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…私は、もう少しだけ、ただの「亜里沙」としての時間を過ごしてみたい…

「い、いつから、気づいてました…?」


亜里沙は、完璧だと思っていた変装が簡単にバレて、恥ずかしと驚きの気持ちで混乱しながら、誠太郎の目を見る。


誠太郎は、優しく微笑んでいた。

「最初からです。」

その言葉に、亜里沙は目を丸くした。

まさか、最初から…?完璧だと思っていた変装は、一体何だったのだろう?

「でも、顔はほとんど…」

サングラスと帽子で顔の大部分を隠していたはずだ。それなのに…

「僕は、顔が見えなくても、あなたを見つけ出すことができます。」

誠太郎の言葉に、亜里沙はさらに驚く。冗談めかした言い方ではあったが、どこか真剣な響きも含まれている。

「エスパー…?」

思わず、口をついて出た言葉は、少し間抜けなものだった。


誠太郎は、くすりと笑った。その笑い声に、亜里沙はますます居心地が悪くなった。


「このアズライトのバレッタは…あなたを思って、ロンドンのデザイナーに作ってもらったものです。」

そう言って、誠太郎は、先ほどまで展示されていたアズライトマラカイトのバレッタを、丁寧に、亜里沙に差し出した。

深い青と鮮やかな緑が混ざり合ったバレッタは、光を受けてきらきらと輝いている。


彼の視線は、優しく、そして真っ直ぐに、亜里沙を見つめている。


亜里沙は、差し出されたバレッタから目を逸らした。

受け取るべきではない。

そう思った。

皇族としての立場、自分との繋がりが彼の重荷になるのは間違いない。

その思いが彼女の心を強く制止する。


「でも…」

亜里沙は、言葉を探した。どう断れば、彼を傷つけずに済むだろうか。

「これは、とても…素敵なのですが…私は…」

言葉に詰まる亜里沙を見て、誠太郎は、少し困ったような表情になった。


しかし、すぐに、いたずらっぽい笑みを浮かべた。

「じゃあ、分かりました。一回だけ。つけてみてくれませんか?」


「あなたにつけてもらうことを思って、作ったバレッタなんです。ここでつけてもらえないと、この子は、お蔵入りになってしまう。」


そう言って、バレッタを亜里沙に見せた。

光を受けて、アズライトとマラカイトが複雑に輝いている。まるで、この石が、亜里沙に何かを訴えかけているようだった。

誠太郎は、さらに追い打ちをかけるように、少し悲しそうな声で続けた。

「せっかく、こんなに綺麗なのに…誰にもつけてもらえないなんて、かわいそうじゃないですか?」

その言葉に、亜里沙は思わず苦笑した。

彼は、本当に、憎めない男だ。


亜里沙は、再びバレッタを見た。深い青と鮮やかな緑。それは、確かに、息を呑むほど美しい。そして、何よりも、誠太郎の気持ちが込められている。


亜里沙は少し考えた後、小さく頷いた。

「…分かりました。一回だけ。」

その言葉を聞いた瞬間、誠太郎の顔がパッと輝いた。まるで子供のように無邪気な笑顔だ。

亜里沙はそんな誠太郎を見て思わず微笑んでしまう。

「良かった!では、こちらへ。」

誠太郎は嬉しそうに微笑み、展示用の大きな鏡があるバックヤードに亜里沙を案内した。

人目を避けるように奥まった場所にあるそこは、スタッフの休憩に使われているようで、絶賛片付け中の今は誰もいない。

亜里沙は、誠太郎から少し離れた場所に立ち、帽子とマスクを外す。

誠太郎はそれを丁重に受け取り、テーブルに置いた。

鏡を見た亜里沙は、軽くリップを塗り直した。

そして、手慣れた手つきで髪を軽く束ね、誠太郎から受け取ったバレッタをつけた。

鏡に映る自分を見る。アズライトとマラカイトのコントラストが、黒髪によく映えている。


その時、鏡越しに誠太郎の視線を感じて後ろを振り向くと、彼は目を輝かせ、まるで宝物でも見つめるかのような、本当に嬉しそうな表情をしていた。

少し照れくさいけれど、彼の素直な喜びが、私の心にも伝わる。


「すごく似合ってる…本当に、綺麗です。」


亜里沙は誠太郎の率直な言葉に、照れ笑いをする。


その笑顔は、どこかぎこちないながらも、誠太郎の心を強く惹きつけた。

亜里沙がスマートフォンを取り出し、自分の写真を撮ろうとした時、誠太郎が遮るように言った。

「僕が撮ります。」


誠太郎は、大切な宝物を扱うように、丁寧に、慎重に、シャッターを切る。

スマートフォンの画面の前で、私が動く度に、彼の表情が真剣さを増していく。

様々な角度から、何枚も何枚も写真を撮る彼の様子は、どこか子供のようで、見ていて少しおかしくなってくる。


(…写真、撮りすぎでは…?)


「あの、写真、もう…十分です」亜里沙が遠慮がちに尋ねた。


「あ、すみません。すごく綺麗だったので、嬉しくてたくさん撮ってしまいました。ご確認ください。」

誠太郎は、スマホを亜里沙に返した。


亜里沙は、誠太郎が撮った写真を見る。

様々な角度から撮られた写真は、バレッタの美しさを際立たせていた。

けれど、亜里沙の目に留まったのは、写真に写る自分の表情だった。少し緊張しているけれど、どこか柔らかい、普段の公務では見せない表情。

それは、皇女としてではなく、一人の女性として見つめられている自分。

写真の中の自分は、誠太郎の視線を通して映り込む、ありのままの私。


そのことに、亜里沙の心は大きく揺れ動いている。


「あの、綺麗にとっていただき、ありがとうございます。すごく素敵なバレッタですね。」


誠太郎は満面の笑みで答えた。

「本当ですか?喜んで頂けたなら、最高に幸せです。もしお時間があるようなら、場所を変えて、もう1枚だけ写真が撮りたいです。もう少しだけ、お時間をいただけませんか?ここだと、背景が殺風景すぎて…」


亜里沙は逡巡する。


(私は、どうすべき?)

いつもなら、彼女は迷わず「帰る」という選択をする。今まで、彼女は「皇女としてどうすべきか」だけを考えてきた。そこに自分の感情や欲望は必要ない。皇女としての立場を守り、常に節度を保った完璧な振る舞いが求められ、それに応えている。


でも、今この瞬間は、違う。


(私は、どうしたい?)

いつもとは違う問いが、彼女の胸に静かに浮かぶ。

カメラに写ったのは、いつもとは違う私。


(…私は、もう少しだけ、ただの「亜里沙」としての時間を過ごしてみたい…)


「…はい。もし、よろしければ、ご一緒させてください。」


そして、心の中で自分自身に言い聞かせるように言った。

(少しだけ、皇女であることは忘れて、この特別な時間を楽しもう。)




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