8.心音は斯くも落ち着けり
とくん、とくん、とくん……と優しい音が耳に入ってくる。
俺、何してたんだっけ……?
たしか……そうだ。ファイア・アローを使った後気を失って……それ、で……?
えっ、と……じゃあこの音なんだ?
少しだけ頭を動かす。鼻先に柔らかい感触が。
「んっ……起きたの?」
上の辺りから普段抑揚の感じられない声になにかがついたような感じがしてなんだ? と顔を上げて目を開ける。
「…………え? っと……な、なんで俺……ニアに抱きしめられてるんだ?」
そうだ。あの後、急にフラってして……。
「あっ、わっ、わわわ、悪い! 重かったよなっ!」
いつからニアに抱きしめられていたのか分からない。けどこのままだとニアに申し訳ないし、なにより俺がこうしてるというのが恥ずかしかった。
「あ。……なんで離れるの?」
「も、もう大丈夫だから……!」
「……そう」
少し声に残念そうに聞こえたのは気のせいにして体を起こす。空がもうオレンジ色になっていて気付けばもう夕方だった。
「な、なぁ……どんくらい寝てたんだ?」
「……結構?」
「そんなに……じゃあもう今日は終わろうぜ」
手を伸ばしてニアの手を優しく引き上げ立たせ土埃を払ってあげる。
森側に未だ冷気を放って見える氷柱に目を向ける。
「あぁ、そうだ。あの氷柱どうするんだ?」
「残す?」
「いや、俺に聞かれても……」
「でも“魔術”の練習には必要でしょ?」
「それはまぁ……」
けど溶けないのか? と氷柱を見ながら訝しむ。
「大丈夫だよオーロン」
袖を引かれるとニアは微笑んでいた。
大丈夫って何が大丈夫なんだ?
思っていたのが顔に出ていたのだろう。ニアは微笑んだまま続けた。
「アレすぐには溶けないの。魔力で練り上げたものだから、溶けるまで時間がいっぱいかかる」
「そうなんだ。というか“魔法”ってすごいな。触りにいっても良いか?」
「だめ。触れたとこが凍傷しちゃうから」
「ありゃ。……まぁお前がダメって言うならやめとくよ。でも他が触ろうとするんじゃないのか?」
するとニアはおもむろに氷柱へ右手を向けた。ふわりとあの時と同じような温かな風が吹いたような気がした。
「ん。これで良し」
「なにをしたんだ?」
「風で覆った」
「なるほどな。じゃあ帰るか」
今日の成果としては俺には“魔術”が使えることが分かった。
「そういえば。なんで俺、あのあと倒れたんだ?」
「魔力使い切ったから、かな」
「ふぅん……?」
なんとなく理解ができないまま相槌をうつ。ニアはそんな俺の様子に呆れたりせずに説明してくれた。
「“魔術”は魔力を消費するって教えたけど、限度があって、使いすぎたら魔力が枯渇して意識失うの。私も良くやってたから一緒」
「そうだったんだな……ってニアも良くやってた……?」
こっちを見てから小さく笑ったような気がした。そんなに変なこと言ったか俺。ニアの笑いどころがまだよく分からないな。
「ま、まぁ……じゃあ今目を覚ましたってことは魔力は戻ってるのか?」
「そこはよくわからないかも。でも、起きたら私は魔力が増えてた」
「それはどうやって分か……いや、この話は寝る前に聞かせてくれ」
話しながら帰るとすぐに家が見えるな。
ニアは一度首を傾げたけどすぐに頷いてくれる。
「……今日も一緒に寝ても良いの?」
「…………え? ……あっ」
家に帰ったあと、俺は父さんにお願いをした。
「そうか。オーロンが強く、なぁ」
感慨深げに何度も頷いてから嬉しげに笑って、頭を撫でてくる。父さんの手は分厚く、手のひらはゴツゴツしてるけど優しい温かさをしている。
「オーロンには言っていたか忘れたが、その手のことはお父さんに任せろ」
「あ、ありがとう……父さん」
「ちょっとー、持ってくの手伝ってちょーだーい」
「っと、母さんから雷落ちる前に行くかオーロン」
髪と同じ小麦色の目を細めながら笑って母さんの方へ向かっていった。その背中を見ながら追うと、こっちを見るニアと目があった。
「よかったねオーロン」
そう言ってるような気がした。
そういえば父さんって母さんと結婚する前は何してたんだろうなぁ。
晩ご飯を食べ終えた後、風呂を済ませて部屋に。日課の剣の刃こぼれ等を調べていると扉をノックされる。
「入っていいぞー」
剣をしまいながら扉を見る。昨日と同じようにニアが入ってきた。
「夕方に言ってた続き」
「あー、うん。そうだったな。風呂、良かったか?」
「ん。心地良かった」
「そっか。えーと……どこまで話してたっけ?」
ニアはベッド脇に腰掛けるのを見ながら剣を置く。
風呂上がりだからか白い肌がほんのりと赤み帯びてて同じ歳頃だというのに今は少し目を合わせることはせずに顔を向ける。
「……? ん。魔力が気絶してから起きたら増えるって辺り」
「あぁ、だったな。実際のところ、どんなふうに分かるんだ?」
ニアに椅子を向けて座りながらその時に聞きたかったことを聞いてみる。
「実は私も分かんない」
「え、まじで?」
「うん。ただなんというか……さっきと違うかも? って感じ」
「なるほど。感覚みたいな感じか」
正直、アレから目覚ました俺も分かってない。どういうふうに増えてるって分かるんだろうな。
「ねぇ、オーロン」
「ん、ん? どうした?」
「お父さんに何を頼んでたの?」
翡翠色の目で見つめられて、ニアには隠し事できないなと笑ってから正直に話すことにする。
「父さんには“魔術”に詳しい人を教えて欲しいってお願いしたんだ」
「……私じゃ、力不足?」
あ、やばい。言葉足りなかったかもしれない。
とっても寂しそうな悲しそうなショックを受けたようなそんな顔をするニアに慌てて説明する。
「えっとそうじゃなくてだな。別にニアが不満とかそういうんじゃないんだ。ほら、ニアがいなく……なっちまうだろ? その後にも学びたいんだ。だから」
「そっか……私のこといらないわけじゃないんだ」
「そ、そうだ。ニアはこれからも隣にいて欲しいんだからそう思うなんてありえないよ」
「……ふふ。そっか。オーロンに迫られちゃった」
ん? 俺なんか変なこと口走ったか?
