プレゼント
亜里沙はバルコニーで夜景を見つめていた。
パーティー会場の都会の喧騒とは隔絶された静かな空間で、夜風が彼女の髪を優しく撫でていく。
背後から近づく足音に気づき、振り返ると、そこに立っていたのは、壇上でアズライトについて熱く語っていた、日比谷誠太郎だった。
「こんばんは。少し、よろしいですか?」
彼は微笑みながら、シャンパングラスを亜里沙に差し出した。
亜里沙は少し驚いた表情を見せたが、すぐに微笑んだ。
差し出されたグラスを受け取ると、シャンパンの繊細な泡がグラスの中で踊っているのが見えた。
「日比谷さん、最高額での落札、おめでとうございます。先ほどの、アズライトが共生によって変化していくお話、とても興味深かったです。」
彼は嬉しそうに、答える。
「聞いていただけて光栄です。そうなんです。アズライトは脆い鉱物で、そのままではアクセサリーに加工するのが難しいんです。でも、マラカイトと共生することで、硬度が増し、加工しやすくなる。お互いを補い合って、より強く、より美しくなる。まるで…人と人の関係のようだな、と、僕は思っているんです。」
ロンドンの夜景を背景に、シャンパンのグラスを傾ける彼女の姿は、息を呑むほど美しかった。
そして、出会った時ともまた違った彼女のリラックスした表情を見て、自分のことを彼女にもっと知って欲しい、彼女の心の奥底に触れたい、そんな衝動に駆られた。
「僕の名前は、日比谷誠太郎です。今はロンドンに住んでいますが、その前は東京に住んでいました。
僕は今、あなたとお話しできて、すごく楽しいです。ドキドキしています。僕も、アズライトみたいに、あなたと出会えたことで、何か新しい変化が始まったら嬉しいなって、そう思っています。」
彼は、ポケットに手を入れ、小さな箱を取り出した。
「それで、もしよろしければ、このアズロマラカイトを受け取って頂けないでしょうか?
これは、今回のオークションには出せなかった、小さなものですが…僕の感謝の気持ちです。そして、少しでも、僕の活動や、僕のことを知っていただけたら嬉しいです。」
会場の喧騒が、一瞬遠くへ消えたように感じた。
誠太郎の声だけが、亜里沙の耳に、まっすぐに届いた。
飾らない、率直な言葉に胸がドキリとする。
「お気持ち、ありがとうございます。」
誠太郎の純粋な好意を向けられ、心の奥底で何かが動くのを感じる。
でも、私は皇女。
こんな、偶然の出会いから始まる、自由な恋愛なんて許されない。
私には衆人環視が付きまとっている。
もし、自分と彼と親しくなれば、彼の活動の邪魔になるかもしれない。
彼に、少しでも期待を抱かせるのは、適切じゃない。
皇女として、あるべき姿、振る舞うべき言葉…。
瞬時に、表情が強張ってくる。微笑は貼り付いたように形だけになり、内側で何かが、静かに閉じていく。
「大変有難いのですが、私は、そのような貴重なものを頂くことができません。」
いつもの、完璧な微笑。皇女らしい言葉を告げる。
亜里沙の言葉に、誠太郎の表情は見るからに間に沈んだ。
落胆の色が、隠しようもなく彼の顔に広がった。
子供のように悲しそうな、どこか儚げな表情に、亜里沙の胸が、きゅっと締め付けられるように痛んだ。
しかし、誠太郎は、アズロマラカイトを見つめ、再び差し出した。
「今日は、あなたとアズライトのことを話せて、本当に嬉しかったんです。もしこの石が、少しでもあなたの癒しになるのであれば、この子も、とっても喜んでくれると思うんです。」
誠太郎の言葉は、飾らない、率直なものだった。
亜里沙は、彼の瞳を見て、鉱石への愛情や真っすぐな気持ちを感じ取った。
彼が語った、アズライトマラカイトの話が蘇る。
共生することで、より強く、より美しくなる…。まるで、人と人の関係のように
彼の口から語られた鉱石の世界は、亜里沙にとって未知の領域だった。
鉱物が持つ力、その生成過程、歴史…。
亜里沙は、その複雑な成り立ちに、未知の世界への好奇心が湧き上がっていることを否定ができなかった。
彼は今はロンドンに住んでいる。
私は今週、東京に戻る。
もう会うことはないだろう。
だから、今日のこの日の記念に、もらっても、、、問題ないかな?
そして、亜里沙は、答える
「分かりました。それでは、有難く、いただきます。大切に、させていただきますね。」
誠太郎は嬉しそうに、アズライトマラカイトが入った小さな箱を亜里沙に手渡す。
アズロマラカイトのひんやりとした感触が、亜里沙の手のひらに伝わった。
同時に、彼の優しさも、ほんの僅かに、心に触れた気がした。
それは今まで感じたことのない、新しい感覚だった。
その時
亜里沙のスマホが鳴る。電話の相手は警護官の梅田だ。
「…すみません、帰らないといけない時間です。これで失礼させていただきます。」
「こちらこそ、ありがとうございました。僕も、とても楽しい時間を過ごせました。あなたとお会いできて、本当に嬉しかったです。」
彼の言葉は、とても誠実で、温かかった。
亜里沙は、もう二度と、彼に会うことはないこと、この特別な夜の思い出は、このアズロマラカイトと共に、私の心の奥底に大切にしまっておこう。と心の中で呟いた。
一瞬の静寂が二人の間に流れた。
誠太郎は、そんな亜里沙の様子を見て、付け加えた。
「もし、よろしければ…ですが。僕、SNSで、自分の活動や、アズライトマラカイトのことも投稿しているんです。もし、少しでも鉱石に興味をもっていただけたのであれば、…見にきていただけたら、嬉しいです。」
彼は、名刺サイズの小さなカードを取り出し、亜里沙に差し出した。そこには、彼の名前と、SNSのアカウント名が控えめに記されていた。
亜里沙は、そのカードを静かに受け取った。
「…ありがとうございます。」
彼女は、微笑んだ。それは、先ほどの貼り付けたような微笑みではなく、心からの、かすかな温かさを帯びた微笑みだった。
二人は、軽く会釈を交わし、それぞれの道へと歩き出した。
都会の夜景は、相変わらず美しく輝き、シャンパンのグラスは、静かに夜風に揺れていた。アズロマラカイトは、亜里沙の手の中で、ひんやりと静かに輝いていた。




