◇episode1◇~覚醒~
駄文ですが、評価感想等をよろしくお願いします。
◇ ◇ ◇
川上誠司は、うんざりしながら黒板を拭いていた。
帰りのSHRが終わり、下校の時刻となっていたが、教室はまだ騒がしかった。
誰もが楽しげに談笑したり、ふざけ合ったりしているが、そんな中誠司だけは憂鬱そうに溜息をついていた。
それもこれも、皆文化祭のせいだ。と誠司は苦々しく唇を噛む。
ついさっきまでこの深緑色の板には彼の名前が記されていた。その項目は文化祭実行委員。
希望者がいなく多数決となったが、圧倒的な強さで彼が当選した。
きっと何かの陰謀に違いない。頭ではそう考えを張り巡らせながらも黙々と手を動かし続けた。
誠司は、その短くツンツンと尖った黒髪をくしゃくしゃにしながらもう一度溜息をついた。
彼は雰囲気こそ今時の脱力系男子ではあるが、その中身は裏腹に根はいたって普通だ。
むしろ、一般的には良い人の部類に入るくらいの青年といえる。
今回のように、頼まれたらごねるが、結局は引き受けてしまう。
そんな訳であり、クラスメイトは思いの外彼に頼ることが多い。
今回のようなケースでは特にだ。
そしてついたあだ名がよろづ屋。
要はなんでも屋らしいが、本人には全くそのつもりはない。
それにしても、こんな時期に文化祭というのも変わっている。
まだ高校二年生になったばかり。春を迎え、新たなスタートを切ったところで、この行事ときた。
クラス替えの興奮も冷めぬやらで、さらに盛り上がっているようだが、誠司にとってはいい迷惑だ。
一学年ですら四百人を超えるこの高校。私立、樋渡学園。
都内でも有数のマンモス校であり、敷地も広い。
そんな高校の文化祭を仕切るなんて、想像しただけで目眩がする。
一人で悶々とやや右下がり気味な思考を働かせていると、横から上擦った声が聞こえてきた。
「か、川上先輩ですよね」
どうやら誠司に話しかけてきているらしい。
誠司は、器用に首だけ向き直って声の主を見定めた。
そこに立っいたのは、見知らぬ男子生徒だった。緊張しているのか少し頬が朱い。
校彰を見て、一年生ということはわかった。
入って間もないこの学校で、いきなり二学年の校舎に来るという行為。相当の勇気が必要だっただろう。
誠司は、そんな彼の心意気に打たれ、話だけでも聞くことにした。
「そうだけど」
「えと、川上先輩に頼んだら何でも引き受けてくれるって聞いたんですけど」
案の定、どこで耳にしたのかは知らないが、よろづ屋の仕事の依頼らしい。
誠司は制服についたチョークを払いながら、身体ごと向き直って話を聞く態勢をとった。
「何でもってのは語弊だけどな、出来る限りのことはするよ」
そう彼が言うと男子生徒はホッとしたように笑顔になった。
「はい、実はーー」
はあ、と本日三度目となる息を大きく吐きだす。
溜息ばかりつくと幸せが逃げていく、とよく言うが、誠司はそうは思ってはいなかった。
溜息というのは、自分の内にあるモヤモヤした気持ちや、心の奥底に潜む負の塊を追い出す為に必要な習慣なのだ。
そんな哲学的な考えがあった。
「本当、嫌になるなあ」
ぶらぶらと街を練り歩きながら、誠司はある人物を探していた。
それが依頼の内容だった。
あの男子生徒が探して欲しいと言ってきたのは、誠司も呼び名ぐらいは知っているちょっと名の知れた人物だった。
神出鬼没の黒コート。何処からともなくやってきて、この街を徘徊している怪しげな男だ。
だが、親父狩りやかつあげの現場に突然現れては被害者を助けるということを繰り返していた。
そして、その強さは男にやられた人数を数えれば一目瞭然だ。
いわゆる、正体不明のこの街の正義の味方といったところ。
これに憧れる輩も数知れず。依頼してきた男子生徒もその類かと思ったが、どうやら違うらしい。
彼は黒コートに助けられたのだと言った。
お礼がしたいのだと。
誠司はこれと同様の頼み事なら何度もされていたが、度々断っていた。
実際、見たことも会ったことも無い相手を探すなんて無謀過ぎる。
ましてや、東京というこの大都市でどうやって見つけられようか。
恐らく、誠司の判断は懸命だろう。
それなのに、今回だけは何故か首を縦に振ってしまっていた。思わず自分でも驚く。
