第八話 「なんで大量殺戮魔方陣があるのよ!」
魔導師が持つ多くの弱点の最たるものは呪文の詠唱だった。詠唱に集中しているときの魔導師は無防備で、容易く背後を取られる。そもそも接近戦闘術を学ぶくらいなら一篇の詩を覚える方がよいと思う人種である。
ヴァイケルその話を聞いてシャイネリアとの遭遇を思い出した。こちらが何事かと様子を窺うの見越して呪文を唱えた。もし事前に知っていれば先に動き詠唱が終わる前に切り伏せていただろう。ふとシャイネリアを見る。その視線に気づき、何よ、と不満げに顔を背ける。心なし顔が赤いが熱があるのだろう。
どうしてどうして。この娘は死を覚悟して飛び込んできたのか。グラディアスの戦術を聞かされた時も上手くいくわけがないと反対したが、
「これは作戦でも、戦術でも、ましてや策でもないんです。ハザンが強大である、というところを利用した心理戦です。まぁ多分、死亡するリスクは大いにありますが気になることがあるんです。だからハザンは僕らを絶対に殺さない。優しさ、とかじゃなく別の理由がある」
そう言い放ったグラディアスを魔法が使えるただの子供、と侮るのは愚かな話である。相応に対応しないと自分すら喰われる。妹もそうだ。兄の策を少しも疑わず実行する胆力と戦闘技術、なりよりそのセンス。フィールスは何故に我が子らをここまで育て上げる必要があったのか理解が及ばないのを不思議と悔しくはなかった。
そう、騎士道に生きてきた自分を否定する存在なのに、行く末を見届けたい、そう思わせる兄妹だった。
「さて。わたしをどうするおつもりか?」
「まずは私の使い魔たちをかえして」
シャイネリアは腕を組み、カナンを睨む。
「ここにはいない。暴れるんで自宅にいる」
無事な事を確認したシャイネリアは安堵した。それに呼応したかのように胸に隠れていたヴィーもほっと溜息をついた。グラディアスは妹の胸元に居る精霊の頬を指先で撫でると微笑んで労った。
「ヴィー、おやじたちを呼んできてくれ。さ、あなたの家に行こう」
カナンは苦笑して、
「罠があると考えないのかな?」
「あるだろうね」
「どうにかなると?じっくりと時間をかけて施術した隠れ家なんだが?」
「もうあなたは俺たちになにかするつもりはないはずだ」
カナンは目の前の少年が自信ありげな様子を見て、呆れかえった。
「なぜそう言い切れる?」
父を真似るかのように片目をつぶり、
「ひとつ。無用な争いを避けるためあなたは隠れていることに専念していた。ふたつ。あなたは俺たちが敵でないことに気づいていた。あんな力を初っ端に放たれていたら手の内がなかった。まるで先生にテストを出されていた気分だったよ。みっつ。なんの理由があるのかは分らないけど、高位呪文による精霊界への干渉波を避けている。最後のだって精霊界に響いていない」
「……そう言い切る理由を聞かせてもらえるか」
「一つ目の理由はいらないね。二つめは、これを使わなかった」
グラディアスは地面を踏みならす。
「ほう」
シャイネリアは答えが思い浮かばす取りあえず頷いていた。だがヴァイケルに理由を尋ねられ、赤くなって「魔導師にしかわからないの!」と突っぱねた。
「この地域全体にグランフェアルエートの秘儀中の秘儀、「赤き月と白き火」が竜言語で巧妙に隠されてるから。これを使えば俺らなんか魂すら残らなかった」
シャイネリアは絶句し、辺りの地面を見た。
「なんで大量殺戮魔方陣があるのよ!!対軍隊用じゃないっ!」
「三つめは、さすがに分からない。判断するには材料が少なくて。魔導士なんて結局引きこもり気質だからなぁ」
カナンはくすくすと笑う。その様子は先ほどとはうってかわって女性らしい仕草だった。
「君らは本当に面白い。よかろう、我が屋敷に案内しよう」
その言葉が偽りであることを知るのに然程時間はかからなかった。屋敷とは、目の前にあるものを呼ぶために作られた単語ではない。
シャイネリアは困惑した。
「ここって。あー…不落の百年城?眠れるアークト伯の?まさかね」
断崖絶壁に立つ要塞は、バシュタットととの国境である渓谷を臨む通称「百年城」と呼ばれるシエント・エン・アークト伯の居城だった。名代の若きシエントは王宮の管財長官であったが流行病に倒れ四肢を動かすのもままならない有り体から王宮から蟄居を命ぜられていた。宮内の政争に巻き込まれて毒を盛られたというのがもっぱらの風説で夜ごとアークト伯の世を憂う叫び声が聞こえるとか。
「まぁ、最後のはけしからん噂ではある」
カナンの声は高い天井に吸い込まれていく。一行は城内の大広間を抜け、食堂へと通された。巨城の内部はがさつな外見と裏腹に洗練された調度品が置かれ、数多くの明かりが高い天井をものともせずに内部を照らし出している。食堂は東方産の薄い赤の絨毯がひかれ、中央に長いテーブルが置かれていた。テーブルの上に三人の妖精が横たわっているのを見てシャイネリアは思わず駆け寄り、三人の名を呼んだ。
「すまないな。ちょっと飲ませすぎた」
シャイネリアはその言葉にルーンをそっと抱きあげ、手のひらでぐったりとしてはいるが、にこにこと表情を浮かべながら寝ている様子を見て微笑んだ。
