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金の双樹  作者: 宮﨑 夕弦
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第六話 「優しい国」


 シーラは気づかれないようにこっそりと天幕を離れた。

 いまなら逃げれる。

 私は、ただの小作人であった母の娘。

 騎士や、おとぎ話の魔法使いたちと一緒にいるような特別な人間じゃない。私には私の舞台がある。畑を耕し、葉についた虫を除き、豊作だ不作だと、一喜一憂する。それが私の世界。王家の娘かもしれない。でも私には大それたこと。あかぎれた指をさすり、鍬を持つのがお似合い。見たこともない宝石をはめた指輪や、首にまばゆく輝く真珠のネックレスなんて。想像するだけで、可笑しくなっちゃう。


 でも逃げるって何処へ?

 逃げるにしてもお金もなく人から避けて暮らしていく術もない。現実的に無謀以外何物でもない。


 自分の体を見る。手は荒れ、髪も痛んでる。

 けど普通がどれくらいかは知らないけど胸も出てきている。

 でも、もうそれしかないよね。


 自宅は考えるまでもなく兵がいるだろう。いっそ捕まり何とか話し合いでなんとかならないかとありもしない希望を無理に抱いてみるが、グラディアスの血だらけの体をふいに思い出す。今更ながら自分の甘さに辟易した。

 多分、ではない。必ず殺される。

 どうせ死ぬのなら誰にも迷惑かけずに死のう。

 震えが止まらない。怖い。

 こわい。

 今となって何も出来ない自分が腹立たしい。双子みたいに自信に溢れ困難に立ち向かう知識や力があれば何者にも屈せず戦うことができるのだろうか。強くなりたい、とは思う。でもやり方も学び方も振舞い方もわからない。

 

 明日生きることだけ考えることにした。取り敢えず問題を単純化し解決策を易いものにする。明日の朝、食べられる自生のベリーと香草を探すことにした。また長旅になる。その前に水だ。水の確保の重要性はシャイネリア達の旅で学んだ。シーラは草をかき分ける足音に気をつけながら森へと入って行った。昼間にシャイネリアと行った大きな湖を目指して。

 

 先客がいた。

 闇夜に浮かぶ白い肌が眩かった。細い指が美しい黒髪を湖水で洗っている。

 背中には酷い火傷の傷痕。その女性は背後のシーラの気配に気づき、半身だけ振り返った。

「嫌なもの見せてごめんなさい」

 シーラは首を振って、お邪魔して御免なさい、と言いよどみながら謝った。そしてイエッタの傍で膝まづくと地面に置いてあった石鹸を手に取り、背を撫でた。

「あの人は美しいと言ってくれるの」

「イエッタさんは本当にお綺麗ですから」

「ありがとう」

 シーラはイエッタの背を湖水で洗い流すとタオルで拭き取る。


「逃げないの?」

 イエッタは背中越しに声をかける。シーラの手が微かに震えた。

「逃げてもいいの?」

「逃げなさい。そこにお財布あるから持って行って。隣町で髪を切り他の色に染めなさい。私の家から北に十kmいったところにブランという老夫婦がいるわ。あの人たちなら、あなたを匿ってくれる。ずっと前に子供が亡くなったから喜ぶと思うわ」

「逃げていいの?」

「あの人も、それがいい、と言ってくれてるのよ」

 でも。と言いかけて背後の物音に気づき振り返って言葉を失った。

 巨大な灰色熊はのっそりと立ち上がると鼻を鳴らした。悲鳴を上げる寸前でイエッタの手がシーラの口をそっと塞いだ。熊は迷惑そうな眼を向けると二人を避けるようにして、水辺に近づき湖水をひとしきり飲んだ後、森へと帰って行った。

「いまのは……」

「ここのルールみたいなの。昨晩もそうだった。水辺では争わない、この辺では、ここにしか水がないのね。共存のためのルール。ほら、御覧なさい」

 指さした先は闇に包まれていたが、肌を寄せ合う人たちの影が見えた。十かそこらの兄弟が巨木を寄る辺とし、兄が膝上の小さな弟の頭を撫でていた。

「あのひとたちは?」

「家を失った人たち。そして隣国から逃げ出して、ここにあてもなく居留しているの。ここは安全なのね」

 シーラは二人の兄弟を見ていた。

 煌びやかな貴族を時折、うらやましいと思った。何の苦労もせず血筋だけで約束された財産を得て、また子に継いでいく。そこには不可侵の神の誓約にさえ見える。ならばこれはなんだろう。これもそうなのか。彼らは住む場所どころか逃げる事さえ出来ずにいるのに。

「フィールスはこうも言ったのよ」

 シーラは月明かりに浮かぶ、幸せそうに寝入る兄弟を見ながら耳を傾けた。

「あなたなら、その気になればきっと、誰にでも優しい国を作ることができる、って」

「優しい国」

 その言葉を噛みしめ、首を振った。

 できっこない。

 シーラは星を仰ぎ答えを探した。



 フィールスはイエッタの背後に隠れるようにして天幕に入って来たシーラを見て微笑んだ。

「今夜は冷える。火の傍にくるといい」

 ティーピーと呼ばれる天幕は三角錐の形状をしていて天辺に穴が開いており、換気もよく小さな火なら起こせるくらい居住性の良いものだった。シーラは他の顔が見えないことに気づきフィールスに何事かと聞いた。

「ああ。ニスアという村に行った」

 それ以上は何も言わない。シーラも疲れてなにか話そうとしているうちに寝入ってしまった。イエッタは火で暖まった毛布をそっと掛けた。口をうっすらとあけて、すうすうと寝息をたているシーラに微笑んでぽん、ぽんと優しく背を叩いた。

