レンの精神的な負荷はさらに加速していく。
そんな中、一人の女が、物陰から這い出すようにしてレンの足元に縋り付いた。
「た、助けて……っ、お願い、殺して……もう嫌なの……っ!!」
それは、ハンスが「玩具」として使い潰した娼婦だった。
レンが目を見開いて絶句する。彼女の身体は、およそ人間が受けたとは思えない惨状だった。
ハンスの放つ魔矢の『試し撃ち』にされたのか、彼女の背中や太ももには、火傷を伴う無数の刺し傷が刻まれている。しかも、傷口は不自然に抉られ、意図的に化膿させられた跡があった。
「あいつ……あのハンスって男……っ! 私たちの指を一本ずつ矢で射抜いて、泣き叫ぶのを見ながら酒を飲むの……っ! 死にたくても、あの女(治癒術師)に無理やり治させて、また翌日には……っ!!」
女は震える手で、根元から失われた自らの薬指を見せた。
「ハンスさんは……そんなこと、して……っ」
「それだけじゃないわ! あいつ、自分を裏切った仲間の『死に際の悲鳴』を自慢げに話してたわ! 『あの荷物持ちは、胸に穴が空いたまま真っ逆さまに落ちていった。あの絶望した顔が最高のご馳走だった』って……っ!!」
その言葉が、レンの脳内で「裏切りの瞬間」とリンクした。
視界がフラッシュバックする。
暗黒の奈落。胸を貫く剣の感触。そして、上から見下ろしていたハンスの、あの下卑た笑い顔。
「……あ、……ぁぁ……」
【ストレス値:55%……70%……85%……】
レンの脳裏で、何かがパキパキと音を立てて凍り付いていく。
女の悲惨な姿と、ハンスが現在進行形で行っている非道の数々。それらが濁流となってレンの意識を飲み込んでいく。
「……ハンス、さん……。あいつ、そんなことを……俺を殺したあとに、そんな顔をして……っ!!」
「レン様? あら、お顔色が……ふふ、ふふふふ! いいわ、とても良いですわ! その不快感、その憎悪……もっと高めて、私をあの素晴らしい『重力』で押し潰してくださるあの方を、呼んでくださいまし……っ!!」
シオンは興奮に耐えきれず、レンの首筋に顔を埋めて熱い吐息を漏らす。
その狂気と、娼婦の絶望的な呻き。そしてハンスへの抑えきれない怒り。
「……許さない。あいつだけは……あいつだけは、絶対に、絶対に……ッ!!」
【ストレス値:95%……98%……】
ガシャァァァァァンッ!!!
廊下に飾られていた高価な花瓶が、レンが触れてもいないのに自重に耐えきれず砕け散った。
レンの黒髪が、根元から不気味に白濁し始める。
大気が物理的な「質量」を持ち始め、豪華な娼館の床が、ミシミシと悲鳴を上げ始めた。
「……あ、が……あああああああああああッ!!!」
レンの叫びが、もはや人間の悲鳴ではなく、空間を支配する王の咆哮へと変わる。
臨界点は、すぐそこまで来ていた。




