握手
「もう一杯、いかがですか?」
とその時、誠太郎のスマートフォンが振動した。彼は画面を確認すると、少し申し訳なさそうな表情で私を見た。
「すみません、少し電話に出てもよろしいでしょうか?仕事の連絡のようです。」
「ええ、構いませんよ。」
私は微笑んで答えた。彼は席を少し離れ、小声で電話を始めた。数分後、彼は電話を終えて戻ってきた。
「申し訳ありません。個展会場から呼び出しがあり。…そろそろ失礼しなければならないようです。」
残念そうな彼。私も名残惜しさを感じている。
「そうでしたか。お忙しい中、ありがとうございました。楽しくお話しできて、良かったです。」
私がそう言うと、彼は少し明るい表情になった。
「こちらこそ、ありがとうございました。僕も、とても楽しい時間を過ごせました。亜里沙さんとお話できて、本当に嬉しかったです。」
「最後に、約束の1枚、撮ってもいいですか?」
誠太郎は、亜里沙のスマホで、亜里沙の写真を撮る。今度は1枚だけ。
亜里沙の表情は、さっきよりも柔らかで、自然な笑顔で写っている。
誠太郎はそんな亜里沙を名残惜しそうに見つめる。
「…日比谷さん?」
「あ、はい。すみません。スマホをどうぞ。 タクシー乗り場までお送りします。」
「いえ、大丈夫です。お仕事があるのでしょう?お気になさらず。」
私はそう言って、帽子をかぶって身支度をする。
「でも…」
彼はまだ何か言いたそうだったが、私は微笑んで首を横に振った。彼にSPの存在を悟られたくないのだ。
「本当に大丈夫です。それに、この時間ならまだ人も多いですし。」
私の言葉に、彼は少し考え込んだ後、
「…分かりました。では、せめてエレベーターまでご一緒させてください。」
と言った。私はそれを受け入れ、彼と並んでエレベーターホールへ向かった。
エレベーターの前で立ち止まり、誠太郎は亜里沙の方を向く。
「最後に…もしよろしければ、握手してもいいですか?」
「え?あ、はい」
私は握手?と思いながら、彼に手を差し出した。
彼の手が彼女の手を包み込んだ。
その感触は、彼女が想像していた以上に温かく、優しかった。
それは、今まで感じたことのない、不思議な感覚だった。
亜里沙の心の奥底に、優しく触れるような、そんな感覚。
「今日は本当にありがとうございました。また、お会いできれば嬉しいです。」
彼はそう言って、優しく微笑んだ。
「今日は、楽しかったです。ありがとうございました。」
亜里沙はその言葉を口にしながら、自分の中に芽生えるのを感じていた。それは、彼との触れ合いを通じて生まれた、微かな何か。
その感情が彼女の心を少しずつ満たし始めていることを感じていた。
エレベーターの扉が開く。彼の手が離れ、私は彼に軽く会釈をして乗り込んだ。扉が閉まる直前、彼の姿がまだそこに立っているのが見えた。
エレベーターの中で、私は自分の手を見つめた。まだ、彼の温もりが残っているような気がした。




