分かりました。3回、お願いします
「…はい。もし、よろしければ、ご一緒させてください。」
「やたー!」
亜里沙の回答を聞いた誠太郎は大きくガッツポーズをした。
誠太郎の喜びを隠さない様子に、亜里沙は思わず微笑んだ。
彼の誠実さと無邪気さに触れ、心が温まっていることがわかる。
「上の階に、ちょっとしたスペースがあります。ご案内します。」
誠太郎は、預かっていた帽子とマスクを亜里沙に返し、彼女は再び帽子を深くかぶった。
そして、誠太郎は彼女を丁寧にエスコートした。
移動中、二人の間に言葉はなかったが、気まずい沈黙では無かった。
誠太郎は、嬉しそうな顔で、ニコニコしている。
亜里沙は、そんな誠太郎の顔を、時折見つめていた。
エレベーターに乗り、上階へと向かう。
ぎこちないながらも、どこか温かい、特別な時間が、二人の間に流れ始めていた。
目的階に着き、エレベーターの扉が開くと、そこは展示会場とは全く違う、落ち着いた雰囲気のカフェバーだった。
窓からは、渋谷の街並みが一望できる。
誠太郎は、店員に「予約の日比谷です」と告げると、店員が奥の個室に案内する。
亜里沙は、誠太郎が予約をしていたことに驚きを隠せない。
完全に彼のペースに飲まれている。
誠太郎は亜里沙の驚きの表情で察したのか、説明する。
「亜里沙さんが会場に来たのをみて、すぐに予約しました。」
誠太郎はにやりと笑う。
個室に入ると、誠太郎は夜景が見える方の椅子を引き、亜里沙に着席を促す。
「ここ、眺めが良いんです。後程、夜景をバックに写真が撮れたら嬉しいです。」
そう言って、彼はカフェメニューを差し出す。
「何か、お飲み物はいかがですか?ここは、フルーツカクテルが美味しいんですよ。」
私はメニューを受け取り、軽く目を通した。
普段、このような場所に一人で来ることはほとんどない。
公務でパーティーに出席することはあっても、こうして男性と二人きりでバーに来るのは、本当に久しぶりだった。
「そうですね…では、おすすめのフルーツカクテルをお願いします。」
私がそう言うと、誠太郎はにっこり笑って言った。
「分かりました。では、僕の適当に頼んでおきますね。」
彼はそう言うと、スマートフォンの画面を操作し始めた。私は
モバイルオーダーで飲み物を注文しているようだ。
手慣れた様子を見ていると、彼は意外とこういう場所に慣れているのかもしれない、と思った。
注文を終えた誠太郎が、
「さっき撮った写真、見てもいいですか?」
そう言いながら、私の隣の席に座る。
不意の接近に、内心動揺しながらも、スマホを差し出す。
誠太郎は隣からスマホをのぞき込んでくる。
「…すごく、綺麗です。特に、亜里沙さん…」
彼は、言葉を途切れさせ、少し間を置いた。
そして、私の目をじっと見つめながら、こう言った。
「…本当に、素敵です。」
彼の優しい眼差しと、心のこもった言葉に、私は胸が熱くなるのを感じた。
「ありがとうございます…」
私は、小さく呟いた。
いつもなら、容姿を褒められても全く嬉しくない。
むしろ、「また外見だけで判断された」と、不快に感じることもあった。
けれど、この時ばかりは、素直に嬉しい気持ちになれた。
理由は分からないけれど、彼の言葉は、私の心を温める。
注文を終えた誠太郎が、
「飲み物、取りに行ってきます」
そう言って、カウンターの方へ歩いて行った。
彼は、注文していたらしいカクテルを二つ手に、私の席に戻ってきた。
「お待たせしました。パインといちごのフルーツカクテルです。どっちがいいですか?」
彼はグラスをテーブルに置くと、私の向かいに座った。
「じゃあ、パインの方で」
「はい、どうぞ。それじゃあ、乾杯」
誠太郎は、にっこりと笑い、グラスを持ち上げた。
私もグラスを持ち上げ、軽く合わせた。
カクテルを少し飲む。
