第五十四話「そんな世界は嫌だ」
ユニは僅かしかないマナでリリへの防御魔法を唱えた。周りにも人は居るが、今は他人に構っている余裕はなかった。強風が屋根を揺らしながら不気味な音を鳴らし続け、暗雲が空を駆けていく不気味さから逃げるように人々は修道院の中に駆け込み、寄り添い合っていた。
それでも人々は不安を忘れようと口々にシーラの名を囁く。かってグランベリアを守護した先王、ベリアッドの娘ならばこの災いもなんとかお護り頂けるのでは、と希望を持っていた。
持つ、というより、すがっているように見える、と避難してきた老夫婦を見ながらユニは思う。
そんなことをぼんやりと考えながら、床の上でリリを膝の上で抱いて頭を撫でていた。人々はシーラの名を呟くことが災禍を凌ぐ方法と言わんばかりに囁やきあっている。
まるで詠唱のよう。そう思わずにはいられなかった。
お陰でパニックにならずにいたのは有り難い事で、やはり緊急とはいえ人を操るのは気持ちのいいことではなかった。特に大きな感情で揺らいでいる人間は御しやすいが、自分の規範とする基準を超えた行動をさせたことによってトラウマを抱えることになることも暫しあった。先日のように伝令兵に伝令を命じるのは整合が取れる為、あまり問題にはならない。だがいきなり友人を殺せ、となると我に返ったときに人によっては自害しかねないのだ。
ファラスに知られると不味いとリーチェは言う。
「ユニ、隠さずに言うよ? その力は容易く人の心を壊せる。だから絶対にファラスに知られちゃだめだ」
珍しくリーチェの慎重な面持ちを思い出した。
今回の騒動も全ての人の記憶を操作するのは無理でもない。なかったことにする。多分、それが一番良いはず。
だけど、とユニはリリを抱きしめる。
下からユニを見上げるリリは「どうしたの? こわいの?」と聞いた。
「大丈夫ですよ」と微笑んで幼いリリの頭に、頬を擦り寄せた。
神経を研ぎ澄ませ辺りの様子を窺う。
カナンとアイリスの大きな気配。圧を感じるマナは壁を守る魔法だろう。
姉達の力を羨ましく思うときもある。でも自分にも魔法の才能に恵まれたとしても、果たして姉達のように動けるかといえば、首を振らざるを得ない。
「ユニお姉ちゃん、ありがとう」
リリの声に我に返り「どうしたの?」と聞く。
「だって怖いのから助けてくれた」
「怖い? お外?」
「ううん、おそらのたまごが、ばーんってなったから、すごく怖かったの」
「リリはあれが見えてたの?」
「だってあんなおっきいのが、なんか泣いてるみたいだったんだよ。そしたらリリも怖くなっちゃった」
魔力感知? じゃない、精霊と同調した? 訓練もしていないのに?
リリの頬を手で抱く。
マナの波動を感じ、魔女の資質がリリに垣間見えた。
これはリリにとって希望と見るべきか破滅の始まりなのか。
「そっか。リリのパパは?」
「いないよ。けどアズ兄ちゃんが、えっとほんとのお兄ちゃんじゃないけど、ご飯持ってきてくれるの」
「リリは強いんだね」
「ユニお姉ちゃんのパパとママは?」
「リリと一緒。お姉ちゃんにもいないんだよ」
リリは立ち上がるとユニの頭を撫でた。
「寂しくなくなるおまじない!」
リーチェはリリを抱きしめる。
「うん、元気出た。リリは魔法使いさんだね。でもね、お姉ちゃんは全然寂しくなかったんだよ。いっぱいお姉ちゃんがいるから」
「いいなあ」
「リリもうちにおいで」
「私も?」
「そう」
「いっぱいお姉ちゃんができるの? でもたぶん夢? だよね。ありがとう、リリ、嘘でもうれしい」
「ユニは嘘を付きません」
リリはユニの膝の上で横に座り、頭をリリの胸に、とんと、預けた。
「ユニお姉ちゃんが本当のお姉ちゃんになってくれるなら、すごくうれしい。でもね、優しいのは毒なんだよ」
「毒?」
「死んだお母さんが言ってたの。嬉しいのは最初だけ。後から段々と苦しくなる、って」
胸にナイフを突きつけられたように、ユニの心臓の鼓動が高まる。それは自分が使うエーテル操作、マリオネットそのものだ、と自分が使ってきた術の本質を暴かれたようで胸が苦しくなる。
「ユニ姉ちゃん」
「なあに」
気もそぞろに返事をし、リリを覗き込んだ。
「お姉ちゃんも魔法使い?」
「信じる?」
「信じる」
「さっきお姉ちゃんが手でこーんなやってたとき、なんかキラキラしててキレイだった」
「リリはすごい魔法使いになれるかも」
「ほんとに?」
「だってみてごらん? 大人はみーんな怖がってるのに、リリは、いま笑ってる」
「だってユニお姉ちゃんがいるから!」
優しさが毒?
