第五話 「竜喰いハザン!」
ヴィサ=ナン峡谷アエロス大吊橋を望む緩やかな丘陵に灯が連なり、ちょっとしたマーケットが開かれていた。以前からあったわけではない。グランべリアの布告で急遽つり橋が閉鎖され人々は困惑するも、苦難、困難も売り捌くのがヴィサの商人さね、と商魂たくましい連中が勝手に始めてしまっている。騒ぎを聞きつけたアークトの兵たちも立ち退きを強行するかと思いきや、呑気にここいらでは手に入らない地方の酒や珍味を楽しんでいた。
シーラは火が途絶えないように焚火に枯れ木をくべた。時折、木が爆ぜては火の粉が上がり、それを目で追うと、また揺らぐ炎をただ見つめた。
フィールス一行同様に渡橋できずにいるキャラバンや役人達も、同じようにテントを張り暖を取るための火がそこかしこに焚かれている。いつ渡橋許可が降りるか分からぬために引き返す事も出来ず、商人の中には酒樽を開け露店を始めるもの、腐らせるくらいなら、と肉や魚料理を振舞うものも居て、ちょっとした祭りの様相を呈していた。
特に監視されているわけでもない。逃げようと思えば逃げれるかもしれない。ただ魔法使えば簡単に見つかるのは分かり切っている。
焚き火に棒切れを突っ込み、新たな火種を入れる。
「こんなことしか出来ないなんて」
天幕の中ではアズライア襲撃の際の無理がたたったのかグラディアスは熱を出して寝込んでいる。自ら治癒魔法を掛ける程には動けるから、と看病の申し出を断られた。
私が王女、だから。
その考えから離れることができない。
元々人との交流があったわけではない。一人では到底手入れができない広さの割当の畑を深夜まで作業をこなし、家に帰れば食事を用意できずに寝てしまい、朝起きては床に額をつけて項垂れる日なんて日課のようなものだった。
だが今となってはそんな日すら懐かしい。
ああヴィサ芋が枯れちゃったな、と二度とは帰れないかも知れない我が家を思うと自然と涙が溢れてくる。あそこには母との記憶が残されている。この先、別の土地でも思い出せるだろうか。
シーラは少し熱くなっている膝に顔を埋めた。
隣国バシュタットとアークト領ヴィサ=ナンを跨ぐ神の剣が大地を裂いたと言われる渓谷は、グランベリア大陸北西から南東に走り唯一、今ここにいる場所だけがバシュタットとグランベリアを繋ぐ唯一の架橋が可能だった平地であった。当然のように橋をめぐった戦いはいつも苛烈を極め、底の見えぬ谷底から死臭が漂うほどになる。
橋を渡るためにはかなり面倒な手続きが必要になり、越境出来る殆どは商人か、貴族になる。しかも現在こちらから出るには、王族の許可がいると話を聞いて、原因を考えるに既に触れが来たのだと想像に容易かった。
崖のふちでシャイネリアは下を覗き込んだ。冗談の様な光景ね、と苦笑した。話に聞いてはいたが、眼下に雲がある。かなり堪えた旅であったが、この高度まで登っていたのかと思うと、それだけでどっと疲れが出た。
突風が吹き、体のバランスを崩したが、二の腕をかっちりと握られ、そのまま後ろに引っ張られた。助けてくれた恩人に礼を言いかけたがその人物を見て、腕を振り払っただけだった。ヴァイケルも別段気にする風でもなく、同じように下を覘いて肩をすくめた。
シャイネリアは足音をわざらしく立て、両親がくつろぐテントへと向かった。
「パパ、いつまでこうしてるの!」
騒がしい侵入者にフィールスは片眉をあげた。
「まぁ待ちなさい。今、のこのことあの橋を渡るわけにはいかんのだよ」
もちろん「のこのこ」という表現は強行突破する表現には適切ではない。グラディアスを切り刻んだ魔導士が何処に潜んでいるのか分からぬ以上、迂闊に魔法を使うわけにはいかなかった。
「なんでなのよ!あー、もう私一人なら、ぴゅーって飛んじゃうのに!」
グラッドが薄汚れた毛布からのそのそと起きだし双子の妹に悪戯っぽく笑う。
「レビテイションは地面がないと飛べないよ」
真っ赤になったシャイネリアは両手を腰に当て当然知ってるわよ、とぷいと横を向いた。
「それよりも気になることがあるわ」
イエッタは、ポットからすこしだけお湯を取り、布に浸しグラッドの体を拭いた。まだ完全には癒えてはいないグラッドの容態をみたシャイネリアも流石に怒気を収める。
「私たちの前を歩いていた商隊がいないわ。そこらの露店を出してる顔ぶれにもないの、とママがいってました!」
イエッタの記憶力は家族全員が認めている。何しろ一年前に一言喋っていた程度でも相手の顔を忘れない。商売柄自然と覚えるものよ、と謙遜するが、シャイネリアいわくママの凄いとこリストの上位にあるらしい。
「もう渡ったんじゃないか」
「いいえ、それはないと思う。橋は四日前から閉鎖されているって兵隊さんが言ってたのよ。あの人たちの速度から考えて、早くったって二日程度しか先行していないはず」
「どっかよそへ行ったってことは?」
「あの街道沿いからは、ずっと手前のニスアという村しかないし、商売になるほど人は住んでいない。あのキャラバンはどうみたって街商人だわ」
「別にルートがあるんじゃ?」
グラッドの問いにシャイネリアは即答した。
