1.嘘であって欲しい悪夢から目覚めて
晴れの雲間から夕陽が差さる歩道。夏も終わりで少し湿った秋の風が吹き抜ける。
隣を歩く亜麻色の髪を右側頭部で結った幼馴染の女の子と一緒に帰り道の途中にあるコンビニでアイスを買った。
俺はビターチョコの棒アイスを、彼女はバニラ味だ。
「きみってば、いっつもそのアイスだよね〜」
「なんだよ……悪いか?」
「んーん。ぜ〜んぜんっ」
隣で少し必死そうに吸い上げてる様子を見て笑う。
「ん〜? むぅ〜! なにがおかしいのさ〜!」
「いや、だってそんな必死に吸うもんでもないだろ?」
「はいぃ〜? めっちゃ大変なんですけど? え、嫌味? じゃあやってみなよ。ほらっ」
「えっ。いや、それは……」
出来るわけがない。コイツには間接キスになるという自覚はあるのか?
いや、反応から察するにそんなことはないな。そういうの疎いもんなお前は。
「もしかして自分が出来ないくせにそんなこと言ったのかなぁ〜?」
「は、はぁ!? そんなわけないだろ!?」
揶揄い混じりのジト目を向けられ、売り言葉に買い言葉だ。コイツのやっすい挑発にまんまと乗せられて、さっきまでコイツが口をつけていた飲み口に口をつける。
────んにゃろ〜……。こうなったらこうしてやる。
ずごぉーっと勢いよく吸い上げて結構量の多いバニラ風味のアイスを飲み込む。
「あ、あーっ!? こ、こらっ! 離れてよぉ! わたしの分がなくなっちゃうよ〜っ!」
「へっ。俺を茶化すからだぞ。ばーか」
「んなぁっ!? ば、ばかって言った!? わたし、これでも成績良いんですけどぉ!?」
「けど俺には毎回負けてるだろ。休み明けテストなんてそうだろ?」
「ぬぐっ……ひ、否定できないいいいい!」
そう。コイツは中学での学年ごとのテストも高校入試も1学期中間も期末も休み明けテストもどれもこれも俺に負けてるのだ。とはいえ俺だって別に得意教科があるわけじゃない。
ただ勉強方法が俺に合ってるからなんとか結果はクラスの真ん中より上に入れるのだ。コイツはそんな俺の一個下なのだ。毎回。
隣でこれでもかと背中を仰け反って悔しがる姿がなんというか面白い。
「取り敢えず俺のアイスやるから落ち着けよ」
「えっ、いいのっ?」
「変わり身はや」
「えっへへ〜。いっただきま〜すっ」
「調子良いなぁ……まったく」
食べかけのビターチョコ棒アイスを渡す。
ただまぁ、このまま渡したほうが俺の心も安全だろう。
「んん、そうだ。ね、今日の数学さわかんないとこあったんだけど教えてよ」
「はぁー? まぁ良いけど。俺の部屋でいいか?」
「おっけーだよー」
気付いたらアイスがほぼ無くなっていた。
え、いつの間にと目を向ければ彼女はにひひと笑った。
「お前なぁ……」
「えー? どれくらい食べていいなんて言ってないじゃん」
「俺のせいかよ」
「え、うん」
即答する彼女の態度に左頬が引き攣る感覚がした。
「あれー? ピキっちゃった〜? おやおや〜?」
にこにこがニヤニヤに変わった。どうしてくれようかこの女を。
「あっ、ちょ、待っ……いったぁ!?」
なのでデコピンをお見舞いした。
「ふん。相応の報いだな」
「ひっどぉ〜い! わ、わたし悪くないもん」
「ぷんぷんしたってダメだぞ?」
「ケチ〜! 鬼! 悪魔! いけず!」
「最後は意味違くないか?」
そんなふうに話しながら、歩道前で止まりかけた時に青になったから進む。
「まぁでも今度食うときは言ってくれよ?」
シャクと残ったアイスを一口食いながら渡りきる。
「そんで今日はどこの問題教えて欲しい……ん……?」
隣に目を向ければそこにいるはずの彼女がいなかった。さっきまで話しをしてたはずなのにと思っているとツンとした匂いがした。
────この、匂い……いやそんなまさか。
この匂いは鉄のような匂いだ。俺は体育の接触で何度か鼻血出すから理解できた。じゃあこれは自分のか?
