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金の双樹  作者: 宮﨑 夕弦
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第九話 「もし、君がその選択をしたとなれば」


カナンがそこまで説明したところヴァイケルはとうとう我慢できずに疑問を口にした。

「我々は魔導師と戦った。カナン・ハザンという魔導師と。だが、この状況はどうも解せない。何故、カナン…殿は宮内の事情に明るいのか。アークト伯の姿が見えないのは本当に亡くなられてるのではないかと思い始めてきたのだが」


 フィールスはくすりと笑い、カナンを見た。

「カナン・ハザン。私の弟子であり、兄妹の様に暮らしたこともある。そして」

 フィールスはカナンを促した。ふん、とその視線を避けると、フィールスは代わりに続けた。

「巷じゃ亡霊扱いされているシエント・エン・アークト伯でもある」

 馬鹿な、とヴァイケルは笑ってグラスの中の酒をあおった。

「私は一度伯とはお会いしているが間違いなく男であった。ここにいるのは女性ではないか」

 カナンはめんどくさそうにゴブレットに入ってる水を頭にかけ、手櫛で髪を後方に撫でつけて髪を束ね、前髪を少しだけ垂らした。

「キオエム伯、四年前の見舞の鹿肉は誠に美味だった」

 カナンの口から流れた男の声は間違いなく以前聞いたことある声だった。

「カナンは訳あって、男として育てられたんだ」

 あんぐりとするヴァイケルを余所にカナンはフィールスに問う。

「問題は陛下だ。見たところ事情を呑み込めてないようだが」

 フィールスは頷いた。

 シーラは一人にして欲しいと言って先程、部屋を出ていった。グラディアスが間を置いて退室したので心配ないだろう。シャイネリアは戦闘の疲れが尾を引き夕飯を済ますと個室に戻って行った。


「玉座は求めていない。それどころか普通の生活を望んでいらっしゃるのだ」

 やはりな、とカナンは椅子の背もたれに身を預け天井を見上げた。

「ヴァイケル殿はシーラ様をどう見る?」

 ヴァイケルはどう返事するか悩んだ。グラスの酒を眺めて、またテーブルに戻した。

「わからぬ。だが、こうは言える。シーラ様は先王とひけを取らぬ、人の心を惹きつけるものをお持ちだ。ご自身では気づいておられないがな。…玉座に着かないというならば、それもよいのではないかな。シーラ様は私の剣の主であらされることには変わりはない」

 これは忠義の押し付けであることは重々承知していた。だが、騎士とはそういうものだった。

「貴公はいい男だ」

「惚れそうか?」

「それはない」

 即断されたが残念でも悔しくもなくヴァイケルは笑った。

「時、か」

 カナンは食堂の窓の外から望む星を見た。魔導師の癖なのか吉凶を占いそうになり苦笑した。

 己の目的の為にシーラを利用していようといる。失われた王家の血が再び滾る。それは素直に喜んでいる。だがその裏に「ハザン」の血が冷やかにそれを見る。

 これで理由が出来たのだ。やつを殺せる理由が。そんな自分に嫌気をさしたが、別によかった。


 ファラスの首さえ取れれば。




百年城と呼ばれるアークトの居城は近年に増築された為に、分厚い城壁はまだ真新しい。四方に小塔があり、それを繋ぐように城壁が構築され、重要な拠点となるパラスと呼ばれる居城部分は、古い城にありがちな、大きさを誇示したようなものではなく、カノンの攻撃にも耐えうるように、厚く、頑強に設計された、いわば要塞と言っても過言ではなかった。


 敷地内の中央に位置する穀倉も兼ねた尖塔は、どの部分を破壊されてもいいように、所々に狭間窓が備えられていた。その窓から洩れる灯りがあった。灯りの正体のランタンが窓から一段高い窓へと移り、持ち主が上を目指していることを証明していた。

 

尖塔の最上部は、人が立つようには出来てはいない。あまりに高すぎて物見役の兵士が凍えてしまうために、普段はその下にある大きな窓がある小部屋で兵は過ごす。

 

だが普段開かれぬ最上部の鉄製の昇降口が音を立てて開いた。

「寒い……」

 赤い髪を風に揺らしながらシーラは呟いた。

 思ったより狭かった。人が五人も立てば窮屈になりそうなくらいだ。落下防止の為の鉄柵や、ブロックもない。そんな処でシーラは足を空に投げ出し、縁に腰かける。


 下を覗き見る。怖くはなかった。小さい頃から高いところが好きだ。木に登って母親をよく困らしちゃったな、と思いだして、少し笑った。城壁の外を見ると、いくつか小さな炎が見える。