「どおりで繋がらないわけね。べろんべろんだもん」
一行は席につくと喉を潤し、フィールス達の到着を待った。ヴィーの連絡によると夜が明ける直前には全員揃うだろうと言う話だったのでグラディアスは客間のカウチに寝そべり、うとうとしていた。シャイネリアも兄の肩に頭を預け熟睡する。
やがて客人がついたと触れがあり、カナンは到着した客人を見て驚いた。
「あなただったのか!いや子らにあなたの癖が見られたのでまさかとは思ってはいたが!」
そう言いつつフィールスに近寄り手を差しのばしたが、目的の場所は手ではなく、フィールスの頬を鳴らすためだった。
「よくも私の目の前に姿を!あなただと知っていれば、容赦なくやっていたのに!今まで何の連絡も寄こさず、何処で何をしていたんです!先王はお隠れになられ王宮は荒れすさみ、民は途方にくれているこの時にあなたは何を!」
イエッタは二人を交互に見て微笑んだ。それを見たグラディアスとシャイネリアは肩を寄せ合って、少しだけ震えた。
「やっば、かぁさんすっげぇ怒ってるぞ」
「ちょ、ちょっとあんた何とか言って場を和ませなさいよ」
「無理だって。かぁさんのこめかみに血管浮いてるよ。山火事をコップで消火をするようなもんだ!」
おそらく国内指折りの魔導師である双子が、普通の子供のように狼狽しているのを見たヴァイケルはにやにやと笑った。
緊張した場を救ったのはシーラだった。
「あのぅ。よければ座ってお話を」
シーラの声も耳に入らない様子だったカナンの視界の端に赤い髪が入り、はっとした。
「あなたは?」
「シーラと言います。騎士様」
カナンは息をのんだ。そしてフィールスを見た。そういうことか、と呟く。
「お父上の名はなんと申される」
その問いに躊躇したシーラはフィールスに救いを求めたが微笑で返され、次にヴァイケルを見た。
「あなた様の心にある名を」
ヴァイケルはそう言って胸に手を当てて頭を下げた。
「父の、名は」
カナンは既に片膝をつき、頭を垂れていた。
「ベリアッド」
カナンは低い声で答えた。
「我が主。窮屈では御座いますが、どうか長く我が城にご滞在いただけますよう。不作法を通り越し無礼なお出迎えは万死に値しますが、騎士たるもの戦場で罪を贖いとう御座います」
シーラは慌ててカナンの手を取って立たせた。カナンが伏せていた顔をあげたときに目から涙が一筋こぼれた。
「亡き王にそっくりであらされますな。もっとも私は小さい頃に一度しかお目通り出来ませんでしたが」
カナンはシーラを椅子に案内した。
「私は……いえ」
シーラは言葉を受け止めてカナンに微笑む。カナンも微笑み返した。
「フィールス、よくわからない。先王の忘れ形見と、あなた似た双子。あなたが追われているのは聞いていたが、まさかここまでの事情とは想像もできなかった」
元の艶のある女性の声に戻ったカナンはイエッタの視線に気づいた。
「まさかあなたが妻を娶ることにも驚いたが。ご夫人、先ほどは失礼しました。ご安心いただけるかわかりませぬが、フィールスを兄のように思っており、実際魔導の道で兄妹弟子として多くの時間を過ごして来たのです。なのでそれ以上の感情はもっておりません。馬鹿な兄を持つ妹に御慈悲を下さると有り難いのですが」
シャイネリアはそこで話しに食いついて大げさに頷いた。イエッタもようやく落ち着いて、思った以上に自分が嫉妬深いことに気づいて溜息をついた。
「お恥ずかしいところをお見せしたのはこちらです。謝罪を受けて頂けるでしょうか」
「兄の奥方なら私にとって姉ということです。このカナンを妹のように思ってくださると嬉しいのだが」
イエッタはこのカナンが本心でそう言ってくれていることに感謝した。
「では、イエッタ、と」
「カナンと。姉上」
そのやり取りを見た双子は「じゃあおばさんってことか」と言葉を交わし、それがカナンの耳に届いた。
「君らは、弟弟子でもある。教えることがたくさんありそうだな」
と、カナンは冷えた微笑を浮かべた。双子はひいと呟き、これからの未来を想像し、さらに冷えた。
翌日、といっても一行が寝入ったのが朝方だったので、もう陽が落ちる頃に再び食堂で遅すぎる朝食を摂っていた。
「北を拝領しているアズライアはご存じのとおりファラス派だ」カナンは机の上を指で叩く。そしてちらりとヴァイケルを見、
「キオエム伯もそうだ。西のコーラー卿は穏健派、というか教会に重きを置いているので元老院次第でもある。南のリンダス三家は難しいな。兄はファラス、次男はたぶん元老院、三男は日和見だが常に領民を思いよき方に着くだろう」
ここまで事情を飲み込めているようなので先を続ける。
「元老院は兵を持たぬが何分商人たちへの発言力が大きい。敵に回すと武具の調達もままならなくなる。元老院をまず取り込み、南方のリンダス家を味方につけた方がいいな。コーラー卿は放っておいても問題ないだろう。東方の七騎士はまず問題ない。アークトが動けば、他の六家はそれに従う。東南合わせて、八万。対する北方は十万。勝てない戦ではない」