そう思うくらいの微笑みを浮かべたニアに目が離せなかった。
ニアの後ろは窓でそこから月明かりが差し込んでいたからというのもあるんだろう。
胸に手を当てながら頬を少しだけ赤くさせて微笑う姿をそのまま保存したいとすら思えるくらいに綺麗で息を呑んだ。
「……って、迫るってなんだよ。そんなことしてないだろ」
「むぅ……正論はだめ。バツとしてぎゅーさせて」
「げっ……まじかよ。っはぁー……分かったよ。ま、聞きたいこと聞けたし寝るか」
「ん。オーロンと添い寝2回目だね」
ランプの火を消す時にそんなことを言われて危うく落としかけた。
あっぶねぇ!? 危うく火事になりかけたぞ……ったく。
「急にそんなこと言うなよニア」
「……? 事実しか言ってないよ?」
「…………それでもだ。ったく」
ランプを元に戻して月明かりしかない中でベッドに向かう。
「横になるから窓側に寄ってくれ」
「ん」
「え、いや……横になってからでも」
「いまやって」
いまやってってお前なぁ……。
両腕を広げて待っているニアを見てこめかみに手を当ててさてどうしようと悩む。しかし結果。
「……はぁーーーーー。分かったよ」
結局のところ、折れるしかないのだ。今日はニアに何度も世話になったし。
ニアに近づいてそっと抱き寄せる。するとニアはより密着したかったのか自分から俺の首筋に顔を近づけてきた。少し湿っぽい息がかかりこそばゆい。
俺と同じ風呂を使っているから当然なんだが、石鹸の香りがしてみぞおちのあたりが妙にグルグルする。
「……あ、あまり息をかけるな。くすぐったい」
「あ、ごめん……でも、もう少し強くぎゅってしてもいいよ」
もしやわざとやっているのかと思うくらいに耳許で囁かれる。思ったより吐息がかかり、離しそうになる。けれどニアの細い腕とは思えない力で離そうにも離せなかった。
「離れたらだめ」
「だ、だったら……」
ぼふっとベッドに横から倒れる。目を開けると鼻が当たるようなより近くにニアの翡翠色に輝く吸い込まれそうな大きな瞳があった。
「こんなに近いの、初めて」
「あ、……あぁ。そう、だな……」
あまり良く見ることがなかった目。月明かりで輝く目にはなんだか雪が降っているようなそんな煌めきが見えた。今まで見たことのない綺麗な輝きに俺は見つめ続けた。
「──オーロン?」
「……綺麗だな──」
「…………ありがと」
ふわりと微笑んだ顔にハッとした。まさか考えていたことが……。
「口に、出てたか?」
小さく頷いて、嬉しそうに微笑んでくれる。
あまり笑わないはずのニアは少しだけこうして笑った顔を見せてくれる。それがどうしてなのかわからない。
「ニアは……どうして俺の前で笑ってくれるんだ?」
「どうして……オーロンの隣にいるのが楽しい、から?」
「からって分からないのか自分でも」
「うん。……私は笑ってると思ってなかったから」
まさか自覚してなかったなんて思わなかった。
俺の顔を見て何か思ったのか不安げな声を上げた。
「やっぱり愛想良くないのは、嫌?」
「全然。俺はニアが伸び伸びとしてたらそれでいいんだ」
「……オーロン、優しい」
「……っ、う、うっせ。いいから寝るぞ」
「ん。おやすみオーロン」
「……おう。おやすみ、ニア」
そうは言うが、寝たらまた1日短くなるんだと考えないようにしていた別れを思い出す。約束もした。決心も。それでもやっぱり……寂しい。
「ん……オーロン?」
「…………き、今日はありがとな。だ、だからまぁ……その、」
本心を言うのが恥ずかしい。寂しいと。ニアの胸元に額をつけて押し黙ってしまう。そんな俺の様子にニアはそっと優しく後頭部を撫でてくる。
「オーロンから甘えられるの、良いかも」
茶化すような感じだけど優しい声に反応しないように……したらきっと、浅ましい感情を言ってしまうだろうから。
だから俺はただ無言で目を強く閉じて、こんな日が終わらないで欲しいと願いながら眠りについた。