「なんだろう」と誰に問うたわけでもない言葉に、「下」から予想外の返事がきた。

「あの光は難民たちです。アークト伯は難民のためにいくばくか食事を用意して、それを待つ人たちがあのように待っている間に暖を取っているんです」

 その声に慌てて下を覗き見た。


「グラディアスさん!この寒空にお出になると御怪我に障ります!」


 グラディアスがにこやかに笑っていた。

 グラディアスはくつろぐように絨毯の上で胡坐をかき、上にいるシーラを見上げている。

 地面が霞むほどの高さに浮かんで。

 シーラは声にならない悲鳴をあげると意識を失ったか、縁から身が滑り落ちた。

 すかさずグラディアスはシーラを受け止めると、頬をぽりぽりと描いた。


 目を覚ましたシーラは乾したばかりの布団の寝心地のような浮遊感が、本当に浮いているのだと分かるのに、数秒を要した。


「と・・・んでるの?」

「ええ」


 シーラはそっと身を起し、辺りを見渡した。が、星空があるだけで、何も見えない。絨毯の縁から恐る恐る下を覗き込んで、思わず声が出た。それは悲鳴ではなく、感嘆の溜息だった。


「綺麗……」


 眼下には煌々と輝くアークト城が闇夜に浮かび上がり、城門から広がる民家の灯りが、まるで星空のように広がっていた。


「殿下……驚かせるつもりはなかったんです。もし、その……」


シーラは名残惜しそうに景観から目を離しグラディアスの方を見た。顔にかかる髪を指で耳に耳に掛ける。


「なんでしょう?」

「この事を内緒、っていうか黙っていただけると、親父やカナンに、その」

 きょとんとしていたシーラは事情を理解して、くすくすと笑った。

「もちろんです」

 グラディアスは、ほっと肩を落とし、だらしなく苦笑いをした。

「だって、こんな素敵なことなんですよ? きっとお話したら、もう二度と乗るな、っておっしゃるに違いないんです。……また乗せてくれますよね?」

 グラディアスは眼を輝かせて頷いた。

「もちろん!……あ。仰せつかっていただけるなら」

 子供っぽい笑顔が消え、急に大人びた顔をするグラディアスを見て、シーラは少し思案した。そしてわざとらしく、悪戯気にそっぽを向いた。

「でも、ね?」

「な、なんでしょう」

「女の子にこんな危険な事をするなんて」

「そ、それは謝ります!この事がカナンに知れたら間違いなく殺される! あ、いや、なにかしらの処罰があるに決まってるんです! どうか!」

 シーラは堪え切れずに笑い出した。眼の端から零れる涙を指ですくいながら、

「冗談ですよ。でも交換条件です」

「交換なんて畏れ多い。命を下されば喜んで」

「それです」

「へ?」


 グラディアスは、自分の服が可笑しいのか、顔に何か付いてるのか、両の手でぺたぺたと自分の体を探ってみた。別段何も見当たらないので、肩をすくめて降参した。

「あなたの言葉づかい」

「言葉? あー失礼な感じでしょうか?」

「違います! だってあなたらしくないんですもの。その……シャイネリアさんと喋ってるときと、私の時では」

 少し拗ねているように見せるシーラにグラディアスは戸惑う。

「それは殿下と馬鹿妹とは比べようがないのですよ」

「殿下、と言いましたね」

 上目でグラディアスを睨むシーラ。

「うへ……もう勘弁してくださいよ……」

「じゃあ、私からのお願いです。その喋りかた、やめてください」

  シーラの顔から笑顔が消えていた。その願いは王族からの命令じゃなく、一人の女の子としての「お願い」なのだと理解した。グラディアスは長い溜息をついた。

「仕方がないなぁ……」

「仕方なくありません」

 シーラは眼を細くして微笑んだ。ふとグラディアスのシャツの襟元から覗く包帯が目に入り、怪我の具合を聞いた。頬の傷跡の抜糸後もまだ痛々しい。

「ああ、もう大丈夫だよ。これでも治癒魔法も得意なんだ。まぁ、傷は残るけど」

 グラディアスは頬に入った傷をなぞりながら苦笑いをした。そんな様子を見てシーラの顔は再び陰りを見せた。


「ごめんなさい、私の為に。こんな私、ほっといてくれればよかったのに」

「そりゃ無理さ。殺されると分かっててほっとけないよ」


「だって! だってわたし逃げようとしてるの!」


シーラはグラディアスの袖を掴んだ。そして言葉の憤りのまま揺すぶった。風で冷えて赤くなった頬を涙が伝う。


「わたし、なにも出来ない! 女王なんて無理なの! 当たり前でしょ? だってわたしの手は畑を耕すしか知らないし、政治とか、税が安くなればいいなとしか関心なかったし、いろんな難しいこと知らないもの!私の言葉で誰かが傷ついたり、損したり、憎しみあったり! そんなの、そんなの!」