そんな世界は嫌だ。
リリを抱きしめて辺りを見回した。お互いを励まし合い、助け合う人々。そこに苦しみはあっても、けっして毒のせいじゃない。優しさがあるから毒に耐え得るのだ。
ユニは思い出した。
「優しい世界」とシーラが願う言葉を口にした。
「お姉ちゃん?」
「優しさは毒じゃないよ。お薬です」
「お薬?」
「この世界を治していきましょう。新しい女王様と一緒に」
「すごいね!」
「リリも来るのです」
「あたしも? 一緒に?」
「もちろんです。さあおいで」
リリの目に輝くユニの姿が映る。まるでフラスコ画に描かれた天使のように思えた。
ユニは知っています。毒の血清は毒から作られることを。
ユニの術は毒かもしれない。苦しませるかもしれない。
でも結局の所、使い方次第なのだと理解した。
優しさが毒?
そんな世界、ユニは断固、拒否する!
姉達の優しさを、嘘に、毒にはさせない!
「エーテル、全開」
ユニはリリを左腕に抱き、右手を上にかざした。
右手から金色の細い糸のようなエーテルが無数に解き放たれた。その糸は人々に繋がっていく。
「魔法?」
老婦人が何かに気付き、カナン達がいる方向へと顔を向けた。
「そんな馬鹿な。でも、これは」
若い夫婦は手を取り合って修道院の神の像を見た。その像が動き出し、右手が持つ剣が扉を指し示した。人々はそれに突き動かされるまま、荒れ狂う外に出て暴風に耐える魔法障壁を認知し、そして城門で佇む一人の騎士を見た。
一人の老人が膝をついた。
「シエント様!」
「アイリス!」
アイリスは膝を折り、地面に右手をついた。震える左手はまだ空へと掲げたままの姿にカナンは叫ぶ。
「ここまでか!」
修復した城門の上に立っていたカナンは、城へと振り返る。
「もう少し、少しでいいんだ、マナが後少しあれば絶対障壁術式が完成するんだ」
自分が守るものを確認し、そう言い聞かせていたカナンは修道院の方に大きな、そして数多の気配を感じた。
「これは!」
「カナン様、申し訳」
アイリスは力尽き、街を覆っていた魔法障壁が油が切れる直前のランプの様に瞬き始める。
「よくやったアイリス。我が奥義、いまここに為った」
「リデア・アークトが語ろう。古振りに舞い踊るドリュアス達よ、そなたたちが愛したヴィネサンスラートの美しい幹、天を覆いつくさんばかりの枝に盛る緑葉が囁く声は、すべてに調和を望んだ。傷つける者には平穏を、傷ついたものには高寧を。ヴィネサンスラートと交わした盟約は古より今に至り、そして永久にあらんことを、リデア・アークトが請い願う。ドリュアス達よ、あなた達にマナの祝福あれ」
アイリスが倒れた瞬間、再び街を覆う障壁が現れた。地鳴りは収まり暴風は街を避けるように左右に割れて吹き流れていた。やがて街に静けさが訪れた。
カナンは息を切らし、へたり込む。
「ユニめ、魔法を忘れさせるどころか、認知させるとは」
カナンの小さな笑い声は徐々に大きくなっていった。
「やった! やった! ユニお姉ちゃん! すごい魔法!」
「私じゃないですよ?」
「リリは知ってる! ユニお姉ちゃんが光ったら、いっぱい光が上から降りてきた!」
「あれはね、精霊と妖精さんたちです。皆が魔法を知ったから。ううん、思い出したから。助けに来てくれた」
「すごい! ユニお姉ちゃん!」
「リリ、あなたのフルネームは?」
「リリ・リリ」
古の系譜か!とユニは驚く。
「では今日から、リリ・リリ・グロスロッドと名乗るのです」