「シャイニー達と変わらない年なのに。大変な子」

 フィールスは小さく折った枝を火にくべて頷いた。

「まだ話すべきではなかったかな」

 イエッタは首を振った。

「考える時間は長いほどいいと思うの。早めでよかったのよ。あなたはどう思う?」

「……彼女の物語だ。脇役が話を引っ張り回すのはとんだ喜劇だろう」

「あなたのお友達だったらなんて言うと思う?」

「好きにしろ、そういうに決まってる」

「だったらそれでいいじゃない」

 フィールスはイエッタを見て呆れた風を装った。

「君にかかると国家の存亡も、台所事情と同じレベルだな」

「大して変わらないじゃない。財布の大きさが違うだけで。主婦はね、今晩のおかずだけじゃなく、今月、またその次の月の台所も考えているのよ。季節ごとにあれこれ悩んだり、隣のバフェットさんのお誘いをどうするかとか、いろいろあるのよ」

 フィールスはシーラを起こさないように笑い声を押し殺した。そして傍にくるように手を差し伸べる。

イエッタは夫の傍に座り肩に頭を預けた。

「で、あの子らは何をしに?」

「なぁに。眠りし竜を起こしにさ」

 いたずら気に笑う夫にあきれながら、

「また、なにか考えているのね」

「魔導師は陰の存在だ。表舞台に立つことはない。だから今回のようなことには上手く立ち回れないのが歯がゆくてね。だからそれに適した皇都にいた昔馴染みにもちょっとばかり手伝ってもらおうか、とね。巻き込む、の方が正しいと憤慨するだろうが」

「あの子らでいいの?あなたが直接話せばいいじゃない」

「それはできない」

「なぜ?」

 その問いにフィールスは苦笑いをした。

「かって王宮から追い出したのは、ほかならぬ私だから。それに」

「それに?」

 フィールスは小さく首を振ると妻に微笑んで見せる。

 少し不安だわ、と言いつつも、夫の腕に頬を擦りよせてイエッタは微笑んだ。






 グラディアスは舌打ちをした。相手はマナを錬る速度、量、共に半端ではなかった。二人がかりでなんとか追いつく、いや僅かながらに後手に回っているか。フェイク入れながら下準備を続けているが、シャイネリアがどんだけ気を引いてくれるかにかかっている。

「まあ、あいつは人を怒らせるにかけては天才だ」

 グラディアスの顎から汗が滴り落ち、目の前が霞む。


「今は遥かなるオーベリアに住みし、ビホルダーの守護者なるものよ!かって大地に栄華をきわめし古の種よ!今、我はそなたの名を呼ぼう!ドゥナ・エーの王子の御名を!」


 シャイネリアは左手の甲に右手の人差し指と中指を当て印を切ると、手の甲の印に息を吹きかけた。

「シュエリア!行って!」

 短縮呪文ショートカットは詠唱を早められるが体力を消耗する、額に汗が浮かび息が切れる。だがそうでもしないと後手に回り続けてしまう。詠唱と瞑想を同時作業。兄との模擬魔法戦は幾度と熟しているが実戦は初めてのことだった。


 どこからともなく角笛が鳴り響いた。

 森はざわめく。

 そしてそれは強風へ変わり、立っていられないほどになった。シャイネリアはその中を平然と歩き、得体の知れぬ相手を探した。気配がしたと感じられたのと同時にしゃがみこむ。すんでのところで「頭ごと」首をもっていかれるところだった。風の中に潜んでいたイタチに似た精霊は、くすくすと笑いながら飛びはね、風に乗る。

シャイネリアは急いで帰還の呪文を唱え敵の精霊を帰す。相手が呼び出したカマイタチと呼ばれる精霊は悲しげに一鳴きすると、姿を消した。


 人の呪文を利用して己の精霊を隠す。ほんとイヤラシイ。緊張が背中を伝わる汗と共に流れ出る。

「ありがとね。還っていいわ。《帰還リターン》」

 森を駆け抜けた暴風も収まり、静けさを取り戻していく。

 突然、葉を震わせる声が突然鳴り響く。

「まだ若いのにドゥナ・エーとはね。どう?このままお引き取り願えないかな。分かっているとは思うがこちらには殺意はない。もちろん、私の命を狙うならば相手をするが」

「高名に恥じぬ狡猾なやり口。初めまして、竜喰いハザン」

 シャイネリアは無駄だとわかってはいてもあたりを見渡しながら返事をした。

「少し、本気を出そう」

「ふん、子供相手に大人げない。竜食い?トカゲの間違いじゃなくって?」

 

「轟きしは雷鳴、蠢きしは骸、伊邪那美の痩せし身体が地を這い血を吐く。血流は木々を満たし、祝詞は裏返り雨となる」


「ちょちょちょ」シャイネリアは慌てて駆けだした。


「生まれしは弥都波能売神みづはのめのかみ、呪詛に抱かれ天に掲げられた御子よ。わが祝詞を聞し召せ」


 膨大なマナが振動する。シャイネリアは浮遊レビテイションを唱え空中に跳躍した。

 足元に雷光が走り車輪のように雷球が回転する。

「じょーだんじゃない!ハザンってまじバケモノ!」


「高天原に神留坐す神漏岐、神漏美の命、以ちて皇親神伊邪那岐の大神、筑紫日向の橘の小門の阿波岐原に禊祓ひ給ふ時に生坐せる祓戸の大神等、諸々禍事罪穢を祓へ給ひ清め給ふと申す事の由を、天つ神、地つ神、八百万神等共に聞食せと畏み畏みもうす!」


 グラディアスの全身の毛が総毛立つ。

 辺りに響くのは精霊の声じゃない。もっと上位の何かだ。


「これは召喚じゃない!」

 グラディアスは急ぎ防御円を張った。


「神降ろしだ!」



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