何故だか、今なら黒コートを見つけられるような気がする。という何とも根拠もへったくれもない自信が生まれていたからだ。
それに加え、男子生徒のお礼をしたいという律儀さにも好感を持っていた。
そう考えると、誠司が依頼に応じたのは至極当然と言えよう。
「ーーとは言っても、どっからどう探したもんか」
誠司はそう呟き、人混みを避けるために大通りを抜けた。
細い脇道を過ぎると、賑やかだった所から一転して何とも殺風景な町並みが姿を見せた。
年期を感じる二世帯住宅が立ち並び、小規模な商店街が向こうで顔を覗かせている。
「タイムスリップでもしたみたいだな」
誠司は誰もいないだろうと、思わず独り言を漏らした。
「してないよ」
真後ろから聞こえた声。
それは、誠司と同い歳くらいの少女から発っせられたものだった。
誠司は驚いて振り向きいた。自然と少女と目が合う。
吸い込まれるような瞳。それは青く透き通っていて、とても美しかった。
思わず言葉を失う誠司。
その間少女は、少しくせっ毛で色素の薄い髪が目に入るのか、うっとおしそうに前髪を払っていた。
「映画、好きなの?」
「え?」
唐突な質問に誠司は戸惑った。
困ったように少女を見ると、彼女は何やら別の方向に視線を向けていた。
釣られて誠司もそちらに頭を向ける。
そこで合点がいった。
今現在誠司が立っている場所の真横には、古ぼけてみすぼらしい映画館があったのだ。
少女は誠司が映画を見に来たのだと思っているらしい。
「別に、そういう訳じゃ無いけど」
「そう・・・」
少女は寂しげに目を伏せた。その様子があまりに弱々しくて、何故か誠司は、無償に申し訳なく感じていた。
「君は、だれ?」
「村越伊紗」
そう名乗った少女は数歩歩いて誠司に近づいた。
無意識か、誠司の頬が紅潮している。
それも仕方のないことだろう。伊紗はとんでもない美少女だった。
彼女が誠司に後数歩という距離まで接近したところで、誠司は気づいた。
少女が着ている制服が、自分と同じものだということに。
生徒数も半端ない樋渡学園では、顔も知らない生徒がいることなど当たり前だ。
だが、この少女の名前には聞き覚えがあった。
前年度樋渡学園美少女コンテストグランプリ。
村越 伊紗。
一年生ながら、上級生を押さえての受賞だったので随分大騒ぎとなった。
その騒動の張本人が目の前にいる。
確かイギリスだか何処かのハーフで、そのことが更に拍車をかけたらしい。
でもどうしてそんな少女がこんな人通りの少ない所にいるのだろう。
誠司は不信に思いながら何か口を開こうとしたが、先に少女が動いた。
「もう始まっちゃう」
腕につけた時計をみやり少女はポツリと言った。
「な、何が?」
「映画」
彼女は、そう言うや否やそそくさと館内へと消えて行った。
ポカン、と間抜けな顔のまま誠司は取り残された。
今のやり取りは何だったのだろう。
誠司の頭の中では、ぐるぐると少女との会話が反芻していた。
どれ程の間、そうしていただろうか。
気づけば、空は茜に染まっていた。烏の鳴く声が無性に響いている。
「ま、いっか」
誠司は深く考えることを放棄したらしく、左側に静かに佇む映画館を一瞥し、歩き始めた。
今日の探索はここまでにするようだ。
空は段々と闇を帯びはじめ、いつの間にか街灯の明かりも点々と姿を見せていた。
「あ、こっち名前言ってないじゃん」
せっかくグランプリにお目にかかったのにな。
誠司は、我ながら損な性格だな、と。自虐と陶酔の混じった思いに浸りながら帰路についた。
◆ ◆ ◆
誠司が映画館の前から歩き出した頃。
村越伊紗は、一人劇場内で物思いにふけっていた。
勿論、先程の誠司とのやり取りについてだ。
伊紗は誠司のことを前から知っていた。
同じ学年によろづ屋なんてふざけた愛称を持つ面白い男子生徒がいる。
そんな話を誰かがしていたのを聞いた覚えがある。
それが川上誠司。
一度だけ、校内新聞に載った彼の写真を見たことがあったから、彼女は後ろ姿からでも何となく見分けがついた。
タイムスリップだなんておかしなことを言っていたので、つい突っ込んでしまった。
だけど幸か不幸か、それが彼との初めて会話となった。
予想していたよりもずっと可愛い声で、人懐っこい顔が印象的だったな、と少年の顔を思い出す。
そこで、はっと伊紗は我に帰る。
これじゃ恋してるみたい・・・。