「あんたはもっと地理を勉強なさい」
「そんなものはさ、精霊の目で上から見ればいいさ」
「そんなこと言ってるか……ら。そうね、それも手ね」
「へ?」
シャイネリアの口から美しい旋律が流れ、その旋律に乗ってエンシェントスペルが重ねられた。
「いい二重詠唱だ」
フィールスは我が娘の成長に満足げに頷いた。
「ヴィー、ヴェネーゼ、アトラ、ルーンルーンディース」
四体の精霊が光の粒子の乱舞から生れ出るように現れる。
「お願い。この橋以外で渡れるところを探してきて。もしくは渡れそうなところ。ううん、私たちは飛べないのよ。歩いていける場所。こらっ、知ってて聞いたのね?ルーン帰ったらおぼえてらっしゃい」
言葉とは裏腹に微笑んで精霊たちを見送った。
シャイネリアは精霊と心つないだ。
瞼の裏に精霊が見た景色が映し出される。
既に夜だが精霊にはなんの障害もない。生来、インフラビジョンを持ち夜目が利く。
ヴィーの目を見た。遥か上空から渓谷を見ろしていた。他の三体の精霊に指示を出していた。四兄妹の精霊の長兄らしくあろうと、いつも冷静な精霊だ。
ヴェベーゼに繋ぐ。真っ暗。インフラビジョンを持つ目ではありえなかった。だがすぐ原因が判明。彼女は眼をつぶっていたのだった。ヴェネーゼは長女だが子供っぽく、悪戯好きだ。
アトラに繋ぐ。が、あまりのスピードにびっくりした。アトラのスピードは兄妹の中でも一番早く、軽く音速を超える。攻撃呪文系のサポートは常に彼の役目だ。
ルーンルーンディースは一番末の妹。シャイネリアはまだ若いルーンにはいつも困らせられていた。だけど一番長く一緒にいるのはルーンで、泣きたいときはいつも傍にいてくれる。
シャイネリアは、胸の動悸が高鳴るのを覚えた。ルーンと繋がらないのだ。まだ帰還のスペルは唱えていない。
(ヴィー!ルーンがいないわ!)
(分かっている、だからアトラを急がせている)
なるほど、そういう訳か。
(いつから?)
(最初の星が輝いたときから)
(大丈夫だよね?)
(心配ない。精霊は死ぬと魂が歌う。まだその歌は聞いていないから)
(どこあたりで消えちゃった?)
(ルーンルーンディースはニスアの付近に行かせた。巨人の踏み台と言われる巨岩がある辺りだ。ん。なんだ。……まずい!アトラ引き返せっ!ヴェネーゼ、どこだ!違う、そっちじゃない!その人間には近づくなッ!)
シャイネリアは慌ててヴィーの目を見た。景色が高速で後方に流れていった。
人間?シャイネリアは額から伝う冷汗を感じた。精霊を見つけることが出来るのは限られている。精霊本人が望むか、シーラのような特別な人間か、そして、魔導師。ヴィーはいきなり止まった。あたりを見回している。馬鹿な。インフラビジョンは体温の高いものは赤っぽく見える。とくにこんな冷えた夜だと人間ほどの体温を持つものなら星空から月を探すよりたやすい。
相手は魔導師だ。シャイネリアは片目を手で覆い、飛び起きた。
「パパ、ヴィーたちが!」
状況を察知したフィールスは、グラッドをゆすり起こした。グラッドは上半身を起こすと手を差し伸べ、その手をシャイネリアは握った。とたんにグラッドの目にもヴィーの視界が写し出された。
「シャイニー。ヴィーを戻して」
「なんでなの!ヴェネーゼたちはまだ『ここ』なのよ!」
「地面を見て」
シャイネリアは息をのんだ。青い円が地面に燐光を放っていた。
「なんでこんなところに魔法探知の印があるのよ!」
「俺にあたるなよ。あっちには魔法霧散。巧妙すぎる。ほら術式が、通常じゃない。罠の上に、地脈が通るように誘導する印が組み込まれている。精霊も気づかないはずだよ。うまく隠されている」
「感心している場合じゃないでしょ!」
「まったくだ。敵は宮廷魔導師じゃない。なんかドロ臭いやりかただ。しかしへんだな」
「ああ、そうだな」
「パパまで」
「シャイネリア、お前なら罠を仕掛けるならどうする?」
「そんなのんきな事を考えてる暇なんて」
「よく考えたらその理由もわかる」
シャイネリアははやる気持ちを抑える。なんでこんな時に、という半分怒りの感情を抑えるのに苦労する。
「私なら、ロストマジックじゃないわ。ディテクトと連動して、物理系と魔法系の爆破スペルを。……あ。なんで?」
グラッドはにやりと笑った。
「そう、初歩的なトラップを使っていないのが変なんだ。まるで」
「殺すつもりはないみたい」
「そして、これ見るだけで相手の力量がわかる。並の魔導師ならこっから先に行こうとは考えないね」
「グラディアス。韻の始まりは何だ」
ヴィーの目を通して、魔法印の内枠に書かれている「始韻」と呼ばれる場所を見る。
「なんだろ、見たこともない。東方の字のようだけど」
「それで充分だ。こっちから挨拶に行かねばな」
「え?なんだよ、父さん知ってる相手かよ」
「ああ、古い名だ。だが個人名じゃない。代々と受け継がれる名前だ」
フィールスは天幕の出入り口部分をはねのけ、外に出た。
「通り名はハザン、新緑のカナン・ハザンとも呼ばれるが、別名は」
双子はお互いの顔を見合わせた。そして仲のいいことに同時に同じ言葉を口にする。
「竜喰いハザン!」