答えは否。今、自分の鼻をさするけど自分のじゃなかった。
そう確認していると周りがザワザワしだした。道路の方で何かあるみたいだ。
「え、おい人倒れてるぞ」
「あの制服、高校生かしら」
「何があったんだ?」
人波に流されて状況が分からない。一体何が……。
「きゃあああああ!!!!!! ち、血!」
女性の悲鳴を機にザワザワとした空気が騒然としだした。俺は目の前の人の肩に手を置いて掻き分けるように来た道を戻る。
「────────────え?」
道路の先、横断歩道に横たわる幼馴染がいた。亜麻色の髪の隙間から見える顔からも何か赤いものが見えた。体も制服の下から赤い水たまりが広がっていくのが見えた。
「な、……んで」
その光景はとても理解しようのないものだった。さっきまで隣を歩いていて、楽しそうにしてた彼女が血を流して倒れているのだ。理解したくないだろう。
呼吸も忘れ、次第に耳に入ってくる音が遠くなる感覚がした。認めたくない思いからか頭が万力に絞められている感覚にまで陥る。
「────、はっ」
ドンと肩がぶつかって、視界の隅で黒いフードに揺れる中で嗤う口が見えて通り過ぎて行ったのを見えて、我に返された。
けど視線は幼馴染に固定されていた。そして息も忘れていたからか、体は酸素を求める。息を吸った瞬間に血生臭い匂いが鼻につく。
「……そだ」
一歩踏み出す。アスファルトの傾斜のせいか、靴底に嫌な感触がした。ぴちゃりと。
見なくてもわかる。分かってしまう。これは彼女の血なのだということ。
自分の制服が汚れそうがお構いなく、しゃがんで彼女の肩を揺する。
「……おい。起きろよ。な、なんかの冗談なんだろ? なぁ?」
ゆっくりと体を抱え起こすと、浅く呼吸していることに俺は気付く。
「…………けほっけほっ。ご、めん……少し、寝てた……かも」
「……そう、か。なぁ、何が……あったんだ」
分かんないと言って首を小さく振った。
「急にね……ドンってされて……気付いたら、寝ちゃってた」
薄目の彼女の目を見る。焦点が合ってない気がした。
「あ。あー……そっか。うん……はは。お腹、痛いや」
何か合点がいったのか、彼女の目が移動したのを見て俺もそっちに、彼女の体の方に目を向ける。左のお腹に何か黒くて細長いのがあった。
「これ……なん」
「抜いたらだめ、かなぁ」
「え?」
俺にはさっぱり分からなかった。抜いたらだめとは一体。
「ほら、わたし、夢がお医者さん……でしょ? いっぱい調べて分かってるんだー……これ、まずいかもって」
あははと力のない笑みを浮かべて自分のお腹に左手を当てていくのを見る。その黒いなにかの部分に左手が止まって、ついその上に自分の手を重ねる。
重ねたら手に何か当たり、浅く上下する中で何か冷たい金属質の感じがした。
「手、おっきぃねぇ……こんな、ことで……夢、叶えたくなかったなー……」
声が掠れて聞こえた。脳裏に最悪な言葉が浮かんでは消えてを繰り返していて、それを否定するように声を掛ける。
「だ、大丈夫だ……! きゅ、救急車くるから! だっ、だからだいじょ……」
「むり、かなぁ……。あはは、ごめん……」
「なんで謝んだよ……!」
まるで誤魔化すように笑う彼女に歯を食いしばって絞り出すように声を出す。そのとき、ぽたりと彼女の顔に何か雫が垂れた。
「ぁ……はは。やっさしーなー……。泣いて、くれるんだ」
「…………え?」
自覚してなかった。彼女に言われて気付いたんだ。俺が泣いてるって。
「……あーあー。今に……なって、言う気力……湧くなんてなぁ…………」
ゆっくりと右手が頬に添えられる。俺はその手を握る。
「……嫌だ。今は、やめてくれよ」
何を言うのか気付いた。だって俺は知ってるんだ。本当は俺から言わなきゃいけないのに。だから駄々っ子のように首を振る。嫌だと何度も。
「……聞、いて? わたし、ね……」
「やだ……嫌だよ。今生の別れみたいにすんな。もう少しで助けが来るんだ。だから言うな。……頼むから」
でも分かるんだ。来るのが遅いから彼女の体が少しずつ冷たくなってってるのが。間に合わないなんて思いたくないのに。
「……きみの、こと──」
握っていた彼女の右手がずり落ちた。その事実を認めたくなくて首を振りながら抱いている肩を揺する。
反応なんて返ってくるはずもない。次第に慟哭が聞こえた。これは──。
────俺の、声だ。
「────────────!!!!!」
助けられなかった悔しさと、怒りと腕の中で冷たくなった幼馴染だった彼女を失った悲しさでおかしくなりそうで。
そこからプツリと記憶が切れた。
──────
────
──
「────きて。起きて、オーロン」
目を開く。どうやら夢を見てたらしい。木漏れ日から差し込まれる夕陽と共に、温かな風が当てられ、声を掛けられたから左手を顔に当てながら起き上がる。
それにしてもほんと気味の悪い夢だ。今でも鮮明に思い浮かべるほどに嫌な夢だった。