フルーティーで、甘すぎず、とても飲みやすい。
「美味しい…」
思わず、言葉が漏れた。
「本当ですか?よかった」
誠太郎は、嬉しそうに微笑んだ。
そして、少しの間、夜景を二人で眺めていた。
沈黙が心地よく、気まずいものではないことに、私は少し驚いた。
ふと、私は以前から気になっていたことを尋ねてみた。
「今日の個展、素晴らしかったです。日比谷さんは、鉱石をどうやって見つけるんですか?展示で見た鉱石も、本当に珍しいものばかりでしたけど…」
私の質問に、誠太郎は少し得意げな口調で答えた。
「基本は、機械が入れない手つかずの奥地で、見つかるまで石を割り続けます。しつこく続けるのが、一番のポイントです。地道な作業を繰り返します。」
「何日も、時には何週間も、ひたすら岩を砕き、掘り続けます。でも、その先に、今まで誰も見たことのない、美しい鉱石と出会えるかもしれない。そういう気持ちで、掘り続けるんです。」
一つのことに情熱を注ぎ込む、彼の真摯な姿勢が伝わってきた。私への対応も、これに通じるものを感じる。
「でも…」
彼は、少し間を置いて、言葉を続けた。その表情は、先ほどまでの明るいものから、少しだけ真剣なものに変わっていた。
「でも、ごくたまに、そうじゃない時があるんです。」
私は、不思議そうに彼を見つめた。
「そうじゃない時…ですか?」
「はい。言葉で説明するのは難しいのですが…ごく稀に、鉱石の『におい』で、その存在が分かることがあるんです。」
彼は、私の困惑した表情を見て、説明する。
「あ、これは、僕の個人的な感覚なのですが…僕は、人一倍鼻が利くんです。人をにおいでかぎ分けられるくらいに。今日展示したアズライトマラカイトも特別なにおいがしてて、見つけられたものなんです。
あんまり、理解されないので、普段はこのことは言わないんですが…」
「鉱石のにおい、ですか…。私には想像もできませんが、日比谷さんの特別な感覚をお持ちなのですね。」
彼は、少し言葉を選びながら、続けた。
「初めて会った時、僕は亜里沙さんの華やかさが溢れているにおいにものすごく心惹かれました。」
容姿を褒められることはあっても、においを褒められたのは初めてだ。
私は、自分の手の甲をそっと鼻に近づけ、自分のにおいをかいでみる。特に何も感じない。
誠太郎の言葉は、私にとって未知の世界の話だった。
けれど、彼の話が冗談ではないことが分かる。
彼の鋭い感性があの素晴らしい個展を実現させたのは間違いない。
「このバレッタは、あなたのためのものです。受け取ってくれたら嬉しいです。」
「ですが、こんなに貴重なもの…」
「それじゃあ取引です。僕に3回あなたを誘う権利をください。誘う権利なので、嫌な時は断っていただいて構いません。そのお礼として、バレッタを受け取ってください。」
冗談めかした口調ではあったけれど、彼の瞳は真剣だった。
私は、彼の言葉を反芻した。
誘う権利…。
彼は、私を「皇女」としてではなく、「亜里沙」という一人の女性として見ている。
(私は、どうなんだろう。私は彼のこと、どう見てる?
私は…彼ともっと話してみたい。彼のことを、もっと知りたい…)
今まで、常に立場や責任を優先してきた。自分の感情を押し殺してきた。
けれど、今、この瞬間、私は、自分の心の声に耳を傾けたいと思った。
完全に彼のペースに完全にはまっているのが少し悔しい気もするが、断る理由は思いつかない。
3回だけ、やってみよう。
私は、深呼吸をした。そして、意を決して、誠太郎の目を見た。
「…分かりました。3回、お願いします」
誠太郎の顔が、ぱっと明るくなった。
「本当ですか!ありがとうございます!」
彼の嬉しそうな表情を見て、私も自然と笑顔になった。
こんな風に、素直に感情を表現する自分も、今まで知らなかった。




