第2話:深淵の生贄
ダンジョンの最深部。そこは、淡く発光するクリスタルに囲まれた、静謐ですらある『真理の宝冠』の祭壇だった。
レンは肩の傷から血を流し、息も絶え絶えになりながら、ようやく背負い続けた巨大な背嚢を床に下ろした。その瞬間、彼の背骨からパキパキと不吉な音が鳴る。
「……はぁ、はぁ……ようやく、着きましたね……ガイルさん……」
レンが顔を上げると、そこには安堵の表情など微塵もなかった。
リーダーのガイルを筆頭に、八人のメンバーが彼を包囲するように半円を描いている。その口角は吊り上がり、獲物を追い詰めた獣のような歪な笑みが浮かんでいた。
「ああ、レン。本当によくやってくれたぜ。お前のおかげで、俺たちは指一本汚さずにここまで来られた。最高に便利な『盾』だったよ」
ガイルが鞘から、鈍い光を放つ長剣を抜く。その切っ先は、魔物ではなく、レンの喉元に突きつけられた。
「え……ガイル、さん……? 何を……」
「わからないか? ここは『真理の祭壇』。この宝を得るには、相応の生贄が必要なんだよ。死んでくれねえか? お前のような無能の命で、俺たちが英雄になれる。これ以上の社会貢献はないだろ?」
「そんな……嘘だろ……皆、冗談ですよね……っ!?」
レンが縋るような視線を仲間に向ける。しかし、返ってきたのは慈悲ではなく、剥き出しの悪意だった。
「冗談? 本気で言ってるの? 汚らわしい」
魔導師リナが杖を掲げた。
「『獄炎の弾丸』」
至近距離で放たれた高熱の火球が、レンの両膝を直撃する。
「ぎゃあああああああああああぁぁぁぁ!!!」
肉が焼ける嫌な臭いが立ち込め、膝の皿が爆ぜ、皮膚が炭化して剥がれ落ちる。レンはたまらず地面に転がり、焼け爛れた足を抱えてのたうち回った。
「あはは! 見てよあの顔、傑作! 虫ケラが油の中で踊ってるみたいじゃない!」
治癒術師の女が、腹を抱えて笑い転げる。彼女はレンの苦痛を長引かせるように、ほんのわずかな治癒魔法をかけ、神経の感覚だけを過敏に再生させた。激痛が倍加し、レンは白目を剥いて泡を吹く。
「ひぐっ、あ、が……あ……っ」
指の先まで屈辱と激痛が支配する中、レンの視界に一足の美しい靴が入った。
同行していた王女シオンだ。彼女は泥と血にまみれたレンを、道端の糞便でも見るかのような冷徹な瞳で見下ろしていた。
「……無様ね。救いようのない無能。あなたが死ぬことで私の国が救われるのなら、その汚い血にも少しは価値が出るのではないかしら?」
彼女の蔑みの言葉が、レンの心に最後の一線を越えさせる楔となった。
視界が赤く染まり、耳の奥で耳鳴りが爆音となって鳴り響く。
「あばよ、ゴミ。地獄で後悔しな。あ、地獄すらお前を拒否するかもな!」
ガイルが長剣を振り下ろす。
ドスッ、という鈍い音と共に、剣身がレンの胸を深々と貫いた。肺が潰れ、口からどす黒い血が溢れ出す。ガイルはその剣を容赦なく引き抜き、動かなくなったレンの体を、祭壇の背後に広がる暗黒の縦穴へと蹴り落とした。
重力に従い、レンの体が奈落へと吸い込まれていく。
千切れた足、貫かれた胸、砕かれた心。
遠ざかるガイルたちの嘲笑を聞きながら、レンの薄れゆく意識の中で、冷徹なシステム音声が「審判」を下した。
【警告:個体名『九条 蓮』のストレス値が100%に達しました】
【リミッター解除――生存本能を最優先。魔王核を強制起動します】
【固有スキル『微増』をゴミ箱へ。真の権能『黒天』を再定義】
落下する暗闇の中、レンの傷口から血ではなく、粘り気のある「漆黒の霧」が噴き出した。
それは意志を持つ影のようにレンの全身を包み込み、炭化した肉を繋ぎ合わせ、砕けた骨を再構築していく。
「……あ? ああああ、あああああああああぁぁぁぁ!!!」
レンの叫び声が変質する。
それは苦痛の悲鳴ではなく、すべてを呑み込もうとする獣の咆哮。
暗黒の穴の底で、ドロリとした濃密な殺意が、物理的な質量を持って膨れ上がっていった。