悪夢を見ていたからだろうか。一瞬だけ彼女が亜麻色髪の女の子に見えてふるふると首を振ってから再度目を向けて微笑む。
「起きた?」
「……ぁ……うん。おはようニア」
翡翠色の瞳を輝かせながら風に揺れる白絹のような髪をおさえて少女は小さく微笑う。抑揚のない声で言ってくる少女──ニア。それが名前。
色白の肌と白いワンピースを着て、あまり笑うことがない。見たことがあるのは今みたいな微笑だけ。そして彼女は魔人族だ。
魔人族。人間族と姿は変わらないが、違いはただ一点。角だ。魔人族は頭のどこかしらから角が伸びているのだと初めて会ったときに教えてくれた。
そしてニアは額の上から真白の角を生やしている。
暗い気分をふるい落とすように首を振ってニアの角に目を向ける。
「なぁ、ニア」
「どうしたの?」
「なんで俺にだけそれ見せてるんだ?」
「あ、これ?」
ニアが角にそっと触れる。きらりと陽光で角が輝く。光景に目を細めながら眺める。あぁ、とても綺麗だ。
「オーロンはきらい?」
オーロン。それが俺の名前。歳は7で人間。辺境の村に住んでるからそこまで裕福ではないと思うけど、別にこれといった不満はない。
「いや。綺麗だなって思うよ。でもだからこそ……なんで俺以外には見せてないんだろうなって」
「だって……魔人族は疎まれてるでしょ」
「それは……」
俺は顔を顰める。ニアのいうことは至極当然だったからだ。魔人族は亜人族よりも人間に疎まれている。
それはかなり昔からそうだったらしい。俺からすれば魔人族も亜人族もみんな等しく人間なのに。
何故、体の違いだけでそうするのか俺には一切理解が出来ない。
「……オーロンのそういうとこ、私は好き」
隣で両足を抱えながらしゃがんで微笑むニアに訝しみながら答える。
「そういうとこって……俺はただ良いものは良いって言ってるだけだぞ?」
「だから私はあなたにだけ見せるの。でも、触っちゃ……ダメだよ?」
「触らねぇよ」
「即答されるのはそれはそれで傷つく」
「じゃあどっちなんだよ」
ニアは少しむっとするような顔をしたと思えばすぐに微笑む顔になる。そういえばいつの間にか翡翠色の瞳の輝きは収まっていた。
「特訓、もう終わる?」
「今はきゅーけー中。ニアは?」
「見て。あの子たちがくれたの」
ニアはそう言って左手に握る籠からリンゴを見せてきた。
「あの子たち?」
「そう。ほら、あの子たち」
ニアは手を森の奥に向けた。茂みの中から鹿のような動物がこちらを見ていた。
「……動物と話せる、んだっけか」
ニアは動物と会話できるという特殊なものを持ってる。魔人族特有なのかはニアも分からないそうだ。
「そう。食べる?」
「半分こするか」
「うん。えっと……お願い」
「おう」
傍らに寝かせていたすこし細身の剣の柄を掴み、鞘から抜く。リンゴを渡されて、半分に切って渡しながら剣を鞘に戻す。
「ほら」
「ありがとう」
ニアは隣に座って、シャクシャクと小さい口でリンゴを頬張った。それを横目にニアの倍くらい口を開けてリンゴを頬張る。果肉が舌に乗れば酸味と甘味の程よい味が広がった。
「あ、ウマ」
「うん。美味しいね」
ニアの言葉に頷きながら、さっき見ていた夢を思い出す。街並みは今俺たちがいる世界よりも遥かに高度だった。
服も豪勢だったけど、視点から見たものは最悪の一言だ。
「…………オーロン?」
「え、な、なに?」
気付けばじぃーっと見つめられていた。ニアの綺麗で大きな翡翠の瞳には顰めっ面の俺が映っていた。
「何考えてたの?」
「え? ……あー、いや、……夢、見たんだ」
「……夢?」
「あぁ。結構夢見が悪いもんだったけどもう忘れたよ」
初めてと言って良いだろう。俺はニアにそんなふうに嘘をついた。言ったらきっと悲しむだろうから。
「ほんと?」
「あぁ。っと。ほら、帰ろうぜ」
「うん。あ、これどうしよう?」
食べ残したリンゴを見た。近くにいた鹿に目を向ける。俺もまだ残してるけど……。
「あいつらに上げようぜ」
「分かった」
ニアは頷くとなまじ人間の喉から出してるとは思えないまるで笛のような音を上げた。鹿たちは耳を動かしてのそのそとこちらに向かってきた。
「これ、上げる。オーロン」
「あぁ。ほらよ」
あまり触れたくはないだろうから地面にリンゴを置く。数匹の鹿がゆっくりとした足取りで近づいてきて恐る恐る口をつけた。
それを軽く見てから後ろへじりじりと2、3歩ほど下がって、剣を左腰に差す。
野生動物というのは気配に敏感だ。父さんの狩猟をたまに手伝っているから身に沁みている。
「行こうぜニア」
「ん。あ、ねぇオーロン」
「んー?」
「手、繋いでもいい?」
「あーまぁ、良いけど。ほら」
「ありがと」
左手をニアに向ける。ニアは少し嬉しそうに小さな口を綻ばせ、左手を握った。離さないようにして手を引いて帰る。
何の気なしにニアに目を向ける。ニアは心做しか嬉しげだった。
第1話いかがでしたでしょうか
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