頭をぶんぶんと振り、そんなわけないと頭に言い聞かせた。
そもそも今日初めて会ったから緊張しただけ。伊紗はそう思うことにした。
ようやく落ち着いたのか、少女は映画に集中し始めた。
伊紗が今回選んだ作品。
内容は何とも言えない虚無感に襲われる微妙なものだが、エンディングに流れる音楽が、伊紗は好きだった。
実際見るのは二回目で、伊紗が思考を働かせている間に、もう中身は佳境に入っていた。
ラストシーンでは、一人の女性が瓶に手紙を詰めて、海へと放す。
瓶は波に乗り、ゆっくりと何処か遠くへと流されていった。
そうしてその映画は終わった。
スタッフロールと共に流れ出した澄んだ音楽。まるで心が溶けるように綺麗な響きだった。
伊紗はたった一人しかいない客席で頬杖をつきながら呟いた。
「いつ見ても変な映画ね・・・」
耳をすまして曲を鑑賞する。
緩やかに穏やかに、映画は幕を閉じた。
徐々に明かりが点きはじめ、館内を照らしていく。
そんな中、伊紗はくすっと微かに笑みをこぼした。
その様子は、何だかとても嬉しそうだった。
◇ ◇ ◇
いつものように電車に乗
って帰るために、駅へと向かう。
その途中、誠司は信じられない出来事に遭遇した。
「あれ?」
ふと、彼は何かが光ったような気がして空を見上げた。
最初は飛行機か何かだと勝手に解釈したのだが、その光はどんどん輝きを増していった。
いや、正確にはそうではない。
光が接近してきていたのだ。
「嘘だろ・・・?」
遠くのビルとビルの間を縫うようにして飛ぶ光速の何か、としか言いようがない。
それは理解しがたい速度で誠司に迫った。
瞬きする間もないスピード。
今や、百メートルも離れていない。
もう無視のしようがなかった。
身の危険を感じ、誠司は咄嗟に横っ飛びした。
皮一枚でそれを避ける。
だが、その矢のような形をした七色の光は急激に方向転換し、有無を言わせず誠司に突き刺さった。
「なっ」
身体の中に温かい何かがじわじわと入り込んでくる奇妙な感覚。
やがてそれは全身に広がり、大きく膨張したかと思うと、溶けるようにして消えていった。
矢が無くなったのと同時に周りの輝きもなくなり、全てが元にもどった。
呆然と誠司は立ち尽くしていた。
「ぐっ」
突然の脱力感が誠司を襲う。
脚に力が入らず、誠司は膝を折りたたむようにして俯せに倒れた。僅かに残っている気力を振り絞って目を開けようとする。
ぼやけた視界に何かが見えていた。
少し離れた所からこちらに向かってきている影。
黒いコートに身を包んだ長身の男性とおぼしき人物。
噂通りの恰好だったので、一目で誠司は目的の相手なのだと気がついた。
夜の暗闇のせいで顔は良く見えないが、黒コートは誠司に駆け寄ってきているようだ。
朦朧とする意識の中で、誠司は黒コートの呟きを耳にした。
消え入るような声。なのに何処か期待に満ちた声。
「君が二人目か・・・」
それを最後に、誠司の意識はプツリ、と途切れた。
◆ ◆ ◆
それと、同時刻。
村越伊紗の身にも、異変が起きていた。
「な、何?」
電灯が点いたとはいえ、少しほの暗い館内。
その出入りのドアの外からさらに明るい光が漏れていた。
伊紗がドアに集中していると、不意に勢い良く開いた。
壁に反響して、大きな音が響く。
侵入してきた閃光のようなソレは、客席の間を低空飛行を始めた。
伊紗は動かなかった。
いやむしろ膝が抜けて立てないようだ。
ただ迫りくる矢の形をした光を見ているだけで、固まっていた。
「虹・・・?」
伊紗の身体にソレが当たる直前、彼女はソレが七色に輝いているのに気づいた。
懐かしくて温かい。
触れた瞬間になだれ込んできたのはそんな不思議な気持ちだった。
きっとこのひかりは良い光なんだ。
伊紗はそう思った。
いや、そう思わずにはいられなかった。
あまりにも穏やかで落ち着く心地好い空間。
伊紗はそれに包まれていた。
だがそれも長くは続かず、輝きを失った。
「今の・・・は」
伊紗は急激な体力の消耗を感じ、席に身体を預けた。
深呼吸をしつつ、目を閉じて休もうとする。
手足が鉛がついたかのように重くなり、動かない。
何とか頭だけでも起こそうとしたが無駄だった。
伊紗は諦めて力を抜く。
そのまま、三人目の少女は深い深い眠りの世界へと落ちていった。