「ぐろす?」
「グロスロッド、お姉ちゃんの姓です」
「ほんとにお姉ちゃんがお姉ちゃんに?」
「当たり前です、ユニは嘘をつきません」
「夢じゃない?」
「夢見てる暇はありませんよ? 明日から魔法の特訓です」
「やったああ!」
飛び跳ねて喜ぶリリの頭を撫でるユニに人が集まって来た。
「な、なあ、あんたの、その魔法? いや俺、何言ってんだ」
若者が頭を掻いて「おれ、おかしくなっちまった」と自分の言葉に後悔した。
「観たもの、聞いた事、全部、ご自分で判断してください。なにが真実で、なにが虚構かを見極めるのは、これから始めるのです。女王シーラ・アーネス・ファーングラム陛下の元で」
「陛下も魔法を?」
「ご自分で」
「ああ、そう、だな。確かに自分で見ないとな。ありがとう、ちびっこ魔女さん」
「ちびっこいうな!」
いきなり子供のように怒るユニに周りは笑い出した。
「すまん、すまん、ほらシエント様が来られ……シエント様?」
カナンが疲れ果ててユニに歩み寄る。背後にはノーム達が倒れたアイリスを運んでいた。
「シ、シエント様、後ろの、その、いえ魔女風の少女じゃなく小さい、なんというかアナグマ? 的な生き物は、なんでしょう?」
「ん? ノームだが?」
「あ、そ、そうですよね! ノームですよね!」
腑に落ちないといった風で微笑んでしゃがんでノームに触ろうとする若者にノームがやれやれとぼやき始めた。
「せっかくリーチェの為に盾を作りに来たら、戻れないわ、リデアにこき使われるわ、散々なあげく、いままさに! 動物宜しく頭を撫でようとしている輩がおる!」
「す、すいません」
喋るアナグマに圧倒され、違和感よりも自然な振る舞いに惹かれた若者は「失礼しました」と手を引っ込める。
「別に撫でるのは構わん!」
「いいんだ」とカナンは苦笑した。
ユニから飛び降りたリリは真っ先にノームに抱きついた。
「ああ、よせ。あふん」とノームは記憶に新しいシーラのハグを思い出す。
「ユニ、やってくれたなぁ」
カナンは小さく溜息をつくが、微笑んでユニの額を指で突く。
「最善を尽くしました。最良じゃなかったかも知れませんが」
「いや、最高だよ」と言って周りを見渡す。
「ん。お前のダーリンもやって来たぞ。甘えてこい」
ユニは目を輝かせて人ごみの中に目当ての姿を探し、ヴァイケルと共に歩くリンケットを見つけた。
「リンク様!」
猛ダッシュでリンケットに向かうと高身長の目標に文字通り跳びついた。そして首に両手を回し温もりを堪能する。
「幼女趣味か」
「まあ貴族様にはありがちだけど」と人々の視線を感じたリンケットは「なにこの仕打ち!」と納得いかないと憤慨するも少し泣き顔のユニを見て「まあ」と言葉を繋ぐ。
「ユニ、がんばったね」
「はい、あなたの為に!」
「そ、そうか」と苦笑いをしたが、震える小さな体に気付き、しっかりと抱きかかえ直した。
「二度目のお姫様抱っこです」
リンケットは微笑むと「そうだね、ちいさなお姫様」と囁く。ヴァイケルは金属製の籠手を着けたままリンケットの後頭部を叩いた。
「あいた! なにするんですか!」
「そういうとこだ」
「なにがですか!」
「しらん」
そう言いながらカナンに近づくヴァイケルは辺りを見回して双子たちの安否を尋ねた。
「二つの大きなマナが落ちてきたのは見たが。捜索隊を出そう」
「それには及ばないわ!」と空から声が響いた。同時に声の出所を見た人々に動揺が走る。




