ハンガーストライキ
その日の午後、亜里沙は国際会議に出席していた。 各国の代表が熱心に議論を交わす中、亜里沙は、時折、窓の外に目をやった。 議題は重要なものばかりだが、どうしても集中できない。 (…昨日のあの投稿、本当に私宛なのかしら…) 誠太郎のインスタグラムの投稿が、頭から離れない。ハンカチの件は、偶然ではないはず…。
会議中、侍従の田中は、会場の後方で待機していた。 普段の亜里沙であれば、このような国際会議では、発言者の目を見て、メモを取り、時には質問を投げかけることもある。
しかし、今日の亜里沙は、どこか上の空で、時折、小さくため息をついているように見えた。
(亜里沙さま、どうされたんだろう…)
田中は、亜里沙の様子がいつもと違うことに気づいていた。
会議が休憩に入ると、田中は梅田を呼び止めた。
「梅田さん、亜里沙さまのご様子、何か気になることはありましたか?」 田中は、静かに尋ねた。
「はい…」 梅田は、少し躊躇しながらも、
「時折、ぼんやりと窓の外をご覧になっていたり、今日はいつものご様子と違うように感じます」 と、正直に答えた。
田中は、小さく頷き、
「……昨日のパーティーで、予定より帰りが遅かったのは、何かあったのかしら?」 と、梅田に尋ねた。
「亜里沙さま、セレモニーで展示されていたアズライトという鉱石に、とても興味を示されていました。それで…公務外で、プレオークションにも参加されたんです。それが原因かどうかは…分かりません。ただ、いつも完璧な亜里沙さまが、あんな風に何かに気を取られているのは、珍しいことだな、と…」
田中は、しばらく考え込んだ後、
「…亜里沙さまは、とても繊細な方。私たちは、そっと見守りましょう」 と、梅田に優しく言った。
その日の夜、亜里沙は自室で物思いに耽っていた。
あの投稿…私宛…だよね?
ハンカチが動かぬ証拠だ。
もし私が普通の女の子だったら…こんな時、どうするの?
思い切ってDMを送ったりするのかもしれない。
送ったら、その後はどうなる?
でも、私は皇女。彼は私の素性を知らない。
例えあれが私へのメッセージだったとしても、私が彼にDMをすることは、できない。
私に向けられる無数の目が、彼の自由さを、奪ってしまうかもしれない。
そんなこと、私が絶対に許さない。
「私はDMは送らないからね」
亜里沙はアズロマラカイトにそっと語りかけた。
石は今日も、複雑な青と緑の輝きを放っている。
様々な思いを抱えながらも、亜里沙は眠りについた。彼女はいつだって寝つきが良い。
翌日の帰国を控え、夕方、亜里沙は田中を伴い、ロンドン土産を買いに出かけた。
しかし、亜里沙は、何を見ても心から楽しむことができない。
「亜里沙さま、こちらのお菓子など、いかがでしょう?皆様に喜ばれるかと…」
田中が、いくつか商品を提案するが、亜里沙は、 「…そうね…」 と、上の空で答えるばかり。
結局、田中にほとんど選んでもらう形になった。
ホテルに戻った亜里沙は、 「ごめんなさい、田中さん。今日は、少し疲れてしまったみたい…」 と、珍しく弱音を吐いた。
「お気になさらないでください。お部屋で、何か軽食でも召し上がりますか?」
田中は、優しく尋ねた。 「…ええ、そうするわ。」
亜里沙は、そう答えると、自分の部屋に戻っていった。
田中は、亜里沙の様子を心配そうに見送った。
部屋に戻った亜里沙は、ドレッサーの引き出しから、アズロマラカイトを取り出した。
誠太郎から贈られた、青と緑が混ざり合った、美しい石。 指でそっとなぞる。
(…彼は、今、どうしているのかしら…)
ふと、そんな考えが頭をよぎる。
誠太郎の顔、声、あの熱い眼差しを思い出すと、なぜか胸が騒ぐ。
今まで、こんな風に、会ったばかりの男性のことをを思い出すことなんてなかった。
なぜ、こんなにも気になるのか。
(…ただの、好奇心よ。きっと…)
亜里沙は、そう自分に言い聞かせた。
未知の世界へのほんの少しの興味。
そう思うことにした。
帰国の荷造りを済ませ、就寝の準備を整えた後、亜里沙はSNSを開く。
梅田が言っていたチャリティオークションの公式アカウントから、誠太郎のアカウントまでたどり着く。
フォローはしない。
今日はフィード投稿はなかったが、ストーリーに誠太郎の写真がアップされていた。
(誠太郎のストーリー)(床に正座し、俯いた表情の誠太郎の写真)
「今、僕が本当に欲しいものが手に入らないので、悲しみに暮れています。食事も喉を通りません。
#ハンガーストライキ1日目 #水は飲んでます #ハンガーストライキ #切実 #届いて #DMください #SOS #名前だけでも知りたい」
想像の斜め上を超えてきた誠太郎の投稿に、亜里沙の思考が停止する。
「ハンガーストライキ…? いや、まさかね」
本当に続けるわけない、と思いながら、亜里沙は床に就いた。
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