 シーラは一息で喋ってしまうとグラディアスの腕にしがみ付いて嗚咽した。

 グラディアスは開いている手でシーラの頭を撫でた。濡れた頬に髪がへばりつき、それでも気にせず泣き続けた。震えるその肩はあまりにも小さかった。


 何処にでもいる女の子。


 なのに女王だと言われ、住むどころか、命の所在だって怪しくなってきている。

女王になれば政争にも巻き込まれるだろう。他国との凌ぎあいもある。残酷な決断も迫られる。それを知った上で周りは彼女を「女王」と呼ぼうとしている。

 それは自分では抱えきれない責務と一生知らずに済むはずだった王族の責任を果たせと言ってるようなものなのだ。


 腕から滑り落ちたシーラは絨毯の上に突っ伏して泣いた。震えている背にグラディアスは自分の上着をかける。しばらく静かに泣いた後、沈黙が訪れた。

 グラディアスは下唇を噛み、拳を握り締めた。己の頬に叩きつけたかったが、自分を一番殴りたいのは目の前の少女のはずだ、と己を責める。


 シーラは泣き終わった後、小さなしゃっくりが止まらないのが恥ずかしそうに、上着を頭から被り膝を抱えて坐った。自分の濡れた手に光が反射する。

 沈黙が心を抱く。それはいま必要なことだった。

 見上げると大きな月が見えた。

「満月だね」

 グラディアスが並んで座り、同じように見上げる。


「ごめんなさい」

 その声は細く、風に消されそうになる。グラディアスはそれに頷いて微笑む。


「ああ、今夜ならいけるかな」

「なに?」

「月の上機嫌を利用するのさ。ごめんちょっと一緒に横になって」

「え?う、うん」

 グラディアスは自分の腕をシーラの首の下をくぐらせ、腕枕をした状態から、シーラの両腕を支えて持ち上げた。シーラは間近にあるグラディアスの横顔に鼓動を高まるのを感じた。慌てて下を向く。


 これまで異性にここまで近づいたことはなく、ましてや体温なんて初めての経験だった。

「僕の言葉に続いて」

「う、うん」

 シーラは自分の両腕を支えるグラディアスの手が暖かくなったのを感じた。


「白銀の宮殿に住まいしリィスティスは、永きの間、歌い続けた。愛しき人の名を呼び、歌い続けた。


    声は行き場を忘れ、ただ揺蕩う

 涙は花に与えよう。

          嘆きは空に還そう。

     悲嘆は歌に換えよう。


 ああ。リスティスは歌う。


 其は、春芽吹き、歌。


 其は、夏雲高き、歌。


 其は、秋穂垂れる、歌。


 其は、冬、人暖かき、歌」


 

 シーラはゆっくりと言葉をなぞった。自分の手が暖かく、うっすらと輝いていくのがわかる。


「与えたもうた歌は永劫に継がれん。故に我に与えたまえ、切り取られた黄金のまばたきを


                  ただ、思いは残れ


                  ただ想いは残れ」



 シーラが最後の言葉が終えると、体が急に天へと吸い込まれる感じがした。星が逆行し光跡は円になる。

 やがてその光は線となった。線は収束し、一つの光となる。

 視界は光に溢れていた。

 その光の中に母がいた。そしてその隣に威厳のある男性がいた。豪奢な金の冠すらその燃えるような赤い髪を引き立たせる役にしかなっていなかった。

 母は微笑んでいた。その小さな母の手を優しく包む父の大きな手。そして大きな手が少し張らんでいる母のお腹をさする。父の口が、シーラ、と言っているように見えた。

 母は幸せそうに微笑んで頷いた。


 再び光が充満し、それは月へと姿を変えた。

 シーラは、溜息をついた。まだ残っていた涙が頬を伝う。

「魔法、って怖いだけじゃない」

 グラディアスはただ肩をすくめた。

「魔法は昔は普通にあったものだった。誰でも使えて……そう、特別なものじゃなかった。魔法使い、だからじゃなく、望めば誰にでも、ね」

「そう……なの」

「ね?」

「なに?」

「父がいつも言ってる言葉なんだけど」

「うん」

「僕らは自ら望んで生まれてきたわけじゃない、確かなのは望まれて生まれてきたんだ」

「……うん」

「陛下が望んだのは、決して女王になることじゃない。陛下を父だ、と知ってほしかっただけじゃないかな。だから逃げるんじゃないんだよ。陛下が望んだのは信じてほしかった言葉。それは君だけの言葉。それを伝えるために僕らは君を助けたかった、ただそれだけなんだ。今頃下では、君がどんな選択をするか論じていると思う。けど、それって大人の都合だよ」

「じゃあ、ね。もし私が女王になる! って言ったらあなたはどうするの?」

 シーラは顔を少し傾けただけで傍にある顔に慌てて上を向く。


「その為に僕は育てられた。君を守るために」

「私のため?」

 言葉の真意が何処にあるのか困惑した。


「あ、ついでに言うとシャイニーもだ。僕らは小さい頃から君の事を知っていて親父から、彼女はお前らのお姫様だ、って云い聞かせられて育ったんだ。だから君が宮廷の事を知らなくても僕等が補佐出来るように教育されている。僕は、地理とか、政治とかは全然分かんないけど、それはシャイニーが得意だ。歴史や……必要となれば音楽もね。ちぇ、役に立たないか。それに戦になら僕でも役に立てると思ってる」


 グラディアスは腕枕をはずし、半身を起こしてシーラに微笑んだ。


「もし、君がその選択をしたとなれば」


 月明かりに浮かぶ金色の髪を風に揺らすグラディアスは傍にある少女に歯を見せて少年のように笑った。


「僕らは君の傍に立つ双樹となろう」


 その優しい笑顔は、なによりも力強かった。



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