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16話鏡の中の「怪物」

意識を取り戻してから二日。レンは宿のベッドで、自分の両手を見つめ続けていた。

白く、細く、およそ暴力とは無縁に見える手。だが、その爪の間には、拭っても拭いきれない鉄の臭いが染み付いている気がしてならない。


(僕が……殺したんだ。シオン様じゃない……僕の中の、あいつが……)


目を閉じれば、ミュリンの肉がひしゃげる音が鼓膜の奥で再生される。トト君の、絶望に染まった瞳が脳裏に焼き付いて離れない。

ハンスの時も、ミュリンの時も、意識の主導権を奪っていたのは「白銀の魔王」だった。だが、その引き金を引き、復讐を望んだのは間違いなく自分自身の「怒り」だった。


「……もう、嫌だ。こんなの、僕じゃない……っ」


レンはシーツに顔を埋め、声を押し殺して泣いた。

自分の中に、自分ですら制御できない「怪物」が棲みついている。復讐を重ねるたび、その怪物は肥大化し、優しい記憶を食い潰していく。


「シオン様……僕、もう復讐なんてやりたくない……。ガイルたちの顔なんて、もう見たくもないんだ……。これ以上、誰も殺したくないよ……っ!!」


這い寄ってきたシオンの裾を掴み、レンは子供のように懇願した。

だが、シオンはその震える手を、冷たく、そして力強く握りつぶした。


「復讐を、やめる……? ふふ、あははははッ!!」


シオンの笑い声が、狭い寝室に不気味に響き渡った。彼女はレンの胸元を突き飛ばし、馬乗りになって彼を見下ろした。その瞳は濁り、愛と狂気が綯い交ぜになった光を放っている。


「レン様、貴方は本当にお優しい……。ですが、その甘さが、どれほどの悲劇を生むか分かっておいでですか?」


「な、……何を……」


「貴方がここで足を止めれば、あのクズ共は野放しですわ。貴方が剣を置けば、奴らは笑いながら次の犠牲者を探しに行く。……貴方の『不殺』という自己満足のために、また別のトト君が生まれても良いのですかッ!?」


「……っ!!」


シオンの言葉が、鋭い楔となってレンの胸に突き刺さった。

トト君の、あのひしゃげた姿。もし、自分がもっと早くミュリンを殺していれば。もし、自分が復讐という手段を選ばず、ただ逃げ出していれば――。


「貴方が『魔王』にならなければ、あの村の苦しみは永遠に続いていた。……救えるのは、破壊できる者だけなのですわ、レン様。貴方が彼らを殺さないということは、奴らに殺される人々を見捨てることと同じ……。その罪を、背負えますの?」


「僕に……どうしろって言うんだ……っ!!」


「殺すのです。……一人残らず、根絶やしにするのです。貴方のその手で、世界から『汚れ』を重力で押し潰す。それこそが、貴方に課せられた唯一の贖罪ですわ……ッ!」


シオンはレンの耳元で、甘く、毒のように囁き続けた。

シオンは震えるレンの視界に、何枚かの報告書を突きつけた。


「次は……元パーティの、拳法使いのガンドですわ。彼は今、王都の地下格闘場で、自らの力を誇示するために『奴隷狩り』を楽しんでいます」


「ガンド……さん……」


かつてレンを「兄弟」と呼び、力強く肩を叩いてくれた男。だがその手は今、最悪の血に染まっていた。


「彼は獣人の男たちを買い占め、自身の拳の『重み』を確認するためのサンドバッグにしています。……死なない程度に回復魔法をかけ、何度も骨を砕き、内臓を破裂させ、絶叫を肴に酒を呑む。……そして、獣人の女たちは……彼の『性奴隷』として、喉が枯れるまで犯され続けているわ」


「そんな……嘘だ、ガンドさんが、そんなこと……っ!」


「嘘だと思うなら、その目で確かめなさい。貴方が行かなければ、今夜もまた、誰かの骨が砕かれ、誰かの尊厳が泥に塗れる。……さあ、選んでくださいませ、レン様」


シオンはレンの頬をなで、その首筋を狂おしげに噛んだ。


「……自分だけ綺麗なままでいて、犠牲者を見捨てる『偽善のレン様』か。あるいは、その手を血に染めてでも、悪を圧殺する『愛しい魔王様』か」


レンの瞳から、光が消えていく。

自分が復讐をやめることは、悪を肯定することだ。自分が止まれば、また誰かがトト君のように壊される。

その恐怖と責任感が、レンの精神を「魔王」へと再び押し戻していく。


「……行くよ、シオン様。案内してくれ」


レンは力なく立ち上がった。その足取りは重く、泥濘の中を歩くようだった。

自分の魂を削り、誰かを救うための殺戮へ。

レンの葛藤を置き去りにしたまま、馬車は三人目の処刑場へと走り出した。

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